このブログについて

「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2018年7月13日金曜日

救い

人生は、学びの場所です。
人は、人生において学ばなければなりません。
学びとは、未知の体験です。
あなたは、体験したことのない状況を経験しなければならないのです。
それは、あなたにとっては問題です。
そして、それはあなたにとっての苦悩なのです。
人は、未知の体験の本質を理解しません。
本質を理解することが出来なければ、それは誤解を生じさせるのです。
誤解が生じれば、学びを完成させることが出来ません。
人は、誤解によって学びを歪めてしまうのです。
学びは、問題の形で導かれます。
人は学びに対して、苦しまなければならないのです。
それは、人が未熟であるからです。
人は、未熟であるが故(ゆえ)に、物事の本質を理解することが出来ません。
学びの目的がそこにあるのです。
人は、学ぶことによって物事の本質に近付きます。
それは、成長することなのです。
人は、未知の体験と対峙することによって問題を引き起こし、問題によって苦悩します。
しかしながら、それは、自身の抱える歪みを矯正(きょうせい)するための”痛み”なのです。
人は、苦しみによって自らを改めることが出来ます。
苦しみによって、小さな価値観への執着を手放すことが出来るのです。
苦しみが導かれなければ、人は小さな価値観を肯定(こうてい)し続けてしまいます。
それでは、歪みを強めてしまうのです。
人が成長するためには、苦しまなければなりません。
残念ながら、それは仕方のないことなのです。
すべての人は無知です。
そして、すべての人が未熟です。
それは、道理(本質)を理解してはいないということなのです。
この世界には、無駄は存在しません。
この世界に存在するすべては、あなたの成長の助けと成るものなのです。
それを理解するための問題であり、苦しみなのです。
人生は、常にあなたの成長を助けています。
人生があなたに導く状況は、未熟なあなたに差し伸べられた救いなのです。
あなたは、人生が差し伸べた救いを拒絶してはなりません。
それは、どのような状況であろうとも、冷静に対処するということなのです。
多くの人は、導かれた状況を嫌います。
導かれた状況を拒絶し、暴れるのです。
多くの人は、導かれた状況に対して心を乱すのです。
それは、差し伸べられた救いを振り払う行為なのです。
”溺れる者は藁(わら)をも掴む”という言葉があるのです。
あなたが問題を抱え、苦悩に陥(おちい)っている時には、頼りにならないような希望に縋(すが)る必要があるのです。
頼りにならないような希望とは、感謝の気持ちのことです。
人が苦悩に陥っている時には、感謝の気持ちは頼りにならないと考えています。
それは、目の前に導かれた状況を悪いものだと考えているからです。
悪いものに対して、感謝の気持ちに頼る人は多くありません。
悪いものに対しては、拒絶に頼るのが”普通”なのです。
そのため、多くの人は苦悩に陥っているのです。
目の前に導かれる状況は、あなたの成長を助ける救いです。
それがどのような状況であろうとも、感謝の気持ちを以(もっ)て迎えるのが自然であり、最善なのです。
そうでなければ、そこから学ぶことが出来ません。
学ぶことが出来なければ、本質を理解することも出来ないのです。
人生は学びの場所です。
あなたは、学ぶために生まれたのです。
楽しく、喜びに溢れた生活を繰り返すために生まれたのではないのです。
楽しく、喜びに溢れていても、成長することがなければ悲劇です。
問題と苦悩は必ず導かれます。
その時に、それが学びであるということを忘れてはなりません。
この世界に存在するすべてが、あなたの成長の助けであるということを覚えておきましょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