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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2018年12月31日月曜日

考えなければならない

人生は、目的地への旅路です。
すべての人は、目的地を目指しているのです。
この世界において、目的地を目指すことのない人はいません。
すべての人は、自らの目的地へと歩みを続けるのです。
あなたは、目的を以(もっ)て生まれました。
あなたは、目的を果たさなければならないのです。
人生は、そのための旅路なのです。
しかしながら、多くの人は人生の目的を見失います。
多くの人は、自分が何のために生きているのか?を知らないのです。
多くの人は、自分が何をしているか分からないのです。
あなたも、自分が何をしているか分からないはずです。
あなたは、自分が何のために生きているのか?知っていますか?
残念ながら、答えることは出来ないでしょう。
自分が何のために生きているのか?という問いは、誰にとっても難しいものなのです。
あなたは、自分が何か?分かりますか?
自分が何で、何をしているのか?ということが重要なのです。
何も知らずに生きるのは苦しいものです。
苦しいままに生きることは最善ではないということを理解しなければなりません。
残念ながら、人生は苦行の場所ではありません。
苦しみに耐えることを美徳としてはならないのです。
人生というものは、苦しみを手放すための場所です。
あなたは、様々な経験を通じて、苦しみを手放していかなければならないのです。
それなのに、苦しみを我慢するような生き方を続けていてはなりません。
苦しみは、目的を見失った時に生じます。
自分が何をすれば良いのか?分からないことが苦しみなのです。
自分が何をすれば良いのか?を分かっている時には、喜びが勝るのです。
目的に邁進(まいしん)している時は、苦しみは存在しないのです。
それは、人生の意味であるからです。
人生の意味と向き合っている時には、苦しみが襲うことはありません。
苦しみは、人生の意味を見失っている時に襲うということを覚えておきましょう。
大切なのは、人生の意味や目的を考えることです。
人生の意味や目的を考えることがなければ、それを見出すことが出来ません。
人生の意味や目的というものは、偶然に見出せるものではありません。
考えなければ、考え続けなければ見出すことは出来ないのです。
考えなければ、視界はぼやけてしまいます。
それは、見ていても見えない状態なのです。
ぼんやりと生きてはならないのです。
人生の目的は、ぼんやりと生きることではありません。
あなたには、正さなければならない多くの問題があるのです。
問題を無視して生きてはなりません。
人生の目的は、問題を正し、成長することでもあるということを覚えておかなければなりません。
何も考えずに生きているのであれば、人生は乏しいものとなってしまうでしょう。
人は、自分の人生について考えなければなりません。
そして、その目的について考えなければならないのです。
考えれば、今までとは異なる視点が手に入ります。
何も考えずに生きるのであれば、視点が変わることはありません。
視点が変わることがなければ、価値観は変わらないのです。
価値観が変わらなければ、生き方も変わりはしないのです。
考えることによって、あなたは人生を変えることが出来ます。
考えることによって、苦しみを喜びに変えることが出来るのです。
考えなければなりません。
何も考えず、感情のままに生きてはなりません。
何も考えず、与えられたものを消化するような生き方を続けてはなりません。
考えなければなりません。
そうすれば、あなたは目的地へと向かって歩み続けることが出来るでしょう。

2018年12月30日日曜日

手助け

あなたは、目的を果たさなければなりません。
目的を果たすことは大切です。
なぜなら、目的を果たすことがなければ、満足を得ることが出来ないからです。
すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
目的も無く生まれる者はいないのです。
あなたには、大切な目的があります。
そして、あなたは目的地へと辿り着かなければならないのです。
すべての人は、目的を果たし、目的地へと辿り着くために生まれるのです。
あなたは、目的地へと辿り着かなければなりません。
人生の目的を果たし、目的地へと辿り着くことは、誰にとっても宿願なのです。
しかしながら、人は容易に目的を果たし、目的地へと辿り着くことは出来ません。
誰にとっても、目的を果たし、目的地へと辿り着くことは難しいのです。
それは、すべての人が未熟であるからです。
すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟に歩まなければならないのです。
未熟であるあなたは、目的を果たすことが出来ません。
目的を果たすことが出来ないのであれば、目的地へと辿り着くことも出来ないのです。
すべての人は、独りで目的地へと辿り着くことは出来ません。
あなたが目的を果たし、目的地へと辿り着く
ためには、他者からの手助けを必要とするのです。
他者からの手助けが無ければ、あなたは自らに与えられた目的を果たすことすら出来ないのです。
当然、目的地へと辿り着くことも出来ないでしょう。
これは、あなたの人生です。
あなたは自分の足で歩まなければなりません。
誰もあなたのために、代わりに歩むことは出来ません。
しかしながら、あなたは未熟です。
自分の考えで歩めば、目的を果たすことも、目的地へと辿り着くことも出来ないでしょう。
あなたが目的を果たし、目的地へと辿り着くためには、客観的な視点を必要とするのです。
地面に近付く程に、道を見失います。
地面から離れる程に、道を見出すでしょう。
蛇には、道が見えません。
それは、地を這(は)っているからです。
鳥には、道が見えます。
それは、空を飛んでいるからです。
近付く程に見えなくなります。
客観的な視点を得れば、道を見失うことはないのです。
客観的な視点は、他者が持っています。
あなたは、他者の手助けによって、道を見失わずに済むのです。
どのような人物であっても、あなたよりは客観的な視点を持ちます。
地を這うあなたには分からないことも、空を飛ぶ他者には分かるのです。
自力では解決することの出来ない問題も、他者の手助けを得れば解決するのです。
あなたは、皆に助けられます。
あなたは既(すで)に、誰かに助けられているのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
様々な人に助けられていることを理解し、感謝の気持ちを絶やしてはならないのです。
あなたは、皆に助けられます。
決して、自分独りで目的を果たし、目的地へと辿り着くことは出来ません。
様々な人達からの手助けを受けなければ、あなたは目的を果たし、目的地へと辿り着くことは出来ないのです。
他者からの手助けを受けなければ、人は道を見失ってしまうのです。
あなたの目的と目的地を正しく見る人はいません。
自分自身であっても他者であっても、あなたの目的と目的地を正しく見ることは出来ないのです。
しかしながら、あなたよりは、他者の方があなたを客観的に見ることが出来ます。
他者の手助けは、あなたにとって重要なヒントとなるでしょう。
目的を果たし、目的地に辿り着くために、あなたは常に多くの人に助けられているということを理解しましょう。
感謝の気持ちを以(もっ)て、毎日を生きなければなりません。



2018年12月29日土曜日

当初の目的は変わる

すべての人は未熟に生まれます。
それは、人生を豊かなものにするためです。
人は、人生を豊かに生きなければなりません。
人生を豊かに生きるというのは、成長を実現するということなのです。
人生において大切なのは、成長するということです。
成長するというのは、本質へと近付くということなのです。
新たな知識と経験を経て、知恵の働きによって本質を見極めることが、豊かな人生のためには必要なことなのです。
残念ながら、多くの人は人生を乏しく生きています。
多くの人は、成長を気にすることなく生きているのです。
多くの人は、目の前の欲望や快楽の虜(とりこ)になっているのです。
目の前の欲望や快楽に根差して生きているのであれば、成長を実現することは出来ません。
なぜなら、目の前の欲望や快楽を追い求めている人は、盲目的(もうもくてき)に生きていると言わざるを得ないからです。
人生の目的は、目の前の欲望や快楽を貪(むさぼ)ることではありません。
人生の目的は、そのように容易(たやす)いものではないのです。
大切なのは、本質を見極めることです。
人生の本質を見極めることは容易(ようい)なことではありません。
生涯をかけて見極めなければならないものであるのです。
あなたは、志高(こころざしたか)く生きなければならないのです。
あなたは、人生について考えましょう。
最も大きなものについて考えるのです。
目の前の欲望や快楽は、とても小さなものです。
小さなものをどれだけ集めたとしても、全体や本質を得ることは出来ません。
俯(うつむ)いたままで目的地へと辿り着くことの出来る人はいません。
足元を見ながら歩むのであれば、道に迷ってしまうのです。
道に迷ったならば、視界を高くし、目的地を探さなければなりません。
目的地を探さなければ、目的地へと歩みを進めることは出来ないのです。
目の前の欲望や快楽をどれだけ貪ったとしても、人生の目的を果たすことは出来ないということを理解しなければならないでしょう。
あなたが、目の前の欲望や快楽を貪ることを好んでいるのならば、それを手放しましょう。
人生について考える時間を増やし、新たな視野を手に入れるのです。
新たな視野とは、新たな価値観のことであり、新たな生き方のことであると理解しなければなりません。
人生は決して、思い通りには展開しません。
あなたの楽しみは奪われ、苦しみが襲います。
あなたにとっての苦しみとは、新たな価値観や生き方です。
人は、不慣れに対して苦しみを覚えるのです。
理由は、慣れていないからです。
ただ、それだけのことなのです。
慣れは、苦しみを和らげます。
やがては苦しみを取り除くのです。
そして、最後にはそれを楽しみへと変えてしまうでしょう。
当初の目的は変わります。
それは、仕方のないことです。
なぜなら、あなたは未熟に生まれ、人生を通じて成長するからです。
成長するということは、本質へと近付くということです。
それは、より良い方法を得るということなのです。
より良い方法を得れば、状況は新たな展開を実現します。
新たな展開は、あなたを豊かさへと導くのです。
あなたは、新たな展開を否定してはなりません。
変化を恐れるのであれば、豊かさを得ることは出来ないのです。
新たな展開は、仕方のないことです。
新たな展開を受け入れて、本質へと近付きましょう。
臨機応変(りんきおうへん)に歩まなければ、目的地へと辿り着くことは出来ません。
変化を否定してはなりません。
人生は、変化していくことが自然なのです。
新たな展開が生じたのであれば、良いことが起きると考えましょう。
新たな展開は、あなたに可能性を導きます。
初めは苦しみを覚えるかも知れませんが、苦しみは長くは続きません。
慣れが苦しみを取り除くでしょう。
目的も方法も変わります。
頑(かたく)なに執着(しゅうちゃく)してはなりません。
より良い方法があるのです。
人生を信用しましょう。
人生は、あなたに対して、常により良い方法を導きます。
慣れないことを安易に否定するのではなく、慣れるように受け入れてみましょう。
そうすれば、あなたは苦しみから解放され、目的地へと辿り着くことが出来るでしょう。

