このブログについて

「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2018年7月31日火曜日

時に叶う

すべての人は、人生に目的を持っています。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、幸福を求めます。
それこそが、人生の目的を果たそうとする行為なのです。
幸福とは、人それぞれのものです。
幸福は、決して同じものではありません。
それぞれに異なった幸福の形があるのです。
あなたには、あなただけの幸福の形が存在しています。
それは、あなたが、あなただけの人生の目的を所有しているからです。
人生の目的を果たすことが、人生の幸福です。
それ以上の幸福は存在しないのです。
多くの人は、欲望を貪(むさぼ)ることによって、幸福を実現しようとします。
しかしながら、欲望を貪ることには限度があるのです。
どのような好物も、食べ続けることは出来ません。
それを食べ続けるのであれば、腹を痛めてしまうのです。
欲望は人生の目的ではありません。
そして、欲望は幸福ではないのです。
欲望を貪ることによって幸福を得ようと考えてはなりません。
欲望を貪ることによって得られるのは、苦悩だけなのです。
そのため、あなたは欲望を貪る気持ちを和らげましょう。
欲望を貪ることが、人生の目的でも幸福でもないということを理解するのです。
大切なのは、人生の目的を果たすことです。
それ以上に大切なことはありません。
しかしながら、あなたは人生の目的を知りません。
そして、それを果たす方法も知りはしないのです。
あなたは、人生を通じて、人生の目的とそれを果たす方法を学ばなければならないのです。
多くの人は、人生の目的を知ったつもりでいます。
多くの場合、それは欲望を貪ることなのです。
残念ながら、あなたは無知です。
あなたの知っていることなど、何も無いのです。
多くの人は、自らの思いが叶うことによって幸福を得ることが出来ると思い込んでいます。
楽しいことや、やりたいことが実現することが幸福であり、目的だと考えているのです。
残念ながら、あなたは真の楽しみを知りません。
あなたは、自分が真にやりたいことを知らないのです。
思いが叶うことが幸福であるとは限りません。
多くの場合、思いが叶うことは悲劇なのです。
未熟者の願いは、歪んでいます。
歪んだ願いが、幸福を実現するはずがないのです。
あなたは、自らの思いを疑わなければなりません。
それは、歪んでいる可能性が高いのです。
思いが叶うことが最善だとは限らないのです。
そのため、あなたは、思いが叶わないことを焦ってはなりません。
すべてには時があり、時に叶って人生は最善に展開するのです。
時によって、人生には最善が導かれます。
時に叶わなければ、最善が実現することはないのです。
時に叶うような思いを抱かなければなりません。
時に叶わない思いは重荷に過ぎないのです。
思いが叶うことが最善ではありません。
時に叶う思いを抱くことが最善なのです。
あなたは、時に叶うように懸命に生きましょう。
自分勝手な考えを手放し、時と共に生きましょう。
人生を焦ってはなりません。
時が叶わなくても、あなたは懸命に生きなければなりません。
思い通りに展開する人生などは存在しません。
人生は、時に叶うのです。

2018年7月30日月曜日

有限

人は、人生について考えなければなりません。
人生は、決して価値の無いものではありません。
あなたは、人生の価値を見極めなければならないのです。
残念ながら、多くの人は人生の価値を見失っています。
多くの人は、乏しさの中に生きているのです。
多くの人は、不満や不安と共に生きています。
多くの人は希望を失い、人生を悲観しているのです。
そのような心持ちを乏しさというのです。
大切なのは、豊かに生きることです。
何を得て、何を所有し、何を失おうとも、豊かな心持ちで生きなければならないのです。
あなたは満足や安心を選択し、希望に満ちて人生を楽観しなければならないのです。
豊かな人生というものは、自分自身で築くことが出来るのです。
誰かや何かに任せているのであれば、豊かな人生を築くことは出来ないということを覚えておかなければならないでしょう。
それは、誰かや何かに任せているというのは、自らの人生の責任を放棄しているということだからです。
責任を放棄するということは、豊かさを放棄するということでもあります。
あなたが豊かな人生を築くためには、自らの人生に対して責任を果たさなければならないということなのです。
あなたは、人生を大切にしなければなりません。
どのような時間も、軽率(けいそつ)に生きてはならないのです。
すべての時間が大切な人生です。
そのことを覚えておかなければなりません。
不満や不安を抱え、人生に希望を失って悲観することは、人生を大切に扱っていることにはなりません。
そのような心持ちによっては、人生を蔑(ないがし)ろにしているということなのです。
残念ながら、人生は有限です。
時間には限りがあるのです。
機会にも限りがあります。
大切に扱わなければ、時間と機会を無駄にすることになるのです。
人生が有限であるのは、人が未熟であるからです。
あなたが未熟であるために、人生は有限であるのです。
それは、有り難さを理解するためです。
人生が無限であれば、人が人生を大切に扱うことはありません。
未熟者は、有り余るものや、あって当然のものに価値を見出しません。
未熟者は、それ等を軽んじるのです。
あなたは、酸素の有り難さを理解しているでしょうか?
酸素は有限ですが、有り余っているようにも、あって当然のもののようにも思えます。
しかしながら、酸素が断たれてしまえば、あなたの人生は、すぐに失われてしまうのです。
呼吸を止めれば、酸素が有限であることを理解することが出来ます。
そして、それに感謝することも出来るのです。
しかしながら、酸素を当たり前や無限だと思い込み、呼吸を止める経験も無ければ、有り難さを理解することは不可能です。
あなたは、有限を生きています。
そのため、すべてには始まりがあり、同時に終わりがあるのです。
あなたは、いつまでも所有し続けることは出来ません。
それは、すべては有限だからです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
有り難さを理解することによって、あなたは人生を大切に生きようとします。
そして、それは、乏しさを手放そうと努めることに繋がるのです。
不満や不安、失望や悲観を手放そうと努めるためには、人生を大切に生きなければならないのです。
人生を大切に生きるようになれば、人生の目的や意味を考えるようになるでしょう。
そうなれば、欲望を貪(むさぼ)るために生まれたのではないということを理解することが出来るのです。
欲望から離れることによって、人は人生の道を見出します。
欲望という汚れを落とすことによって、人は本来の輝きを取り戻します。
その輝きが人生を照らすのです。
あなたの抱えている苦しみも有限です。
今しかそれを体験することは出来ません。
今しか体験することが出来ないものは、例えそれが苦しみであったとしても、大切に扱わなければならないのです。
苦しみも大切に扱えば、良い学びをもたらします。
どのようなものも大切に扱えば価値を持つのです。
すべてが有限です。
それは、すべてに価値があることを意味しています。
あなたは、人生を大切に生きましょう。
どのような状況にも価値を探し、豊かに生きるのです。

2018年7月29日日曜日

他者への期待

人は、それぞれの目的のために生まれました。
人は、それぞれの目的を果たさなければならないのです。
すべての人が、目的を以(もっ)て生まれます。
あなたは、それを果たさなければならないのです。
あなたの人生の目的を果たすのは、あなた自身の仕事です。
他者には、あなたの人生の目的を果たすことは出来ません。
同じように、あなたには他者の人生の目的を果たすことは出来ないのです。
これは、あなたの人生です。
他者の人生は、その人のものなのです。
干渉することは許されてはいないのです。
あなたは、他者に期待することは出来ません。
それは、他者には、あなたの人生の目的を果たす権限を与えられてはいないからです。
同じように、あなたにも、他者の人生の目的を果たす権限は与えられていないのです。
人は、自分の人生の目的を、自分で果たさなければならないのです。
誰も、目的地へと運んではくれません。
誰も、あなたをあなたの目的地まで運んで行くことは出来ないのです。
人は、自分の人生を自分の足で歩まなければなりません。
そして、人は独りでも道を歩まなければならないのです。
自分の足で歩まなければ、目的地へと辿り着くことは出来ません。
自分の足で歩まなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたが人生の目的を果たそうと思うのであれば、自分の足で歩まなければなりません。
しかし、自分の足で歩もうとする時には、他者に期待してはなりません。
誰かが運んでくれるなどと考えてはならないのです。
その甘えが、自らの歩みを妨げるのです。
人は、他者への期待によって、人生に停滞を招くのです。
他者に期待している間は、自分の道を歩むことは出来ません。
それは、他者には、あなたの人生の道のりを理解することが出来ないからです。
あなたの人生の目的地を知っているのは、あなただけです。
あなたが、他者の人生の目的地を知らないように、他者はあなたの目的地を知らないのです。
そのため、他者に期待しても、他者はどう歩めば良いかを知らないのです。
目的地を知らない者に期待したとしても、目的地へと辿り着くことは出来ないのです。
あなたが頼るべきは、自分自身です。
あなたは、自分自身を信用しなければなりません。
人生を決めるのは、あなたの仕事です。
あなたは、人生の方向性を自らの在り方によって決めるのです。
あなたの在り方こそが、次の一歩となるのです。
あなたは、自分の在り方と自分の足で、人生の方向性と歩みを実現しなければなりません。
他者には、あなたの在り方を決めることは出来ません。
他者には、あなたの足を動かすことが出来ないのです。
あなたは自分自身で決めなければならないのです。
あなたの人生を代わりに生きられる人は存在しません。
誰もが、自分の人生を生きるのに精一杯なのです。
他者に期待したところで、その期待が叶えられることはありません。
それは、他者には、あなたの人生に干渉する権限が与えられてはいないからです。
他者に期待しても、裏切られたと思い込むのが関の山です。
それは、あなたが無知であり、未熟であるからです。
あなたは、独りでも道を歩まなければなりません。
他者に期待することなく、他者に協力しましょう。
そうすれば、他者からの必要な協力が得られるのです。
あなたの人生を他者に任せることは出来ません。
しかしながら、他者からの必要な協力を得ることは出来るのです。
人生を安易に考えてはなりません。
あなたは、誰にも期待することは出来ないのです。
誰かと一緒に歩もうとしてはなりません。
それが、互いの歩みの妨げとなるのです。
人は、それぞれに異なる目的のために生きているのです。
それぞれが、異なる目的地へと向かって歩まなければならないのです。
互いに協力することは出来ますが、期待に応えることは出来ないのです。
他者に対して、無理な期待と要求をしてはなりません。
それは、あなたが他者からの無理な期待と要求に応えることが出来ないからです。
あなたが応えられないことは、他者も応えることが出来ないのです。
人が、それぞれの目的のために生まれたことを覚えておきましょう。
他者に期待することなく、自分の足で歩みましょう。
それは、これがあなたの人生だからです。

