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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2021年1月31日日曜日

当たり前の幸福

すべての人は、幸福を求めます。
すべての人が、幸福に成りたいのです。
人には、それぞれの幸福の形があります。
人は、それぞれの幸福の形を実現しようとしているのです。
しかしながら、幸福を実現することは容易(ようい)なことではありません。
なぜなら、すべての人が未熟に生まれるからです。
未熟に生まれたあなたには、真(まこと)の幸福がどのようなものか分かりません。
真の幸福が分からないから、幸福を実現することが出来ないのです。
幸福を実現することが出来るのは、真の幸福を知っている者だけです。
残念ながら、多くの人は、真の幸福を知りません。
多くの人は、偽りの幸福を追い求めているのです。
多くの人は、特別なことで幸福を得ようとしています。
多くの人は、特別なことによって、幸福が得られると思い込んでいるのです。
残念ながら、特別なことによっては、真の幸福を得ることは出来ません。
なぜなら、真の幸福とは、特別なことではないからです。
あなたにとっての真の幸福とは、当たり前のことなのです。
当たり前を懸命に積み重ねることによって、真の幸福は実現するのです。
当たり前を懸命に積み重ねることが出来ない者が、真の幸福を得ることは出来ないのです。
真とは、自然です。
自然とは、当たり前のことなのです。
当たり前こそが、真の幸福であるということを理解しなければなりません。
特別は、不自然です。
不自然とは、偽りなのです。
偽りの幸福によって、満足することは出来ません。
特別なことで満たされることはないのです。
特別なことで得られる幸福感とは、一時的なものです。
特別なことで幸福を得ようとしても、直ぐに不足を感じてしまうのです。
特別なことによって得られる幸福感には、持続力がありません。
特別なことによって得られる幸福感は、直ぐに無くなってしまうのです。
そのため、特別なことで満たされようとすれば、特別なことを探し続けなければならないのです。
特別なことを探し続けることは、初めは良いのです。
世界は、特別なことに溢れています。
それは、あなたが未熟だからです。
未熟であれば、特別なことから多くの幸福感を得ることが出来るのです。
しかしながら、特別なことを探し続けても、それは見付かりません。
成長すれば、特別なことも特別と感じなくなってしまうからです。
人は、どのようなことにも慣(な)れるのです。
特別なことも、やがては当たり前と成るのです。
そのため、あなたは、当たり前によって幸福を得なければならないのです。
特別なことで幸福を得ることには限界があります。
当たり前を懸命に積み重ねることが、真の幸福を実現するための方法なのです。
当たり前を懸命に積み重ねることの出来ない者に、幸福は実現しません。
あなたは、当たり前を懸命に積み重ねましょう。
当たり前が自然なのです。
あなたは、目の前の当たり前に満足しなければなりません。
当たり前の価値を見失ってはならないのです。
特別なことに価値があるように思えますが、それは一時的な偽りの価値です。
永続的な真の価値は、当たり前の中に存在するということを知りましょう。
当たり前を軽んじてはなりません。
当たり前を軽んじている者には、幸福を得ることは出来ないのです。
詰(つ)まらないことに楽しみを見出しましょう。
詰まらないことを詰まらないとするのは、努力不足です。
あなたは、努力によって、詰まらないことを楽しくすることが出来るのです。
特別なことには、確かに楽しみがあります。
しかしながら、それはすぐに枯渇(こかつ)してしまうということを覚えておきましょう。
当たり前の中の楽しみを見出すことは容易(ようい)ではありません。
しかしながら、一度見付けると永続的なものなのです。
生涯を通じて楽しみたいのであれば、当たり前の中に楽しみを探しましょう。
そして、当たり前によって幸福を築きましょう。

2021年1月30日土曜日

小さな価値観

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことは、何よりも重要なことです。
なぜなら、人生の目的を果たすことが、あなたが人生を始めた理由だからです。
あなたは、無意味に生まれた訳ではありません。
無駄に生きている訳ではないのです。
人生における様々な状況や経験には、大切な意味と価値があるのです。
あなたは、人生を空しく生きてはなりません。
目の前の状況に対して、不平不満や悲観によって対峙(たいじ)してはならないのです。
どのような状況にも、それを経験する意味と価値があるのです。
そのことを理解しなければ、あなたは空しい時を生きることになってしまうのです。
あなたは、意味や価値のある状況を経験しているのです。
それが、どのような状況であろうとも、意味や価値を見出さなければなりません。
目の前の状況の意味や価値を無視してはならないのです。
あなたは、目の前の状況に何等かの意味と価値を探しましょう。
目の前の状況に意味と価値を見出すためには、現状の価値観を疑うことから始めなければなりません。
すべての人は、特定の価値観に従(したが)って生きています。
すべての人は、何かに対して、自分なりの意味や価値を定めているのです。
それは、偏見(へんけん)です。
すべての価値観は、偏(かたよ)っているのです。
それは、すべての人が未熟に生まれるからです。
未熟に生まれるために、偏らなければならないのです。
それは、知らないからです。
残念ながら、あなたは知りません。
知らないのに、知った気でいるのです。
あなたは、一部を知っているかも知れませんが、全体のことは知りません。
全体を知らなければ、必ず間違うのです。
あなたが、目の前の状況に対して、意味や価値を見出すことが出来ないのは、全体を知らないからです。
全体を知っていれば、目の前の状況の意味や価値を知らないはずはないのです。
一部しか知らなければ、目の前の状況が今後どのように役立つかを理解することが出来ないのです。
人生には、無駄なことはありません。
無駄に思えるのは、それを捉(とら)える価値観が小さいからです。
価値観が小さいから、その意味や価値を捉えることが出来ないのです。
あなたが問題や苦悩を抱えているのは、価値観が小さいからです。
意味や価値を理解することが出来ないから、本来は大切な意味や価値のある状況を否定することになってしまうのです。
目の前の状況を問題や苦悩にしているのは、現状の価値観です。
現状の価値観では、目の前の状況を問題や苦悩として捉える力しかないのです。
現状の価値観に執着(しゅうちゃく)することは、目の前の問題や苦悩にも執着するということなのです。
目の前の問題や苦悩を手放すためには、現状の価値観を手放さなければなりません。
あなたは、特定の価値観に執着してはなりません。
必要は常に変化しているのです。
いつまでも同じ価値観で生きていくことは出来ません。
問題や苦悩は、あなたの信じている価値観が古くなって使えなくなったことを教えています。
問題や苦悩を抱えた時には、価値観を手放さなければなりません。
あなたは、柔軟に変化しなければならないのです。
いつまでも信じることが出来る価値観など存在しません。
すべての価値観が小さく、未熟なのです。
問題や苦悩を引き起こした価値観に執着してはなりません。
問題や苦悩を解決するためには、問題や苦悩の原因である価値観を手放さなければならないのです。

2021年1月29日金曜日

懸命に生きる

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
誰一人として、人生に目的もなく生まれることは出来ません。
どのような人生にも、果たすべき目的が存在するということを理解しなければなりません。
無駄に生まれることの出来る人はいません。
無意味に生きられる人などいないのです。
どのような人物の、どのような人生にも、価値と意味があるということを理解しなければなりません。
あなたには、果たすべき人生の目的が存在します。
あなたは、人生の目的を果たさなければならないのです。
人生の目的を果たすことは容易(たやす)くはありません。
どのような人生の目的も、それを果たすことは難しいのです。
ただ生きるだけでは、人生の目的を果たすことは出来ません。
快楽や欲望や責任に溺(おぼ)れるようでは、人生の目的を果たすことは出来ません。
人生の目的を果たすためには、人生の目的を果たすために生きる必要があるのです。
人生の目的を果たすためには、人生の目的を探さなければなりません。
そして、人格を磨き、成長を実現しなければならないのです。
人生の目的を探すことがなければ、人生に何をすれば良いか分からないのです。
人生の目的を探すことがなければ、人生の目的を果たすためには、人格の成長が必要であるということに気が付きません。
そのような人は、人格を磨くことなく生き続けることになるのです。
残念ながら、多くの人は、人格を磨くことを軽視しています。
多くの人は、損得勘定(そんとくかんじょう)によって利己的に生きることを優先します。
利己的に生きて多くを集めることを美徳(びとく)と考え、欲望に衰(おとろ)えがありません。
多くの人は、人格を見ません。
多くの人は、持ち物を見るのです。
多くの人は、表面的な部分を大切にしているのです。
装飾(そうしょく)に惑(まど)わされてはなりません。
大切なのは、何をどれだけ手に入れたか?ではなく、どれだけ人格を磨いたか?ということなのです。
この世の富のすべて手に入れたとしても、人生の目的を果たすことは出来ません。
どのような目的を果たすにも、人格を磨く必要があるのです。
あなたは、人格を磨かなければなりません。
人格を磨くためには、懸命に生きることです。
出来ないことを無理に行う必要はありませんが、出来ることは無理にでも行う必要があるのです。
あなたは、精一杯に生きなければならないのです。
人生に手を抜いてはならないのです。
今、出来ることには限りがありますが、懸命に生きていれば、出来ることは変わっていきます。
懸命に生きていれば、必要に従って出来ることも変わっていくのです。
懸命に生きていれば、必要を満たすことが出来るのです。
手を抜いて生きていれば、必要を満たすことは出来ないのです。
怠惰(たいだ)に生きている者には、人生の目的を果たすことは出来ません。
あなたは、自分なりに懸命に生きなければなりません。
自分なりに懸命に生きていれば、それがどのような生き方であったとしても、人格を磨くことが出来るのです。
何を得て、何を失ったか?ということを気にする必要はありません。
あなたは、何を得て、何を失っても構わないのです。
何を得て、何を失っても、懸命に生きれば良いのです。
出来ないことは出来ません。
それは、仕方のないことなのです。
出来ないことは出来なくて良いのです。
しかしながら、出来ることは精一杯に行いましょう。
損得勘定に従って生きてはなりません。
損得勘定によっては、人格を磨くことは出来ません。
損得勘定を無視するからこそ、人格は磨かれるのです。
損でも得でも行うからこそ、人格は磨かれるのです。
都合の良いように生きても、人格は磨かれません。
都合の良いように生きては、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたは、人生に生まれた理由を考えなければなりません。
惰性的(だせいてき)に生きてはなりません。
快楽や欲望や責任に溺れるように生きてはならないのです。
人格を磨くことよりも重要なことはありません。
徳を積(つ)むことよりも重要なことはないのです。
損得勘定を無視すれば、徳を積むことが出来るのです。
あなたは、人生に生まれた理由を考えましょう。
利己的に生きて多くを集めるために生まれたのではありません。
詰(つ)まらないことのために命を使ってはなりません。