2018年12月28日金曜日

必要最低限の仕事

すべての人には、この世界において必要な役割が与えられています。
すべての人は、与えられた役割によって、世界の必要を満たさなければなりません。
世界は、必要を求めています。
あなたは、世界の求める必要を満たさなければならないのです。
世界にとっての必要は、あなたにとっての必要でもあります。
あなたは、世界にとっての必要を満たすことによって、自分にとっての必要を満たすことが出来るのです。
世界にとっての必要を満たすことがなければ、自分にとっての必要を満たすことも出来ません。
あなたは、世界にとっての必要を満たす結果として、自分にとっての必要を満たすことが出来るということを覚えておかなければならないのです。
すべての人は、未熟に生まれます。
未熟に生まれた者は、偏見と誤解を抱えています。
それは、認識を歪めてしまうのです。
歪んだ認識を通じて世界を見れば、必ず間違えます。
多くの人は間違えているのです。
多くの人は、自分にとっての必要を満たそうとして、世界にとっての必要を無視するのです。
残念ながら、世界にとっての必要を無視するのであれば、自分にとっての必要を満たすことは出来ないのです。
自分にとっての必要を満たすためには、世界にとっての必要を満たすように考えましょう。
世界にとっての必要とは、自分以外の誰かや何かに対する必要のことです。
世界とは、自分以外の誰かや何かのことなのです。
あなたの目の前にいる誰かや何かの必要を満たすことが求められているのです。
それは、とても重要なことですが、多くの人が気が付きません。
多くの人は、自分の必要を満たすために欲張るのです。
多くの人は、利己的に生きています。
私腹を肥やそうと考えているのです。
そのような考えは、仕事を必要最低限の程度にとどめてしまいます。
必要最低限であっては、必要を満たすことにはなりません。
大切なのは、必要を満たすことなのです。
必要とは、十分に満たすことです。
それは、多過ぎず、少な過ぎずというところなのです。
あなたは、目の前の誰かや何かに対して、十分に施(ほどこ)しましょう。
残念ながら、あなたの認識は歪んでいます。
自分では、十分に満たしていると思い込んでいたとしても、実際には、十分に満たせてはいないものなのです。
多くの人は、利己的に生きています。
多くの人は、必要最低限のレベルを必要だと誤解しているのです。
必要とは、十分に満たすことだということを忘れてはなりません。
あなたは、自分が考えるよりも多く施しましょう。
自分では、多く施し過ぎたと考えるくらいで丁度良いのです。
あなたは、自分が未熟であり、欲張っているということを理解しなければなりません。
あなたは、世界の必要よりも、自分の必要を優先させているのです。
そのような態度は、あなたの仕事を粗悪(そあく)なものにしてしまいます。
大切なのは、良い仕事を行うことです。
良い仕事とは、必要を満たすことです。
必要最低限で良いと考えているのであれば、粗悪な仕事しか行うことが出来ないでしょう。
あなたは、粗悪な仕事をするために生まれたのではありません。
あなたは、良い仕事によって、世界の必要を満たし、その結果として、自分の必要を満たすために生まれたのです。
あなたは、必要を行わなければなりません。
あなたは、目の前の誰かや何かの幸福を考えましょう。
目の前の誰かや何かの幸福を考えて行えば、必要を満たすことが出来るでしょう。
しかしながら、自分の幸福を考えて行うのであれば、あなたの仕事は必要最低限にとどまるでしょう。
必要最低限では、何にもなりません。
必要最低限の燃料では、目的地へと辿り着くことは出来ないのです。
目的地へと辿り着くためには、燃料は十分にあった方が良いのです。
あなたは、自分の仕事を振り返って考えましょう。
自分の利益のために仕事を行ってはなりません。
目の前の誰かや何かのための仕事でなければなりません。
世界の必要を満たすために仕事を行いましょう。
そうすれば、世界があなたを満たすでしょう。
あなたから十分に施された者は、あなたのために懸命に努力するでしょう。
あなたから十分に施されなかった者が、あなたのために懸命に努力をすることはないと覚えておかなければなりません。
十分に施してもいないくせに、十分に施されるなどと利己的な考えを浮かべてはなりません。
どのような人物も、因果の仕組みを離れることは出来ません。
あなたは、自らの行いの結果を受け取るでしょう。

2018年12月27日木曜日

苦しみの大地

すべての人は、役割を担(にな)っています。
すべての人は、役割を果たさなければならないのです。
それぞれの役割によって世界は存在するのです。
それぞれが自分の役割に対して、どのように振る舞うかによって、世界の状態が決まります。
自分の役割を果たす人の割合が多い程に、世界は豊かさへと近付きます。
あなたが豊かな世界を求めているのであれば、自分の役割を果たさなければなりません。
自分の役割を無視して生きる人の割合が多い程に、世界は乏しさへと近付きます。
与えられた役割を果たすことがなければ、乏しい世界を生きなければならないのです。
豊かさとは、互いに愛し合い、支え合うことです。
乏しさとは、互いに憎み合い、傷付け合うことなのです。
あなたは、どちらの世界を生きたいでしょうか?
多くの人が、豊かな世界を生きたいと思っているはずです。
しかしながら、現実は、乏しい世界を生きている人の方が多いのです。
人生は、互いに憎み合い、傷付け合うための時間ではありません。
あなたは、互いに憎み合い、傷付け合うために生まれたのではないのです。
あなたが生まれたのは、互いに愛し合い、支え合うためなのです。
あなたは、豊かに生きるために生まれたのです。
人生の目的を見失っている人が多いのです。
すべての人は、自分が何のために生きているかを知りません。
自分が何のために生きているかを知っていると思い込んでいたとしても、それは誤解であるのです。
残念ながら、自分が何のために生きているのかを知る人はいません。
そのため、人は互いに憎み合い、傷付け合いながら生きているのです。
人が苦しみを避けられないのはそのためなのです。
すべての人は苦しみを生きなければなりません。
この世界において、苦しみを避けることの出来る人はいないのです。
あなたは、苦しみを生きなければなりません。
多くの人は苦しみを嫌います。
それは、思い通りにならない状況であるからです。
多くの人は、自分の思い通りになることが最善だと思い込んでいます。
多くの人は、自分の思い通りになることを好むのです。
残念ながら、自分の思い通りになることは最善ではありません。
なぜなら、あなたは未熟であるからです。
未熟者の思い通りになる状況というのは、互いに憎み合い、傷付け合う状況であるということを理解しなければならないのです。
互いに愛し合い、支え合うことの出来る人は多くありません。
大抵の人は、そのようには振る舞えないのです。
未熟者は、人生を乏しく生きなければなりません。
それは、苦しみを嫌うからです。
大切なのは、苦しみを考えることです。
すべての人が苦しみと共に生きなければなりません。
それは、苦しみが大切なものであることを意味しているのです。
多くの人が嫌う苦しみは、決して無意味なものではありません。
苦しみが無価値なものであると考えるのであれば、損をすることになるでしょう。
残念ながら、苦しみとは価値です。
あなたは、苦しみという大地を生きているのです。
それは、大地に蒔(ま)かれた種のようなものなのです。
種は、大地に根を伸ばします。
種が成長するためには、大地が必要なのです。
根の大きさに比例して、幹の太さや枝葉の豊かさが決まります。
根を大きく広げることが出来れば、その樹は大きく育ち、多くの実を結ぶことが出来るのです。
しかしながら、根を広げることが出来なければ、その樹は十分に成長することが出来ず、やがては枯れ果ててしまうのです。
種には、大地が必要です。
同じように、人には、苦しみが必要なのです。
あなたは、苦しみという大地に根を下さなければなりません。
それは、辛いことのように思えるでしょうが、苦しみの中にこそ、可能性を見出すことが出来るということを理解しなければならないのです。
それぞれの苦しみは、それぞれの可能性を引き出すための仕組みです。
人は、苦しみを経ることによって、自分の役割を果たすための可能性を得ることが出来るのです。
種は、それぞれの大地に根を下ろし、それぞれの実を付けます。
種には、それに相応しい大地が与えられます。
人には、それに相応しい苦しみが与えられるのです。
あなたは、苦しみを安易に否定してはなりません。
あなたが互いに愛し合い、支え合うためには、苦しみを経なければなりません。
苦しみを経ていない者には、互いに愛し合い、支え合うことは出来ないのです。
あなたは、苦しみを生きなければなりません。
苦しみを懸命に生きましょう。
そうすれば、自分の役割を果たすための可能性を見出すことが出来るでしょう。
それは、豊かさへの一歩なのです。