2018年7月28日土曜日

円滑

人生は、目的を果たすための旅路です。
あなたは、人生の目的を果たすための道を歩んでいるのです。
あなたは、歩まなければなりません。
あなたに求められるのは、歩みを確実にすることなのです。
人生における豊かさとは、歩むことです。
人は、歩んでいる時に豊かさを覚えることが出来るのです。
歩みを止め、停滞している時には、人生に対して乏しさを感じてしまうのです。
大切なのは、歩み続けることです。
しかしながら、歩み続けることは容易ではありません。
なぜなら、人は未熟であるからです。
未熟というのは、歪んでいるということです。
人は、未熟であるために、歪んでいるのです。
それは、角が立っているということなのです。
そして、不足を抱えているということでもあるのです。
人は、過剰と不足によって未熟であるのです。
成長とは、円満に近付くということなのです。
あなたは、過剰を削り、不足を埋める必要があります。
それは、丸いものは円滑に進むからです。
道を進むための最適な形は、球体です。
丸い程に、円滑に進むことが出来るのです。
角が立てば、その歩みは騒がしく、その進みは遅いのです。
それは、角によって抗力(こうりょく)が生じるからです。
丸い岩を運ぶことは難しい仕事ではありません。
それは、角が立たず、抵抗が少ないからです。
しかしながら、同じ大きさの四角い岩を運ぶことは容易ではありません。
それは、角が立ち、抵抗が多いからです。
丸い岩なら転がせば良いですが、四角い岩は転がすことが出来ません。
四角い岩を運ぶためには、多くの労力と時間を必要とするのです。
大切なのは、角を取り除くことです。
過剰を削り、不足を埋めるのです。
丸いものは、静かに素早く進みます。
しかしながら、四角いものは騒がしく、その進みは遅いのです。
あなたが丸くあれば、人生は円滑に進みます。
あなたは、人格を丸くしなければならないのです。
人格を丸くするためには、謙虚(けんきょ)でなければなりません。
謙虚さを大切にしない者には、過剰を削り、不足を埋めることは出来ないのです。
それは、謙虚さによって、現状を否定することが出来るからです。
成長するためには、現状を否定する必要があります。
現状を肯定(こうてい)するのであれば、過剰を削り、不足を埋めることは出来ないのです。
それは、傲慢(ごうまん)によって、現状を認めてしまうからです。
傲慢な者は、過剰と不足を肯定します。
傲慢な者は、それを好ましいと思うのです。
多くの人にとっての人生の目的は、目の前の快楽を貪(むさぼ)り、苦悩と”寄り添う”ことなのです。
多くの人は、目の前の快楽と苦悩を好みます。
矛盾しているように聞こえるかも知れませんが、多くの人は、矛盾しているのです。
多くの人は不幸です。
多くの人は、人生に乏しさを感じています。
それは、快楽と苦悩を好むからです。
快楽と苦悩は、凸(とつ)と凹(おう)のようなものなのです。
未熟者の人格は、凹凸であるのです。
それは、歩みを遅くします。
多くの人は、快楽と苦悩によって、現状に停滞します。
目の前の快楽と苦悩に釘付けになってしまうのです。
それでは、目的を果たすことは出来ません。
大切なのは、目の前の快楽と苦悩に引かれないことです。
あなたは謙虚さによって、目の前の快楽と苦悩を退(しりぞ)けなければならないのです。
謙虚な者は、目の前の快楽と苦悩に引かれることはありません。
それは、謙虚さによって、人格の凹凸が均(なら)されているからです。
凹凸が少なければ、円滑に進むことが出来ます。
あなたが人生に豊かさを求めるのであれば、快楽と苦悩に引かれてはなりません。
快楽と苦悩を気にすることなく歩み続けましょう。
あなたは、快楽と苦悩に捕らわれてはなりません。
気にすることなく歩むのです。
そうすれば、人格は丸くなり、人生は円滑に進むでしょう。

2018年7月27日金曜日

非力

すべての人は非力です。
残念ながら、あなたの力で出来ることは僅(わず)かなのです。
あなたの力は知れています。
あなたは、自分と同じ重さの岩を持ち上げることすら出来ないのです。
それは、自分自身すら支えることが出来ないということなのです。
人は、独りでは何も出来ません。
しかしながら、人生には多くの困難が襲います。
あなたは、人生の困難に向き合わなければならないのです。
人は、人生の困難から逃れることは出来ないのです。
残念ながら、あなた独りの力では、人生の困難を乗り越えることは出来ません。
それは、あなたが余りにも非力だからです。
あなたは未熟です。
人生の困難を乗り越えるためには、成長する必要があるのです。
あなたが成長するためには、学ばなければなりません。
学びは、謙虚さによって他者から得ることが出来ます。
人は、謙虚でなければ学ぶことが出来ません。
人は、他者を通じて学びを得るのです。
あなたは、他者を通じて学びを得ます。
それは、他者を通じて客観を実現するからです。
あなたは、他者を通じて自分を客観視することが出来ます。
他者を通じなければ、客観性を得ることは難しく、自分の未熟さや非力さにも気が付かないのです。
自分の未熟さや非力さに気が付かなければ、それを改善することも出来ないのです。
あなたは、他者からの協力を得る必要があります。
それは、他者からの協力を得ることがなければ、困難を乗り越えることが出来ないからです。
しかしながら、多くの人は謙虚ではありません。
多くの人は、傲慢(ごうまん)に陥(おちい)っているのです。
あなたは、自らの力を過信してはなりません。
思い上がってはならないのです。
あなたは、独りでは何も出来ません。
あなたが思っている程、あなたに力はないのです。
他者からの協力を得るためには、傲慢を手放さなければなりません。
そして、感謝の気持ちを以(もっ)て、相手に尽くさなければならないのです。
思い上がって感謝の気持ちを失っている者には、他者からの協力は得られません。
あなたは、感謝の気持ちを持たず、自分に尽くさない相手に協力することが出来るでしょうか?
利害関係にあれば、止む無く手を貸すでしょうが、それは最低限に抑えられるのです。
それでは、協力関係を築くことは出来ません。
大切なのは、相手が自主的に協力してくれる関係を構築(こうちく)することなのです。
相手が自主的に協力してくれる関係を構築するためには、あなたが相手に尽くす必要があります。
そのためには、自分の立場を理解しなければなりません。
価値の乏しい自尊心を守ってはならないのです。
あなたの自尊心には、価値がないのです。
それは、未熟な自尊心だからです。
あなたは、より良いものに価値を見出さなければなりません。
独りよりも、二人に価値を見出さなければなりません。
二人よりも三人に価値を見出だすのです。
そうすれば、あなたは独りでは出来ないことが出来るようになります。
独りで乗り越えることの出来ない困難であっても、二人なら乗り越えることが出来ます。
二人でも乗り越えることが出来ない困難であっても、三人ならば乗り越えることが出来るのです。
あなたが困難を乗り越えるためには、他者からの協力が必要です。
思い上がっている者には、他者からの協力は得られません。
あなたは、自らの有り様を考えなければなりません。
残念ながら、あなたに対して他者は協力的ではありません。
なぜなら、それぞれに自分の仕事を抱えているからです。
他者に協力してもらおうと思えば、相手の仕事以上の価値を提供する必要があるのです。
例えば、感謝の気持ちです。
そして、それに相応しい行動なのです。
他者に協力してもらうということは、他者の時間と労力を奪っているということです。
それに見合う代償を支払わなければ、協力を得ることは出来ないのです。
一度だけなら、騙(だま)すことも出来ます。
しかし、次はありません。
自分勝手に生きてはなりません。
あなたは、独りでは何も出来ないのです。
そのことを覚えておきましょう。

