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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2018年12月16日日曜日

視力を奪うもの

人生における、すべての経験には意味があります。
人生において、意味の無い経験などありません。
すべてに意味があり、そのすべてに価値があるのです。
人生において、価値の無いものは存在しません。
価値とは、あなたが成長するための価値のことです。
人生の目的は成長することなのです。
すべての経験は、あなたが成長を実現するための学びです。
あなたは、すべての経験から成長のヒントを得ることが出来るのです。
そのため、すべてに意味があり、価値があるということを理解しなければならないのです。
多くの人は、偏見と共に生きています。
偏見と共に生きることによって、誤解を生きることになるのです。
誤解を生きてしまえば、意味や価値を限定してしまうようになるのです。
誤解を生きている人は、人生において、意味のあるものと意味の無いものを隔(へだ)てます。
そして、価値のあるものと価値の無いものを隔てるのです。
本来ならば、人生には、無意味も無価値もありません。
人生においては、すべてに意味があり、すべてに価値があるのが自然なのです。
そのため、多くの人は、不自然を生きていることになるのです。
不自然を生きることは、苦しみを生きるということです。
不自然を生きて、幸福や豊かさを得られる人はいないのです。
不自然を生きれば、問題と共に生きなければならないのです。
問題は、不幸や乏しさを導くのです。
人生を幸福に、豊かに生きるためには、意味や価値を限定しないことです。
隔てなく意味や価値を見出さなければならないのです。
偏(かたよ)りは良い結果を導きません。
光が良いと思って見詰めるのであれば、目が眩(くら)むのです。
光も強過ぎれば、視力を奪うのです。
かといって、闇が良い思って見詰めるのであれば、視界は閉ざされるのです。
光が強過ぎれば視力を奪われるのと同様に、闇も深ければ同じように視力を奪われてしまうのです。
光が強過ぎても、闇が深過ぎても、視力は奪われてしまいます。
光と闇は、互いに協力することによって、輪郭(りんかく)を織り成します。
光と闇の織り成す輪郭によって、あなたは視力を得ることが出来るのです。
輪郭が無ければ、視力は役に立ちません。
輪郭が無ければ、視力は無いということなのです。
光と闇のどちらに偏っても、輪郭は得られません。
光と闇は、互いに協力し、同時に存在しなければならないのです。
人生における意味や価値を限定するのであれば、光が闇のどちらかに偏ることになってしまいます。
それでは、見えないのです。
見えない者が道を歩みことは出来ません。
見えない者は、道を誤ってしまうのです。
見えない者が目的地へと辿り着くことは出来ません。
見えない者は、途方に暮れることになるのです。
あなたが見えるように成るためには、意味や価値を限定しないことです。
意味や価値を理解することが出来ないものであっても、それを安易に否定してはならないのです。
あなたに理解することが出来ないだけで、意味や価値は存在しています。
意味や価値を限定するのであれば、意味や価値を手放すということなのです。
それでは、人生に幸福や豊かさを実現することは出来ないのです。
大切なのは、意味や価値を限定しないことです。
大切なのは、すべてに意味や価値を認めるということなのです。
理解することが出来なくても、意味や価値は存在します。
あなたには、理解することが出来ない意味や価値の方が多いのです。
自分に理解することの出来る意味や価値を生きるということは、小さな世界を生きるということなのです。
それでは、"井の中の蛙(かわず)"なのです。
あなたの知っている幸福や豊かさは、本当に幸福や豊かさなのでしょうか?
幼い頃の幸福や豊かさにいつまでも満足していられるでしょうか?
幸福も豊かさも、より本質的なものでなければ満足を得ることは出来ないのです。
意味や価値を限定してはなりません。
人生に存在しているものの意味や価値を認めましょう。
都合の良い悪いに関わらず、すべてを大切に扱いましょう。

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