2018年12月26日水曜日

花が実を付けるためには

これは、あなたの人生です。
あなたは、自らの足で人生を歩み、自らの腕で人生を築かなければなりません。
あなたは、自分の人生を生きなければならないのです。
すべての人が、自分の人生を生きることを求められています。
自分の人生を生きるというのは、自分の役割を果たそうとする生き方のことです。
自分の役割を果たそうとする生き方を選択しなければ、自分の人生を生きることは出来ないのです。
自分の役割とは、自然であるということです。
人が自分の役割を果たそうとする時には、自然であるということなのです。
自分の役割を無視して生きることは不自然です。
不自然を生きるのであれば、苦しまなければなりません。
人が苦しみを避けるためには、不自然を手放し、自然を生きる必要があるということを理解しなければならないのです。
あなたが豊かな人生を求めているのであれば、自然を生きる必要があるということを覚えておきましょう。
自然を生きるというのは、蜜柑(みかん)の樹が蜜柑の花を咲かせ、やがて、蜜柑の実を付けるようなことです。
蜜柑の樹が自然を生きる時には、蜜柑の花を咲かせ、蜜柑の実を付けることが出来るのです。
蜜柑の樹が不自然を生きるのであれば、花は咲かず、実も付きません。
それでは、苦しみを得ることになるのです。
蜜柑の樹にとっての役割とは、蜜柑の花を咲かせ、蜜柑の実を付けることだからです。
それが自然であるということなのです。
あなたは、自分に出来ることを行い、誰かや何かに貢献(こうけん)しなければなりません。
それが自然を生きるということなのです。
すべての人は、自らの能力を活用し、貢献するために生まれました。
人が、自らの能力を活用し、貢献することは自然です。
しかしながら、自らの能力を活用することもなく、貢献することもなければ、それが不自然であるということを知らなければならないのです。
あなたは、自らの能力がどのようなものであったとしても、それを活用しなければなりません。
蜜柑の樹は、蜜柑の花を咲かせます。
蜜柑の樹が、林檎の花を咲かせることは出来ないのです。
蜜柑の樹は蜜柑の花を、林檎の樹は林檎の花を咲かせなければならないでしょう。
あなたは、自分の能力や役割を見失ってはなりません。
あなたは、"自分は何か?"を考えなければなりません。
"自分は何か?"と問い続けなければならないのです。
"自分は何か?"という問いを手放した者は、自分の能力や役割を見失ってしまいます。
それでは、自らの能力を活用することも、誰かや何かに貢献することも出来ないのです。
それでは、豊かな人生を生きることは出来ません。
乏しい人生を生きることが目的であれば、それも良いでしょうが、あなたの目的は豊かな人生を生きることなのです。
豊かな人生を生きるためには、自らの能力を活用し、貢献する必要があるということを忘れてはなりません。
しかしながら、これはあなたの人生ではありますが、独りで生きることは出来ません。
人生は、自分で決めなければなりませんが、独りで目的地へと辿り着くことは出来ないのです。
あなたが目的地へと辿り着くためには、自分以外の存在からの助けが必要なのです。
川を渡るためには、橋の力を借りなければなりません。
海を渡るためには、船の力を借りなければなりません。
地平を渡るためには、星の力を借りなければなりません。
空を渡るためには、風の力を借りなければならないのです。
蜜柑の花が実を付けるためには、風や虫達の力を借りなければなりません。
花を咲かせていたとしても、それだけでは実を付けることは出来ないのです。
自分独りで何かを成せると考えているのであれば、その傲慢(ごうまん)を手放しましょう。
あなたは、独りでは何も出来ません。
道を行くには、様々な存在からの助けが必要なのです。
あなたは、感謝の気持ちを以(もっ)て生きなければなりません。
自分独りで目的地へと辿り着くことの出来る人はいません。
どれだけの努力を重ねたとしても、独りでは何も出来ません。
協力することは、とても大切なことなのです。
協力というのは、依存(いそん)のことではありません。
互いに支え合うことが協力なのです。
あなたは、誰かや何かのために努力をしましょう。
そうすれば、誰かや何かは、あなたのために努力をするでしょう。
誰かや何かのための努力が、やがては自分のためになるのです。
独りで生きようとしてはなりません。
利己的な生き方を選択してはならないのです。
花は花だけでは実を付けることが出来ないということを覚えておきましょう。
あなたは、自分だけでは豊かさを得ることが出来ないということを忘れてはなりません。

2018年12月25日火曜日

無理をせずに生きる

これは、あなたの人生です。
あなたは、自分の人生を生きているのです。
あなたは、他の誰かの人生を生きている訳ではないのです。
あなたは、自分の人生に対して責任感を持たなければならないのです。
それは、難しいことではありません。
なぜなら、自分の人生に対して責任感を持つというのは、これが自分の人生であることを自覚すれば良いだけだからです。
人生に難しいことを実現する必要はありません。
あなたは、自分にとって簡単なことを実現すれば良いのです。
自分にとって簡単なことというのは、何も楽な道を選べということではありません。
それは、厳しくても進みたい道のことなのです。
自分にとって難しいのは、不自然を生きることです。
すべての人は、不自然に耐えることが出来ません。
誰にとっても、不自然を生きることは難しいのです。
不自然とは、無理のことです。
不自然を生きることは、無理をすることなのです。
無理をして、楽しい人はいません。
なぜなら、楽しくないことが既に無理をしているということだからです。
無理を楽しめる人はいないのです。
そのため、無理に楽しもうとしても無駄です。
そのような不自然な努力は、徒労(とろう)に終わってしまうのです。
大切なのは、自然を生きることです。
自然を生きるというのは、無理をせずに生きるということです。
あなたが無理をせずに生きるためには、好きなことが出来る生き方を選択しなければなりません。
好きなことには無理がありません。
好きなことに対して、無理をしている人はいないのです。
人は、好きなことに対しては、熱意が尽きることはありません。
好きなことに対しては、いつまでもそれを続けることが出来るのです。
それは、好きなことはあなたにとっての自然だからです。
自然とは、与えられた役割を示します。
あなたは、自然を生きることによって、与えられた役割を果たすことが出来るのです。
与えられた役割を果たすことを難しく考える人がいますが、それは誤解です。
与えられた役割を果たすことは簡単なのです。
難しいのは寧(むし)ろ、与えられた役割を無視して生きることなのです。
不自然に生きることは、誰にとっても難しいということを理解しなければなりません。
自らに与えられた役割を果たし、豊かに生きることの方が簡単であり、価値があるということを理解しなければならないのです。
あなたは、自分にとって簡単な生き方を選びましょう。
自然を生き、自らに与えられた役割を果たし、楽しく豊かに生きるのです。
好きなことであれば、苦しみは問題ではありません。
しかしながら、無理をしているのであれば、苦しみを乗り越えることは出来ないのです。
多くの人は、無理をしています。
多くの人は、不自然を生きているのです。
それは、他者からの期待に左右されているからです。
これは、あなたの人生です。
あなたは、他者からの期待に左右されることなく、自らの役割を果たさなければならないのです。
あなたの人生は、あなたが決めなければなりません。
どのような人物にも、あなたの人生を決める権利はないのです。
また、多くの人は、他者への期待を抱いています。
他者に期待することによって、自分で自分の人生を決める力を失います。
あなたは、他者への期待に左右されることなく、自らの役割を果たさなければならないのです。
自然に生きる必要があります。
あなたは、自分にとって自然であり、楽しく簡単な道を選びましょう。
他者からの期待や、他者への期待によって、無理をしてはなりません。
あなたは、必要を得て、必要を手放せば良いのです。
必要以上を得る必要もなければ、必要以上を手放す必要もないのです。
自然を生きましょう。
無理をせずに、楽しく生きることが大切です。

2018年12月24日月曜日

花畑

人生は決して、平坦な道程(どうてい)ではありません。
人生の道程は、曲がりくねって続いているのです。
人生を、順風満帆(じゅんぷうまんぱん)に進むことの出来る人はいないのです。
どのような人の人生にも、必ず問題が生じます。
そして、問題は悩みとなるのです。
悩みは、苦しみとしてとどまるのです。
すべての人が、苦しみと共に生きなければなりません。
どのような人物も、苦しみを避けることは出来ないのです。
苦しみは、悪いものではありません。
なぜなら、人が苦しむのは自然のことだからです。
苦しみの無い人生というものは不自然です。
多くの人は、苦しみを嫌い、それを避けようとします。
苦しみを避けることによって、苦しみの無い人生を生きようとするのです。
それは、造花を用いて花畑を飾るような不自然さなのです。
造花であれば、枯れることも、汚れることもありません。
見た目には美しく見える造花の花畑であっても、そこに命の輝きは存在しません。
花や、土や、虫や、水や、陽や、風が存在しなければ、その花畑は屍(しかばね)に過ぎないのです。
命の輝きのある場所には、同時に苦しみが存在しています。
花や、土や、虫や、水や、陽や、風は、美しさと汚れを同時に備えているのです。
美しさと汚れを同時に備えているのが自然なのです。
どのように美しい人の糞尿も、悪臭を放ちます。
どのように美しい人の心も歪み、不平不満を吐くのです。
すべての人が未熟です。
すべての人は、美しさと汚れを抱えているのです。
そのために、人は人生に問題を抱えるのです。
先述(せんじゅつ)したように、問題や悩みとなり、やがて苦しみとなるのです。
人生に対して、不平不満を吐けば、自分でそれを掃除しなければなりません。
これは、あなたの人生です。
自分の行いは、自分が受けなければならないのです。
あなたの受ける問題や悩み、そして、苦しみは、自らの結果なのです。
あなたは、道を汚してはなりません。
道程は決して、平坦なものではないのです。
すべての人は、問題を抱え、悩み、苦しみ、迷いながら歩まなければならないのです。
あなたは、何度もやり直さなければなりません。
何度もやり直さなければ、人生の道程を進むことは出来ないのです。
美しいばかりが人生ではありません。
良いことばかりを受け取ろうとしても無駄です。
その願いは決して叶わないのです。
あなたは間違えます。
そのため、人生が思い通りに展開することなどないのです。
唯(ただ)でさえ、人生の道程は曲がりくねっています。
そのように複雑なものに対して、不平不満を吐くことによって汚してしまうのであれば、余計に難しくなってしまうということを覚えておきましょう。
人生は思い通りにはなりません。
思い通りにならないからといって、不平不満を吐くのは間違いです。
人生は、思い通りにならないのが自然です。
人生は、思い通りにならなくて良いのです。
寧(むし)ろ、未熟であり、歪んでいるあなたの思い通りになってはならないのです。
人生は、思い通りにならないことが自然です。
自然に対して不平不満を吐くのであれば、それを不自然にしてしまうのです。
あなたは、不自然の代償を、問題や悩みや苦しみという形で受け取らなければならないのです。
あなたが、問題や悩みや苦しみを経験することによって、不自然を自然へと戻すことが出来るのです。
道を美しく保ちましょう。
良いものだけを取ろうとしてはなりません。
造花の花畑を喜んではならないのです。
それは、偽りの美しさであるからです。
生花(せいか)の花畑を喜ぶべきなのです。
それは、真の美しさなのです。
美しさと汚れは、同時に存在することで自然です。
どちらかに偏ってしまえば、更なる問題となってしまうのです。
問題は、悩みとなり、苦しみとなります。
美しさと汚れを分け隔てることなく、それ等を共に愛しましょう。
土の上に花は咲き誇ります。
あなたは、苦しんで良いのです。
何度もやり直せば良いのです。
苦しみの果てに、喜びを見出しましょう。