2018年7月26日木曜日

異なる役割

人は、それぞれの役割のために生まれます。
人は、役割を果たすために生まれるのです。
役割を持たずに生まれる人はいません。
どのような人でも、大切な役割を与えられて生まれるのです。
あなたには、大切な役割があります。
それを果たさなければなりません。
しかしながら、人は自らに与えられた役割を見失っています。
人は、自らの役割を忘れているのです。
そのため、人は人生に迷います。
不満や不安を抱えるのも、果たすべき役割を忘れているからなのです。
役割を見失っているために迷います。
役割を忘れているために不満や不安を抱えるのです。
自らの成すべきことを理解していれば、人生に迷うことも、不満や不安を抱えることもないのです。
多くの人は、自らの役割を見失い、忘れているために、人生に苦しむということを覚えておきましょう。
残念ながら、すべての人が自らの役割を見失っています。
人は、役割を忘れて生まれるのです。
そのため、誰もが自らの役割を思い出すために努めなければならないのです。
自らの役割を思い出すためには、目の前の状況に対して自らの役割を探さなければなりません。
人生には無駄は存在しません。
そして、人生の目的は、役割を果たすことです。
そのため、あなたの目の前の状況には、あなたの役割に関連することが鏤(ちりば)められているのです。
無駄に思えるような状況も、役割に関連するものなのです。
役割を見失い、忘れている者は、探し続けなければならないのです。
謙虚(けんきょ)でなければならないのです。
謙虚でなければ、探すことはありません。
そして、探すことがなければ、見付け出すことも出来ないのです。
あなたは、目の前の状況に対して、自らの役割を探し続けましょう。
そうすれば、経験の蓄積によって、次第に役割の概要(がいよう)が見えてくるのです。
経験が蓄積しなければ、見えてきません。
大切なのは、探し続けることなのです。
あなたは、自分の果たすべき役割を探し続けるのです。
大切なのは、自分の役割を果たすことです。
他者の役割は、他者に任せれば良いのです。
あなたは、自分の役割を果たさなければなりません。
多くの人は、他者に何かを求めます。
例えば、他者に変わってくれるように求めます。
残念ながら、他者をあなたの思い通りに操ることは出来ません。
それは、役割が異なるからです。
あなたは、自分の役割のために生まれました。
それは、他者も同じなのです。
あなたは、他者に求めてはなりません。
役割が異なれば、働きも異なるのです。
それは、筆(ふで)に釘(くぎ)を打てと言うようなものなのです。
筆に釘を打つことは出来ません。
それは、筆が釘を打つために作られたのではないからです。
筆は、線を描くために作られたのです。
筆は、線を描く時に役割を果たすのです。
筆に釘を打たせてはなりません。
それは、叶わないからです。
相手に自分のことを求めても叶いません。
それは、役割が異なるからです。
あなたは、自分の人生を生きなければなりません。
そして、自分の役割を果たさなければならないのです。
他者に甘え、自分の人生と役割を放棄してはなりません。
他者に求めても、何も叶わないのです。
あなたは、他者に求めず、他者に与えるようにしましょう。
他者から得られるものを数えずに、他者に与えられるものを数えるのです。
そうすれば、あなたは自らの役割を見出すことが出来るでしょう。
筆は線を描くことによって、自らに与えられた役割を知ることが出来ます。
自らの力を使うことがなければ、自らに与えられた役割を知ることは出来ないのです。
他者に与えることこそが、自らの力を使うということなのです。
多くを求めてはなりません。
それは、役割を隠します。
多くを与えようと努めましょう。
それは、役割を示します。
自分のことを他者に求めても叶わないということを覚えておきましょう。
他者に依存(いそん)してはなりません。

2018年7月25日水曜日

真っ直ぐに歩む

人は、それぞれに役割が与えられています。
人は、それぞれの役割を果たさなければなりません。
それぞれの役割は異なっており、同じものはないのです。
そのため、あなたが自分の役割を果たすためには、その役割に従った働きを必要とするのです。
人は、それぞれの役割に従った働きを必要とするということを覚えておきましょう。
あなたの役割と、他者の役割は異なります。
そのため、あなたの必要とする働きと、他者の必要とする働きは異なるのです。
あなたは、他者の必要とする働きを必要とはしません。
他者は、あなたの必要とする働きを必要とはしないのです。
人は、それぞれの必要とする働きを大切にしなければならないのです。
農家が魚を捕らえる方法を研究することは、役割を果たすことには繋がりません。
漁家(ぎょか)が野菜を育てる方法を研究しても同じことなのです。
農家は野菜を育てる方法を必要とし、漁家は魚を捕らえる方法を必要とするのです。
農家は農家としての役割を果たし、漁家は漁家としての役割を果たすことが求められるのです。
あなたはあなたとして、役割を果たさなければなりません。
あなたが他者として生きようとするのであれば、自らに与えられた役割を果たすことは出来ません。
あなたはあなたとして、他者は他者として、与えられた役割を果たすように努めなければならないのです。
あなたは、自らに与えられた役割を果たすために生きましょう。
そのために、役割に従った働きに努めるのです。
努めなければ、役割を果たすことは出来ません。
あなたは、迷わぬように道を歩まなければならないのです。
自分の道を真っ直ぐに歩みましょう。
しかしながら、それは容易なことではありません。
誘惑(ゆうわく)は避けられないのです。
あなたが自分の道を歩もうとする時、必ず心を惑(まど)わす誘惑が襲います。
それは、他者との比較という形で現れます。
あなたが自分の道を歩もうとすれば、他者との比較を始めてしまうのです。
あなたに与えられた役割は、あなただけに与えらえた役割です。
他者に与えられた役割を、あなたが果たすことは出来ません。
どのように努めても、与えられていない役割を果たすことは出来ないのです。
あなたは、他者との比較には価値が無いということを理解して、それを手放さなければならないのです。
そして、誘惑は、他者からの評価という形でも現れます。
あなたが自分の道を歩もうとすれば、他者からの評価を考え始めてしまいます。
あなたの働きを評価するのは他者ではありません。
残念ながら、他者には、あなたの働きを評価することは出来ないのです。
それは、あなたの働きを評価するのは、この世界であるからです。
世界からの評価は、人生として現れます。
人生に豊かさを感じることが出来るのであれば、それは、人生があなたの働きを評価しているということです。
他者からの評価は、あなたの人生の豊かさには関係のないものなのです。
他者があなたを認めないからといって、あなたの人生が乏しくなるということはありません。
もちろん、他者があなたを認めても同じことです。
あなたの人生は、他者には左右されないのです。
人生の豊かさは、自らに与えられた役割を果たすかどうか?ということで決まるのです。
それは、自分で自分の人生を決めるということです。
あなたは、他者との比較と、他者からの評価を気にすることなく、自らの役割を果たすことに努めましょう。
自らの役割に対する努めを怠(おこた)らなければ、あなたは世界から賞賛(しょうさん)されるでしょう。
他者は、あなたに豊かさを与えることが出来ません。
そのため、あなたは他者に豊かさを期待してはならないのです。
あなたは、自らの努めによって、この世界から与えられる豊かさを期待しましょう。
あなたの役割は、この世界への貢献を実現するものです。
あなたが自らの役割を果たすということは、この世界への貢献を果たすということでもあるのです。
それは、誰かや何かの役に立つという結果を導くのです。
あなたは、他者との比較と、他者からの評価を気にすることはなくても、他者への貢献は気にしていましょう。
あなたが他者やこの世界へ貢献しようと努めることによって、自らの役割を果たす可能性は高まるのです。
役割を果たすことが人生の目的です。
他者との比較や、他者からの評価を目的としてはなりません。
人生の目的を見失わないように注意しましょう。
真っ直ぐに歩みましょう。

2018年7月24日火曜日

不毛な争い

人には、分際というものが備わっています。
分際とは、器量のことです。
人は生まれながらに、それぞれが重要な役割を与えられています。
そして、その役割を果たすために分際が与えられたのです。
人は、それぞれの器を以(もっ)て生まれるのです。
それぞれの器には、それぞれの役割を果たすための形と容量があるのです。
人は、分際を超えて所有することは出来ません。
なぜなら、分際を越えれば、役割を果たすことが出来ないからです。
人の所有は、分際に相応しいものに収まるのです。
それが最善なのです。
あなたは、自らの分際を超えて所有することは出来ません。
無理に所有しようとすれば、器から溢れ出してしまうのです。
それでは、器は役割を果たすことが出来ません。
器は、所有を納めなければならないのです。
溢れ出る程に所有してはならないのです。
それは、多くの問題と苦悩を引き起こすからです。
所有を納めることの出来ない器には、価値が認められません。
価値の認められない器は、使い物になりません。
使い物にならない器は、箱に仕舞(しま)われるのです。
所有を納めることの出来ない器を、そのままにしておく主人はいないのです。
所有を納めることが出来る器こそが、重宝されるのです。
あなたは、所有を納めなければなりません。
欲に溺れて、多くを求めてはならないのです。
器量に納めることの出来ない所有は、身を滅ぼすのです。
大切なのは、自らの役割を果たすことです。
そのために、所有を器に納めるのです。
何かを得るためには、何かを手放さなければなりません。
残念ながら、何かを得続けることは出来ません。
容量を超えて所有すれば、自ずと溢れ出してしまうのです。
それは、強制的に何かを失うということなのです。
欲に根差した所で、容量を超えて所有することは出来ません。
人には、それぞれの分際があるのです。
あなたは、誰かのように所有することは出来ません。
そして、あなたは、誰かよりも多くを所有するのです。
大切なのは、自分の器量を見極めることです。
自分の器量を理解すれば、余計を得ることも、余計を失うこともありません。
自分の器量を理解する者は、必要を得て、必要を失うのです。
必要が満たされていればそれで満足を得ることが出来ます。
多くを得る必要はありません。
そして、多くを失う必要もないのです。
あなたは必要を所有しましょう。
欲に溺れ、必要以上を求めてはならないのです。
必要以上を得ることは、その時には良いことのように思えます。
しかしながら、必要以上を得ることは、後に必要以上を失うということになるのです。
そのことを理解しなければならないのです。
何かを得るためには、何かを手放さなければなりません。
あなたは、分際を知りましょう。
そして、器量に納まる量で満足しましょう。
多くを得ても、多くを失ってしまえば意味がありません。
器に水を注ぐと、やがて器は満たされます。
しかしながら、それでも水を注げば、同じ量が溢れるのです。
器は、常に容量を守ります。
人は、分際以上には得られず、分際以上に行うことが出来ないのです。
分際を大切にしましょう。
無理に得ようとしても、無理に失います。
必要を満足しましょう。
必要以上を得ようとしてはなりません。
それは、不毛な争いだからです。

