すべての人は、幸福を欲しています。
すべての人は、幸福を追い求めているのです。
誰もが、幸福を追い求めています。
人は、それぞれの幸福の形を持ちます。
人は、それぞれの幸福の形を必要としているのです。
しかしながら、多くの人は、幸福に誤解を抱いています。
多くの人は、幸福がどこまでも大きくなると思っているのです。
そのため、より良い幸福を追い求めるのです。
より大きな幸福がどこかに存在すると思っているのです。
しかしながら、幸福の大きさは一定です。
幸福の大きさは決まっているのです。
大きな幸福を追い求めても、そのようなものは存在しないのです。
幸福は、幸福です。
それ以上でも、それ以下でもないのです。
大切なのは、欲深く生きないことです。
欲深く幸福を追い求めたところで、抱えられる幸福の量は変わらないのです。
抱え過ぎてしまえば、零(こぼ)れ落ちてしまうでしょう。
両手に一杯の幸福を抱えながら、それでも別の幸福に手を伸ばすのであれば、却(かえ)って多くの幸福を手放してしまうのです。
大切なのは、自らの抱えている幸福に気が付くことです。
あなたは、既に両手に一杯の幸福を抱えているのです。
しかしながら、そのことには気が付いていないのです。
あなたは、十分に幸福なのです。
しかしながら、そのようには思えません。
多くの人は、自分には、幸福が不足していると思い込んでいるのです。
多くの人は、自分が抱えている幸福が見えないのです。
理想が幸福ではありません。
理想が実現していないからといって、幸福が存在しないという訳ではありません。
あなたは、既にその両腕に十分の幸福を抱えているのです。
遠くばかりを見ているから、自らの抱えている幸福に気が付かないのです。
大きな幸福を探す必要はありません。
今、抱えている幸福に気が付けば良いだけです。
特別を得ることで幸福感が満たされると思い込んではならないのです。
抱える程に零れ落ちます。
幸福を追い求めても、幸福にはなれないのです。
幸福を追い求めることは、却って不幸を得ることになるのです。
特別な幸福や、大きな幸福というものは存在しません。
幸福の大きさは同じなのです。
無い物ねだりや憧れによって、誤解しているだけなのです。
あなたは、現状の中に幸福を探しましょう。
子どもの幸福も、大人の幸福も大きさは同じです。
貧しい人の幸福と、富める人の幸福も同じ大きさなのです。
貧しいから不幸である訳ではありません。
富んでいるから幸福である訳ではないのです。
幸福に気が付くことが出来た人が、その場所で幸福を得るのです。
特別な場所に、特別な幸福が存在するのではありません。
幸福は、常にあなたの腕の中に存在しているのです。
あなたは、幸福を追い求めてはなりません。
幸福は、気が付くものなのです。
そのことを知らなければ、存在しないものを探し続けなければならないでしょう。
外に幸福は存在しません。
幸福とは、特別なものではありません。
あなたは、既(すで)に幸福を抱えているのです。
特別な幸福というものが幻想であるということを理解しましょう。
当たり前のことや、苦しみの中にも幸福を探してみましょう。
そうすれば、そこにも幸福が存在することを知るでしょう。
もちろん、当たり前や苦しみの中に幸福を見出すことは容易(ようい)ではありません。
そのためには、多くの時間と労力を必要としますが、あなたは諦めてはなりません。
幸福を遠くに探し求めず、抱えている中から探しましょう。
遠くのものは綺麗に見えます。
そして、人のものは良く見えます。
しかしながら、真の幸福とは、そのように甚(はなは)だしいものではないということを理解しましょう。
質素(しっそ)な幸福こそ、真の幸福なのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