2018年12月23日日曜日

鈍感

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
この世界に、無意味に生まれる者はいません。
すべての人生に意味があるのです。
すべての人が、果たさなければならない目的のために生きるのです。
あなたは無意味に生まれた訳ではありません。
あなたが生きていることには、大切な意味があるのです。
あなたは目的を果たし、人生を完成させなければなりません。
しかしながら、人生を完成させることは容易ではありません。
誰にとっても、目的を果たすことは難しいのです。
それは、目的を忘れてしまうからです。
残念ながら、人生の目的を覚えていられる人はいません。
すべての人が、目的を忘れてしまうのです。
人生の目的を忘れた者は、別の目的のために生きることになります。
例えばそれは、この世の富を目指す生き方です。
多くの人は、この世の富を目指しています。
それは、悪いことではありませんが、人生の目的というには貧相です。
この世に生まれる者が、この世の者を集めるために生まれたと考えるのは浅はかなのです。
例えばそれは、嘆(なげ)き悲しむ生き方です。
多くの人は、思い通りにならない現実を嘆き悲しんでいるのです。
それも、悪いことではありませんが、嘆き悲しむことが人生の目的ではあるはずがありません。
この世に生まれる者は、この世を豊かに生きなければならないのです。
例えばそれは、無関心な生き方です。
多くの人は、自分の人生に対して関心を持ちません。
多くの人は、常識や周囲の誰かに従って生きています。
やりたくないことをやり、欲しくもないものを欲し、楽しくないことを楽しもうとしているのです。
この世に生まれる者は、目的を以て生まれます。
この世に生まれる以上は、自分の人生に対して関心を持たなければならないのです。
誰かや何かに従って生きることが人生の在り方ではないのです。
あなたは、自分の人生を生きて、自分の目的を果たさなければならないのです。
残念ながら、人は少しずつ鈍感になっていきます。
良く研がれた刃物が少しずつ曇り、やがては錆(さび)に覆われるように、感性は徐々に鈍ってしまうのです。
良く研がれた刃物も、錆に覆われてしまえば切れ味を無くしてしまいます。
切れ味を無くした刃物は、自らの目的を果たすことが出来ないのです。
刃物は、切れ味を保たなければなりません。
それが、この世界で役に立つ方法なのです。
鏡は映さなければなりません。
硝子(がらす)は、透明でなければならないのです。
多くの人は、少しずつ汚れていきます。
汚れてしまえば、感性を失ってしまうのです。
人生の目的は、心の深いところに存在しています。
人生の目的は、心の深いところから、あなたに呼び掛け続けているのです。
その声を聞き取るためには、感性が必要なのです。
頭や心で考えるのであれば、人生の目的が発する声を聞き取ることは出来ません。
なぜなら、多くの人の頭や心の中には、偽りの目的で埋め尽くされているからです。
残念ながら、現時点において、あなたの考える目的は人生の目的ではありません。
人生の目的は、人生を終える瞬間まで分からないからです。
偽りの目的を目指してはなりません。
この世の富を目指す生き方も、嘆き悲しむ生き方も、無関心な生き方も、あなたの生まれた目的ではないのです。
あなたは、豊かに生きなければなりません。
そのためには、心と頭を静め、誘惑(ゆうわく)に陥らないように努めなければならないのです。
これは、あなたの人生です。
目的は、心の深いところに存在しています。
様々な誘惑によって汚れてはなりません。
自分を磨き、誘惑を退けましょう。
あなたには、目的があるのです。
そのことを忘れてはなりません。
感性を働かせ、人生を完成させましょう。

2018年12月22日土曜日

世界は、変化を必要としています。
世界は、あなたに変化を求めているのです。
変化とは、本質へと近付くことです。
変化を実現することによって、本質へと近付くことが出来るのです。
本質へと近付くことは大切です。
それは、本質には人生の目的が存在しているからです。
人生の目的を果たすためには、本質へと近付く必要があるのです。
人生の目的を果たすことは重要です。
なぜなら、それが生まれた理由だからです。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
その他の目的は、あなたが生まれた理由ではないのです。
多くの人は、目の前の快楽や欲望や苦悩を果たすことを目的としています。
快楽や欲望や苦悩を果たすことに集中し、人生の目的のことを忘れてしまうのです。
多くの人は、この世の富にしか興味がありません。
地位や名誉や財産など、他者と比較することが出来るものを追い求めるのです。
それは、人生の目的を見失い、他者との競争で優位に立つことによって得られる優越感に溺れているからなのです。
残念ながら、他者との競争でどれだけ優位に立つことが出来ても、人生の目的を果たすことには関係の無いことです。
なぜなら、これはあなたの人生であるからです。
あなたの人生と、他者の人生は異なります。
人生が異なっているということは、目的も異なっているということなのです。
人生の目的はそれぞれに異なります。
あなたの役割と、他者の役割は異なるのです。
人は、それぞれが別の道を進まなければなりません。
それぞれの目的地へと辿り着かなければならないのですから、同じ道を進む訳にはいかないのです。
自らの目的を果たすことに努めず、自らの役割に徹することもなく、自らの道を進むことがなければ、人生に停滞していることに同じです。
自らの目的を果たそうと努め、自らの役割に徹し、自らの道を進むことで初めて、人生は展開するのです。
この世の富に目が眩(くら)み、人生の目的を軽んずるのであれば、人生には不幸と乏しさを受け取らなければならないのです。
本質に近付かない限りは、人生に幸福と豊かさを期待することは出来ないのです。
展開こそが力です。
人生を展開させることによって、幸福と豊かさを実現することが出来ます。
停滞は力を奪うのです。
あなたが人生に幸福と豊かさを求めているのであれば、人生を展開させる必要があることを理解しましょう。
風も波も光も、閉じ込めてしまえば消えてしまいます。
それは、閉じ込めることによって力を失ったということなのです。
人生を停滞させることは、風や波や光を閉じ込めることと同じです。
風も波も光も、力を失ってしまえば役には立ちません。
力があるからこそ、貢献(こうけん)することが出来るのです。
あなたが力を発揮するためには、この世の富に躓(つまず)いてはならないのです。
多くの人は、この世の富に執着しています。
それは、本質を目指すことなく、停滞するということなのです。
この世の富は魅力的に思えるかも知れませんが、そんなもののために生まれて来たと思いますか?
幼子は、この世の富に価値を見出しません。
幼子は、大人よりも愛について知っているのです。
大人は、愛の重要性を忘れ、この世の富を奪い合っています。
それが詰まらない生き方であることを理解しなければなりません。
あなたは、詰まらないことのために生まれたのではありません。
人生の目的とは、あなたや周囲の人達が考えているよりも、遥かに崇高(すうこう)なものなのです。
この世の富は、人生の目的に対する副産物に過ぎません。
副産物よりも、産物の方が価値があることを忘れてはならないのです。
詰まらないことに停滞することなく、人生を展開させて本質へと近付き、目的を果たしましょう。
この世の富を循環(じゅんかん)させ、人生の目的を果たしましょう。
得たものは、手放すのです。
そうすれば、より本質的なものを得るでしょう。
変化の中で、生まれて来た目的を考えましょう。



2018年12月21日金曜日

起きたことは仕方ない

すべては、仕方のないことです。
起きてしまったことは、仕方のないことなのです。
起きたことを無かったことにすることは出来ません。
起きたことは変えられないのです。
あなたは、現実を受け取らなければなりません。
それが、どのような現実であったとしても、起きてしまったのであれば、取り消すことは出来ないのです。
この世界には、必要だけが存在します。
この世界では、必要だけが存在を許されるのです。
不要は存在することが出来ません。
この世界にとって不要なものは、初めから存在する必要がないということを理解しなければなりません。
この世界に存在するものは、それがどのようなものであれ、あなたにとっての必要であるということを理解しなければならないのです。
ただし、必要といっても、そのままの状態を保存する必要はありません。
この世界は、必要に応じて形を変えるのです。
変化を必要とするのであれば、変化を受け入れなければなりません。
停滞を必要とするのであれば、停滞を受け入れなければならないということなのです。
あなたには、必要を理解することが出来ません。
あなたの認識は、必要に対して未熟なのです。
そのため、判断を遅らせる必要があります。
あなたは、事の成り行きを自分勝手に判断してはならないのです。
あなたには、必要を理解することが出来ません。
何が必要であるか分からないのです。
あなたは、観察者として、人生に存在しなければならないのです。
自分勝手な判断は、必要である最善を歪めてしまいます。
人生は、常に必要である最善を導きます。
しかしながら、あなたにはそのことが理解出来ず、別の状況を必要として欲するのです。
起きたことを否定して、自分にとって都合の良い状況を求めるのです。
しかしながら、あなたは未熟であり、歪んでいます。
そのため、あなたの考える自分にとって都合の良い状況というものは、あなたにとっての最善ではありません。
あなたにとっての最善とは、目の前の現実なのです。
起きたことは変えられません。
現実を否定しても、人生が展開することはないのです。
現実を受け入れなければ、人生が展開することはありません。
受け入れなければ、次の一歩を踏み出すことは出来ないのです。
起きたことに不平不満を吐いている場合ではないのです。
どのような方法を用いても、起きたことを無かったことにすることは出来ません。
どのように努めても、最善として導かれるのは、同じ現実なのです。
そのことを理解しなければ、倍の時間と労力が必要となるのです。
先ずは、目の前の現実を受け入れることが大切です。
現実を受け入れた上で、次の現実を受け入れる準備を整えなければならないのです。
現実を受け入れることによって、あなたは必要な学びを得ることが出来ます。
必要な学びを通じて、あなたは成長を実現することが出来るのです。
現実を否定している間は、成長を実現することは出来ません。
それは、学ぶことが出来ないからです。
学ぶためには、受け入れなければなりません。
教えを受け入れない限りは、学ぶことは出来ないのです。
人生は、現実を通じて、あなたに学びを与えます。
現実を受け入れない限りは、学びを得ることは出来ないのです。
すべては、仕方のないことです。
起きたことは、もうどうすることも出来ないのです。
現実を無かったことには出来ません。
あなたは、受け入れなければならないのです。
現実を否定すれば、苦しみが増すだけです。
苦しみを取り除くためには、現実に向き合わなければなりません。
苦しみは、学び終えることによって取り除かれるのです。
学びを得るまでは、苦しみが取り除かれることはないということを覚えておきましょう。
起きたことは仕方のないことなのです。