2021年1月28日木曜日

繰り返し

すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟に生まれなければなりません。
未熟を避けて生まれることの出来る人はいないのです。
どのような人物も、未熟に生まれるということを知らなければなりません。
そして、すべての人が未熟なのです。
どのような人物も未熟です。
あなたが尊敬(そんけい)するあの人も未熟です。
どのように威勢(いせい)の良い人も未熟なのです。
あなたは、すべての人が未熟であるということを知らなければなりません。
あなたも、あなたが尊敬するあの人も、等しく未熟なのです。
すべての人は、未熟であるが故(ゆえ)に知りません。
すべての人は、無知を生きているのです。
あなたは、自分が何か?分かりますか?
人生が何か?分かるでしょうか?
残念ながら、すべての人はその答えを知りません。
知ったつもりでいる人は多くいますが、その人も未熟であり、無知であるために、その答えは間違っているのです。
あなたは、何かを分かったつもりで生きてはなりません。
あなたは、何も知らないのです。
何も知らないのであれば、間違っているのです。
多くの人は、自分が正しいと思い込んでいます。
多くの人は、自分が信じていることが正しいと思い込んでいるのです。
残念ながら、あなたが正しいと思い込んでいるものは間違っています。
あなたは何も知らないのです。
そして、他者も何も知らないのです。
すべての人が知らないのです。
それは、すべての人が間違っているということなのです。
すべての人が間違っているのに、正しいことなど分かるはずがないのです。
あなたは、間違ったことを教わっています。
すべての人は知らないのです。
どのような教育も間違っているのです。
あなたは、悪いものの中から、少しでも程度の良いものを選ばなければなりません。
良いものの中から選ぶことは出来ないのです。
あなたの信じていることは、決して正しいことではありません。
正しく思えても、間違っているのです。
それは、悪いものの中から選んだ一つだからです。
多くの人は、自分が正しいと思い込んでいます。
そして、自分がされた(教わった)ことを同じように行うのです。
あなたが、どのように扱われたとしても、そのままを繰り返してはなりません。
あなたは、自分がされたことを正しいと信じて行いますが、正しいはずがないのです。
すべての人が未熟であり、無知であり、それ故に間違っています。
あなたは、未熟であり、無知な人物から教わります。
未熟であり、無知な人物から教わったことは、本当に大切な教えなのでしょうか?
未熟であり、無知な人物に教わったことは間違っているのです。
そこに思いやりは存在しないのです。
誰かに教わったことをそのまま繰り返したとしても、思いやりには至(いた)りません。
大切なのは、より良い行いに変えることです。
自分がされたことを、そのまま繰り返してはなりません。
あなたは、より良く生きなければならないのです。
何を信じていようとも、より良くしなければならないのです。
あなたは、無意識の内に自分がされたことを繰り返しています。
それは、停滞(ていたい)するということなのです。
あなたは、繰り返してはなりません。
縛(しば)られてはならないのです。
正しいと信じていることを否定し、手放すことは難しいのです。
それでも、あなたは間違った信仰(しんこう)を手放さなければなりません。
あなたは、いつの間にかに自分がされたことを繰り返すのです。
信仰を手放すのはとても大変なことです。
しかしながら、間違った信仰は手放さなければなりません。
間違った信仰をいつまでも持ち続けていると、人生に多くの問題を引き起こしてしまうからです。
あなたは、自分がされたことを繰り返してはなりません。
より本質的な形で行わなければならないのです。
少しでも、良い行いをしなければなりません。
自分がされたことをただ繰り返してはなりません。

2021年1月27日水曜日

身の程

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
なぜなら、人生の目的を果たすことが、人生に生まれた理由だからです。
あなたには、果たすべき人生の目的が存在するのです。
人生の目的を無視して生きることは出来ません。
なぜなら、人生の目的を無視する程に、人生は苦しく、空しいものになってしまうからです。
苦しみに耐(た)えることは出来ても、空しさに耐えることの出来る人はいません。
人生を空しく生きられる人はいないのです。
すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟に生まれなければなりません。
それは、人生の目的を果たす必要があるからです。
あなたは、人生の目的を果たすために、未熟に生まれるのです。
完全であれば、果たすべき目的は存在せず、人生に生まれる必要もないのです。
人生に生まれるためには、未熟である必要があるのです。
しかしながら、未熟であるために、すべての人は人生の目的を見失ってしまうのです。
大切なのは、人生の目的を思い出すことです。
人生の目的を思い出すことがなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
しかしながら、人生の目的を思い出すことは容易(ようい)なことではありません。
なぜなら、人生の目的を思い出すためには、自分とは何か?ということを思い出す必要があるからです。
人生の目的を果たすためには、それに相応(ふさわ)しい役割を果たさなければなりません。
役割を果たすことによって、目的を果たすことが出来るのです。
あなたは、自らの役割を知らなければなりません。
自らの役割を知るためには、分際(ぶんざい)を知らなければならないのです。
分際とは、身の程のことです。
それは、自分の性質のことなのです。
人は、それぞれに異なる性質を以て生まれます。
人には、それぞれに異なる個性が与えられているのです。
そのため、分際はそれぞれに異なります。
あなたには、あなただけの分際が存在するのです。
分際を弁(わきま)えることがなければ、役割を果たすことは出来ません。
分際とは、役割そのものなのです。
残念ながら、分際を弁えない者が多いのです。
多くの人は、身の程を知りません。
それは、傲慢(ごうまん)や自己憐憫(じこれんびん)として現れます。
多くの人は、自分を過大(かだい)や過小(かしょう)に見積もっているのです。
どちらにしても、身の程を知りません。
身の程を知らないのは、愚(おろ)かなことです。
身の程を知らなければ、どのような解釈(かいしゃく)も間違ってしまうのです。
多くの人は、身の程を知りません。
そのため、大抵の解釈は間違っているのです。
それは、偏見(へんけん)や誤解という形で実現します。
偏見や誤解は問題を引き起こし、あなたは苦悩することになるのです。
残念ながら、あなたは身の程を知りません。
それは、苦悩しなければならないということなのです。
残念ながら、人生に苦悩を避けることは出来ません。
どのような人物も、苦悩しなければならないのです。
あなたは、身の程を弁えるまで苦悩し続けなければなりません。
苦悩は、身の程を弁えるために導かれるのです。
問題や苦悩は、決して悪いことではありません。
すべては、あなたが自らの役割を果たし、人生の目的を果たすためなのです。
どのような問題や苦悩も、それを悪く考えてはなりません。
あなたが身の程を弁えた時には、問題も苦悩も直ぐに去るのです。
あなたが身の程を弁えないから、問題や苦悩は存在し続けているのです。
問題を解決するためには、身の程を弁えるしか方法はありません。
問題の原因は、自分自身にあるのです。
問題の原因が誰かや何かにあると思い込み、誰かや何かを変えようと努めたとしても、問題が解決することはないのです。
誰かや何かを変えようとする程に問題は大きく成り、苦悩は強くなってしまうでしょう。
あなたは、問題や苦悩の原因を自分自身に探さなければなりません。
誰かや何かのせいにしても、答えは見付からないのです。
あなたが身の程を知らないから、問題や苦悩が生じているのです。
それ以外の理由はないのです。
あなたは、愚かに生きてはなりません。
傲慢にも、自己憐憫にも陥(おちい)らないように注意しましょう。
分相応(ぶんぞうおう)に生きるのです。
大きくもなく、小さくもなく生きましょう。

