人生は、学びの場所です。
人は、人生において学ばなければなりません。
学びとは、未知の体験です。
あなたは、体験したことのない状況を経験しなければならないのです。
それは、あなたにとっては問題です。
そして、それはあなたにとっての苦悩なのです。
人は、未知の体験の本質を理解しません。
本質を理解することが出来なければ、それは誤解を生じさせるのです。
誤解が生じれば、学びを完成させることが出来ません。
人は、誤解によって学びを歪めてしまうのです。
学びは、問題の形で導かれます。
人は学びに対して、苦しまなければならないのです。
それは、人が未熟であるからです。
人は、未熟であるが故(ゆえ)に、物事の本質を理解することが出来ません。
学びの目的がそこにあるのです。
人は、学ぶことによって物事の本質に近付きます。
それは、成長することなのです。
人は、未知の体験と対峙することによって問題を引き起こし、問題によって苦悩します。
しかしながら、それは、自身の抱える歪みを矯正(きょうせい)するための”痛み”なのです。
人は、苦しみによって自らを改めることが出来ます。
苦しみによって、小さな価値観への執着を手放すことが出来るのです。
苦しみが導かれなければ、人は小さな価値観を肯定(こうてい)し続けてしまいます。
それでは、歪みを強めてしまうのです。
人が成長するためには、苦しまなければなりません。
残念ながら、それは仕方のないことなのです。
すべての人は無知です。
そして、すべての人が未熟です。
それは、道理(本質)を理解してはいないということなのです。
この世界には、無駄は存在しません。
この世界に存在するすべては、あなたの成長の助けと成るものなのです。
それを理解するための問題であり、苦しみなのです。
人生は、常にあなたの成長を助けています。
人生があなたに導く状況は、未熟なあなたに差し伸べられた救いなのです。
あなたは、人生が差し伸べた救いを拒絶してはなりません。
それは、どのような状況であろうとも、冷静に対処するということなのです。
多くの人は、導かれた状況を嫌います。
導かれた状況を拒絶し、暴れるのです。
多くの人は、導かれた状況に対して心を乱すのです。
それは、差し伸べられた救いを振り払う行為なのです。
”溺れる者は藁(わら)をも掴む”という言葉があるのです。
あなたが問題を抱え、苦悩に陥(おちい)っている時には、頼りにならないような希望に縋(すが)る必要があるのです。
頼りにならないような希望とは、感謝の気持ちのことです。
人が苦悩に陥っている時には、感謝の気持ちは頼りにならないと考えています。
それは、目の前に導かれた状況を悪いものだと考えているからです。
悪いものに対して、感謝の気持ちに頼る人は多くありません。
悪いものに対しては、拒絶に頼るのが”普通”なのです。
そのため、多くの人は苦悩に陥っているのです。
目の前に導かれる状況は、あなたの成長を助ける救いです。
それがどのような状況であろうとも、感謝の気持ちを以(もっ)て迎えるのが自然であり、最善なのです。
そうでなければ、そこから学ぶことが出来ません。
学ぶことが出来なければ、本質を理解することも出来ないのです。
人生は学びの場所です。
あなたは、学ぶために生まれたのです。
楽しく、喜びに溢れた生活を繰り返すために生まれたのではないのです。
楽しく、喜びに溢れていても、成長することがなければ悲劇です。
問題と苦悩は必ず導かれます。
その時に、それが学びであるということを忘れてはなりません。
この世界に存在するすべてが、あなたの成長の助けであるということを覚えておきましょう。
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