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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2018年2月18日日曜日

最高の自分

すべての人は、自分に成らなければなりません。
それは、これがあなたの人生だからです。
あなたの人生は、自分で生きなければならないのです。
あなたの人生を自分でない誰かが生きることは出来ません。
あなたの人生を生きることが出来るのは、自分だけなのです。
多くの人は、自分に成ることが出来ません。
多くの人は、自分の人生を生きることが出来ないのです。
多くの人は、人の目を気にします。
多くの人は、他者からの評価を重要視しているのです。
そのため、多くの人は自分に成ることが出来ません。
多くの人は、他者に媚(こ)び諂(へつら)った自分に成るのです。
それは自分ではありません。
それは、不自然な存在なのです。
不自然な存在は自然の調和を乱します。
不自然な存在は、豊かさを壊すのです。
多くの人が乏しい人生を生きているのは、自分ではないからです。
多くの人は、自分ではない”何か”の人生を生きているのです。
あなたは自分として生まれました。
本来ならば、あなたは自分です。
しかしながら、教育によって、あなたは不自然な存在として成立したのです。
あなたは他者からの教育や、自分自身に対する教育によって、自分ではない”何か”に成ってしまったのです。
あなたの人生にとって、自分であることが自然です。
自分ではない”何か”を当てはめてしまえば、調和は乱れ、乏しさが導かれるのです。
そのため、あなたが豊かさを求めるのであれば、自分に成る必要があるのです。
先ずは、あなたが不自然な状態であることに気が付かなければなりません。
あなたは人の目を気にします。
あなたは、他者からの評価を重要視しているのです。
誰もが、嫌われることを恐れています。
それは、誰もが孤立を恐れているからです。
残念ながら、あなたが孤立することはありません。
それは、世界には可能性が満ち溢れているからです。
例えば、あなたが人の目や評価を気にすることなく生きるとして、それを嫌う人たちがいます。
そのような人たちは、あなたを非難するか、あなたから遠ざかるでしょう。
しかしながら、それであなたが孤立するということはないのです。
あなたは器の中の水を割ることが出来るでしょうか?
あなたがどれだけ掻(か)き分けたとしても、水は必ず結合し、一つの水面を形成するのです。
人間関係とは、水のようなものなのです。
蒸発した水は、雨となって降り注ぎます。
あなたを離れた人がいる一方で、あなたに近付く人がいるのです。
あなたを非難する人がいる一方で、あなたを賞賛(しょうさん)する人がいるのです。
この世界には、あなたには数え切れない程の人間が存在しているのです。
海の水が枯渇(こかつ)することがないように、人間関係が途切れることなどありません。
現状の人間関係がすべてではありません。
寧(むし)ろ、そのような小さな集団に執着していてはならないのです。
世界は広いのです。
可能性は満ち溢れています。
あなたが自分に成ることは簡単なのです。
あなたは、自分の最高を目指せば良いということを覚えておきましょう。
素直な心に従って生きることによって、あなたは自分に成ることが出来ます。
人の目や評価を気にすることなく、自分の生きたいように生きるのです。
自分の人生の責任は、自分が負うのです。
あなたは、自分であれば良いのです。
梅は梅として生まれました。
梅は梅として美しくあれば良いのです。
芝は芝として生まれました。
芝は芝として美しくあれば良いのです。
梅が桜を目指す必要はありません。
芝が椿(つばき)を目指す必要もないのです。
梅には梅の美しさがあり、芝には芝の美しさがあります。
あなたにはあなたの美しさがあり、他者には他者の美しさがあるのです。
最高の自分を目指しましょう。
誰かに左右されるような生き方をしてはなりません。
あなたはあなたなのです。
他者には、あなたの人生を理解することが出来ないのです。
理解することが出来ない人の意見を受け入れる必要はないのです。
自分に成りましょう。



2 件のコメント:

  1. わたしは乏しいんです わかっています
    何度でもくりかえしてしまいます
    くりかえす必要があるのでしょうね
    またもういちどやりなおしてみます
    ありがとう


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    1. 匿名さんへ
      人は誰もが乏しさ(未熟さ)を抱えて生きています。
      そのために、失敗や後悔を繰り返してしまいます。
      それは、仕方のないことです。
      しかしながら、失敗や後悔を繰り返しながらも、確実に成長しているものです。
      今は、失敗して後悔を繰り返していたとしても、いつの間にかに克服しているものです。
      それは、立ち上がることさえ出来なかった赤子が、立ち上がる練習を繰り返しているうちに立ち上がることが出来るようなものなのです。
      立ち上がることが出来た赤子は、次に歩くことに挑戦します。
      しかし、それは失敗の繰り返しです。
      赤子はどれだけの失敗を繰り返したとしても、そこに後悔を覚えることはありません。
      赤子はただ、挑戦し続けるのです。
      それが、人の本来あるべき姿だと思います。
      失敗や後悔を恐れることなく、何度も挑戦してみてください。
      そうすれば、今は出来ないことも、いつの間にかに出来ています。
      詰まらないことは楽しくなり、苦しいことは喜びとなっていることでしょう。
      もちろん、楽しいことは詰まらなくなり、喜びは苦しみとなることも忘れないようにしてください。
      お互い、何度も繰り返して、より良いものを作りましょう。

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