2018年12月20日木曜日

協力

すべての人は無力に生まれます。
人は、一人では人生を完成させることが出来ないのです。
どのような人物も、一人で生きていくことは出来ません。
一人で生まれ、一人で育ち、一人で問題を解決し、一人で目的を果たし、一人で死を迎えることは出来ないのです。
すべての人は無力です。
無力であるあなたは、他者と協力しなければなりません。
残念ながら、あなたの抱える問題は、一人の力では解決することが出来ません。
それが、どのような問題であれ、一人では解決することが出来ないのです。
それは、力が足りないからです。
一人の力で出来ることは知れています。
一人の力では、問題を解決するには足りないのです。
どのような問題も、二人以上の力が必要です。
あなたが問題を解決するためには、他者の力を借りなければならないのです。
すべての人は、無知に生まれます。
無知とは、無力です。
無知であっては、問題を解決することは出来ません。
問題を解決するためには、知恵が必要なのです。
知恵とは、知識と経験によって導き出される知性のことです。
残念ながら、人が一人である時には、知恵の働きは生じません。
知恵は、他者との協力の中にこそ磨かれるのです。
人が一人である時には、知性は必要とされません。
人が一人である時には、感情が選ばれるのです。
知性とは、思いやりによって育まれます。
思いやりは、他者と協力するために必要です。
思いやりが無ければ、協力関係は成り立たないのです。
感情的に振る舞うのであれば、協力関係は成り立ちません。
互いに思いやらなければ、協力することは出来ないのです。
相手を思いやる時、知恵が働きます。
知恵とは、相手を助けようとする気持ちなのです。
他者との協力によって、知恵が働きます。
知恵の働きによって、知性を得ることが出来るのです。
そうすることによって、問題を解決することが出来るのです。
問題を解決するためには、解決に必要な協力関係が必要です。
二人で解決することが出来る問題もあれば、それ以上の協力が必要な問題もあります。
協力とは、ただ集まることではありません。
二人が集まっても、互いに思いやることがなければ、知恵の働きも、知性を得ることも出来ません。
互いに思いやることがなければ、争いが生じてしまうのです。
それでは、問題を解決することが出来ません。
残念ながら、人は無力に生まれ、無知を生きています。
人は、弱い存在なのです。
弱い存在である人にとって、相手を思いやることは容易なことではありません。
それは、多くの人は、感情的に自分のことを優先して考えてしまうからです。
そのため、協力関係は結ばれず、争いが生じてしまうのです。
多くの人は、集団の中にあって自分のことを優先します。
協力関係を結ぶことなく、手を抜いて自己の利益を図るのです。
二人なら、二人以上の力を発揮しなければなりません。
互いを思いやれば、容易いことです。
二人なのに、二人以下の力に収まってはなりません。
集団は、それぞれの力を増すためにあるのです。
それぞれの力を削ぐためにあるのではないのです。
集団の中にあって、手を抜いてはなりません。
互いを思いやり、互いの力を増すのです。
協力すれば、どのような問題も解決することが出来ます。
協力すれば、どのような問題も恐れることはありません。
あなたは、他者を思いやり、他者に貢献しましょう。
そうすれば、他者はあなたを思いやり、あなたのために力を尽くしてくれるでしょう。
その時、あなたは無力ではないのです。

2018年12月19日水曜日

この世界には、無駄は存在しません。
この世界には、無意味なものは存在しません。
この世界には、無価値なものは存在しないのです。
すべてには、大切な意味があり、重要な価値があるのです。
あなたは、そのことを理解しなければならないのです。
大切なのは、分け隔てないことです。
”すべては一つ”であると理解することなのです。
この世界に存在する”すべては一つ”です。
何一つとして、異質なものは存在しません。
すべての存在が支え合い、共存しているのです。
残念ながら、そのようには見えないかも知れません。
多くの人には、”すべては一つ”であるとは思えないのです。
それは、主観によって世界を見ているからです。
多くの人は、自らの所有する価値観を通じて、世界を認識しているのです。
残念ながら、すべての人が未熟です。
すべての人は、未熟に生まれるのです。
そのため、価値観には、歪みや不足が存在します。
歪みや不足を有する価値観による主観は、世界を分け隔ててしまうのです。
多くの人は、”すべては一つ”であることを知りません。
そのため、この世界に善と悪を存在させるのです。
残念ながら、この世界には、善と悪を隔てる壁は存在しません。
この世界に存在しているのは、すべてを繋げる絆(きずな)だけなのです。
あなたが善と思っているものと、悪と思っているものは、一つに繋がっているのです。
それ等は決して、相反するものではないのです。
そのように見えているだけです。
そして、そのように認識しているだけなのです。
多くの人は、正義感に従って、自分の信じる善を重んじ、自分の信じる悪を軽んじます。
多くの人は、善悪の壁によって、世界を隔てているのです。
それは、世界を小さくしているのです。
あなたは、未熟な価値観によって世界を限定してはなりません。
一つに繋がっているものを、分け隔ててはならないのです。
善を重んじ、悪を軽んじれば、バランスを欠いてしまいます。
それでは、問題を引き起こしてしまうのです。
大切なのは、バランスを保つことです。
左右のバランスを欠けば、歩みを進めることは出来ません。
あなたが幸福や豊かさへと辿り着こうとする時に、バランスを欠いているのであれば、不幸や乏しさへと落ち込んでしまうのです。
この世界に存在する”すべては一つ”です。
善悪の区別に捕らわれてはなりません。
善いと思うものを優遇してはなりません。
悪いと思うものを冷遇してはならないのです。
恐れに従って、悪いものを無理に取り除いてはなりません。
自然に剥(は)がれ落ちるまでは、待たなければならないのです。
青い実を収穫しても、口にも腹にも苦いのです。
口にも腹にも甘いものを得るためには、待たなければならないのです。
無理に人生に干渉(かんしょう)してはなりません。
因果を歪めてはならないのです。
大切なのは、甘んじて結果を受け入れることです。
気に入らないからといって否定しているのであれば、人生を歪めてしまうことになるでしょう。
この世界には、無駄は存在しません。
無意味も無価値も存在しないのです。
それが、どのようなものであったとしても、大切な学びです。
悪いものを軽んじてはなりません。
悪いものから学ぶことは多いのです。
好き嫌いによって、人生を判断してはなりません。
苦しみから学ばなければならないことは多いのです。
安易に否定してはなりません。
どのようなものも、大切にする気持ちを育みましょう。
”すべては一つ”です。
小さな価値観によって隔てられるようなものではないと理解しましょう。

2018年12月18日火曜日

難しい人生

人は、生きなければなりません。
人は、生きるために生まれたのです。
始めたものは、完結しなければなりません。
人生は、ただ生きるための時間ではありません。
存在していることが、人生の目的ではないのです。
あなたは生きる意味を見出し、生きる価値を示さなければならないのです。
人生には、目的が存在しています。
すべての人は、目的を以(もっ)て人生を始めたのです。
この世界においては、意味や価値の無いものは存在しません。
この世界に存在するものは、それがどのようなものであったとしても、大切な意味と価値のあるものなのです。
あなたという存在も、あなたの人生も、大切な意味と価値があるのです。
しかしながら、多くの人は、その大切な意味と価値を見失っているのです。
意味と価値を見失っているために、満たされないのです。
多くの人は、人生に空しさを感じています。
満たされるのは一時のことです。
何を得て、何を失っても、満たされるのは一時であることを理解しなければなりません。
目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)ることが出来たとしても、人生の空しさを乗り越えることは出来ません。
目の前の快楽や欲望を貪ったとしても、苦しみが増すだけだからです。
あなたを満たすことが出来るのは、人生の目的を果たすことだけです。
人生の目的を果たすことなく、満たされることはないのです。
多くの人は、目の前の快楽や欲望を貪ることによって、自らを満たそうと考えます。
しかしながら、そのような方法によって満たされることがないことに、後になって気が付くのです。
そのため、多くの人は、目の前の快楽や欲望を貪る必要があります。
目の前の快楽や欲望を貪ることによって得られる満足が、一時的なものに過ぎないことを学習しなければならないのです。
学び終えるまでは、目の前の快楽や欲望を貪らなければなりません。
目の前の快楽や欲望を貪ることは恥です。
それは、人生の目的を見失った姿だからです。
人生の目的を果たそうと努めている人が、目の前の快楽や欲望を貪ることはないのです。
それは、人生の目的を果たそうと努めている人は、目の前の快楽や欲望よりも大きなことを目標にしているからです。
人生の目的を果たそうと努めている人は、生きることに意味と価値を考えます。
そのような人は、人生について、自分について考察する機会を得るのです。
しかしながら、そのような生き方は人生を難しくさせます。
何も考えず、目の前の快楽や欲望を貪るために生きることの方が簡単なのです。
本能に従う生き方は簡単です。
それは、感情のままに、利己的に生きれば良いだけだからです。
人生の目的のことも、他者のことも考えずに、自分勝手に生きるのは、とても簡単なことなのです。
利己的に生きるのであれば、悩みは生じません。
悩みは、思いやりによって生じるからです。
心の葛藤(かっとう)が、悩みなのです。
利己的に生きるのであれば、思いやりは必要ありません。
思いやりが必要でないなら、心の葛藤も、悩みも必要ではないのです。
本能に従う人間は、この世界では生き易いのです。
しかしながら、本能に従って生きたとしても、人生の目的を果たすことは出来ません。
それは、人生の目的は成長であり、成長を実現するためには、貢献(こうけん)する必要があるからです。
貢献するためには、思いやりを以て考えなければなりません。
思いやりを以て考えなければ、知恵が生じることはないからです。
本能に従って生じるのは、知恵と呼ぶことも出来ない浅知恵であり、悪知恵であるということを理解しなければなりません。
多くの人は、目の前の快楽や欲望を貪るために考えています。
それでは、浅知恵や悪知恵しか生じないのです。
目の前の快楽や欲望を貪ったところで、あなたが満たされることはないのです。
理性に従って生きるのは難しいですが、それはとても大切なことなのです。
周囲に流されて生きてはなりません。
これは、あなたの人生なのです。
意味や価値は、自分の中に見出さなければならないのです。
外に探しても見付かりはしません。
誰かに聞いても教えてはくれません。
大切なのは、自分を磨くことです。
自分の中に、高尚な生き方を探すのです。
堕落を選んではなりません。
理性に従って生きましょう。
難しい人生を愛しましょう。
美しく生きて、人生を完成、完結させましょう。

