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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2018年7月24日火曜日

不毛な争い

人には、分際というものが備わっています。
分際とは、器量のことです。
人は生まれながらに、それぞれが重要な役割を与えられています。
そして、その役割を果たすために分際が与えられたのです。
人は、それぞれの器を以(もっ)て生まれるのです。
それぞれの器には、それぞれの役割を果たすための形と容量があるのです。
人は、分際を超えて所有することは出来ません。
なぜなら、分際を越えれば、役割を果たすことが出来ないからです。
人の所有は、分際に相応しいものに収まるのです。
それが最善なのです。
あなたは、自らの分際を超えて所有することは出来ません。
無理に所有しようとすれば、器から溢れ出してしまうのです。
それでは、器は役割を果たすことが出来ません。
器は、所有を納めなければならないのです。
溢れ出る程に所有してはならないのです。
それは、多くの問題と苦悩を引き起こすからです。
所有を納めることの出来ない器には、価値が認められません。
価値の認められない器は、使い物になりません。
使い物にならない器は、箱に仕舞(しま)われるのです。
所有を納めることの出来ない器を、そのままにしておく主人はいないのです。
所有を納めることが出来る器こそが、重宝されるのです。
あなたは、所有を納めなければなりません。
欲に溺れて、多くを求めてはならないのです。
器量に納めることの出来ない所有は、身を滅ぼすのです。
大切なのは、自らの役割を果たすことです。
そのために、所有を器に納めるのです。
何かを得るためには、何かを手放さなければなりません。
残念ながら、何かを得続けることは出来ません。
容量を超えて所有すれば、自ずと溢れ出してしまうのです。
それは、強制的に何かを失うということなのです。
欲に根差した所で、容量を超えて所有することは出来ません。
人には、それぞれの分際があるのです。
あなたは、誰かのように所有することは出来ません。
そして、あなたは、誰かよりも多くを所有するのです。
大切なのは、自分の器量を見極めることです。
自分の器量を理解すれば、余計を得ることも、余計を失うこともありません。
自分の器量を理解する者は、必要を得て、必要を失うのです。
必要が満たされていればそれで満足を得ることが出来ます。
多くを得る必要はありません。
そして、多くを失う必要もないのです。
あなたは必要を所有しましょう。
欲に溺れ、必要以上を求めてはならないのです。
必要以上を得ることは、その時には良いことのように思えます。
しかしながら、必要以上を得ることは、後に必要以上を失うということになるのです。
そのことを理解しなければならないのです。
何かを得るためには、何かを手放さなければなりません。
あなたは、分際を知りましょう。
そして、器量に納まる量で満足しましょう。
多くを得ても、多くを失ってしまえば意味がありません。
器に水を注ぐと、やがて器は満たされます。
しかしながら、それでも水を注げば、同じ量が溢れるのです。
器は、常に容量を守ります。
人は、分際以上には得られず、分際以上に行うことが出来ないのです。
分際を大切にしましょう。
無理に得ようとしても、無理に失います。
必要を満足しましょう。
必要以上を得ようとしてはなりません。
それは、不毛な争いだからです。

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