このブログについて

「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2021年1月27日水曜日

身の程

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
なぜなら、人生の目的を果たすことが、人生に生まれた理由だからです。
あなたには、果たすべき人生の目的が存在するのです。
人生の目的を無視して生きることは出来ません。
なぜなら、人生の目的を無視する程に、人生は苦しく、空しいものになってしまうからです。
苦しみに耐(た)えることは出来ても、空しさに耐えることの出来る人はいません。
人生を空しく生きられる人はいないのです。
すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟に生まれなければなりません。
それは、人生の目的を果たす必要があるからです。
あなたは、人生の目的を果たすために、未熟に生まれるのです。
完全であれば、果たすべき目的は存在せず、人生に生まれる必要もないのです。
人生に生まれるためには、未熟である必要があるのです。
しかしながら、未熟であるために、すべての人は人生の目的を見失ってしまうのです。
大切なのは、人生の目的を思い出すことです。
人生の目的を思い出すことがなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
しかしながら、人生の目的を思い出すことは容易(ようい)なことではありません。
なぜなら、人生の目的を思い出すためには、自分とは何か?ということを思い出す必要があるからです。
人生の目的を果たすためには、それに相応(ふさわ)しい役割を果たさなければなりません。
役割を果たすことによって、目的を果たすことが出来るのです。
あなたは、自らの役割を知らなければなりません。
自らの役割を知るためには、分際(ぶんざい)を知らなければならないのです。
分際とは、身の程のことです。
それは、自分の性質のことなのです。
人は、それぞれに異なる性質を以て生まれます。
人には、それぞれに異なる個性が与えられているのです。
そのため、分際はそれぞれに異なります。
あなたには、あなただけの分際が存在するのです。
分際を弁(わきま)えることがなければ、役割を果たすことは出来ません。
分際とは、役割そのものなのです。
残念ながら、分際を弁えない者が多いのです。
多くの人は、身の程を知りません。
それは、傲慢(ごうまん)や自己憐憫(じこれんびん)として現れます。
多くの人は、自分を過大(かだい)や過小(かしょう)に見積もっているのです。
どちらにしても、身の程を知りません。
身の程を知らないのは、愚(おろ)かなことです。
身の程を知らなければ、どのような解釈(かいしゃく)も間違ってしまうのです。
多くの人は、身の程を知りません。
そのため、大抵の解釈は間違っているのです。
それは、偏見(へんけん)や誤解という形で実現します。
偏見や誤解は問題を引き起こし、あなたは苦悩することになるのです。
残念ながら、あなたは身の程を知りません。
それは、苦悩しなければならないということなのです。
残念ながら、人生に苦悩を避けることは出来ません。
どのような人物も、苦悩しなければならないのです。
あなたは、身の程を弁えるまで苦悩し続けなければなりません。
苦悩は、身の程を弁えるために導かれるのです。
問題や苦悩は、決して悪いことではありません。
すべては、あなたが自らの役割を果たし、人生の目的を果たすためなのです。
どのような問題や苦悩も、それを悪く考えてはなりません。
あなたが身の程を弁えた時には、問題も苦悩も直ぐに去るのです。
あなたが身の程を弁えないから、問題や苦悩は存在し続けているのです。
問題を解決するためには、身の程を弁えるしか方法はありません。
問題の原因は、自分自身にあるのです。
問題の原因が誰かや何かにあると思い込み、誰かや何かを変えようと努めたとしても、問題が解決することはないのです。
誰かや何かを変えようとする程に問題は大きく成り、苦悩は強くなってしまうでしょう。
あなたは、問題や苦悩の原因を自分自身に探さなければなりません。
誰かや何かのせいにしても、答えは見付からないのです。
あなたが身の程を知らないから、問題や苦悩が生じているのです。
それ以外の理由はないのです。
あなたは、愚かに生きてはなりません。
傲慢にも、自己憐憫にも陥(おちい)らないように注意しましょう。
分相応(ぶんぞうおう)に生きるのです。
大きくもなく、小さくもなく生きましょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