2018年12月17日月曜日

人生の最終目的

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれました。
すべての人は、目的を果たさなければなりません。
誰にとっても、人生の目的を果たすことは重要です。
なぜなら、人生の目的を果たすことが幸福や豊かさを得るための唯一の方法であり、あなたは人生の目的を果たすために生まれたからです。
しかしながら、人生の目的を果たすことは簡単ではありません。
誰にとっても、人生の目的を果たすことは難しいことなのです。
それは、人生の目的を果たすことは、最終目的であるからです。
あなたは、人生の最終目的を果たすために、様々な目的を果たさなければなりません。
様々な目的を果たした先に、人生の目的の達成が実現するのです。
人生の目的は、最終目的であるために、人生を終える寸前まで実現することはありません。
人生を終える時に、人生の目的を果たすことが出来たかどうか?ということを知ることが出来るのです。
人生は、最後まで目的を果たすことが出来たかどうか?分からないものなのです。
そのため、人生に幸福や豊かさを実現することは出来ません。
多くの人が幸福や豊かさだと考えているものは、気の迷いに過ぎないのです。
あなたは、幸福や豊かさを手に入れることは出来ません。
それが幸福や豊かさであるかは、人生を終える寸前まで分からないものだからです。
そのため、あなたが幸福や豊かさだと考えているものは、不幸や乏しさへと形を変えるのです。
人生においては、永遠に続く幸福や豊かさは存在しません。
どのような幸福や豊かさも、やがては慣れてしまいます。
どのような幸福や豊かさも、慣れてしまえば飽きてしまうのです。
飽きてしまえば、残念ながら、それを幸福や豊かさだとは思えないのです。
飽きることのないことは存在しません。
どのようなものであっても、変化することがなければ飽きてしまうのです。
飽きないためには、変化を受け入れなければなりません。
変化することによって、慣れることを否定しなければならないのです。
慣れることがなければ、飽きることもないでしょう。
飽きることがなければ、それはやがて本物の幸福や豊かさとしての可能性が高まるのです。
飽きることなく追求する必要があるのです。
何事も簡単に諦めてはなりません。
あなたは、追求しなければなりません。
人生においては、魂に従って、やりたいことをやりましょう。
生きたいように生きるのです。
それは、利己的に生きるということではありません。
生きたいように生きるというのは、自らに与えられた役割を生きるということなのです。
あなたは、偽りの自分を生きています。
偽りの欲求に従い、偽りの目的のために生きているのです。
残念ながら、あなたは真(まこと)の自分を知りません。
そして、真の目的を知らずに生きているのです。
多くの人が、自分のために生きています。
それは、素晴らしいことですが、真の目的ではありません。
そして、多くの人が、他者のために生きています。
それも素晴らしいことですが、残念ながら、真の目的ではありません。
あなたの真の目的は、自分や他者のために生きることではありません。
それは、人生の最終目的ではないのです。
あなたの真の目的は、人生のために生きることなのです。
人生を完成させることが、人生の最終目的であるのです。
人生の最終目的を果たすためには、真の目的を果たす必要があります。
真の目的を果たし続けることによって、人生の最終目的を果たすことが出来るのです。
あなたの魂が訴えるのは、この人生において本当にやりたいことです。
多くの人は、本当にやりたいことをやらず、自分を偽って生きているのです。
恐怖によって諦めているのは、あなたではありません。
真は、恐怖には負けないのです。
恐怖に負けるのは偽りです。
あなたが本当にやりたいことを諦め、やりたくないことをやっているのであれば、偽りを生きているということなのです。
真を生きるのであれば、恐怖に打ち勝つ知恵を見付けるのです。
真は、知恵によって本当にやりたいことをやるのです。
どのような問題や苦しみも、知恵によって乗り越えていくことが出来るのです。
知恵は、人生において本当にやりたいことをやるためにあるのです。
あなたは、知恵を使って、本当にやりたいことをやりましょう。
それは、とても大切なことなのです。
目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)るために知恵を使ってはなりません。
目の前の快楽や欲望を貪ることが人生の最終目的であるはずがないのです。
誰にでも、人生でやりたいことがあるのです。
すべての人は、目的を以て生まれるのです。
やりたいことがない人など存在しません。
目の前の快楽や欲望を言い訳にしてはなりません。
あなたには、本当にやりたいことがあるはずなのです。
魂にそれを聞きましょう。

2018年12月16日日曜日

視力を奪うもの

人生における、すべての経験には意味があります。
人生において、意味の無い経験などありません。
すべてに意味があり、そのすべてに価値があるのです。
人生において、価値の無いものは存在しません。
価値とは、あなたが成長するための価値のことです。
人生の目的は成長することなのです。
すべての経験は、あなたが成長を実現するための学びです。
あなたは、すべての経験から成長のヒントを得ることが出来るのです。
そのため、すべてに意味があり、価値があるということを理解しなければならないのです。
多くの人は、偏見と共に生きています。
偏見と共に生きることによって、誤解を生きることになるのです。
誤解を生きてしまえば、意味や価値を限定してしまうようになるのです。
誤解を生きている人は、人生において、意味のあるものと意味の無いものを隔(へだ)てます。
そして、価値のあるものと価値の無いものを隔てるのです。
本来ならば、人生には、無意味も無価値もありません。
人生においては、すべてに意味があり、すべてに価値があるのが自然なのです。
そのため、多くの人は、不自然を生きていることになるのです。
不自然を生きることは、苦しみを生きるということです。
不自然を生きて、幸福や豊かさを得られる人はいないのです。
不自然を生きれば、問題と共に生きなければならないのです。
問題は、不幸や乏しさを導くのです。
人生を幸福に、豊かに生きるためには、意味や価値を限定しないことです。
隔てなく意味や価値を見出さなければならないのです。
偏(かたよ)りは良い結果を導きません。
光が良いと思って見詰めるのであれば、目が眩(くら)むのです。
光も強過ぎれば、視力を奪うのです。
かといって、闇が良い思って見詰めるのであれば、視界は閉ざされるのです。
光が強過ぎれば視力を奪われるのと同様に、闇も深ければ同じように視力を奪われてしまうのです。
光が強過ぎても、闇が深過ぎても、視力は奪われてしまいます。
光と闇は、互いに協力することによって、輪郭(りんかく)を織り成します。
光と闇の織り成す輪郭によって、あなたは視力を得ることが出来るのです。
輪郭が無ければ、視力は役に立ちません。
輪郭が無ければ、視力は無いということなのです。
光と闇のどちらに偏っても、輪郭は得られません。
光と闇は、互いに協力し、同時に存在しなければならないのです。
人生における意味や価値を限定するのであれば、光が闇のどちらかに偏ることになってしまいます。
それでは、見えないのです。
見えない者が道を歩みことは出来ません。
見えない者は、道を誤ってしまうのです。
見えない者が目的地へと辿り着くことは出来ません。
見えない者は、途方に暮れることになるのです。
あなたが見えるように成るためには、意味や価値を限定しないことです。
意味や価値を理解することが出来ないものであっても、それを安易に否定してはならないのです。
あなたに理解することが出来ないだけで、意味や価値は存在しています。
意味や価値を限定するのであれば、意味や価値を手放すということなのです。
それでは、人生に幸福や豊かさを実現することは出来ないのです。
大切なのは、意味や価値を限定しないことです。
大切なのは、すべてに意味や価値を認めるということなのです。
理解することが出来なくても、意味や価値は存在します。
あなたには、理解することが出来ない意味や価値の方が多いのです。
自分に理解することの出来る意味や価値を生きるということは、小さな世界を生きるということなのです。
それでは、"井の中の蛙(かわず)"なのです。
あなたの知っている幸福や豊かさは、本当に幸福や豊かさなのでしょうか?
幼い頃の幸福や豊かさにいつまでも満足していられるでしょうか?
幸福も豊かさも、より本質的なものでなければ満足を得ることは出来ないのです。
意味や価値を限定してはなりません。
人生に存在しているものの意味や価値を認めましょう。
都合の良い悪いに関わらず、すべてを大切に扱いましょう。