2018年7月23日月曜日

真の人生の始め方

人は、自分の人生のために生まれました。
人は、自分の人生を生きなければなりません。
人は、自分の人生の目的を果たさなければならないのです。
人生は、それぞれの道です。
この世界には、同じ人生は存在しません。
そして、同じ目的と目的地は存在しないのです。
残念ながら、人生とは、独りの道です。
人は、独りで自分の人生を歩まなければならないのです。
誰も連れて行くことは出来ません。
人生は、孤独の中に築かれるのです。
大切なのは、自分自身と向き合わなければならないということを知ることです。
あなたは、どのような状況においても、ただ自分自身とだけ向き合っているのです。
誰かや何かと向き合っているように思える状況においても、誰かや何かを通じて自分自身と向き合っているのです。
あなたの人生には、自分自身の他に誰も存在しません。
そのため、原因を自分以外の誰かや何かに探してはならないのです。
責任は、常に自分自身にあるということを覚えておかなければならないのです。
他者を思い通りにすることは出来ません。
我が子であっても、他者です。
決して思い通りにはなりません。
あなたが思い通りにすることが出来る唯一のものは、自分自身なのです。
しかしながら、あなたは自分自身を知りません。
あなたが自分自身だと思っているものは、決して自分自身ではないのです。
それは、偽りの自分です。
あなたが自分自身だと思っている偽りの自分は、自らの抱える弱さや無知、そして、教育によって形成された虚像に過ぎないのです。
多くの人は、虚像を実像と思い込んでいるのです。
そのため、多くの人は自分自身を知りません。
そして、自分自身を知らないために、自分の人生を生きることが出来ません。
自分の人生を生きることがなければ、人生の目的を果たし、人生の目的地へと辿り着くことは出来ません。
人生の目的を果たすことなく、人生の目的地へと辿り着くことがなければ、人生に豊かさを得ることは出来ないのです。
多くの人が人生に乏しさを覚えるのは、自分自身を知らないからです。
大切なのは、自分自身を知ることです。
そのためには、自分自身を探さなければなりません。
自分自身は、虚像に埋もれています。
それを探すのは困難です。
そのために、寿命が与えられたのです。
あなたは、生涯を通じて、自分自身を探し続けなければなりません。
自分自身は、誰かや何かの中には存在しません。
誰かや何かの中に存在するのは、自分自身を探すためのヒントだけなのです。
あなたは誰かや何かに対する自らの反応を通じて、自分自身を探さなければならないのです。
しかしながら、多くの人は自分自身を探すことが出来ません。
それは、自分自身を探す勇気が無いからです。
偽りの自分を自分自身だと思い込んでいる人にとって、自分自身を探すのは勇気のいる行為なのです。
それは、自分自身だと思い込んでいる偽りの自分を否定しなければならないからです。
多くの人は変化を恐れます。
多くの人は、変わらないことが最善だと考えているのです。
しかしながら、人生の目的は自分自身を見出すことです。
そのためには、変わる必要があります。
そのために、勇気が必要なのです。
多くの人は、偽りの自分によって、偽りの人生を生きています。
それでは、豊かさを得ることは出来ません。
自分自身の人生を生きる勇気を持った時から、真の人生が始まるのです。
あなたは、偽りの自分に埋もれている、自分自身を探し続けなければなりません。
寿命は、自分自身を探すために使いましょう。
あなたは、自分の人生のために生まれました。
あなたは、自分の人生を生きなければなりません。
あなたは、自分の人生の目的を果たさなければならないのです。
自分自身を探す行為は孤独です。
勇気を持たなければ、人は孤独に耐えることが出来ないのです。
孤独を恐れる必要はありません。
それは、孤立ではないからです。



2018年7月22日日曜日

人生は変わる

この世界には、因果の仕組みが存在しています。
誰一人として、因果の仕組みを離れることは出来ません。
人生は、因果に起源するのです。
人生の原因はあなたです。
あなたという原因が、人生という結果を導くのです。
人生は、あなたに相応しく展開します。
あなたを無視して、人生が展開するようなことはないのです。
多くの人は、人生が勝手に展開していると考えています。
多くの人は、人生が自分とは無関係に展開していると思い込んでいるのです。
そのため、誰かや何かに責任を転嫁(てんか)するような思考に陥(おちい)ってしまうのです。
残念ながら、人生の原因は自分自身です。
なぜなら、それを体験しているのはあなた自身だからです。
その状況は、他の誰でもなく、あなたに導かれるのです。
それは、あなたに相応しいからです。
それは、あなたが体験しなければならない学びなのです。
あなたに関係しているために、あなたに導かれるのです。
そのことを理解しなければならないのです。
あなたに関係の無いことであれば、あなたに導かれる必要はありません。
それが導かれているということは、あなたにとっての意味と価値があるということなのです。
目の前に導かれる体験を蔑(ないがし)ろにしてはならないのです。
それは、あなたにとって大切な学びであるからです。
現状は、あなたが築きました。
あなたの選択によって、現状は築かれたのです。
それがどのような現状であれ、誰かや何かによって築かれた訳ではないのです。
誤解してはならないのです。
責任を転嫁しようとするのは、弱さを抱えているからです。
人は、恐れを抱くのです。
そのため、人生の原因が自分自身であるということを受け入れることが出来ないのです。
人生を築くのはあなただけです。
そして、人生を変えるのもあなただけなのです。
築いたものを変えるためには、壊さなければなりません。
築いたものを壊すのは、あなたの選択なのです。
人生の原因はあなたです。
あなたの力で人生は変わるのです。
誰かや何かの力で人生が変わると思い込んでいるのであれば、その無責任な態度に相応しい状況が導かれるでしょう。
人生は、あなたに相応しく展開します。
そのことを理解しなければなりません。
人生には、簡単に変わることもあれば、変わることが難しいこともあります。
多くの人は、変わることが難しいことに対しての辛抱が保ちません。
多くの人は、変わることが難しいことに対して、すぐに諦めてしまうのです。
大切なのは、見極めることです。
変わることが難しいことを変えるためには、多くの時間と労力が必要です。
そのことを知らずに焦ってはならないのです。
変わることが難しいことには、辛抱強く向き合わなければなりません。
それは、楔(くさび)で岩を砕くようなものなのです。
例えば、楔を打ち込むことは、人生において簡単に変わることです。
しかしながら、岩を割ることは、人生において変わることが難しいことなのです。
岩を割るためには、楔を打ち込み続けなければなりません。
楔を打ち込み続けなければ、岩が割れることはないのです。
あなたは、自分に出来ることを続けなければなりません。
変わることが難しいことに対して、短気に挑んではなりません。
そのような選択では、岩を割ることは出来ません。
自分に出来る簡単に変わることを続けるのです。
簡単に変わることを続け、変わることが難しいことが変わるのを待つのです。
簡単に変わることとは、考え方や気分や選択を変えることです。
これ等のことは、簡単に変えることが出来ます。
否定を肯定(こうてい)に、怒りを思いやりに、愚痴(ぐち)を感謝に変えるだけで良いのです。
それだけのことを続けていれば、人生はやがて大きく変わるのです。
現状は、簡単には変わりません。
しかしながら、自分自身を変えることは難しくはないのです。
成果はすぐには現れません。
しかし、必ず現れるのです。
そのことを理解しておきましょう。
あなたの力は小さいけれども、その積み重なりは大きな力となるのです。
人生は、自分の力で変えることが出来るということを覚えておきましょう。

2018年7月21日土曜日

思い込み

人は、人生を豊かに生きなければなりません。
それは、すべての人が幸福を求めているからです。
人は、それぞれの幸福を求めています。
幸福の形は、人それぞれに異なっているのが自然です。
人は、どのような幸福を求めても良いのです。
ただし、それは自分の幸福の形でなければならないのです。
人は、自分の幸福を得ることによって、人生に豊かさを実現します。
人生に豊かさを必要とするのであれば、自分の幸福を手に入れなければならないのです。
それは容易なことではありません。
誰にとっても、自分の幸福を手に入れることは難しいのです。
多くの人が、人生に乏しさを覚えます。
多くの人は、乏しさと共に人生を歩むのです。
それは、自分の幸福を手に入れることが容易ではないことを示しているのです。
多くの人にとって、自分の幸福を手に入れることは困難です。
それは、思い込みを抱えているからです。
思い込みとは、価値観のことです。
人は、誰もが価値観に従って生きているのです。
価値観に反して生きることの出来る人はいません。
それは、人生が自らの選択によって築かれるからです。
あなたが乏しさと共に生きているのであれば、それは自らの選択の結果です。
豊かさと共に生きているのであれば、それも自らの選択の結果なのです。
選択以外の状況が導かれることはありません。
それは、この世界には、因果の仕組みが存在しているからです。
人生における原因はあなたです。
あなたの選択に相応しい結果としての状況が導かれるのです。
乏しさと共に生きているということは、あなたの選択が乏しさに相応しいということなのです。
豊かさと共に生きているのであれば、あなたの選択が豊かさに相応しいということだと理解しなければなりません。
偶然に乏しさと共に生きることはありません。
偶然に豊かさと共に生きることもないのです。
乏しさと豊かさ、どちらと共に生きるかを決めるのはあなたなのです。
大切なのは、選択は価値観によって決められると理解することです。
価値観とは、思い込みに過ぎません。
なぜなら、新たな知識や経験によって、価値観は変化するからです。
これまでの知識や経験による思い込みこそが、あなたが従っている価値観であるのです。
思い込みである価値観には、是非(ぜひ)は関係ありません。
思い込んだものが勝るのです。
あなたの人生は、思い込みによって築かれています。
そのため、人生を変えるには、思い込みを改める必要があるということなのです。
思い込みを改めるためには、新たな知識や経験が必要です。
知ることによって、思い込みは変化するのです。
あなたは学びに努めなければなりません。
知らないことを放置してはなりません。
多くの人は、無関心に生きています。
人生について学ぶことに興味がないのです。
興味があるのは、目の前の快楽や苦悩に関することです。
それも大切な人生の一部ではありますが、それに集中してはならないのです。
一部はあくまでも一部でしかありません。
一部には、部分的な価値しかないのです。
部分的な価値に人生を費やしてはならないのです。
価値を限定すれば、乏しさを得ることになります。
それは、豊かさとは、限定されない価値のことだからです。
全体を大切にすることによって、価値の制限を手放すことが出来ます。
すべてに価値を見出すことによって、あなたは全体を大切にすることが出来るのです。
全体を大切にすれば、新たな知識や経験が得られるでしょう。
全体を大切にすることが、豊かに生きることに繋がるのです。
全体を大切にする思い込みを育みましょう。
そうすれば、あなたが目の前の快楽や苦悩に翻弄(ほんろう)されることもないでしょう。
一部に躓(つまず)いてはなりません。
あなたは人生を大きく考えましょう。
目の前の部分的なことに力を尽くしてはなりません。
全体のために力を尽くしましょう。

