このブログについて

「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2018年12月7日金曜日

失敗を許す

すべての人は未熟です。
すべての人は、未熟に生まれたのです。
それが自然です。
人生は、未熟を成熟させるための時間です。
すべての人は成長しなければならないのです。
人は、未熟であるために、必ず失敗してしまいます。
どのような人物も、失敗は避けられません。
避けようとしても、必ず失敗するのです。
そのため、失敗は決して悪いことではありません。
この世界に、失敗しない人物など存在しないのです。
山の樹も枯れてしまいます。
崖も崩れてしまい、川も干上がってしまうのです。
それ等は自然なことです。
それ等は決して、悪いことではないのです。
それは、変化です。
変化とは、新たな可能性のための布石(ふせき)です。
あなたが失敗として認識している変化とは、新たな可能性の先端であるということを理解しなければならないのです。
この世界には、悪いことは起きません。
起きるのは、自分にとって都合の悪いことだけなのです。
自分にとって都合の悪いことと、人生における悪いことは異なります。
自分にとって都合の悪いこととは、利己的な考えが導き出した偏見です。
偏見は誤解を生じさせます。
誤解を抱えたままでは、成長を実現することは出来ないのです。
この世界には、悪いことはありません。
自分にとって都合の悪いことと、人生における悪いことを混同して考えている誤解を手放さなければならないのです。
失敗は、自分にとって都合の悪いことです。
失敗によって、人は居(い)た堪(たま)れない気持ちになってしまいます。
そして、自分を責め、罪悪感を抱えてしまうことになるのです。
他者の失敗に対しては、怒りや悲しみの感情を抱いてしまいます。
そして、他者を責め、罪悪感を植え付けてしまうことになるのです。
失敗を悪いことだと思い込んでしまえば、罪悪感を抱えてしまうことになります。
罪悪感は、自らを責める気持ちです。
自らを責めてしまえば、成長を阻害(そがい)してしまうことになるのです。
大切なのは、自由に成長することの出来る環境を整えることです。
罪悪感とは、樹木を鉢の中で育てるようなものなのです。
鉢は、樹木の成長を阻害します。
そのことによって、樹木は本来の成長を損なわれてしまうのです。
自由に根を張ることが出来れば、密集した森の中であっても、大きく成長することが出来るのです。
失敗して自然です。
失敗は決して悪いことではありません。
誰もが失敗するのです。
失敗しても良いのです。
人は、失敗によって、新たに学ぶことが出来ます。
失敗しなければ、学びは少ないのです。
それは、失敗することがなければ、学ぼうとはしないからです。
失敗することであなたは成長を実現することが出来ます。
柔軟に考えれば、失敗は良いことであるということなのです。
いつまでも罪悪感を抱えていてはなりません。
自分を責めたところで、解決策は見付けられないのです。
傲慢(ごうまん)に開き直れというのではありません。
失敗を前向きに考え、受け入れることを勧(すす)めているのです。
修正はいくらでも出来ます。
人生は、何度でもやり直すことが出来るのです。
人は、未熟であるのが自然です。
そして、失敗を繰り返すのが自然です。
しかしながら、それは、成長のために必要な過程なのです。
失敗に対して罪悪感を抱かず、しかし、開き直ることなく人生を歩みましょう。
失敗を許しましょう。



0 件のコメント:

コメントを投稿