人には、分際というものが備わっています。
分際とは、器量のことです。
人は生まれながらに、それぞれが重要な役割を与えられています。
そして、その役割を果たすために分際が与えられたのです。
人は、それぞれの器を以(もっ)て生まれるのです。
それぞれの器には、それぞれの役割を果たすための形と容量があるのです。
人は、分際を超えて所有することは出来ません。
なぜなら、分際を越えれば、役割を果たすことが出来ないからです。
人の所有は、分際に相応しいものに収まるのです。
それが最善なのです。
あなたは、自らの分際を超えて所有することは出来ません。
無理に所有しようとすれば、器から溢れ出してしまうのです。
それでは、器は役割を果たすことが出来ません。
器は、所有を納めなければならないのです。
溢れ出る程に所有してはならないのです。
それは、多くの問題と苦悩を引き起こすからです。
所有を納めることの出来ない器には、価値が認められません。
価値の認められない器は、使い物になりません。
使い物にならない器は、箱に仕舞(しま)われるのです。
所有を納めることの出来ない器を、そのままにしておく主人はいないのです。
所有を納めることが出来る器こそが、重宝されるのです。
あなたは、所有を納めなければなりません。
欲に溺れて、多くを求めてはならないのです。
器量に納めることの出来ない所有は、身を滅ぼすのです。
大切なのは、自らの役割を果たすことです。
そのために、所有を器に納めるのです。
何かを得るためには、何かを手放さなければなりません。
残念ながら、何かを得続けることは出来ません。
容量を超えて所有すれば、自ずと溢れ出してしまうのです。
それは、強制的に何かを失うということなのです。
欲に根差した所で、容量を超えて所有することは出来ません。
人には、それぞれの分際があるのです。
あなたは、誰かのように所有することは出来ません。
そして、あなたは、誰かよりも多くを所有するのです。
大切なのは、自分の器量を見極めることです。
自分の器量を理解すれば、余計を得ることも、余計を失うこともありません。
自分の器量を理解する者は、必要を得て、必要を失うのです。
必要が満たされていればそれで満足を得ることが出来ます。
多くを得る必要はありません。
そして、多くを失う必要もないのです。
あなたは必要を所有しましょう。
欲に溺れ、必要以上を求めてはならないのです。
必要以上を得ることは、その時には良いことのように思えます。
しかしながら、必要以上を得ることは、後に必要以上を失うということになるのです。
そのことを理解しなければならないのです。
何かを得るためには、何かを手放さなければなりません。
あなたは、分際を知りましょう。
そして、器量に納まる量で満足しましょう。
多くを得ても、多くを失ってしまえば意味がありません。
器に水を注ぐと、やがて器は満たされます。
しかしながら、それでも水を注げば、同じ量が溢れるのです。
器は、常に容量を守ります。
人は、分際以上には得られず、分際以上に行うことが出来ないのです。
分際を大切にしましょう。
無理に得ようとしても、無理に失います。
必要を満足しましょう。
必要以上を得ようとしてはなりません。
それは、不毛な争いだからです。
0 件のコメント:
コメントを投稿