2018年7月20日金曜日

素直に存在する

人生は、豊かに生きるべきです。
あなたは、人生を豊かに生きなければなりません。
しかしながら、多くの人は、人生に豊かさを実感することが出来ません。
多くの人は、人生に乏しさを感じているのです。
それは、人生に対して、そのような選択を行ったからです。
人生は、選択によって築かれるのです。
豊かに生きるためには、豊かさを導く選択を行わなければなりません。
豊かさを導く選択を行わなければ、豊かさを実現することは出来ないのです。
人生に乏しさを感じている人は、乏しさを導く選択を行っているのです。
ただ、それだけのことなのです。
大切なのは、どのような選択を行うのか?ということです。
あなたの選択が、人生を決めるということを覚えておかなければならないのです。
残念ながら、人は偏見を抱えています。
偏見は、誤解によって生じます。
誤解は、無知の結果です。
無知は、未熟さによって導かれるのです。
残念ながら、すべての人が未熟です。
誰一人として、未熟さを克服している人はいません。
人は、未熟に生まれるのです。
それが自然なのです。
あなたは未熟です。
そして、無知です。
そして、誤解を抱えています。
そして、偏見に従っているのです。
偏見は、認識に歪みを与えます。
それは、素直さを離れるということなのです。
人は、素直さを離れています。
そのため、本質を理解することが出来ないのです。
本質を理解すれば、豊かさを導くことは容易です。
豊かさを導くためには、本質を理解することが求められるのです。
本質を理解するためには、全体を理解しなければなりません。
本質は、すべてを示すのです。
すべてを理解する時に、本質を理解することが出来るのです。
すべてを理解するためには、全体を見る必要があります。
偏見によって、部分的にしか見ることがなければ、全体を理解することが出来ません。
全体を理解することが出来なければ、本質を理解することも出来ないのです。
あなたが豊かさを必要としているのであれば、偏見から離れなければなりません。
偏見を離れるためには、素直に生きる必要があるのです。
素直に生きることによって、人は偏らずにニュートラルに存在することが出来ます。
中立の立場を得なければ、全体を理解することは出来ないのです。
偏見は、あなたに偽りを教えます。
どのような理由があろうとも、豊かさを必要とするのであれば、偏ってはならないのです。
素直に生きなければなりません。
素直に生きるためには、自らの非を認める勇気を持つことです。
人は、未熟です。
そのため、自分が正しいと思い込んでいます。
自分が正しいという考えは偏見です。
人が素直に存在する時には、”自分が正しいかも知れないし、相手が正しいかも知れない。自分が間違っているかも知れないし、相手が間違っているかも知れない”という考えが働くのです。
人が素直に存在する時には、是非(ぜひ)を問うことはありません。
是非を超越した状態こそが、素直に存在するという状態のことなのです。
あなたは、素直に生きなければなりません。
偏らず、中立の立場を保ちましょう。
本質を理解するためには、俯瞰(ふかん)する必要があるということを覚えておきましょう。
素直に存在するというのは、全体を大切にするということなのです。
是非を問わず、そのすべてを大切に扱う時、あなたは、本質を理解することが出来るでしょう。
選択が人生を築くということを忘れてはなりません。

2018年7月19日木曜日

手直し

人生は、あなたの成長を実現するための場所です。
あなたは、人生において成長することが出来るのです。
すべては成長を実現するために導かれます。
あなたは、成長するための経験を否定することは出来ないのです。
人生の目的は成長することです。
そのため、あなたは常に自らの成長と向き合わなければならないのです。
目の前に導かれるどのような経験も、それがあなたの成長を助けるということを理解しなければなりません。
多くの人は、人生の目的を見失っています。
人は、成長するという目的のために生きています。
しかしながら、そのことを忘れ、長く生きることや、多くの財産を得ることを目的としているのです。
長く生きることや多くの財産を得ることは、成長のための副産物に過ぎません。
副産物は目的ではありません。
どのような副産物にも惑わされないように注意しなければならないのです。
そうしなければ、人は人生の目的を見失い、豊かさを得ることが出来ないのです。
人生の真(まこと)の目的を見失い、偽りの目的を追求するのであれば、人生に対する豊かさを得ることは出来ないのです。
多くの人は、問題を嫌います。
それは、人が利己的であるからです。
利益に対して、問題は障壁(しょうへき)です。
問題が起きるということは、利益が損なわれると理解しているのです。
そのため、多くの人は問題を嫌うのです。
多くの人にとっては、物事が(自分の思う通りに)円滑(えんかつ)に進むことが最善です。
問題は、利益を損なう害悪でしかなく、招かれざるものなのです。
多くの人は、自分の考えが正しいと思っています。
そのため、物事が円滑に進むことが最善だと考えているのです。
しかしながら、すべての人は未熟です。
そのことを忘れてはならないのです。
すべての人は、無知を抱えています。
そのため、何も知らないのです。
問題の役割についても、何も知らないのです。
多くの人が問題を嫌うのは、知らないからなのです。
問題の役割を理解すれば、問題を否定することはなくなります。
なぜなら、問題という状況も、あなたの成長を実現する助けであるからです。
問題は、あなたの歪みに対する手直しです。
あなたの歪みを直すために問題が生じるのです。
しかしながら、未熟であり、無知であるあなたには、自らの抱える歪みが分からないのです。
そのため、問題を嫌うのです。
あなたは、無知で未熟な子どもを諌(いさ)めることでしょう。
それは、善意からの行為です。
しかしながら、無知で未熟な子どもは、それを有り難いとは思いません。
無知で未熟な子どもには、あなたが自分のことを諌める意味が分からないのです。
無知で未熟な子どもは、自分のことを諌めるあなたを嫌いになってしまうかも知れないのです。
多くの人が問題を嫌っているのは、無知で未熟な子どもと同じ選択をしているということなのです。
無知で未熟な子どもが、他者からの忠告を受け入れず、自分の思った通りに行動すれば、問題は更に複雑に大きく育ってしまうのです。
忠告は、成長のために与えられる思いやりです。
しかしながら、多くの人はそのようには考えることが出来ません。
多くの人は、忠告が自らの歩みの妨げになると思い込んでいるのです。
誤解を重要視してはなりません。
目の前に導かれる人生からの忠告である問題は、あなたの成長にとって重要な役割を担っています。
問題としての忠告がなければ、あなたは自分が正しいと思い込んでしまうでしょう。
残念ながら、あなたは正しくありません。
あなたは未熟であり、無知なのです。
あなたには、出来ないことや知らないことが多いのです。
出来ないことや知らないことが多いために、成長しなければならないのです。
人生の目的は、成長することです。
問題は、あなたの歪みに対する手直しです。
あなたが子どものために手助けするように、人生もあなたのために手助けしているのです。
人生は、的確にあなたに教えます。
しかしながら、あなたはそれに答えません。
そのため、教え方がより直接的なものとなるのです。
問題を否定しても成長することは出来ません。
問題を否定する程に、あなたの成長は滞(とどこお)ります。
手助けである問題を否定する程に、人生は乏しさを増すのです。
あなたは、人生に対して謙虚でありましょう。
問題を安易に否定することなく、耳を傾けてみましょう。
そうすれば、あなたは自らの歪みに気が付き、成長することが出来るでしょう。
問題を受け入れて学ぶことが、人生に豊かさを実現するということを覚えておきましょう。