2021年1月26日火曜日

捉え方

すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟に生まれなければなりません。
すべての人は、未熟を生きています。
それは、避けられないことなのです。
すべての人が未熟に生まれるのは、人生に果たすべき目的が存在するからです。
果たすべき目的が存在するからこそ、未熟に生まれる必要があるのです。
完全に生まれることは不可能ですが、もしも完全に生まれたとすれば、人生においてあなたがやることは何も無いのです。
完全な者には、何もすることがないということを理解しなければなりません。
未熟だからこそ、やることがあるのです。
未熟でなければ、やることが無いということを知らなければなりません。
成長する程に、やるべきことや、やりたいことは少なくなります。
やるべきことや、やりたいことが多いということは、未熟で盛(さか)んだということです。
成熟すれば、やるべきことや、やりたいことは少なくなるのです。
やるべきことや、やりたいことが多いのであれば、成長する必要があるでしょう。
未熟者には、問題が導かれるのです。
未熟者は、やるべきことや、やりたいことに対して問題を引き起こしてしまいます。
未熟者は、やるべきことや、やりたいことを果たそうとして、不平不満を吐くのです。
多くの人は、様々なものに対して不平不満を吐きます。
それは、問題でないものを問題に変える選択なのです。
何を受けても、そこに学びを見出さなければなりません。
すべては、必要な学びなのです。
必要な学びと確信することが出来れば、どのような状況も学びと成るのです。
大切なのは、どのように捉(とら)えるのか?ということです。
捉え方によって、状況は大きく変わります。
決められた状況が導かれる訳ではありません。
あなたが自分勝手に状況を変えているのです。
状況は、あなたの内で決まるのです。
あなたは、状況を自分の好きなように変えることが出来ます。
どのような状況を生きるか?は、自分次第なのです。
あなたがどのように捉えるのか?ただそれだけなのです。
状況を問題と捉えるのであれば、苦しまなければならないでしょう。
苦しみたければそれで良いのです。
しかしながら、学びたければ、状況を機会と捉えなければなりません。
状況を問題として捉えるのであれば、あなたは苦しみます。
状況を機会として捉えるのであれば、あなたは学ぶのです。
人生は、とても単純な構造をしているのです。
あなたがどう捉えるのか?すべてはそこで決まるのです。
人生を決めているのは自分自身です。
誰かや何かによって決められている訳ではありません。
残念ながら、多くの人はそのことに気が付かないのです。
多くの人は、誰かや何かによって人生が決められていると思い込んでいます。
そのため、誰かや何かに対して不平不満や悲しみを向けるのです。
誰かや何かのせいにしても、問題は解決しません。
苦しんでいるのは、自分自身の捉え方だと理解し、問題は自分の内で解決しなければならないのです。
外に解決方法を探しても見付かりません。
誰かや何かを変えようとしても、変わらないのです。
残念ながら、誰かや何かを変えることは出来ません。
自分自身の捉え方を変えることしか出来ないのです。
目の前の状況を変えるためには、自分自身を変える以外には方法がありません。
あなたは、自分自身を確信してはなりません。
残念ながら、あなたは未熟なのです。
あなたの捉え方が間違っているから苦しんでいるのです。
誰かや何かが間違っているということはないのです。
あなたが苦しんでいるのであれば、あなたの捉え方が間違っているのです。
あなたは、苦しむように捉えているのです。
大切なのは、捉え方を変えることです。
どのような状況も機会と捉えなければ、あなたは苦しむことになるでしょう。
問題というものは、外には存在しません。
どのような問題も、内に存在するということを理解しなければ、問題は解決しないでしょう。
問題や苦しみは、あなたの捉え方が間違っていると教えているのです。
苦しみたくなければ、自分自身の捉え方を変えましょう。
ただ、それだけで問題や苦しみは解決するのです。

2021年1月25日月曜日

過ち

すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟に生まれなければなりません。
誰一人として、未熟を知らない人はいないのです。
すべての人が未熟であり、誰一人として、成熟を知りません。
すべての人が未熟なのです。
それは、目的を知らないということです。
あなたは、自分が何のために生まれたのか?分かりますか?
残念ながら、あなたには、自分が生まれた理由は分からないのです。
何のために生まれ、何のために生きているのか?を知らなければ、人生には空しさが実現してしまうでしょう。
多くの人は、人生を空しく生きています。
多くの人が、人生の目的を見失ったまま生きているのです。
人生の目的を知らなければ、人生は空しいということを理解しなければなりません。
あなたには、果たさなければならない目的があります。
見失うことは仕方のないことですが、いつまでも見失ったままではなりません。
あなたは、人生の目的を探さなければならないのです。
今すぐに、人生の目的を探しましょう。
人生の目的とは、あなたが生まれた理由です。
それは、人生を豊かなものにするためには、どうしても必要なものなのです。
理由を知れば、どのような状況にも喜ぶことが出来るのです。
しかしながら、理由を知らなければ、小さなことにも躓(つまず)くことになってしまうでしょう。
多くの人は、取るに足らないことに躓きます。
多くの人は、自らの過(あやま)ちに気が付かないのです。
多くの人は、自分の愚(おろ)かさを知らず、目の前の問題を誰かや何かのせいにするのです。
これは、あなたの人生です。
すべての選択権、決定権があなたにあるのです。
人生を決めているのは自分自身です。
あなたの人生を決めているのは、あなた自身なのです。
どうするも、どうなるも、すべてあなたの選択なのです。
誰かや何かによって現状が形成されたように見えるかも知れません。
しかしながら、その状況にまで辿り着いたのは、あなたの選択の結果なのです。
人生は、自己責任です。
すべては、自分自身の選択の結果なのです。
例えば、すべての人が病を経験します。
病は、生まれ持った性質や、生活習慣によって導かれます。
生活習慣が自分自身の選択ということを否定する人はいないでしょう。
しかしながら、生まれ持った性質は、自分自身の選択ではどうすることも出来ないと考えるのです。
人生が一度きりだと考える人には、理解することは出来ません。
なぜなら、生まれ持った性質というものは、人生を始める前に自分自身の選択が導いた結果だからです。
この世界には、偶然や“奇跡”といった因果関係の存在しないものは実現しません。
なぜなら、この世界には、因果の仕組みが存在しているからです。
すべての結果には、それに相応(ふさわ)しい
原因が存在するのです。
原因が存在しなければ、結果は存在しないのです。
生まれ持った性質であったとしても、自分自身の選択の結果であるということを理解しなければなりません。
それは、人生を始める前の、自分自身の選択なのです。
偶然や“奇跡”によって、現状が導かれた訳ではないのです。
あなたにとって相応しく、必要であり、最善であるために導かれたのです。
それは、あなたが成長を実現するためなのです。
すべての人は未熟に生まれます。
しかしながら、多くの人は、そのことに気が付きません。
そして、多くの人は、自らの過ちに気が付かないのです。
多くの人が、自らの愚かさを知らずに、目の前の状況を誰かや何かのせいにしているのです。
逆恨みはやめましょう。
どのような問題も、それを引き起こしたのは自分自身なのです。
そのように思えないのは、あなたが未熟であり、愚かであるからです。
すべては、自らの過ちなのです。
あなたは、自らの過ちによって成長の機会を得るのです。
そのため、自らの過ちや目の前の問題は、決して悪いことではありません。
すべては必要であり、最善なのです。
人生には、無駄なことや無意味なことはありません。
そのように思えても、信じてはなりません。
自分というものは、確信出来る程、上等なものではないのです。

2021年1月24日日曜日

避けることの出来ない問題

人は、それぞれの目的を以(もっ)て生まれます。
人は、それぞれの目的を果たさなければなりません。
すべての人が、人生に対して果たすべき目的を以て生まれます。
人生に対して、無意味に生まれることの出来る人はいません。
どのような人物の、どのような人生にも、果たすべき目的が存在するということを忘れてはなりません。
あなたの人生には、あなたに相応(ふさわ)しい人生の目的が与えられています。
あなたは、人生の目的を果たすに相応しいのです。
人生の目的は、あなたに相応しいということを理解しなければなりません。
あなたにとって、無理な人生の目的など存在しないのです。
あなたに相応しい人生の目的は、あなたが果たすことの出来るものなのです。
あなたに果たすことの出来ない人生の目的は存在しません。
あなたは、自らの人生の目的を果たすことが出来るのです。
果たすことが出来る目的ならば、果たさなければなりません。
あなたは、人生の目的を果たすために生きましょう。
大切なのは、自分の人生の目的は、自分自身で果たさなければならないということです。
残念ながら、誰かがあなたの代わりに人生の目的を果たしてくれるということはありません。
誰も、あなたに代わって人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたは、自分自身で人生の目的を果たさなければならないということを覚えておきましょう。
これは、あなたの人生です。
他の誰のものでもありません。
あなたが生きなければなりません。
あなたが果たさなければ、誰も果たすことが出来ないのです。
人生の目的を放置してはなりません。
それは、放置して良いものではないのです。
なぜなら、あなたは、人生の目的を果たすために生まれたからです。
人生の目的を果たすことが、人生に生まれた理由なのです。
人生の目的を果たすためには、必要を受けなければなりません。
必要を受けなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたには、受けなければならない必要があります。
それは、課題という形で導かれるのです。
課題とは、解決しなければならない問題です。
人生には、様々な問題が導かれるのです。
問題を避けることは出来ません。
なぜなら、問題こそが必要だからです。
多くの人は、問題を避けようと努めています。
わざわざ問題を引き起こす必要はありませんが、どのように立ち回っても、問題は起こるのです。
問題を避けても、問題は生じるのです。
それが、人生なのです。
問題の存在しない人生は存在しません。
問題の存在しない人生など、生きる意味がないのです。
問題が存在しなければ、何も学ぶことが出来ません。
問題が存在しなければ、退屈(たいくつ)によって苦しむことになってしまうのです。
それもまた、問題なのです。
問題を避けることは出来ません。
避けることが出来ないのであれば、避ける必要はないのです。
あなたは、問題を受けましょう。
それが、あなたにとっての必要なのです。
これは、あなたが受けなければならない問題なのです。
それを誰かに代わってもらうことは出来ません。
誰かの問題を代わってやることも出来ないのです。
人は、それぞれの必要を受け、必要を学ばなければなりません。
人生における課題(問題)は、あなたに相応しい学びです。
人生には、あなたに相応しい学び以外が導かれることはないのです。
人は、それぞれの目的を以て生まれます。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
そのために、必要な課題(問題)を受けなければなりません。
人生に問題が存在することは、決して悪いことではありません。
寧(むし)ろ、良いことだと理解しなければなりません。
問題のおかげて、あなたは成長を実現し、人生の目的を果たすことが出来るのです。
問題が存在しなければ、あなたは満足や幸福を得ることは出来ないのです。
問題は受けなければなりません。
問題が必要によって導かれているということを忘れてはなりません。