2018年12月15日土曜日

自分の見ている世界

人は、それぞれの人生を生きています。
人は、それぞれの人生を生きなければならないのです。
道はそれぞれに異なります。
それは、人生の目的がそれぞれに異なっているからなのです。
人は、それぞれの目的を果たさなければなりません。
それぞれの目的を果たすことが、幸福であり、豊かさなのです。
あなたが、人生に幸福と豊かさを求めているのであれば、自らに与えられた目的を果たさなければならないのです。
自らの目的を果たすためには、自らの道を進まなければなりません。
自らの道を進まなければ、自らの目的を果たすことは出来ないのです。
自らの道を進まずに、自らの目的を果たすことは出来ません。
あなたは、そのことを覚えておかなければならないのです。
人は、それぞれに異なる世界を見ています。
人は、見ている世界が異なるのです。
あなたの見ている世界と、他者の見ている世界は異なります。
人は、どのように努めても、同じ世界を見ることは出来ないのです。
人は、それぞれに異なる世界を見なければならないのです。
それは、仕方のないことです。
大切なのは、人がそれぞれに異なる世界を見ていると理解することです。
人が、それぞれに異なる世界を見ているのが自然です。
人が、同じ世界を見ようと努めることは不自然なのです。
不自然を求めても、幸福と豊かさを得ることは出来ません。
不自然によって得るのは、不幸と乏しさだけなのです。
大切なのは、自然を求めることです。
自然とは、それぞれが異なる世界を見ていると認めることです。
人は、異なる世界を見て良いのです。
異なる世界を見なければならないのです。
それは、自らに与えられた目的を果たし、幸福と豊かさを得るためです。
見ている世界が異なれば、認識や理解は異なります。
人は、それぞれの価値観を生きています。
それぞれの価値観によって、価値は異なるのです。
人は、それぞれの価値を求めていくのが自然です。
人生の目的が異なるのだから、求める価値も異なるのが自然なのです。
しかしながら、多くの人は、同じ価値を追い求めます。
誰かにとって必要である価値を、自分にとっても必要であると思い込んでしまうのです。
あなたにとっての価値と、他者にとっての価値は異なります。
価値が異ならなければ、奪い合わなければなりません。
多くの人が争っているのは、同じ価値を奪い合っているからなのです。
この世界における役割は、人それぞれに異なります。
同じ役割を与えられることはありません。
あなたの役割と、同じ役割を与えられる人はいないのです。
そのため、本来ならば、この世界には争いが生じません。
しかしながら、どこを見ても争いが生じているのです。
それは、多くの人が同じ価値を追い求めているからです。
多くの人は、自分に必要のない価値を追い求めています。
必要のないものには価値がありません。
価値のないものを集めたとしても、重荷となるだけなのです。
重荷を抱えて歩くのは辛いのです。
それは、苦しみの道程なのです。
あなたが苦しまないためには、重荷を手放さなければなりません。
重荷とは、価値のないもののことです。
価値のないものとは、歪んだ世界のことです。
それは、他者が求める価値を、自分の求める価値だと思い込むことなのです。
あなたは、自分の見ている世界の中に価値を探しましょう。
あなたの価値と、他者の価値は異なっているのが自然です。
自分の求める価値に自信を持ちましょう。
自分の見ている世界を大切にしましょう。

2018年12月14日金曜日

憐れみ深くあれ

すべての人は、成長することを目的として生まれました。
人は、人生を通じて成長を実現しなければならないのです。
人が成長を実現しなければならないのは、未熟に生まれるからです。
この世界に生まれるすべての人が未熟です。
未熟であるから、この世界に生まれるのです。
そのため、すべての人が未熟であり、学びを通じて成長を実現しなければならないということを理解しなければならないのです。
あなたは、すべての人が未熟であるということを理解しましょう。
人は、未熟であるために、間違いを犯します。
それは、すべての人が無知であり、偏見と誤解を抱えているからです。
すべての人の認識は歪んでいます。
すべての人は、必ず間違いを犯すのです。
人は、間違えるのが自然です。
この世界には、間違えを犯さない人は存在しないのです。
正しいとされていることであっても、間違えていることがあります。
多数の人が正しいと信じていたとしても、間違いであるということもあるのです。
この世界には、正しい人は存在しません。
この世界には、正しく認識する人は存在しないのです。
あなたは、すべての人が間違っているということを忘れてはなりません。
すべての人が未熟です。
未熟であっても、互いに助け合わなければなりません。
それは、互いに助け合うことがなければ、成長を実現することが出来ないからです。
大切なのは、互いに哀(あわ)れむことです。
互いを慈(いつく)しむことが重要なのです。
あなたは、哀れみ深く許しましょう。
人生において、許すことは重要です。
なぜなら、あなたは何度も許さなければならない状況に至(いた)るからです。
許さずにいるのであれば、人生を先へ進めることは出来ないのです。
しかしながら、許すことは容易ではありません。
なぜなら、許すためには、受け入れられないことを容認しなければならないからです。
これが難しいのです。
すべての人は自尊心を抱えています。
自尊心とは、自分を正当化する心なのです。
すべての人は、程度の差はあれど、自分が正しいと思っています。
自分が正しいと考える時、相対的に相手が間違っていることになるのです。
相手が間違っていると考えるのであれば、相手に反発することになるのです。
それは、争いを生じさせます。
争いによっては、成長を実現することは出来ないのです。
成長を実現するためには、互いに助け合わなければならないのです。
許さなければ争ってしまいます。
助け合うためには、許す以外には方法がないのです。
多くの人は、利己的に生きています。
利己的な人物は、利己的にしか考えることが出来ません。
それは、自分のことで精一杯であるからです。
利己的な人物は、そのように振る舞うことで精一杯なのです。
それ以外の振る舞いは出来ないのです。
あなたは、哀れみ深くなければなりません。
聞き入れる準備の整っていない者には、言葉は価値を持ちません。
聞き入れる準備の整っていない者には、許す以外には方法がないのです。
利己的な者に怒りを向ければ、忽(たちま)ちの内に争いに発展してしまうでしょう。
それでは、成長を実現することは出来ないのです。
聞き入れる準備の整っていない利己的な者が聞き入れるためには、許しを得なければなりません。
許されなければ聞き入れる準備も整わないのです。
人は、許されることによって、自分の間違いに気が付きます。
未熟であるために、容易には気が付きませんが、いつかは気が付くのです。
許すとは、相手の好きにさせるということではありません。
それは、相手の考え方を許すということではなく、相手の間違いを許すということなのです。
人は、誰もが間違いを犯します。
間違いを責めてはならないのです。
あなたは、相手の間違いを許し、相手が間違いに気が付くことを待ちましょう。
あなたも、誰かに許されたことがあるはずです。
憐れみ深くありましょう。

2018年12月13日木曜日

大仕事

すべての人は、人生の意味を見失います。
どのような人物も、盲目的(もうもくてき)に生きているのです。
すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、無知を生きなければならないのです。
残念ながら、この世界に人生の意味を理解している人はいません。
すべての人が、人生を暗中模索(あんちゅうもさく)しているのです。
人生の意味は、簡単には理解することが出来ません。
すべての人は、生涯をかけて、人生の意味を探さなければならないのです。
どのような人物であっても、人生の意味を理解してはいません。
志を以(もっ)て生きている人物であっても、人生の意味を探しているのです。
あなたは、自らの人生の意味を探さなければなりません。
人生の意味を見付け出すことは容易ではありません。
それは、川底のある小石を見付け出すようなものだからです。
どのように澄んだ水であっても、流れによって川底を確認することは出来ません。
小石が見える程の浅瀬であったとしても、光の屈折によって、それを容易に掴むことは出来ないのです。
誰にとっても、人生の意味を見付け出すことは難しいのです。
誰にとっても、人生の意味を見付け出すことは、生涯に渡る大仕事なのです。
そのため、安易に人生の意味を決め付けてはなりません。
現在、あなたが考えている人生の意味とは、無知による偏見と誤解が生み出す幻想に過ぎないのです。
成長によって、あなたの考える人生の意味は変化します。
この世界が、一時も同じ状態が存在しないように、あなたの考える人生の意味も、常に変化し続けるのです。
この世界においては、変化することが自然です。
変化しないというのは、不自然なのです。
そのため、あなたの考える人生の意味は、変化し続けることで正解なのです。
人生の意味が、固定されることはありません。
一つの人生の意味に固執(こしゅう)しているというのであれば、それは、不自然な状態を生きているということなのです。
不自然な生き方は、不自然な人生を形成します。
不自然な人生とは、乏しく、苦しい人生のことなのです。
乏しく、苦しい人生とは、人生の意味を理解していない生き方のことなのです。
それでは、いつまで経っても、人生の意味を見付け出すことは出来ないのです。
人生の意味を見付け出すことは、絡まった鎖(くさり)を解くような作業なのです。
やけになって、力一杯に引っ張っても、絡まった鎖を解くことは出来ません。
それは、一層強く鎖を絡めることになってしまうのです。
絡まった鎖を解くためには、冷静でなければなりません。
そして、根気強く、少しずつ紐解いていなければならないのです。
人生には、根気が必要です。
あなたは、一度決めたことを簡単に投げ出してはなりません。
分からないからといって、投げ出してはなりません。
分からなければ、分からないなりに向き合えば良いのです。
人生に求められているのは、根気です。
才能で片付けてはならないのです。
どれだけの才能があっても、根気強く努力する力がなければ、才能を生かすことは出来ないのです。
才能に恵まれていなくても、根気強く努力する力があれば、与えられた才能以上の能力を発揮することが出来るのです。
川底の小石を見付け出すことも、絡まった鎖を解くことも、根気強く努力する力のある者が勝るのです。
どれだけの才能があっても、すぐに諦めてしまうのであれば、川底の小石を見付け出すことも、絡まった鎖を解くことも出来ないのです。
人生は、一つずつ、一歩ずつ、少しずつ、意味を探さなければならないのです。
人生は、決して簡単なものではありません。
未熟に生まれ、無知によって盲目的に生きている者には、人生は決して簡単なものではないのです。
人生は簡単なものではありません。
根気強く向き合いましょう。
目の前の問題や苦しみに絶望していてはなりません。
人生は、思い通りには進まないものです。
川底のある小石を見付け出すことも、絡まった鎖を解くことも、決して思い通りには出来ないのです。
希望を失わず、根気強く生きましょう。
人生に焦りは禁物です。
生涯をかけて、人生の意味を探しましょう。