2018年7月18日水曜日

急がば回れ

すべての人は、人生に目的を持って生まれます。
すべての人は、目的のために生まれるのです。
しかしながら、そのことは忘れてしまいます。
それは、目的を果たすためです。
自発性に訴(うった)えることをしなければ、人が人生の目的を果たすことは出来ません。
もしも、初めから人生の目的を覚えているのであれば、自発性は失われる可能性が高いのです。
それは、人が未熟に生まれるからです。
当たり前のことを追求することは容易ではありません。
なぜなら、人は当たり前のことを軽んじてしまうからです。
心臓が鼓動し、呼吸が行われることを追求する人は多くありません。
多くの人は、心臓が鼓動し、呼吸が行われることを当たり前と考えているために、それを軽んじているのです。
そのため、なぜ心臓が鼓動し、呼吸が行われるか?を答えられる人はいないのです。
もしも、心臓の鼓動が弱まり、呼吸が乱れることを経験するのであれば、これまで当たり前としてきた考えは覆(くつがえ)ります。
そうなれば、これまでは当たり前と考えてきた心臓の鼓動や呼吸に対して、自発的に関心を抱き、それが円滑(えんかつ)に行われるように努力するようになるのです。
問題や苦悩を経験することによって、人は人生について考え始めます。
大病や肉親の死などを経験することによって、人生観は大きく変わるのです。
それは、当たり前と考えていたことが当たり前でないことに気が付くからなのです。
人生の目的を知って生まれたのであれば、それを当たり前のこととして、自発的に関心を抱くことはありません。
そして、それが円滑に行われるように努力することも無いのです。
人は未熟です。
当たり前のことを努力することは難しいのです。
そのため、人生の目的は隠されるのです。
あなたは、人生には目的が存在するということを覚えておきましょう。
しかし、それを忘れているということも理解しておきましょう。
あなたは、自らの人生の目的を探さなければなりません。
そして、それを果たさなければならないのです。
それはとても大切なことです。
なぜなら、人生の目的を果たすことによって、人は豊かさを得ることが出来るからです。
人生の目的を果たすことがなければ、人は乏しさを得ることになります。
すべての人が幸福を求めます。
人にとっての幸福とは、豊かさなのです。
人生の目的を見付け出し、それを果たすように努力しなければならないのです。
しかしながら、焦りは禁物です。
なぜなら、焦りは人の目を曇らせるからです。
”急がば回れ”という言葉があります。
目的地へと辿り着くためには、危険な近道を選択してはなりません。
焦りのあまり危険な近道を選択してしまえば、目的地へと辿り着くことが出来ない可能性が高まるのです。
大切なのは、冷静に見極めることです。
直接的に目的地を目指してはなりません。
人生は安易に選択するものではないのです。
利己的に生きる人がいます。
そのような人は、初め多くの利益を集めるでしょう。
しかしながら、それが自らの道を歩むのを妨げる重荷になっていることを知らないのです。
多くの財産を得ても、それが自らの人生の目的に関わりが無ければ負債です。
自らの人生の目的に関わりが無ければ、どれだけ集めても無駄なのです。
あなたは、様々な選択肢の中から、自分の人生の目的を果たすための道を選ばなければならないのです。
人生の目的を果たすための道を選ぶには、選択肢はあまりにも多いのです。
そのため、あなたは自らの人生の目的を見極めることが出来ないのです。
必要なのは、人生の目的を果たすための道だけです。
その他の道は必要ないのです。
利己的に生きることは、誰にとっても人生の目的ではありません。
利己的に生きる道は、人生の目的地には通じないのです。
なぜなら、あなたは世界のために生まれたからです。
誰かや何かに貢献するために生まれたのです。
誰かや何かに貢献することによって、あなたは人生の豊かさを得ることが出来るのです。
人生の目的は、人生を豊かに生きることです。
そのためには、誰かや何かに貢献する必要があるのです。
それが、”急がば回れ”ということなのです。
自分の利益のためだけに懸命であってはなりません。
そのような態度は、人を盲目(もうもく)にさせ、人生の目的を見失わせてしまうのです。
あなたは、自分のために生まれたのではありません。
あなたは、この世界のために生まれたのです。
あなたの人生の豊かさは、自分独りでは実現することが出来ません。
誰かや何かの協力によって、人生に豊かさが実現するのです。
目的は財産を蓄えることではありません。
人生の目的を果たすことなのです。
通用しない方法は諦めましょう。
空しさがそれを伝えます。
空しさを覚えるのであれば、その方法は間違っています。
通用しない方法は諦めて、別の方法を試しましょう。
”急がば回れ”という言葉を覚えておきましょう。
近道を最善と考えてはなりません。
それは、常識的な価値観による無意識の判断に過ぎないのです。
自発的に生きる必要があります。
自分は何のために生まれたのか?と考えましょう。
当たり前は当たり前でないことを知りましょう。
利己的な感覚を緩(ゆる)め、利他的な感覚を育みましょう。
利己的と利他的の感覚のバランスが取れた時に、あなたは道を見付けるでしょう。
焦ってはなりません。

2018年7月17日火曜日

淘汰

この世界に存在する本質は自然です。
自然とは、理(ことわり)のことです。
世界は、常に本質を求めます。
世界は、自然を離れることが出来ません。
世界は、理に従うのです。
しかしながら、人は未熟に生まれました。
それは、人が不自然であるということを意味しています。
人は、不自然な存在です。
この世界において、自然と共に存在することの出来る人はいません。
すべての人が未熟であり、不自然と共に存在するのです。
人は、理に従うことが出来ません。
なぜなら、不自然と共に存在しているからです。
人は理に逆らいます。
それが、矛盾を生みます。
矛盾は問題を引き起こします。
問題は、あなたを苦悩に導くのです。
多くの人は、矛盾を抱え、問題を背負い、苦悩に沈んでいます。
それが人の姿であり、人生の在り方なのです。
誰が生きても、人生には矛盾と問題と苦悩が導かれます。
それは、すべての人が不自然と共に存在しているからです。
あなたは、自分が未熟であり、不自然と共に存在しているということを理解しましょう。
決して、自分が優れていると考えてはなりません。
自分が正しいなどと思い込んではならないのです。
あなたは未熟であり、無知であり、間違っています。
そのことを念頭に置き、謙虚(けんきょ)に学ばなければならないのです。
傲慢(ごうまん)に陥ってしまえば、それ以上に学ぶことは出来ません。
それでは、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
人生の目的は成長することです。
あなたは、品性を磨き、人格を高めることが求められているのです。
この世界は、あなたが人生の目的を果たすことが出来るように働きます。
成長するということは、理を理解するということです。
成長するということは、本質を得るということです。
成長するということは、自然に還(かえ)るということなのです。
そのため、この世界は、すべての不自然を否定します。
すべての不自然は、自然へと還ります。
すべては、本質へと向かうのです。
この世界では、不自然を継続することは出来ません。
それは、どのような不自然も理によって否定されるからです。
すべては、理に従います。
あなたも、理に従わなければなりません。
そのため、抱えている矛盾や背負っている問題、そして、陥っている苦悩は否定されるのです。
矛盾も問題も苦悩も、不自然を取り除くための自然の作用です。
あなたは、不自然を取り除くために、矛盾と問題と苦悩に向き合わなければならないのです。
残念ながら、簡単に不自然を取り除くことは出来ません。
それは、頑固な油汚れのように、強く張り付いているからです。
頑固な汚れを取り除くためには、それよりも強い力が必要です。
それが矛盾であり、問題であり、苦悩であるということなのです。
不自然は淘汰(とうた)されます。
この世界では、不自然は価値の少ないものなのです。
価値の少ないものは捨てられます。
そして、朽(く)ちていくのです。
この世界において、あなたの人生において、不自然は捨てられるべきものです。
あなたは、不自然には価値が少ないということを理解しましょう。
そして、自然を追い求めるように努めるのです。
大切なのは、理に従うことです。
本質を見極め、自然と共に存在することなのです。
自然とは、花鳥風月(かちょうふうげつ)のことだけではありません。
本質的なものは、形があろうが無かろうが、どれも自然なのです。
自分や他者に向ける愛情は不自然です。
それは、欲望に根差したものだからです。
しかし、世界に向ける愛情は自然です。
それは、志(こころざし)に根差しているからです。
自然と共に存在しましょう。
あなたは、不自然を生きるために生まれたのではありません。
あなたは、自然を生きるために生まれたのです。
目的を果たしましょう。
人生は、自らの抱える不自然を取り除くための場所であり、時間なのです。
目的を見失い、堕落(だらく)してはなりません。
自然と共に生きましょう。

2018年7月16日月曜日

中間

あなたは、人生を豊かに生きなければなりません。
人生は、豊かに生きるべきものなのです。
あなたは、人生を乏しく生きてはなりません。
人生は、乏しく生きるようなものではないのです。
豊かさとは、本質と共に生きることです。
本質と共に生きることによって、人は人生に豊かさを実現することが出来るのです。
あなたが人生に豊かさを実現するためには、本質と共に生きる必要があります。
本質を無視して、豊かに生きることは出来ないのです。
人生の目的は成長することです。
成長することは人生の本質です。
残念ながら、人は独りで成長を実現することは出来ません。
それは、人が主観的に生きなければならないからです。
人が成長を実現するためには、その指標となる客観が必要なのです。
客観は、自分では無い他者によって与えられる宝です。
人は、客観によって主観を離れることが出来ます。
主観に偏(かたよ)れば視野は狭く(近く)なり、客観に偏れば視野は遠く(広く)なります。
主観と客観のどちらかに偏れば、本質が見えなくなってしまいます。
本質が見えなければ、人生の目的である成長を実現することは出来ないのです。
大切なのは、偏らないことです。
主観と客観の中間に立たなければ、本質は見えないのです。
大切なのは、主観と客観の中立を保つことです。
そうすることによって、本質を理解することが出来るようになるのです。
残念ながら、多くの人は人生に豊かさを感じることが出来ません。
多くの人は、自分が乏しい人生を生きていると自覚しているのです。
それは、主観か客観のどちらかに偏っているからです。
自己中心的な人物が存在します。
そのような人物は、主観に偏っているのです。
主観に偏ってしまえば、本質を見極めることが出来ません。
それは、乏しい人生を意味するのです。
無関心な人物が存在します。
そのような人物は、客観に頼っているのです。
客観に頼ってしまえば、本質を見極めることが出来ません。
それは、乏しい人生を意味するのです。
自己中心的な人物も、無関心な人物も、どちらも人生を乏しくしてしまうのです。
人生を豊かなものにするためには、一部に偏らずに全体的であることです。
近過ぎても、遠過ぎても、あなたは文字を読むことが出来ません。
文字を読むことが出来なければ、文字の示す意味を理解することが出来ないのです。
主観にも、客観にも偏ることがなければ、あなたはこの世界の理(ことわり)を読み解くことが出来ます。
理を理解することが出来れば、人生には豊かさが実現するのです。
主観とは、自分のことです。
客観とは、他者のことです。
あなたが豊かな人生を生きるためには、自分のことと他者のことのバランスが必要なのです。
自分のことに偏り過ぎても、他者のことに偏り過ぎてもならないのです。
自分の欲望や快楽を満たすだけの人生は詰まらないのです。
それは、乏しさを実現してしまうのです。
他者のことを気に掛け、他者の指示に従うだけの人生は詰まらないのです。
それも、乏しさを実現してしまいます。
あなたは、自分のことと他者のことのバランスを考えなければならないのです。
詰まらない人生を生きてはなりません。
自分のことのように他者のことを考えましょう。
そして、他者のように自分のことを考えるのです。
そうすることによって、あなたは物事の本質を学ぶことが出来るのです。
楽しい人生を生きましょう。
あなたは、人生を豊かに生きるべきなのです。

