すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
これは、仕方のないことです。
なぜなら、すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたからです。
誰もが、人生に果たすべき目的があるのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
それは、避けられないことなのです。
しかしながら、多くの人は、人生に目的が存在することを知りません。
果たすべき目的が存在することを知らずに生きているのです。
それは、取り敢(あ)えずは生きなければならないからです。
人は、独りでは生きていくことが出来ません。
独りで生まれ、独りで生きていくことの出来る人はいないのです。
人が独りで生きていくことが出来ると考えている人は、自分が赤ん坊であったことを忘れているだけなのです。
どのような人物も、独りでは生きられません。
誰かの助けがなければ、この世界では命を保つことすら出来ないのです。
人は、群れなければなりません。
信じられる仲間と共に生きなければならないのです。
どのような人物も、独りで生まれ、独りで生きていくことは出来ません。
なぜなら、生きるということは、使命を果たすということだからです。
すべての人には、果たすべき人生の目的が与えられているのです。
それは、人生を始める前に与えられる目的なのです。
因果の仕組みの存在するこの世界において、人生という結果を導くためには、人生の目的という原因が必要なのです。
多くの人は、結果を見て原因を見ません。
多くの人は、原因を見失っているのです。
多くの人は、自分が何であり、何のために生まれたのか?を忘れているのです。
多くの人は、取り敢えずの目的である生きるということが、本来の目的を隠していることに気が付いてはいないのです。
あなたには、果たさなければならない天命というものが存在しているのです。
あなたは、天命を思い出さなければならないでしょう。
そのためには、自分と向き合う必要があるのです。
それは、孤独な作業なのです。
人は、独りで生きていくことが出来ません。
しかしながら、群れていると天命を見失ってしまうのです。
それは、集団には、集団の目的が存在するからです。
集団の目的と、個人の目的は異なります。
人は、群れている時には、自分で考えることをしません。
誰かに考えることを任せても、果たすべき目的が与えられるのです。
そのため、考える力を失ってしまいます。
それは、自分と向き合う力を失ってしまうということなのです。
生きていくためには、群れた方が楽です。
考える必要がないからです。
与えられたことをこなしていれば生きられるのです。
しかしながら、それでは満たされません。
天命を果たすことがなければ、人生は空しいのです。
残念ながら、生きていくだけでは満たされません。
生きることは基礎(きそ)であり、“上物”ではありません。
基礎を築いて満足する人がいるでしょうか?
そのような人はいないのです。
基礎は、建造物を建てるために築かれるのです。
基礎を築くために生まれる人はいないのです。
群れること、生きることは大切ですが、天命を果たすことはそれよりも重要であるということを理解しましょう。
あなたは、自分が何のために生まれたのか?を考えなければならないのです。
群れることで、自分と向き合うことを放棄(ほうき)してはなりません。
天命が金に成るとは限らないし、理想の形とは限りません。
人生は、思い通りにならないものなのです。
あなたは、集団に対する意識と、天命に対する意識の両方を兼(か)ね備えなければなりません。
集団の意識に没頭(ぼっとう)し過ぎて、天命を見失ってはなりません。
もちろん、天命に没頭し過ぎて、生きることを疎(おろそ)かにしてはならないのです。
生きていかなければ、天命を果たすことは出来ません。
しかしながら、天命を果たさなければ、生きることは出来ないのです。
天命のない人生は、死んでいるも同然なのです。
あなたは、死んだように生きてはなりません。
天命を果たすために生きましょう。
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