2018年12月12日水曜日

腐らずに磨く

人生は、長い旅路です。
それは、最後まで結論の出ない旅路なのです。
人生には、何が起こるか分からないものです。
誰にも、人生の結末は分からないのです。
現状によって、人生を結論付けることは出来ません。
現状がどのような状況であっても、次の瞬間には、それが大きく変わっている可能性もあるのです。
あなたは、人生がどう展開するか分からないのです。
誰にも、人生の展開を理解することは出来ないのです。
人生は、思い通りにはなりません。
どのような人物であっても、人生を思い通りに展開させることは出来ないのです。
残念ながら、あなたの理想が実現することはありません。
あなたの期待は裏切られるのです。
すべての人生が問題を抱えています。
すべての人が、問題と共に生きなければならないのです。
心が完全に満たされることはありません。
あなたは、常に空しさと共に歩まなければならないのです。
何を得ても、何を手放しても、心のどこかには空しさが存在するのです。
人生は、思い通りにならないのが自然です。
人生は、思い通りにはならないものなのです。
どのような人物の人生も、決して思い通りにはなりません。
紆余曲折(うよきょくせつ)を経なければ、人生は展開しないのです。
人生は、絶対に思い通りには展開しません。
あなたは、そのことを受け入れなければなりません。
多くの問題を抱え、多くの苦しみに耐えなければならないでしょう。
しかしながら、それは仕方のないことなのです。
あなたが成長し、人生の目的を果たすためには、問題や苦しみを経験する必要があるからです。
問題や苦しみを経験しなければ、固定観念(こていかんねん)を手放すことが出来ないのです。
思い通りにならない現状を乗り越えるためには、自らの価値観を改める以外に方法がありません。
自らの価値観に従うことによって、現状に至ったのです。
現状の問題や苦しみに導いたのは、現状の価値観であるということを理解しなければならないのです。
あなたは、価値観を改める必要があります。
そのためには、思い通りにならない現状を体験しなければならないのです。
人生は、決して思い通りにはなりません。
あなたは、思い通りにならない現状にあっても、腐らずにいなければなりません。
腐ってしまえば、人生の目的を果たすことが出来ないのです。
それでは困るのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たさなければ、人生は乏しいのです。
そして、それは、自分以外の存在にとっても大きな問題であるからです。
あなたは、この世界において、様々な存在と共に生きています。
あなたは、様々な存在と共にこの世界を築いているのです。
あなたが熱意を手放し、腐ってしまえば、この世界の損失なのです。
それは、あなたが大切に思う人にとっても大きな損失なのです。
大切なのは、貢献(こうけん)することです。
あなたが貢献するためには、腐らずに、自分自身を、技を磨かなければならないのです。
思い通りにならない現状に腐っているのであれば、貢献することは叶いません。
それは、使わない刃物が錆(さび)び付いているようなものだからです。
使わない時に、錆びてしまう刃物が使われることはありません。
使わない時にも、錆を寄せ付けない刃物は、最善のタイミングで使われるでしょう。
錆びずにいた道具は使われますが、錆び付いた道具は捨てられるのです。
人生は、思い通りにならないのが自然です。
思い通りにならない時に腐ってはなりません。
どのような現状にあっても、腐らずに自分自身を、技を磨き続けましょう。
人生は、最善のタイミングであなたを必要とするでしょう。
その時に、貢献出来るようにしておかなければなりません。

2018年12月11日火曜日

それぞれの現実

この世界は、あなたが考えている程、小さなものではありません。
この世界は、あなたが考えている程、簡単なものではないのです。
あなたの理解が及ぶような、小さく簡単な世界ではありません。
この世界は、大きく、複雑なものなのです。
あなたには、この世界を理解することが出来ません。
あなたの認識は、この世界の一部に限定されるのです。
一部を認識しているに過ぎない者が、全体を理解することなど出来ないのです。
この世界には、多くの人生が存在しています。
それは、人の数だけ、生命の数だけ、存在の数だけ存在するのです。
この世界には、無駄は存在しません。
そのため、何一つとして同じものは存在しないのです。
同じように見えるものであっても、それぞれに異なっているということを理解しなければなりません。
この世界は、それぞれに異なる存在によって支えられ、築かれているのです。
同じものであれば、役割が重複してしまいます。
それは、無駄なのです。
役割は、重複しないように、それぞれに割り振られているのです。
そのため、人は、それぞれの目的の達成を目指すことが自然です。
人は、それぞれに異なる目的のために生きているのです。
残念ながら、人は分かり合えません。
目的が異なるのだから、道も異なるのが自然なのです。
人は、それぞれの道を進まなければなりません。
それぞれの目的に従い、それぞれに歩まなければならないのです。
多くの人は、それぞれが異なる道を行かなければならないことを知りません。
そのため、他者を許すことが出来ず、認めることが出来ないのです。
すべての人は、自らの目的を果たさなければなりません。
すべての人が、そのための役割を担っています。
それがどのような役割であろうとも、それを実行しなければなりません。
本人がどれだけ拒絶しようとも、その役割を果たさなければならないのです。
人は、それぞれの役割を果たさなければなりません。
他者には、それを理解することが出来ないのです。
多くの人が、自分の信じたいものを信じています。
多くの人は、自分の見える範囲の世界を信じるのです。
それは、偏見であり、後の誤解なのです。
多くの人は、誤解を所有しています。
多くの人は、自分が信じているものが最善だと思い込んでいるのです。
残念ながら、自分の信じているものが最善ではありません。
なぜなら、それはこの世界を限定した偏見と誤解による認識であるからです。
最善は、誰にも理解することが出来ません。
なぜなら、最善とは、目の前の現実であるからです。
多くの人は、目の前の現実を嫌います。
現状を最善だと考える人は少ないのです。
多くの人は、より良い現状を求めています。
多くの人は、最善が他にあると思い込んでいるのです。
多くの人は、自分の信じているものを最善だと思い込み、最善である現実を否定します。
現実逃避によって、理想を追い求めるのです。
現実とは、苦しいものです。
なぜなら、現実は思い通りにはならないからです。
しかしながら、思い通りにならない現実こそが、あなたにとっての最善であるということを知らなければならないのです。
人は、それぞれの最善を生きています。
最善を生きない人はいません。
それがどのような現実であろうとも、それが最善であるということを忘れてはならないのです。
自分の現状も、他者の現状も、それが最善です。
すべての人は、現実から学ばなければなりません。
最善から学ばずに、何から学ぶというのでしょうか?
あなたは、それが自分の現実であっても、他者の現実であっても、安易に否定してはなりません。
現実には、多くの学びが備わっています。
それを学ぶことが、あなたを成長へと導き、人生に豊かさを導くでしょう。

2018年12月10日月曜日

問題の道案内

すべての人は、未熟に生まれます。
それは、すべての人が未熟を生きなければならないということなのです。
未熟を生きるというのは、不足を生きるということです。
あなたは、常に不足と共に生きなければならないのです。
不足は避けられません。
あなたは決して満たされないということを理解しなければなりません。
何を得ても、何を与えても、あなたは満足を永遠のものにすることは出来ないのです。
満足を得ることは出来ません。
どのような幸福も、決して続きはしないのです。
どのような幸福にも、期限が存在しているのです。
幸福は、やがて不幸となります。
それは、興奮がやがて退屈になるのと同じです。
どれだけの興奮を覚えたものであっても、やがては飽(あ)きてしまいます。
飽きてしまえば、退屈が襲うのです。
退屈は、やがて苦痛となります。
苦痛は苦悩となり、苦悩は人生に乏しさを導くのです。
人生に乏しさを実現するのは、幸福に対して変化を必要としない時です。
変化を必要としなければ、不足を受け入れるということです。
不足を受け入れてしまえば、変化を否定するということなのです。
大切なのは、変化することです。
変化を実現することが大切なのです。
人生は、常にあなたに対して変化を促(うなが)しています。
それは、問題という形で促しているのです。
多くの人にとって、問題とは嫌悪の対象です。
多くの人は、問題を嫌います。
多くの人は、問題と向き合いたくないのです。
多くの人は、問題を避けようとします。
問題を避けようとするのは良いことのように思えます。
しかしながら、どのように避けるための努力を重ねたとしても、避けられない問題というものがあるのです。
問題を避けられない時には、それと向き合わなければなりません。
人生には、避けられない問題というものが生じるのです。
それは、人生において必要不可欠な問題ということなのです。
問題とは何でしょうか?
あなたは、問題について考えなければなりません。
問題は、あなたがこの世界の理(ことわり)に対して矛盾している時に生じます。
それは、問題があなたの間違いを教えているということなのです。
問題が生じた時、それは、あなたが間違えている時です。
正しいのは理です。
未熟に生まれたあなたが、理に勝ることはありません。
あなたは、自分が正しいなどと思い込んではならないのです。
問題が生じた時、改めなければならないのは自分自身です。
あなたは、自分自身の考え方や捉(とら)え方、そして、生き方を改めなければならないのです。
問題は、あなたを改めるために導かれます。
問題は、あなたを苦しめるために導かれるのではないのです。
誤解してはなりません。
問題は、軌道修正のために生じるのです。
あなたの考え方や捉え方や生き方が、自らの人生の目的に矛盾しているために、軌道修正が行われるのです。
あなたは、目的を果たすために生まれたのです。
人生は、目的もなく生きられる場所ではないのです。
誰もが、目的を以(もっ)て生まれるのです。
それを果たすことが求められているのです。
人生は、あなたが目的を果たすために協力します。
人生は、あなたのために問題を導くのです。
あなたは、そのことを理解し、覚えていなければなりません。
問題が、あなたを苦しめるのではありません。
あなたが問題を苦しみとしているのです。
あなたは未熟に生まれます。
あなたは未熟を生きているのです。
未熟者には、問題の道案内が必要です。
あなたは、問題に従って自らを改めましょう。
問題に従って、考え方や捉え方、そして、生き方を改めるのです。