2018年7月15日日曜日

行為の影響力

この世界には、因果の仕組みが存在しています。
すべての人が、因果の仕組みの中に人生を築いているのです。
誰一人として、因果の仕組みを離れることは出来ません。
どのような方法を用いても、因果を避けることは出来ないということを覚えておきましょう。
多くの人は、因果の仕組みを知りません。
多くの人は、この世界が偶然の産物だと思い込んでいるのです。
目の前に導かれる状況は、自分自身に関係しない偶然の産物だと考えています。
そのため、自らの行為を軽んじるのです。
この世界が偶然の産物だと考えれば、人は悪行(あくぎょう)を働きます。
悪行を働いても、自分自身に損失は少ないと考えるのです。
悪行を働く者は、損失よりも利益の方が大きいと考えているのです。
それは、愚かな考えです。
例え、悪行が露(あらわ)となり、周知されることがなくても、それで終わりであるはずがありません。
この世界においては、影響力の無い行為など存在しないのです。
この世界には、自分に都合の良いような行為は存在しません。
もちろん、相手に都合の良いような行為も存在しないのです。
どのような行為も、互いに影響を分け合います。
それは、水面を走る船が、停泊している船を揺らすようなものなのです。
あなたの行為は、他者にも影響を与えます。
他者の行為は、あなたにも影響を与えるのです。
そして、その影響は、因果の仕組みを通じた結果を導くことになるのです。
すべての行為に影響力が備わります。
それは、因果の仕組みによって自分自身に返るということを覚えておかなければならないのです。
あなたの行為は、自分自身の人生に実現します。
悪行を働けば、人生には乏しさが導かれます。
善行を働けば、人生には豊かさが導かれるのです。
ただし、自分の都合の良いように結果は導かれません。
人生は必要に応じて、最善の時に、最善の結果を導くのです。
すべての行為が人生を変える影響力を持ちます。
自らの行為の影響力を軽んじてはなりません。
振り向くだけで景色は変わります。
一つの言葉で状況は変わるのです。
一歩によって人生が変わるということを理解しなければならないのです。
この世界に対して、影響力の無い行為は存在しません。
あなたの選択(行為)の一つ一つが、世界を築き、人生を決定しているのです。
あなたは、何事も軽んじてはなりません。
どのような行為も、それが人生に繋がっているということを理解しましょう。
この世界には、豊かな人生を生きる人もいれば、乏しい人生を生きる人もいます。
同じ家に住んでいたとしても、豊かな人生を生きる人もいれば、乏しい人生を生きる人もいるのです。
兄弟(姉妹)と言えど、その人生は異なるのです。
例えば、豊かな人生を生きる兄もいれば、乏しい人生を生きる弟もいるのです。
人生を分けているのは、環境や境遇などではありません。
偶然でそうなったのでもありません。
人は、自らの行為によって、当然の結果を生きているのです。
あなたは、自らの行為を熟考しなければなりません。
軽はずみな行為によって人生を築いてはなりません。
人生の目的を考えなければなりません。
人生の目的を見失い、目の前の欲望や快楽に溺れてはならないのです。
一つの行為が人生を変えます。
一歩一歩の積み重ねが、目的地へ辿り着けるかどうかを決めるのです。
あなたの行為は、どこに次の一歩を踏み出すのか?ということなのです。
一歩を軽んじれば、踏み外してしまうかも知れないのです。
一歩を軽んじれば、怪我の原因となるものを踏んでしまうかも知れないのです。
この世界には、偶然などは存在しません。
すべては、因果の仕組みに従うのです。
人生がどのようなものになるかは、自分次第です。
あなたの行為が人生を築くということを忘れてはなりません。
あなたは常に、人生を築いているのです。

2018年7月14日土曜日

気付き

人生における必要は、そのすべてが満たされています。
人生において、不要は存在しません。
すべてに大切な意味があり、すべてに重要な価値があるのです。
そのことを理解しておかなければなりません。
なぜなら、人生における必要が満たされているということに気が付くことが出来なければ、人生の豊かさにも気が付くことが出来ないからです。
残念ながら、多くの人は人生に乏しさを感じています。
それは、未熟な見解によって、既に存在している豊かさを認識することが出来ないからです。
すべての人が未熟に生まれます。
すべての人が無知を抱えて生きているのです。
そのため、人は価値を理解することが出来ません。
人生における必要は、そのすべてが満たされているにもかかわらず、それを理解することが出来ないのです。
目の前の問題や苦悩は、決してあなたにとっての負担ではありません。
目の前の問題や苦悩が、あなたに対して不利に働くことはないのです。
目の前の問題や苦悩も、それが必要であるために導かれます。
あなたに相応しく、あなたにとって必要であり、あなたの価値であるために存在するのです。
この世界には、無駄なものや無価値なものは存在することが出来ません。
あなたが認識する問題や苦悩は、決して問題や苦悩ではないのです。
それは、あなたにとっての必要であり、あなたにとっての価値なのです。
そのことに気が付かなければならないのです。
多くの人は、価値を理解することが出来ません。
それは、価値を理解することの出来る価値観を所有してはいないからです。
笊(ざる)で小石をとどめることは出来ますが、砂をとどめることは出来ません。
人の価値観が粗雑(そざつ)であれば、必要と価値に気が付くことは出来ないのです。
その必要性と価値に気が付くまでに、あなたの価値観を擦り抜けてしまうからです。
多くの人は、見ていても、触れていても、その必要性と価値に気が付きません。
そのため、多くの人には多くの問題と苦悩が認識されるのです。
指を広げて水を飲もうとしても、水は指の間を擦り抜けてしまいます。
それは、水に対する扱いが粗雑であるからです。
それは、水の価値を理解していないということなのです。
水の価値を理解している人は、指を閉じて水を掬(すく)うのです。
価値を理解している人は、水で喉(のど)の乾きを潤すことが出来ます。
それが、豊かさなのです。
大切なのは、価値に気が付くことです。
それは、必要に気が付くということでもあるのです。
この世界に存在するすべてには、大切な意味があり、重要な価値があるのです。
それが、どのようなものであっても、そこには価値があるということを理解しなければならないのです。
活用方法を知れば、それが問題や苦悩となることはありません。
活用方法を知らないために、それが問題や苦悩となっているということを理解しなければならないのです。
注意深く観察することです。
どのような状況に対しても、その意味と価値を探し続けなければならないのです。
探さなければ見付かりません。
気付こうとしなければ、気付けないのです。
多くの人は、価値を通り過ぎてしまいます。
そして、価値を得ることが出来ずに、問題と苦悩を受け取ることになるのです。
価値を受け取れば、問題と苦悩を受け取ることは出来ません。
あなたが抱えられるものは多くないのです。
問題と苦悩を抱える必要はありません。
あなたは、価値を抱えましょう。
考察しなければなりません。
自分の人生を、誰かや何かに任せてはならないのです。
これは、あなたの人生なのです。
誰も、あなたの代わりに価値に気付いてはくれません。
なぜなら、人生に対する価値は、人それぞれに異なっているからです。
あなたの人生の価値は、あなたにしか理解することが出来ません。
そのため、あなたは自分自身で気が付かなければならないのです。
人生の意味を考え続けなければなりません。
そうしなければ、価値に気が付くことが出来ません。
人生における必要は、そのすべてが満たされています。
あなたに必要なものは、既に導かれているのです。
無いものの中に価値を探さず、有るものの中に価値を探しましょう。
そうすれば、あなたは人生に対して満足することが出来るでしょう。
それは、とても豊かなことなのです。

