人は、それぞれの器を以(もっ)て生まれます。
人は、その器を使い続けなければなりません。
器を変更することや、手放すことは出来ないのです。
あなたは、持って生まれた器と共に人生を生きなければならないのです。
器とは、心を収める入れ物のことです。
器には、心が納まっています。
そのため、心は器によって左右されるのです。
心を豊かにするためには、器が美しくなければなりません。
器が美しければ、心も美しいのです。
器が汚れているのであれば、どのような心も汚れてしまいます。
そして、歪み、乏しさを得るのです。
心の乏しい者の歩みは苦しみです。
それは、多くの問題と苦悩を引き起こすのです。
心の乏しい者の人生は、乏しくなるということを覚えておかなければなりません。
心の乏しい者が、豊かな人生を生きることは出来ないのです。
豊かさとは、財産に富むことではありません。
この世の快楽や欲望を貪(むさぼ)ることが豊かさではないのです。
豊かさとは、高尚(こうしょう)であることです。
すぐに枯れてしまう花も、美しく咲き誇れば豊かな生涯です。
枯れることの無い造花の生涯は乏しいのです。
それは、偽りの美しさであり、それを美しさとは言えないからです。
真(まこと)の美しさでなければ、豊かではないのです。
高尚であるというのは、真の美しさを得るということだと理解しなければなりません。
”天”からは、誰に対しても清水(せいすい)が降り注ぎます。
それは、善人にも悪人にも、分け隔てなく降り注ぐのです。
”天”から降り注ぐ清水とは、理(ことわり)の導きのことです。
すべての人は、理によって導かれているのです。
しかしながら、理に反する者がほとんどです。
それは、”天”から清水が降り注いだとしても、それを受ける器が汚れているために、理の導きを理解することが出来ないからです。
どれだけ清らかな水を注ぎ入れたとしても、器が汚れているのならば、汚濁(おだく)した水となってしまいます。
器が汚れているのなら、どのような水を注ぎ入れたとしても汚れてしまうのです。
理は、すべての人に分け隔てなく導きを示します。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
理の導きに従えば、人生は必ず豊かなものと成るのです。
しかしながら、理に反すれば、人生は必ず乏しいものと成るのです。
あなたは、器に注意しなければなりません。
”天”からは、汚れのない清水が導かれているのです。
それを汚しているのは、器の汚れなのです。
器が汚れているにもかかわらず、”天”から降り注ぐ水を汚れていると思い込んではならないのです。
多くの人は、自分が正しいと思い込んでいます。
そして、誰かや何かが間違っているのだと思い込んでいるのです。
器の中に毒があれば、何を注ぎ入れたとしても、毒を飲むことになるでしょう。
器を美しく保つためには、高尚に生きることです。
気高く生きることが必要なのです。
気高く生きるというのは、一つの感情に陥(おちい)らないということです。
喜怒哀楽の、どの感情にも執着してはならないのです。
一つの感情に拘(こだわ)ってしまえば、心が傾き、器が歪んでしまいます。
その歪みに汚れが生じるのです。
心(感情)は偏(かたよ)らず、拘らずにいましょう。
どのようなことも、出来る限り素早く許(ゆる)し、忘れることです。
いつまでも拘っていても、良いことは何も無いのです。
器が歪み、心が汚れ、理の導きを見失うだけなのです。
それでは、苦しいのです。
器を美しく保ちましょう。
気高く、豊かな気持ちで生きなければなりません。
目の前に問題や苦悩が存在していたとしても、それに拘ってはなりません。
汚水を飲まず、清水を飲みましょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