2021年1月23日土曜日

好奇心

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人が、人生に果たすべき目的を以て生まれるのです。
この世界に無意味に生まれることは出来ません。
無駄な人生を体験している者はいないのです。
すべての人が、意味のある人生を生きているのです。
大切なのは、どのような人生にも果たすべき目的があるということです。
無意味な人生など存在しません。
無駄に生まれ、生きることが出来る人など存在しないのです。
生まれたからには、果たすべき目的があるということを覚えておきましょう。
残念ながら、多くの人は、人生に目的が存在するということを忘れています。
多くの人は、人生に目的を見失い、空しく生きているのです。
人生に目的を見出すことが出来なければ、空しく生きているということなのです。
目の前の快楽や欲望を追い求めることは、人生の目的を果たす生き方ではありません。
目の前の責任を追い求めることも、人生の目的を果たす生き方ではないのです。
あなたが、人生の目的を果たすためには、好奇心に従(したが)って生きなければなりません。
あなたは、魂が喜ぶように生きなければならないのです。
目の前の快楽や欲望や責任を貪(むさぼ)ったとしても、魂は喜びません。
そのようなことで喜ぶ魂は存在しないのです。
魂が喜ぶのは、あなたが人生の目的を果たすために生きることです。
魂は、人生の目的を喜ぶのです。
目の前の快楽や欲望や責任が人生の目的であるはずがありません。
残念ながら、あなたには、人生の目的を理解することが出来ないのです。
それは、あなたが自我や我欲を生きているからです。
自我や我欲とは、表面的な意識の領域(りょういき)です。
残念ながら、そのような意識では、人生の目的を理解することは出来ないのです。
人生の目的を理解するためには、もっと深い領域の意識を使わなければならないのです。
非我(ひが)や奉仕(ほうし)の領域の意識でなければ、人生の目的を理解することは出来ないのです。
損得勘定を抜きにしなければ、人生の目的を理解することは出来ません。
純粋(じゅんすい)な好奇心に従って生きていなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたは、好奇心に従って生きなければなりません。
純粋な子どものように、損得勘定を無視して生きる必要があるのです。
好奇心には、損得勘定はありません。
そこには、楽しみがあるだけなのです。
あなたが人生を楽しむことが出来るようになった時に、人生の目的が見出せるのです。
人生を楽しむことが出来ない限りは、人生の目的を見出すことは出来ないのです。
あなたは、純粋に人生を楽しみましょう。
目の前の問題や苦しみも楽しむのです。
好奇心があれば、目の前の問題や苦しみも楽しむことが出来るでしょう。
好奇心を失ってしまえば、目の前の問題や苦しみに陥(おちい)ってしまうでしょう。
あなたは、子どものように純粋に生きなければなりません。
どのような状況も楽しむべきなのです。
目の前の問題や苦しみは、あなたにとって不利なものではありません。
あなたにとって不利なことが導かれるはずがないのです。
あなたには、その意味や価値が分からないだけです。
意味や価値が分からないから、不利に思ってしまうのです。
あなたは知らないのです。
知らないから、損なっているのです。
好奇心がなければ、知ることは出来ません。
義務感では、知ることは出来ないということを理解しなければなりません。
楽しまなければ知ることは出来ないのです。
知らなければならないことはたくさんあります。
知らなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
自我や我欲に陥ってはなりません。
非我や奉仕を生きるべきなのです。
好奇心を以て、純粋な子どものように楽しく生きましょう。
あなたは、人生を楽しまなければなりません。
難しく生きてはなりません。
好奇心を以て、単純に純粋に生きるのです。

2021年1月22日金曜日

泥水

この世には、因果の仕組みが存在しています。
すべては、因果の仕組みに従って実現します。
因果の仕組みとは、すべての結果には、それに相応(ふさわ)しい原因が存在するというものです。
この世には、因果を離れて存在するものはありません。
どのようなものも、因果の仕組みの中に存在します。
どのような人物も、因果の仕組みを無視することは出来ません。
どのような方法を用いても、因果の仕組みを避けることは出来ないのです。
この世では、当然の結果だけが導かれます。
原因が存在すれば、それは必ず結果を実現してしまうのです。
原因に相応しい結果を避けることは出来ません。
原因に相応しい結果は、どのような理由があろうとも実現するのです。
残念ながら、それを避ける方法はありません。
相応しい結果は、受け取らなければならないのです。
因果は必ず巡ります。
あなたは、因果の実りを得るのです。
人生における原因とは、自分自身です。
あなたは、自分自身を人生に経験するのです。
人生に導かれるすべての状況は、自分自身を現したものです。
どのような状況であれ、それは自分自身なのです。
あなたは、目の前の状況から自分自身を改める機会を得るのです。
それは、人生の目的なのです。
あなたは、成長するために生まれるのです。
成長を実現するためには、自分自身の現状を知らなければなりません。
現状を知らなければ、どこをどのように改めれば良いか?分からないからです。
あなたは、目の前の状況を通じて自分自身を知ることが出来るでしょう。
目の前の状況がどのようなものであったとしても、そこには大切な意味や価値があるということを理解する必要があります。
そして、それは、あなたに相応しいのです。
認めたくはないかも知れません。
なぜなら、それは、必ずしも都合の良いものではないからです。
目の前に導かれる状況は、自分自身にとって都合の悪いことが大半です。
それは、因果応報(いんがおうほう)なのです。
人生は、都合良くはいきません。
思い通りに生きることなど出来ないのです。
思い通りに生きようとしても、状況がそれを許(ゆる)さないのです。
それは、思い通りに生きることには価値がないからです。
思い通りに生きることでは、自分自身を改め、成長を実現することは出来ないからです。
成長を実現することが出来なければ意味がないのです。
成長を実現するためには、都合の悪い現実を受け取らなければなりません。
あなたは、因果を受けなければならないのです。
あなたは未熟に生まれます。
あなたは汚れ、歪(ゆが)んでいるのです。
それが自然であり、真実なのです。
しかしながら、多くの人は、自分自身を美化し、正当化します。
多くの人は、自分が汚れ、歪んでいることを見失ってしまうのです。
それは、大きな問題なのです。
なぜなら、自分が汚れ、歪んでいることを知らなければ、泥水を飲んでいることと同じだからです。
あなたは、綺麗な水を飲まなければなりません。
泥水を飲んでいると、病気などの問題を引き起こしてしまうからです。
自分自身を美化し、正当化している人は、人生において様々な問題や苦しみを抱えなければなりません。
その水(自分自身)が汚れている程、苦しまなければならないのです。
因果の仕組みは、あなたを浄化するための理(ことわり)です。
人生が都合良くいかないのは、その水(自分自身)を浄化しているからです。
綺麗な水を飲むためには、手間と時間が掛かるものなのです。
あなたは喉(のど)が渇いているため、すぐにでもその水を飲みたいと欲します。
多くの人は、泥水であっても我慢することが出来ずに飲んでいるのです。
それは、口には甘いかも知れませんが、腹には苦いのです。
口に甘くても、腹に苦ければ価値は無いのです。
大切なのは、腹に甘いことです。
表面的な部分で判断してはなりません。
良薬(りょうやく)は口に苦いのです。
本質を見極めなければなりません。
人生が都合良く展開している時には注意を払いましょう。
それは、汚れや歪みを増している可能性が高いからです。
浄化が行われている時には、苦しいものなのです。
あなたは、因果の仕組みによって苦しみます。
人生は、苦しいことが正しいのです。
因果応報が実現していることを忘れてはなりません。
人生を、誰かや何かのせいにしてはなりません。
苦しいのは、自分自身のせいなのです。
泥水を飲んで苦しむよりも、浄化を待つ苦しみを選びましょう。
欲望に従って生きてはなりません。
あなたには、果たすべき人生の目的が存在するのです。

