すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
なぜなら、人生の目的を果たすことが、人生に生まれた理由だからです。
あなたには、果たすべき人生の目的が存在するのです。
人生の目的を無視して生きることは出来ません。
なぜなら、人生の目的を無視する程に、人生は苦しく、空しいものになってしまうからです。
苦しみに耐(た)えることは出来ても、空しさに耐えることの出来る人はいません。
人生を空しく生きられる人はいないのです。
すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟に生まれなければなりません。
それは、人生の目的を果たす必要があるからです。
あなたは、人生の目的を果たすために、未熟に生まれるのです。
完全であれば、果たすべき目的は存在せず、人生に生まれる必要もないのです。
人生に生まれるためには、未熟である必要があるのです。
しかしながら、未熟であるために、すべての人は人生の目的を見失ってしまうのです。
大切なのは、人生の目的を思い出すことです。
人生の目的を思い出すことがなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
しかしながら、人生の目的を思い出すことは容易(ようい)なことではありません。
なぜなら、人生の目的を思い出すためには、自分とは何か?ということを思い出す必要があるからです。
人生の目的を果たすためには、それに相応(ふさわ)しい役割を果たさなければなりません。
役割を果たすことによって、目的を果たすことが出来るのです。
あなたは、自らの役割を知らなければなりません。
自らの役割を知るためには、分際(ぶんざい)を知らなければならないのです。
分際とは、身の程のことです。
それは、自分の性質のことなのです。
人は、それぞれに異なる性質を以て生まれます。
人には、それぞれに異なる個性が与えられているのです。
そのため、分際はそれぞれに異なります。
あなたには、あなただけの分際が存在するのです。
分際を弁(わきま)えることがなければ、役割を果たすことは出来ません。
分際とは、役割そのものなのです。
残念ながら、分際を弁えない者が多いのです。
多くの人は、身の程を知りません。
それは、傲慢(ごうまん)や自己憐憫(じこれんびん)として現れます。
多くの人は、自分を過大(かだい)や過小(かしょう)に見積もっているのです。
どちらにしても、身の程を知りません。
身の程を知らないのは、愚(おろ)かなことです。
身の程を知らなければ、どのような解釈(かいしゃく)も間違ってしまうのです。
多くの人は、身の程を知りません。
そのため、大抵の解釈は間違っているのです。
それは、偏見(へんけん)や誤解という形で実現します。
偏見や誤解は問題を引き起こし、あなたは苦悩することになるのです。
残念ながら、あなたは身の程を知りません。
それは、苦悩しなければならないということなのです。
残念ながら、人生に苦悩を避けることは出来ません。
どのような人物も、苦悩しなければならないのです。
あなたは、身の程を弁えるまで苦悩し続けなければなりません。
苦悩は、身の程を弁えるために導かれるのです。
問題や苦悩は、決して悪いことではありません。
すべては、あなたが自らの役割を果たし、人生の目的を果たすためなのです。
どのような問題や苦悩も、それを悪く考えてはなりません。
あなたが身の程を弁えた時には、問題も苦悩も直ぐに去るのです。
あなたが身の程を弁えないから、問題や苦悩は存在し続けているのです。
問題を解決するためには、身の程を弁えるしか方法はありません。
問題の原因は、自分自身にあるのです。
問題の原因が誰かや何かにあると思い込み、誰かや何かを変えようと努めたとしても、問題が解決することはないのです。
誰かや何かを変えようとする程に問題は大きく成り、苦悩は強くなってしまうでしょう。
あなたは、問題や苦悩の原因を自分自身に探さなければなりません。
誰かや何かのせいにしても、答えは見付からないのです。
あなたが身の程を知らないから、問題や苦悩が生じているのです。
それ以外の理由はないのです。
あなたは、愚かに生きてはなりません。
傲慢にも、自己憐憫にも陥(おちい)らないように注意しましょう。
分相応(ぶんぞうおう)に生きるのです。
大きくもなく、小さくもなく生きましょう。
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