人生には不自由なことがあります。
	
	人生のすべてが自由として満たされることはないのです。
	しかし、人生に不足はありません。
	すべてが必要として満たされます。
	しかし、それが自らの思い通りに進むことはないというのです。
	人生には不自由がつきものなのです。
	人は人生に自由を求めています。
	自由を実現するために問題と向き合い、それを乗り越えようと努めているのです。
	自由を得ることは大切です。
	しかし、人が勝ち取ることのできる自由というのは、真理によって認められた必要に対する自由であるのです。
	人は真理の認める必要を超えることはできないのです。
	あなたが如何に努力しても得られないものは、現状において必要のないものです。
	努力することは大切です。
	あなたは決して努力を怠けてはなりません。
	しかし、努力の結果にネガティブな態度であってはならないということなのです。
	どのような結果を得ようとも、それが必要であるのです。
	それが、今の自分自身に与えられる最大限の自由であるということなのです。
	上手くいかないこと、思い通りに進まない不自由というものを敵としてはなりません。
	人生に不自由を覚えようとも、それはただの不自由であって、不足ではないということを覚えておかなければならないのです。
	不自由と不足を混同して考えている人が多いのです。
	人は不自由を得ることはあっても、不足を得ることはありません。
	この違いを理解しなければならないのです。
	手が不自由であるなら、あなたは手を伸ばして可能性を掴むことを諦めるのですか?
	足が不自由であるなら、可能性に向かって進むことをしないのでしょうか?
	あなたに何か不自由があろうとも、可能性を求めて懸命に生きるはずです。
	手が不自由なら、手が不自由なりに。
	足が不自由なら、足が不自由なりに、可能性を広げようとするはずなのです。
	その行為が、人に大切なことを学ばせます。
	人生には、不自由でなければ学ぶことができないことがたくさんあるのです。
	不自由であったからこそ、人はその大切さを理解することができるのです。
	不自由でなければ知ることができないことが多くあるということなのです。
	不自由によってもたらされる学びがあります。
	不自由によってもたらされるのに、不自由が不足と等しいのでしょうか?
	寧(むし)ろ、不自由とは可能性であるのです。
	人は不自由を前にしてネガティブな態度を示します。
	怒りを覚えたり、悲しんだり、苦しんだりするのです。
	しかし、それが本当に正しい選択なのでしょうか?
	人生には、本当に不足が存在しているのでしょうか?
	それが可能性であると理解することができない未熟な存在が、そこにはいるだけなのではないでしょうか?
	あなたは、人生が本当に不足をもたらすような相手なのか?ということを考えなければならないでしょう。
	真理は、あなたが考えているような存在なのでしょうか?
	あなたはネガティブな態度を示しますが、それは本当に相応しいのでしょうか?
	すべてのことがあなたに対する大切なメッセージです。
	何一つとして無駄なものはないのです。
	例えそれが苦しみを伴う不自由であったとしてもです。
	すべてには大切な意味があるのです。
	すべてはあなたに気が付いてもらうためなのです。
	すべてがあなたの魂の成長のためにあるのです。
	どのような理由があろうとも、人生の目的を忘れてはならないというのです。
	人生には不自由なことがあります。
	しかし、それをただの不自由だと浅はかに考えてはなりません。
	そして、自分勝手に不足だと決め付けてはならないのです。
	真理はあなたの考えよりも、遥かに深い意味を持つのです。
	あなたが思いも付かないような方法によって、学びをもたらします。
	安心して学びましょう。
	その不自由を敵としてはなりません。
	
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