2021年1月21日木曜日

真を組み立てる

すべての人は、幸福を追い求めています。
すべての人は、幸福になりたいのです。
それは、人生に目的が存在するからです。
人生の目的を果たす時には、誰もが満たされます。
すべての人は、満たされようとしているのです。
すべての人は、満たされるためには幸福を得る必要があると考えるのです。
幸福によって満たされると信じているのです。
そのため、すべての人が幸福を追い求めるのです。
すべての人が、幸福を得ることで満たされると信じています。
そのため、幸福を追い求めるのです。
人は、それぞれの幸福を追い求めています。
幸福の形は、人それぞれに異なるのです。
同じ幸福の形を追い求めてはいないのです。
あなたが追い求めているのは、自分の幸福です。
自分を満たすことが、あなたにとっての幸福なのです。
そのため、すべての人が、自分を満たすことを探し続けているのです。
自分を満たすことが幸福であり、最善であると思い込んでいるのです。
しかしながら、自分を満たすことが幸福であり、最善であるとは限りません。
幸福や最善とは、人生の目的を果たすための必要であり、あなたに都合の良いものやことではないのです。
人生においての幸福や最善は、あなたの都合で測れるものではありません。
なぜなら、あなたは、果たすべき人生の目的を知らないからです。
人生の目的を知れば、幸福や最善の形が、思い描いたものとは異なるということを理解することが出来るのです。
大切なのは、真(まこと)の幸福や最善の形を知ることです。
真の幸福や最善でなければ、あなたが満たされることはないのです。
残念ながら、真というものは、あなたの思い描くものとは異なります。
それは、真があなたの都合とは関係のないものだからです。
真の幸福や最善は、あなたの都合とは関係ありません。
あなたにとって都合の悪いことであったとしても、あなたにとっての真であるのです。
あなたは、人生の目的を知りません。
あなたは、人生が何か?分かりますか?
あなたは、何のために生まれたのですか?
残念ながら、真を答えることの出来る人はいないでしょう。
あなたは、人生の目的を知りません。
人生の目的を知らないということは、その過程も知らないということなのです。
あなたは、自分のとっての真の幸福や最善を知らないのです。
自分の都合を追い求めても、真の幸福や最善を得ることは出来ません。
真の幸福や最善は、あなたの都合に関係ないのです。
都合の悪いことが、不幸や最悪だと思い込んではなりません。
残念ながら、あなたには、判断することが出来ないのです。
都合の悪いと思えることに対して、安易(あんい)に否定してはなりません。
あなたにとっての幸福や最善がどのようなものか?あなたには分からないのです。
あなたが否定したその状況が、あなたにとっての幸福や最善であるかも知れないのです。
幸福や最善を否定するのであれば、不幸や最悪を得なければなりません。
人生には、幸福や最善が導かれます。
それが、どのような状況であれ、あなたにとっての幸福や最善の材料なのです。
材料の状態では、それを幸福や最善だとは思えないかも知れません。
しかしながら、材料を適切に処理すれば、それが幸福や最善だと気が付くのです。
組み立て方で、完成には大きな違いが生まれます。
どのように上等な材料も、組み立て方次第では、粗悪なものが出来上がってしまうのです。
大切なのは、どのように組み立てるのか?ということです。
あなたは、目の前の状況を適切に処理しましょう。
それが、真の幸福や最善と成るように組み立てる必要があるのです。
人生は、あなた次第です。
あなたがどのように組み立てるか?ということで決まるのです。
初めから、幸福や最善として完成しているものが導かれることはないでしょう。
もしも、そのように見えるのであれば、注意する必要があるのです。
都合の良いことは、必ずしも幸福や最善であるとは限りません。
都合が良いと思える状況も、それを真の形に組み立てなければなりません。
都合が良いと思い、そのままにしておくと、後の問題や苦しみの原因と成ってしまうのです。
あなたは、未熟に生まれます。
あなたは、真を見極めることが出来ません。
自分の都合を基準に考えてはなりません。
真は、あなたには理解することが出来ないのです。
どのような状況も、都合に関係なく、感謝の気持ちで受け取りましょう。
感謝の気持ちは、偏見(へんけん)を取り除きます。
感謝の気持ちを抱いている時には、真を見極めることが出来るのです。
あなたは、都合に関係なく、感謝の気持ちで向き合いましょう。
感謝の気持ちで向き合えば、真を組み立てることが出来るでしょう。

2021年1月20日水曜日

正しいこと

すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟に生まれなければなりません。
誰一人として、未熟を離れることは出来ません。
すべての人が、未熟を生きなければならないのです。
あなたは、未熟に生まれます。
そして、未熟を生きています。
あなたが、自分自身をどのように評価(ひょうか)しようとも、未熟であることに変わりありません。
人は、どれだけ成長しようとも未熟なのです。
あなたは、そのことを覚えておきましょう。
人は、未熟であるために間違いを犯します。
それは、無知であるからです。
すべての人は知りません。
すべての人は、この世の理(ことわり)を知らないのです。
理とは、正しい道のことです。
理に従って生きることによって、正しく生きることが出来るのです。
理に反すれば、正しく生きることは出来ません。
あなたは、正しく生きなければなりません。
なぜなら、あなたには、果たすべき目的があるからです。
人生は、果たすべき目的を果たすことが正しい生き方なのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことが、人生に生まれた理由なのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすためには、正しく生きなければならないのです。
正しく生きるためには、正しいことを選択し、正しいことを実行しなければなりません。
正しいこととは、思いやりのある行為のことです。
思いやりを見失うことがなければ、正しい道を見失うこともありません。
思いやりを実行すれば、正しい道を進むことが出来るのです。
どのような立場であったとしても、思いやりを実行しましょう。
思いやりを実行する以上に崇高(すうこう)なことはありません。
思いやりを実行することは、何よりも尊(とうと)いことなのです。
しかしながら、それは、難しいことでもあるのです。
なぜなら、正しいからです。
この世界においては、正しいことを行うのは難しいのです。
思いやりを以(もっ)て生きることは、難しいことなのです。
なぜなら、この世界は偏見(へんけん)と誤解に満ちているからです。
すべての人が未熟です。
人は、未熟さ故(ゆえ)に、偏見と誤解を抱えます。
多くの人は、偏見と誤解を抱えていることも知りません。
多くの人は、それが偏見と誤解であることを知らないのです。
偏見と誤解を信仰(しんこう)している人も多いのです。
偏見と誤解は、思いやりに欠ける行為です。
思いやりに欠けるから、偏見と誤解に至るのです。
思いやりを以て生きていれば、偏見と誤解を解消することが出来るのです。
あなたは、思いやりを実行しなければなりません。
どのような状況においても、思いやりを見失ってはならないのです。
損得勘定で生きてはなりません。
正しいことを実行するのに、損得の勘定は必要ないのです。
思いやりは、損得勘定を超える行為なのです。
思いやりを実行するのが難しいのは、そのような理由からです。
多くの人は、未熟であるが故に、損得を勘定します。
本来ならば、損得を勘定する必要はありません。
なぜなら、この世界には、必要と最善以外は実現しないからです。
思いやりに欠ける未熟な行為や、その結果もたらされる苦しみも、それが間違いであることに気が付くための必要です。
人生は、あなたに正しい道を進んでもらおうとしているのです。
人生は、あなたが思いやりを実行することを願っているのです。
あなたは、思いやりを実行しましょう。
正しいことを実行しなければならないのです。
しかしながら、それは難しい選択です。
偏見や誤解の中で、思いやりを実行するのは難しいことなのです。
あなたは、損得勘定に陥(おちい)ってはなりません。
損得を勘定しているのであれば、正しい道を進むことは出来ないのです。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生の目的を果たすためには、思いやりを生きなければならないということを理解しなければなりません。

2021年1月19日火曜日

儚い幸せ

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
無意味な人生は存在しません。
無価値な人生は存在しないのです。
すべてが意味や価値のある人生ということを理解しましょう。
目的があることによって、意味や価値が生じるのです。
あなたの人生には、果たすべき目的が存在しています。
それは、あなたの人生には意味や価値が存在するということなのです。
残念ながら、多くの人は、人生に目的が存在することを知りません。
多くの人は、人生に果たすべき目的が存在することを知らずに生きているのです。
人生の目的を果たすためには、目的地へと辿り着く必要があります。
目的地へと辿り着くことによって、人生の目的を果たすことが出来るのです。
目的地へと辿り着くためには、歩まなければなりません。
先へと進まなければ、目的地へと辿り着くことは出来ないのです。
大切なのは、先へと進むことです。
先へ進むためには、執着(しゅうちゃく)を手放さなければなりません。
執着を手放さなければ、先へと進むことも、目的地へと辿り着くことも出来ないのです。
あなたは、執着を手放しましょう。
多くの人は、現状に執着します。
多くの人は、現状を心地好く思うのです。
それが、どのような現状であれ、それに慣(な)れてしまうのです。
慣れると、どのような現状にも居心地が良くなってしまうでしょう。
多くの人は、現状を幸せだと思っているのです。
多くの人は、現状の幸せに執着します。
現状に幸せを感じることは良いことです。
しかしながら、それに執着してしまえば、問題が生じてしまうのです。
幸せは儚(はかな)いものです。
それは、硝子細工(がらすざいく)のように簡単に壊れてしまうものなのです。
幸せというものは、何かの拍子で簡単に壊れてしまうのです。
儚い幸せに執着するものではありません。
それは、あなたの支えるには不十分なのです。
硝子の板の上には、長くは立っていられません。
それは、少しの衝撃で簡単に壊れてしまうからです。
あなたの執着している幸せとは、硝子細工のようなものだと理解しましょう。
大切に扱ったとしても、思い掛けずに壊れてしまうものなのです。
あなたは、どのような幸せも儚いということを覚えておきましょう。
執着しても、壊れてしまえば失ってしまうのです。
形あるものはすべて壊れます。
永遠に続く幸せというものは存在しないのです。
どのような幸せも、簡単に壊れてしまいます。
簡単に壊れるものに執着してはなりません。
”軽い”気持ちで向き合わなければなりません。
幸せは、簡単に壊れるものと理解しましょう。
それは、より良い幸せの形を得るためです。
すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟から初めなければならないのです。
成長を実現するためには、現状を手放す必要があります。
現状に執着しているのであれば、それ以上に成長することは出来ないのです。
成長を実現するためには、現状に対する執着を手放さなければならないのです。
どのような現状も、手放さなければなりません。
あなたは、どのような現状も抱え続けることは出来ないのです。
現状は、必ず形を変えます。
壊れない幸せというものは存在しないのです。
すべての幸せは壊れるのです。
壊れるものに執着しても空しいということを理解しましょう。
どのような幸せにも執着してはなりません。
その幸せは決して続きません。
より良い幸せがあなたを待っています。
現状の幸せを手放さなければ、より良い幸せを手に入れることは出来ないのです。
現状を手放すことは容易(ようい)ではありません。
しかしながら、あなたは現状を手放しましょう。
儚い幸せに執着してはなりません。