2018年7月13日金曜日

救い

人生は、学びの場所です。
人は、人生において学ばなければなりません。
学びとは、未知の体験です。
あなたは、体験したことのない状況を経験しなければならないのです。
それは、あなたにとっては問題です。
そして、それはあなたにとっての苦悩なのです。
人は、未知の体験の本質を理解しません。
本質を理解することが出来なければ、それは誤解を生じさせるのです。
誤解が生じれば、学びを完成させることが出来ません。
人は、誤解によって学びを歪めてしまうのです。
学びは、問題の形で導かれます。
人は学びに対して、苦しまなければならないのです。
それは、人が未熟であるからです。
人は、未熟であるが故(ゆえ)に、物事の本質を理解することが出来ません。
学びの目的がそこにあるのです。
人は、学ぶことによって物事の本質に近付きます。
それは、成長することなのです。
人は、未知の体験と対峙することによって問題を引き起こし、問題によって苦悩します。
しかしながら、それは、自身の抱える歪みを矯正(きょうせい)するための”痛み”なのです。
人は、苦しみによって自らを改めることが出来ます。
苦しみによって、小さな価値観への執着を手放すことが出来るのです。
苦しみが導かれなければ、人は小さな価値観を肯定(こうてい)し続けてしまいます。
それでは、歪みを強めてしまうのです。
人が成長するためには、苦しまなければなりません。
残念ながら、それは仕方のないことなのです。
すべての人は無知です。
そして、すべての人が未熟です。
それは、道理(本質)を理解してはいないということなのです。
この世界には、無駄は存在しません。
この世界に存在するすべては、あなたの成長の助けと成るものなのです。
それを理解するための問題であり、苦しみなのです。
人生は、常にあなたの成長を助けています。
人生があなたに導く状況は、未熟なあなたに差し伸べられた救いなのです。
あなたは、人生が差し伸べた救いを拒絶してはなりません。
それは、どのような状況であろうとも、冷静に対処するということなのです。
多くの人は、導かれた状況を嫌います。
導かれた状況を拒絶し、暴れるのです。
多くの人は、導かれた状況に対して心を乱すのです。
それは、差し伸べられた救いを振り払う行為なのです。
”溺れる者は藁(わら)をも掴む”という言葉があるのです。
あなたが問題を抱え、苦悩に陥(おちい)っている時には、頼りにならないような希望に縋(すが)る必要があるのです。
頼りにならないような希望とは、感謝の気持ちのことです。
人が苦悩に陥っている時には、感謝の気持ちは頼りにならないと考えています。
それは、目の前に導かれた状況を悪いものだと考えているからです。
悪いものに対して、感謝の気持ちに頼る人は多くありません。
悪いものに対しては、拒絶に頼るのが”普通”なのです。
そのため、多くの人は苦悩に陥っているのです。
目の前に導かれる状況は、あなたの成長を助ける救いです。
それがどのような状況であろうとも、感謝の気持ちを以(もっ)て迎えるのが自然であり、最善なのです。
そうでなければ、そこから学ぶことが出来ません。
学ぶことが出来なければ、本質を理解することも出来ないのです。
人生は学びの場所です。
あなたは、学ぶために生まれたのです。
楽しく、喜びに溢れた生活を繰り返すために生まれたのではないのです。
楽しく、喜びに溢れていても、成長することがなければ悲劇です。
問題と苦悩は必ず導かれます。
その時に、それが学びであるということを忘れてはなりません。
この世界に存在するすべてが、あなたの成長の助けであるということを覚えておきましょう。

2018年7月12日木曜日

希望

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
人は、目的を果たさなければなりません。
目的を果たすというのは、目的地へと辿り着くための道程(みちのり)です。
あなたは目的地へと歩み続けなければならないのです。
目的地へと辿り着くことなく、目的を果たすことは出来ません。
あなたは、目的地へと辿り着かなければならないのです。
しかしながら、目的地へと辿り着くことは容易ではありません。
なぜなら、その道程には、多くの問題と苦悩が待ち受けているからです。
誰一人として、容易に目的地へと辿り着くことは出来ません。
すべての人の道程には、多くの問題と苦悩が障壁となって立ちはだかるのです。
すべての人は目的地へと向かいますが、多くの人はその途中で希望を失ってしまうのです。
それは、多くの問題と苦悩によって、心が挫(くじ)けてしまうからです。
人生における多くの問題と苦悩は、誰もが対峙(たいじ)しなければならない課題です。
誰一人として、問題と苦悩を避けることは出来ません。
どのように努めたとしても、問題と苦悩によって歩みは妨げられるのです。
多くの人は、希望を失ってしまいます。
それは、問題と苦悩の意味を理解することが出来ないからです。
問題と苦悩の意味を理解することが出来ないために、希望を失ってしまうのです。
あなたは、どのような問題や苦悩に歩みを妨げられたと思っても、希望を失う必要はありません。
なぜなら、問題や苦悩は、あなたの歩みを妨げてはいないからです。
寧(むし)ろ、問題や苦悩は、あなたの歩みを助けているということを知らなければならないのです。
問題や苦悩が歩みを助けているということを理解すれば、希望を見出すことが出来るのです。
この世界において、進歩は否定から始まります。
あなたの対峙している問題や苦悩とは、既存(きぞん)の価値観や方法を否定しているために感じている違和感に過ぎません。
あなたの価値観や方法が理に適(かな)っていないことによって生じている違和感こそが、あなたの対峙している問題や苦悩の原因なのです。
問題や苦悩は、あなたの価値観や方法が理に適うことによって解消します。
それは、目の前に導かれる問題や苦悩が、あなたの価値観や方法の間違いを教えてくれているということなのです。
人生は、あなたが目的地へと辿り着くための協力を惜しみません。
それ以外の協力はしないのです。
多くの人は、目の前の問題や苦悩が道を邪魔していると思い込んでいます。
それは、正しい解釈です。
しかしながら、浅はかです。
確かに、目の前の問題や苦悩はあなたの道を邪魔しています。
しかしながら、それは、あなたが間違った道を歩もうとしているために、その歩みを邪魔しているのです。
問題や苦悩は、あなたのための障壁となっているということを理解しなければならないのです。
問題や苦悩は、あなたが道を誤ろうとしていることを邪魔しているのです。
それは、とても有り難いことだと理解しなければならないのです。
人生に問題や苦悩が導かれなければ、あなたは間違った道を進まなければなりません。
それでは、時間と労力を浪費してしまうのです。
あなたは未熟です。
そのため、必ず道を誤ります。
人生は、あなたを苦しめるために問題や苦悩を導くのではありません。
あなたを助けるための問題や苦悩であるということを理解する必要があるのです。
どのような進歩も、必ず否定から始まるということを覚えておきましょう。
進歩が始まろうとしているのを否定してはならないのです。
未熟なあなたには、目の前の問題や苦悩の意味を理解することが出来ません。
しかしながら、目の前の問題や苦悩の意味を考えることは出来るのです。
どのような状況を前にしても、決して希望を失ってはなりません。
どのような状況も、あなたの進歩を助けるための課題なのです。
問題や苦悩の意味を簡単に理解することは出来ません。
しかしながら、考え続けるのであれば、その意味を理解することが出来るのです。
考え続けるためには、希望が必要です。
希望を失わなければ、人生の意味を見失うことはありません。
あなたは、希望を失わずに努めましょう。
どのような問題や苦悩も、決して悪いようにはなりません。
あなたは意味のある人生を生きています。
意味とは、価値なのです。
あなたの人生には価値があるということを理解しましょう。
何を失っても、希望を失ってはなりません。

2018年7月11日水曜日

出来ることは出来る

人には、それぞれの分際が存在します。
人は、それぞれに分際を与えられているのです。
分際は、人それぞれに異なり、一つとして同じものは存在しません。
あなたには、あなただけの分際が与えられているのです。
分際とは、役割のことです。
あなたは、この世界における役割を担っているということを覚えておきましょう。
多くの人は、自らの分際と役割を見失っています。
多くの人は、自らの分際と役割を知らずに生きているのです。
それは、必要を否定する選択をさせるのです。
多くの人は、必要を否定します。
そして、不要を肯定(こうてい)するのです。
多くの人は、自らの分際と役割に反する選択を行います。
それは、多くの問題と苦悩を引き起こすのです。
多くの人が、問題と苦悩を抱えながら生きているのは、自らの分際と役割に反しているからなのです。
しかしながら、多くの人にはそのような自覚はありません。
自分が、自らの分際と役割に反し、必要を否定しているとは考えていないのです。
自分がどのような選択を行っているかは、どのような状況を得ているのか?ということで知ることが出来ます。
目の前に導かれる状況は、自らの選択の結果です。
人は、自分で人生を選んでいるのです。
あなたの人生は、あなたが決めているということを覚えておきましょう。
人生を豊かなものにするためには、自らの分際と役割を理解する必要があります。
しかしながら、自らの分際と役割を理解することは容易ではありません。
多くの人が、自らの分際と役割を見失って生きているのです。
それは、自らの分際と役割を理解することが容易ではないということを教えているのです。
しかしながら、人は誰もが、自らの分際と役割を理解する必要があります。
それは、誰もが求めている豊かさのためなのです。
人は誰もが豊かさを求めています。
人が人生に豊かさを実現するためには、自らの分際と役割を理解する必要があるのです。
誰もが、分際と役割を与えらえています。
そして、分際と役割に相応しい能力を与えられているのです。
あなたの能力は、あなたの分際と役割を教えています。
大切なのは、自らの能力に従って生きるということなのです。
多くの人は、自らの能力を否定します。
多くの人は、自分を嫌い、自分以外の誰かのように成りたいと考えながら生きているのです。
それでは、人生は乏しさを増す一方なのです。
あなたは、自分を大切にしましょう。
あなたは、あなたでなければならないのです。
あなたの能力とは、あなたに出来ることです。
自分に出来ることが、自分の能力です。
出来ないことは能力ではありません。
多くの人は、自分に出来ることを否定します。
そして、自分に出来ないことを肯定するのです。
それが不自然であるということを理解しなければならないのです。
自分では無い誰かに憧れたとしても、豊かさは実現しません。
それは、誰かの分際であり、役割だからです。
あなたは自分自身に憧れを抱かなければなりません。
自分自身の可能性を追い求める必要があるのです。
出来ることは出来ますが、出来ないことは出来ません。
あなたは、そのことを理解しなければならないのです。
出来ないことに努めるのは賢明(けんめい)ではありません。
なぜなら、出来ないからです。
出来ることに努めることが賢明なのです。
なぜなら、出来るからです。
単純なことです。
出来ることに努めていれば、出来ないことも出来るようになります。
それは、人の成長が地道なものであるからです。
一つのことが出来ない者は、二つのことが出来ません。
立ち上がることが出来ない者は、歩むことが出来ません。
歩むことが出来ない者は、走ることが出来ないのです。
地道に努めましょう。
出来ないことに努めるのではなく、出来ることに努めましょう。
その先に、自らの分際と役割への理解が存在するのです。