すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟を生きなければなりません。
それは、人生に目的を以(もっ)て生まれるからです。
どのような人生にも、果たすべき目的が存在するのです。
目的のない人生は存在しません。
どのような人物のどのような人生にも、果たすべき目的が存在するということを理解しましょう。
目的を果たすためには、未熟でなければなりません。
未熟でなければ、目的を定めることが出来ないのです。
未熟であるからこそ、目的を定めることが出来るのです。
あなたが完全であれば、目的など必要ありません。
目的とは、果たすべきことですが、完全であれば果たすべきことなどないのです。
未熟であるからこそ、果たすべきことがあります。
未熟でなければ、目的を定めることが出来ないのです。
そのため、すべての人が未熟に生まれます。
多くの人は、自らの未熟さを嘆(なげ)きます。
しかしながら、未熟であるのは仕方のないことなのです。
あなたは、未熟であるのが自然です。
あなたは、未熟でなければおかしいのです。
未熟であることは、悪いことではありません。
あなたは、未熟に生まれ、未熟を生きなければならないのです。
未熟であることが自然です。
すべての人は、未熟なのです。
未熟であれば間違えます。
それは、無知であるからです。
無知は、偏見(へんけん)を生じさせます。
そして、偏見は誤解を生むのです。
すべての人が、誤解を抱えています。
それは、自分自身に対して、人生に対して、目の前の状況に対して、その本質を見極めることが出来ないということなのです。
すべての人が、自分を知りません。
あなたは、自分が何か?分かりますか?
すべての人が、人生を知りません。
あなたは、人生が何か?分かりますか?
すべての人が、目の前の状況が何か?を知りません。
あなたは、目の前の状況の意図(いと)が分かるでしょうか?
残念ながら、あなたは何も知らないのです。
あなたには、自分が何か?ということも、人生の目的も、目の前の状況の価値も分からないのです。
そのため、すべての人が、自分や人生や状況に対して不平不満を吐くのです。
この世界には、意味の無いことや価値の無いことは存在しません。
すべてに意味があり、価値があるのです。
あなたは、そのことを知らなければなりません。
現状がどのようなものであったとしても、そこには大切な意味があり、価値があるのです。
残念ながら、未熟であるあなたには理解することが出来ないだけなのです。
理解することが出来ないからといって、意味や価値がないということにはならないのです。
あなたには理解することが出来なくても、そこには大切な意味や価値が存在するということを知らなければなりません。
人生には、無駄はありません。
すべてが必要であり、最善であるのです。
目の前の状況は、今にしか体験することが出来ないものです。
あなたは、目の前の状況に不平不満を抱いているかも知れませんが、後には、その状況がそれでも尊(とうと)かったと思うことでしょう。
どのような体験も尊いのです。
不平不満を抱いているようでは、その尊さには気が付くことが出来ないでしょう。
大抵の場合、失ってから、その尊さに気が付くのです。
しかしながら、その時には遅いのです。
失ってから、その価値に気が付いても遅いのです。
失った後では、二度と取り戻すことは出来ないのです。
それは、今にしか体験することが出来ないものです。
それが、どのような体験であっても、二度と体験することは出来ないのです。
あなたは、現状を大切にしなければなりません。
失ったものを取り戻すことは出来ないのです。
今、それを大切にしていなければ、大切にしたいと願う時には、既(すで)に失っているのです。
都合の良いことだけを大切にしてはなりません。
意味や価値は、都合の悪いことにも同じように含(ふく)まれているのです。
都合に関係なく、目の前の状況を大切にすることが求められるでしょう。
あなたは、現状を大切にしなければなりません。
失う前に、その意味や価値に気が付かなければなりません。
気付くためには、探さなければなりません。
探さなければ、気が付かないのです。
あなたは、どのような現状にも、意味や価値を探しましょう。
どのような現状も尊いということを知らなければなりません。
現状に感謝し、今を大切に生きましょう。
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