2021年1月18日月曜日

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことが、あなたが生まれた理由です。
あなたには、果たさなければならない目的が存在するのです。
人生の目的を無視して生きるのは空しいのです。
残念ながら、多くの人が人生の目的を知りません。
多くの人が、自分が何のために生まれたのか?を知らないのです。
多くの人は、自分が何のために生きているのか?を知りません。
健康で長生きをして、楽しく生きるというようなことは、残念ながら、人生の目的ではありません。
あなたが思い付くようなものは、人生の目的ではないのです。
人生の目的が、あなたが思い付くような簡単なものであるはずがないのです。
残念ながら、あなたには人生の目的を理解することは出来ないのです。
人生の目的は、あなたが考えるものとは異なります。
人生の目的は、あなたが考えるよりも本質的なものなのです。
あなたには、そこまでを理解する力は与えられてはいないのです。
残念ながら、あなたは、人生の目的を知らずに生きなければなりません。
しかしながら、人生の目的は探さなければならないのです。
多くの人は、人生の目的を探しません。
多くの人は、目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)ることに逆上(のぼ)せているのです。
多くの人は、目の前の快楽や欲望を貪ることで幸福が得られると信じています。
しかしながら、目の前の快楽や欲望を貪ったところで、得られるのは苦悩と空しさだけです。
偽りの幸福を一時的には得られますが、あくまでもそれは偽りの幸福であるために、すぐに苦悩や空しさに変わってしまうのです。
それでも、多くの人は、目の前の快楽や欲望が幸福を導くと信じています。
そのため、更なる快楽や欲望を貪ることで、目の前の苦悩や空しさを埋めようとするのです。
そのようなやり方を続けても、苦悩と空しさが積み重なるだけです。
あなたが、真(まこと)の幸福を手に入れるためには、目の前の快楽や欲望を貪るような生き方を手放さなければなりません。
目の前の快楽や欲望を貪るという罠から抜け出さなければならないのです。
人生の目的が、そのように低俗であるはずがないのです。
人生の目的は、あなたが考えるよりもずっと高尚(こうしょう)なものなのです。
目の前の快楽や欲望を貪るというような低俗な目的を、人生の真の目的だと思い込んではなりません。
あなたは、詰(つ)まらないことのために生まれたのではありません。
あなたには、果たさなければならない高尚な目的があるのです。
人生の真の目的を探さなければなりません。
あなたの頭や心には、人生の真の目的を理解する力がありません。
頭や心に従(したが)っているうちは、人生の目的を果たすことは出来ないでしょう。
大切なのは、頭や心の提案(ていあん)する快楽や欲望を貪らないことです。
貪ってしまえば、人生の目的からは遠ざかってしまうのです。
大切なのは、貪らないことです。
あなたは、受け取るよりも与えなければならないのです。
人生の目的を果たすためには、貢献(こうけん)する必要があります。
あなたは、自分のために生まれたのではありません。
人生の目的を果たすためには、貢献する必要があるのです。
誰かや何かの役に立つことが、人生の目的を果たすための道です。
貢献することがなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
利己的に生きたとしても、人生の目的を果たすことは出来ません。
誰かや何かのために生きることが、自分のために成るのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
因果の仕組みとは、すべての結果には、それに相応(ふさわ)しい原因が存在するというものです。
利己的に生きるという原因は、苦悩や空しさという結果を導くのです。
利他的に生きるという原因こそが、満足や豊かさという結果を導くのです。
自分のために生きれば他者のために成り、他者のために生きれば自分のために成るのです。
そのような理(ことわり)が、この世界には存在するのです。
因果は必ず巡ります。
自分で蒔(ま)いた種は、自分で刈(か)り取らなければなりません。
原因は、必ず結果として実現します。
因果を避けることは出来ません。
どのような方法を用いても、理に逆らうことは出来ないのです。
利己的に生きる者は、必ず苦悩や空しさを得ます。
あなたは、苦悩や空しさを得るために生まれたのではありません。
あなたは、満足や豊かさを得るために生まれたのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
誰かや何かのために生きましょう。
そうすれば、人生の目的を果たすことが出来るでしょう。
道を間違えてはなりません。

2021年1月17日日曜日

すべての人は、人生に目的を以て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生には果たすべき目的が存在しています。
目的の存在しない人生というものは有り得ないのです。
意味のないことは実現しないのです。
実現していることは、それがどのようなものであれ、意味のあることだと理解しなければなりません。
すべてには、大切な意味と価値があるのです。
目的のない人生は存在しません。
意味のない状況も存在しないのです。
それが、どのような状況や人生であったとしても、大切な意味と価値が存在するということを知らなければなりません。
意味と価値を見失ってしまうと、そこに苦しみが導かれてしまいます。
そして、苦しみはやがて空しさへと変わってしまうのです。
多くの人は、目の前の状況や人生に対する意味や価値を見失っています。
そのため、多くの人が苦しんでいるのです。
大切なのは、目の前の状況や人生に対して、意味や価値を見出すことです。
人生から苦しみを取り除くためには、目の前の状況や人生に対して、意味や価値を見出す必要があるのです。
それ以外の方法では、人生から苦しみを取り除くことは出来ないのです。
特別な場所や方法など必要ではありません。
意味や価値を見出せば良いだけなのです。
残念ながら、多くの人にとって、それは難しいことなのです。
多くの人は、目の前の状況や人生に対して、意味や価値を見出すことを嫌います。
多くの人は、目の前の状況や人生の意味や価値を考えたくないのです。
残念ながら、多くの人は思考が停止しています。
多くの人は、頑(かたく)ななのです。
一度でも苦しいと思ってしまうと、それはずっと苦しいことなのです。
あなたは、一つの価値観に執着(しゅうちゃく)してはなりません。
視点は、一つではありません。
あなたは、様々な角度から見ることが出来るのです。 
苦しみという視点に固執(こしゅう)してはなりません。
人生は、大きな視野で眺めなければならないのです。
目の前の状況がすべてではありません。
目の前の状況は、全体の一部に過ぎません。
多くの人は、全体の一部を見て、判断しているのです。
全体の一部を見て下した判断が正しいでしょうか?
残念ながら、全体の一部を見て下した判断は間違っているのです。
あなたの判断は、間違っています。
あなたの抱えてる苦しみや空しさは、誤解なのです。
全体を見るまでは、正しい判断を下すことは出来ません。
人生は、最後までどうなるか分かりません。
過去や現状を見て、判断してはならないのです。
残念ながら、あなたは正しい判断を下すことが出来ません。
それは、全体を見ることが出来ないからです。
あなたは、正しい判断を下すことが出来ません。
あなたは、必ず間違えるのです。
間違えるのが自然なのです。
人生は苦しいものです。
そして、空しいものなのです。
しかしながら、苦しみを苦しんではなりません。
空しさを空しく思ってはならないのです。
苦しく思うことや、空しく思うことを客観(きゃかん)しましょう。
そこに入り込んではなりません。
誤解を信じてはなりません。
誤解を現実と思い込んではならないのです。
人生は、最後までどうなるか分かりません。
全体を見ずに判断を下すのは早いのです。
あなたは、判断を焦(あせ)らずに、苦しみや空しさを楽しみましょう。
苦しく思うことや、空しく思うことは間違ってはいません。
それを結論とすることが間違っているのです。
苦しみや空しさも、一つの趣(おもむき)です。
苦しみや空しさは、人生における味わいなのです。
苦しみや空しさがなければ、人生は味気(あじけ)ないのです。
苦しみや空しさは、人生を彩(いろど)る演出であると理解しましょう。
あなたは、苦しみや空しさを楽しみましょう。

2021年1月16日土曜日

真剣に打ち込めること

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことこそが、人生に生まれた理由なのです。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
そして、人生の目的を果たすために生きているのです。
人生は、目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)るような時間ではないし、場所でもないのです。
あなたには、果たすべき人生の目的が与えられているのです。
目的もなく生まれることは出来ません。
あなたには、果たすべき人生の目的が存在するのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
しかしながら、闇雲(やみくも)に生きているだけでは、人生の目的を果たすことは出来ません。
あなたは、人生の目的を果たさなければならないのです。
そのためには、人生の目的を見出さなければなりません。
しかしながら、人生の目的を見出し、それを果たすことは容易(ようい)ではないのです。
なぜなら、人生の目的を果たすためには、真剣に打ち込めることを探さなければならないからです。
真剣に打ち込めることが、人生の目的を果たすための必要なのです。
あなたは、真剣に打ち込めることを探しましょう。
どのようなことでも構わないのです。
何かに対して真剣に打ち込まなければならないのです。
真剣に打ち込めることというのは、損得勘定(そんとくかんじょう)に縛られないものです。
損得勘定を持ち出している時には、真剣に打ち込むことは出来ません。
損得を気にしているのであれば、報酬(ほうしゅう)を動機としてしまうのです。
報酬を動機としてしまうと、真剣に打ち込むことが出来ません。
何を得ることが出来るか?
何を損うことになるのか?
ということばかりを気にしていてはならないのです。
結果を求めることは、真剣に打ち込むための理由であるように思えます。
しかしながら、損得勘定を持ち込んだ時点で、不純であるということを理解しなければなりません。
不純な者が、何かに対して真剣に向き合えるはずがないのです。
あなたは、損得勘定に左右されてはなりません。
結果(損得)を追い求める人は、いずれ欲に溺(おぼ)れてしまいます。
それは、純粋な動機を見失い、真剣に打ち込むことを忘れさせてしまうのです。
損得勘定を持ち込む人は、理想の結果を得るために画策(かくさく)するようになります。
大抵の場合、それは利己的な選択なのです。
真剣に向き合うためには、純粋な動機が必要です。
純粋な動機とは、探究心のことです。
本質的な知識を追い求め、意識や技術を磨こうとする純粋な気持ちが必要なのです。
あなたは、何のために生まれたのですか?
人生とは、何でしょうか?
その答えを得るためには、真剣に向き合わなければなりません。 
真剣に向き合っている者には生まれた理由を教えましょう。
しかしながら、不純な者には生まれた理由を隠さなければなりません。
それは、心が曇っているからです。
心が曇っているのであれば、それ以上に見せることは出来ないのです。
心が曇っている者は、人生を空しく生きることになるでしょう。
真剣に打ち込めることがなければ、人生の目的を果たすことが出来ません。
あなたは、何かに対して真剣に打ち込みましょう。
辛抱強く探求するのです。
何事も、簡単に諦めてはなりません。
人生には、真剣に打ち込む価値のあることがあります。
あなたには、生涯を通じて打ち込めることがあるのです。
それを探しましょう。
純粋に生きなければなりません。
損得勘定に捕らわれずに、探究心に従って生きましょう。
あなたの内に存在する幼心が、あなたが真剣に打ち込めることを教えるでしょう。
幼い子どものように、純粋に、真剣に生きましょう。
そうすれば、生涯を通じて真剣に打ち込めることに出会えるのです。

