すべての人は、役割を担(にな)っています。
すべての人は、役割を果たさなければならないのです。
それぞれの役割によって世界は存在するのです。
それぞれが自分の役割に対して、どのように振る舞うかによって、世界の状態が決まります。
自分の役割を果たす人の割合が多い程に、世界は豊かさへと近付きます。
あなたが豊かな世界を求めているのであれば、自分の役割を果たさなければなりません。
自分の役割を無視して生きる人の割合が多い程に、世界は乏しさへと近付きます。
与えられた役割を果たすことがなければ、乏しい世界を生きなければならないのです。
豊かさとは、互いに愛し合い、支え合うことです。
乏しさとは、互いに憎み合い、傷付け合うことなのです。
あなたは、どちらの世界を生きたいでしょうか?
多くの人が、豊かな世界を生きたいと思っているはずです。
しかしながら、現実は、乏しい世界を生きている人の方が多いのです。
人生は、互いに憎み合い、傷付け合うための時間ではありません。
あなたは、互いに憎み合い、傷付け合うために生まれたのではないのです。
あなたが生まれたのは、互いに愛し合い、支え合うためなのです。
あなたは、豊かに生きるために生まれたのです。
人生の目的を見失っている人が多いのです。
すべての人は、自分が何のために生きているかを知りません。
自分が何のために生きているかを知っていると思い込んでいたとしても、それは誤解であるのです。
残念ながら、自分が何のために生きているのかを知る人はいません。
そのため、人は互いに憎み合い、傷付け合いながら生きているのです。
人が苦しみを避けられないのはそのためなのです。
すべての人は苦しみを生きなければなりません。
この世界において、苦しみを避けることの出来る人はいないのです。
あなたは、苦しみを生きなければなりません。
多くの人は苦しみを嫌います。
それは、思い通りにならない状況であるからです。
多くの人は、自分の思い通りになることが最善だと思い込んでいます。
多くの人は、自分の思い通りになることを好むのです。
残念ながら、自分の思い通りになることは最善ではありません。
なぜなら、あなたは未熟であるからです。
未熟者の思い通りになる状況というのは、互いに憎み合い、傷付け合う状況であるということを理解しなければならないのです。
互いに愛し合い、支え合うことの出来る人は多くありません。
大抵の人は、そのようには振る舞えないのです。
未熟者は、人生を乏しく生きなければなりません。
それは、苦しみを嫌うからです。
大切なのは、苦しみを考えることです。
すべての人が苦しみと共に生きなければなりません。
それは、苦しみが大切なものであることを意味しているのです。
多くの人が嫌う苦しみは、決して無意味なものではありません。
苦しみが無価値なものであると考えるのであれば、損をすることになるでしょう。
残念ながら、苦しみとは価値です。
あなたは、苦しみという大地を生きているのです。
それは、大地に蒔(ま)かれた種のようなものなのです。
種は、大地に根を伸ばします。
種が成長するためには、大地が必要なのです。
根の大きさに比例して、幹の太さや枝葉の豊かさが決まります。
根を大きく広げることが出来れば、その樹は大きく育ち、多くの実を結ぶことが出来るのです。
しかしながら、根を広げることが出来なければ、その樹は十分に成長することが出来ず、やがては枯れ果ててしまうのです。
種には、大地が必要です。
同じように、人には、苦しみが必要なのです。
あなたは、苦しみという大地に根を下さなければなりません。
それは、辛いことのように思えるでしょうが、苦しみの中にこそ、可能性を見出すことが出来るということを理解しなければならないのです。
それぞれの苦しみは、それぞれの可能性を引き出すための仕組みです。
人は、苦しみを経ることによって、自分の役割を果たすための可能性を得ることが出来るのです。
種は、それぞれの大地に根を下ろし、それぞれの実を付けます。
種には、それに相応しい大地が与えられます。
人には、それに相応しい苦しみが与えられるのです。
あなたは、苦しみを安易に否定してはなりません。
あなたが互いに愛し合い、支え合うためには、苦しみを経なければなりません。
苦しみを経ていない者には、互いに愛し合い、支え合うことは出来ないのです。
あなたは、苦しみを生きなければなりません。
苦しみを懸命に生きましょう。
そうすれば、自分の役割を果たすための可能性を見出すことが出来るでしょう。
それは、豊かさへの一歩なのです。
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