2021年1月15日金曜日

尊い現状

すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟を生きなければなりません。
それは、人生に目的を以(もっ)て生まれるからです。
どのような人生にも、果たすべき目的が存在するのです。
目的のない人生は存在しません。
どのような人物のどのような人生にも、果たすべき目的が存在するということを理解しましょう。
目的を果たすためには、未熟でなければなりません。
未熟でなければ、目的を定めることが出来ないのです。
未熟であるからこそ、目的を定めることが出来るのです。
あなたが完全であれば、目的など必要ありません。
目的とは、果たすべきことですが、完全であれば果たすべきことなどないのです。
未熟であるからこそ、果たすべきことがあります。
未熟でなければ、目的を定めることが出来ないのです。
そのため、すべての人が未熟に生まれます。
多くの人は、自らの未熟さを嘆(なげ)きます。
しかしながら、未熟であるのは仕方のないことなのです。
あなたは、未熟であるのが自然です。
あなたは、未熟でなければおかしいのです。
未熟であることは、悪いことではありません。
あなたは、未熟に生まれ、未熟を生きなければならないのです。
未熟であることが自然です。
すべての人は、未熟なのです。
未熟であれば間違えます。
それは、無知であるからです。
無知は、偏見(へんけん)を生じさせます。
そして、偏見は誤解を生むのです。
すべての人が、誤解を抱えています。
それは、自分自身に対して、人生に対して、目の前の状況に対して、その本質を見極めることが出来ないということなのです。
すべての人が、自分を知りません。
あなたは、自分が何か?分かりますか?
すべての人が、人生を知りません。
あなたは、人生が何か?分かりますか?
すべての人が、目の前の状況が何か?を知りません。
あなたは、目の前の状況の意図(いと)が分かるでしょうか?
残念ながら、あなたは何も知らないのです。
あなたには、自分が何か?ということも、人生の目的も、目の前の状況の価値も分からないのです。
そのため、すべての人が、自分や人生や状況に対して不平不満を吐くのです。
この世界には、意味の無いことや価値の無いことは存在しません。
すべてに意味があり、価値があるのです。
あなたは、そのことを知らなければなりません。
現状がどのようなものであったとしても、そこには大切な意味があり、価値があるのです。
残念ながら、未熟であるあなたには理解することが出来ないだけなのです。
理解することが出来ないからといって、意味や価値がないということにはならないのです。
あなたには理解することが出来なくても、そこには大切な意味や価値が存在するということを知らなければなりません。
人生には、無駄はありません。
すべてが必要であり、最善であるのです。
目の前の状況は、今にしか体験することが出来ないものです。
あなたは、目の前の状況に不平不満を抱いているかも知れませんが、後には、その状況がそれでも尊(とうと)かったと思うことでしょう。
どのような体験も尊いのです。
不平不満を抱いているようでは、その尊さには気が付くことが出来ないでしょう。
大抵の場合、失ってから、その尊さに気が付くのです。
しかしながら、その時には遅いのです。
失ってから、その価値に気が付いても遅いのです。
失った後では、二度と取り戻すことは出来ないのです。
それは、今にしか体験することが出来ないものです。
それが、どのような体験であっても、二度と体験することは出来ないのです。
あなたは、現状を大切にしなければなりません。
失ったものを取り戻すことは出来ないのです。
今、それを大切にしていなければ、大切にしたいと願う時には、既(すで)に失っているのです。
都合の良いことだけを大切にしてはなりません。
意味や価値は、都合の悪いことにも同じように含(ふく)まれているのです。
都合に関係なく、目の前の状況を大切にすることが求められるでしょう。
あなたは、現状を大切にしなければなりません。
失う前に、その意味や価値に気が付かなければなりません。
気付くためには、探さなければなりません。
探さなければ、気が付かないのです。
あなたは、どのような現状にも、意味や価値を探しましょう。
どのような現状も尊いということを知らなければなりません。
現状に感謝し、今を大切に生きましょう。

2021年1月14日木曜日

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生には果たさなければならない目的が存在するのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的は、人それぞれに異なります。
誰一人として、同じ目的を果たすために生まれることはないのです。
あなたは、あなたの人生の目的を果たすために生まれます。
あなたは、自分の人生の目的を果たさなければなりません。
大切なのは、自分の人生を生きることです。
自分の人生とは、人生の目的のことです。
因果の仕組みの存在するこの世界において、人生を始めるためには、それに相応(ふさわ)しい目的を必要とします。
目的がなければ、人生を始めることは出来ないのです。
どのような人生にも、それに相応しい目的が存在しています。
人生を始める前から、あなたが果たすべき目的は決まっているのです。
あなたは、無計画に人生を始めた訳ではありません。
無計画には、人生を始めることは出来ないのです。
あなたには、果たすべき目的が存在しています。
あなたは、それを果たすために生まれたのです。
人生の目的を果たすことが、人生を生きている理由なのです。
あなたは、自分の人生を生きなければなりません。
自分の進むべき道を歩まなければならないのです。
それぞれの人には、それぞれの道があります。
それは、人生の目的を果たすための生き方です。
自分を生きることで、自分の道を行くことが出来るのです。
人には、それぞれの学びがあります。
人には、それぞれの喜びがあります。
人には、それぞれの苦労があるのです。
どのようなことも、その道でしか味わえない経験です。
その道でしか経験することの出来ないものには、価値があるということを知らなければならないのです。
他の道には、その学びや喜びや苦労は存在しないのです。
その道だからこそ味わえる経験なのです。
人は、二つの道を同時に進むことは出来ません。
あなたが進むことを許(ゆる)されたのは、一つの道なのです。
あれもこれもと手を伸ばしてはなりません。
無い物ねだりで生きてはなりません。
無い物は、手に入れることは出来ないのです。
あなたが手に入れられるものは一つです。
一つの人生しか生きられないのです。
その道で学び、喜び、苦労する必要があるのです。
道を歩きながら、別の道に思いを巡らせてはなりません。
それでは、足元が疎(おろそ)かになってしまうのです。
別の生き方に憧れを抱くことは良いですが、自分の道を踏み外してはなりません。
自分の道をしっかりと歩まなければ、何者にも成れないからです。
それでは、迷いの生存を続けなければなりません。
あなたは、何ですか?
人生の目的を果たすためには、この問いに答えを見出さなければなりません。
自分の道を進むためには、他の道を諦める勇気が必要です。
理想は諦めなければなりません。
利益を追い求めて、道を踏み外してはなりません。
利益を得ても、損失を得ても、その道を進むのです。
道を進むというのは、同じ仕事や生活を続けろということではありません。
信条(しんじょう)を二転三転させるなということなのです。
信じた道は、信じられる限り進まなければなりません。
道には、学びが存在します。
喜びも苦労も存在するのです。
いいとこ取りでは、道を進むことは出来ないでしょう。
道を進むためには、自分にとって都合の良い時もあれば、都合の悪い時もあるのです。
利益を得ることだけが必要であり、最善であるとは限りません。
損失を得ることは不要であり、最悪であるとは限らないのです。
あなたには、何が必要であり、最善であるか?は分かりません。
都合で考えてはならないのです。
あなたは、道を進みましょう。
あなたは、自分の道から得られる学び、喜び、苦労で満足しましょう。
自分の道を進み、人生の目的を果たしましょう。

2021年1月13日水曜日

誠実

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
なぜなら、人生の目的を果たすことが、人生に生まれた理由だからです。
どのような人物の、どのような人生にも、果たすべき目的が与えられているということを知らなければなりません。
人生に目的が存在しないということは有り得ません。
すべての人生に目的が存在しているのです。
大切なのは、人生の目的を果たすことです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすためには、人生の目的を知らなければなりません。
知らなければ、果たすことは出来ないのです。
何をするべきか?知らなければ、何をすれば良いのか分からないのです。
あなたは、人生の目的を知らなければなりません。
しかしながら、人生の目的を知ることは、とても難しいことなのです。
一朝一夕(いっちょういっせき)に理解することが出来る程、人生の目的は簡単なものではないのです。
あなたは、生涯を通じて、人生の目的を探さなければなりません。
人生の目的を見出すためには、一つだけ譲れない条件があります。
それは、真(まこと)であることです。
あなたは、誠実でなければなりません。
誠実でなければ、人生の目的を知ることは出来ないのです。
不誠実な者には、正しく見ることが出来ません。
不誠実な者の目は歪んでいるのです。
不誠実な者には、世界が歪んで見えているのです。
しかしながら、本人にはそのことが分かりません。
本人は、歪んだ世界を正常だと思っているのです。
酒に酔った人が、自分を正しいと思うようなものなのです。
十中八九(じゅっちゅうはっく)、酒に酔った人が間違っています。
しかしながら、酒に酔った人にはそのことが分からないのです。
酒に酔った人は、自分が正しいと信じ、自分以外の人が間違っていると思い込んでいるのです。
残念ながら、多くの人は、不誠実に生きています。
誠実に生きている人は少ないのです。
多くの人が不誠実に生きているのです。
それは、多くの人が正しく見ることが出来てはいないということを意味しているのです。
多くの人は、歪んだ世界を生きています。
多くの人は、自分達が生きる歪んだ世界を正常だと思います。
多くの人にとっては、歪んだ世界しか知らないのです。
知らなければ、それが正しくなってしまうのです。
残念ながら、多くの人は、従(したが)うだけです。
多くの人が、歪んだ世界を常識としているのであれば、歪んだ状態が正しいのです。
歪んだ状態を正しいと主張する人が多ければ、歪んだ状態が正しいと思い込んでしまうのです。
多くの人にとっては、歪んだ状態が正しいのです。
そのため、多くの人が“罪”を犯します。
多くの人は、偽(いつわ)ることで罪を犯します。
しかしながら、それを悪いとは思っていないのです。
多くの人は、人生に対して、自分自身や誰かや何かに対して不誠実なのです。
多くの人は、利己的に生きています。
多くの人は、自分さえ良ければ良いのです。
あなたは、その時に良ければ良いという利己的、保身的な考えは捨てなければなりません。
あなたは、誠実に生きなければなりません。
不誠実に生きてしまえば、後から大きな代償(だいしょう)を支払わなければならないのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
この世界では、原因は必ず結果へと結び付くのです。
結果へと結び付かない原因は存在しません。
どのような原因も、必ず結果を導き出すのです。
誠実に生きた者は、その生き方に相応(ふさわ)しい報酬(ほうしゅう)を得るでしょう。
不誠実に生きた者は、その生き方に相応しい代償を支払わなければならないでしょう。
誠実に生きれば報酬を得て、不誠実に生きれば代償を支払うのです。
あなたは、目の前の見えている利益に惑わされてはなりません。
宝箱に気を取られ、宝を無視してはならないのです。
見た目に騙(だま)されてはなりません。
その時に良ければ良いという浅はかな考えは捨てなければなりません。
あなたは、人生に対して、自分自身や他者に対して不誠実に生きてはなりません。
誠実に生きていなければ、人生の目的を見極めることが出来ないでしょう。
あなたは、何のために生まれたのですか?
誠実に生きていなければ、答えることは出来ないでしょう。
目の前の小さな利益に固執(こしゅう)し、後の大きな利益を損なってはなりません。
その場では損をしたとしても、誠実に生きなければなりません。
人生の目的を果たすためには、目先の利益に惑(まど)わされてはなりません。

2021年1月12日火曜日

創造性

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生の目的を果たすことが、あなたが生まれた理由なのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすためには、自らの役割を果たす必要があります。
自らの役割を果たすことによって、人生の目的を果たすことが出来るのです。
自らの役割を果たすことがなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
人生の目的は、人それぞれに異なります。
あなたは、あなただけの目的を以て生まれるのです。
あなたの人生の目的は、他の誰とも同じものではないということを覚えておきましょう。
人生の目的が異なるように、自らの役割も異なります。
人は、それぞれの役割を果たさなければならないのです。
それぞれの役割を果たすことは容易(ようい)なことではありません。
なぜなら、自らの役割を果たすためには、自分自身に成らなければならないからです。
自分自身に成るためには、自分自身を受け入れなければなりません。
自分自身とは、人生における必要のことです。
それは、宿命として導かれるのです。
あなたには、避けることの出来ない学びが存在するのです。
人生には、避けることの出来ない状況が存在するのです。
避けられないことは避けられないのです。
あなたが自らの役割を果たさなければならないのも避けられないことです。
人生の目的を果たさなければならないことも、避けられないことなのです。
あなたは、宿命と共に生きなければなりません。
残念ながら、人生を思い通りに生きることは出来ません。
それは、人生に生まれるためには、果たすべき目的が必要だからです。
目的がなければ、人生を生きることは出来ないのです。
あなたは、無駄に生まれることは出来ません。
無意味や無価値には生きられないのです。
あなたには意味や価値が存在するのです。
決して、無駄に生まれ、無駄に生きられるような人はいないのです。
すべての人が、何かしらの意味や価値を以て生まれるのです。
あなたは、自分自身の意味や価値に気が付かなければなりません。
自分自身を否定しながら生きてはなりません。
あなたは、自分自身を認め、創造的に生きなければならないのです。
あなたには、果たすべき目的があります。
目的を果たすためには、現状を改めなければなりません。
あなたは、目的を知らないという現状から、目的を果たすという状況へと改めなければならないのです。
創造的に生きなければ、現状を改めることは出来ません。
あなたは、創造的に生きましょう。
生まれようとする何かを止めてはなりません。
あなたの内から、何かが生まれようとしているはずです。
あなたの内から生まれようとする何かは、何かを変えるために生まれようとしているのです。
無駄や無意味や無価値に生まれることの出来るものはないのです。
生まれる何かは、何かを確実に変えます。
この世界には、何かを変えるために生まれるものばかりです。
それが、どのようなものであったとしても、何かを変える力を持っているのです。
すべては、創造的に生まれるのです。
あなたは、創造を否定してはなりません。
あなたは、創造的に世界を変えなければならないのです。
生まれようとする何かを止めてはなりません。
あなたは、世界を改めましょう。
創造性を犠牲にしてはなりません。
生まれようとする何かを止めてはなりません。
生まれようとする何かも、何かを考えるために生まれたのです。
あなたは世界を変えなければなりません。
創造性を否定してはなりません。
あなたの内では、何かが生まれようとしています。
何かが生まれようとするのであれば、それが生まれるように手を貸さなければなりません。
あなたは、創造性を否定してはなりません。
あなたは、自らの創造性を発揮して、世界を変えなければならないのです。
あなたは、世界を変えるために生きているのです。
創造性に従って世界を変えましょう。

2021年1月11日月曜日

愚行

すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟に生まれなければなりません。
誰一人として、未熟を拒絶することは出来ません。
どのような人物も、未熟に生まれなければならないのです。
あなたは、未熟に生まれます。
それは、仕方のないことなのです。
なぜなら、すべての人が、人生に目的を以(もっ)て生まれるからです。
人生には、果たすべき目的が存在しています。
しかしながら、持って生まれた人生の目的を覚えている人はいません。
すべての人は、自らの果たすべき人生の目的を見失った状態で生きなければならないのです。
それは、人生の目的を果たすためです。
人生の目的を果たすためには、未熟でなければなりません。
未熟でなければ、目的を果たすことは出来ないのです。
完全であれば、果たすべきことがなくなってしまうのです。
未熟であるからこそ、目的を果たすことが出来るのです。
あなたは、人生を通じて、人生の目的を果たすことが求められているのです。
人生を終える時に、人生の目的を果たせば良いのです。
人生を終えるまでは、人生の目的を果たすために時間を費やさなければならないのです。
人生は、目的を果たすための時間です。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
しかしながら、すべての人は未熟に生まれます。
すべての人にとって、人生の目的を果たすことは容易(ようい)なことではないのです。
人は、その未熟さ故(ゆえ)に愚行(ぐこう)を繰り返します。
人は、合理的には生きられないのです。
人生の目的を果たすためには、理性に従って生きる必要があります。
この世の理(ことわり)を見極め、それに反することなく生きなければならないのです。
理性に従って合理的に生きることがなければ、人生の目的を果たすことは出来ません。
自分勝手に判断するのであれば、選択を間違ってしまうのです。
残念ながら、あなたは理性に従うことが出来ません。
なぜなら、自分が正しいと思っているからです。
多くの人は、自分が正しいと思っているのです。
誰かや何かに対して不平不満を吐いているのが証(あか)しなのです。
あなたがどのように考えようとも、目の前には必要が導かれています。
問題や苦しみは、あなたの視野を広げ、価値観を育てます。
あなたの視野を広げ、価値観を育てる仕事は、問題や苦しみでなければ担(にな)うことの出来ない重要なものなのです。
すべての人にとって、問題や苦しみは価値のある役割ですが、そのようには思えません。
多くの人は、問題や苦しみを嫌うのです。
それは、自分にとって都合が悪いからです。
多くの人は、理想を生きようと努めます。
多くの人にとって、理想を生きることが最善と思っているのです。
しかしながら、理想とは、未熟者の抱える偏見(へんけん)や誤解が見せる幻想です。
それは、決して現実ではありません。
自分にとって都合の良いように考えても、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
人生の目的を果たすためには、現実を積み重ねていかなければならないのです。
幻想を積み重ねることは、偏見と誤解を積み重ねることです。
それは、愚かな行為なのです。
人生の目的と、あなたの理想は異なります。
人生の目的とは現実であり、あなたの理想とは幻想なのです。
幻(まぼろし)を追い求めてはなりません。
幻では、満足することは出来ないのです。
喉(のど)の乾きを潤す想像を行っても、喉の乾きが満たされることはありません。
喉の乾きを潤すためには、実際に水を飲むという行為を選択しなければならないのです。
想像では満たされません。
理想では、満たされないのです。
多くの人は、満たされない行為を繰り返します。
人生においては、問題や苦しみが重要な学びであることを知らないのです。
問題や苦しみを受け入れることが合理的な選択です。
問題や苦しみを受け入れ、視野を広げ、価値観を育てることが最善なのです。
あなたは、理性に従いましょう。
自分の都合を生きてはなりません。
人生には、果たすべき目的が存在するのです。
人生の目的を果たすためには、人生における必要に従いましょう。