あなたは現実を直視しなければなりません。
どのような状況にも目を逸(そ)らすことなく、真っ直ぐに見つめなければなりません。
現実から目を背けることでは、何も理解することができません。
人生は魂の成長のために存在しているのです。
すべての状況が成長のために存在しているということです。
現実は、あなたの成長のために存在しているということを理解するのであれば、そこから目を背けることは間違っているのです。
それがどのような状況であろうとも、そこから大切な成長へのヒントを学ばなければならないのです。
しかし、人には自由意志が与えられています。
目を背けることもできますし、逃げ出すことも可能です。
どのようにするのも自分次第であるのです。
だから、目を背けても、そこから逃げ出してもかまいません。
しかし、覚えておかなければならないのは、目を背けても、そこから逃げ出しても、現実は変わらないということです。
人生はあなたの成長のために状況を導きます。
あなたが成長するまでそれは続くのです。
成長することがなければ、同じ状況を導き続けるしかないのです。
そのため、目を背け続けることもできませんし、そこから逃げ続けることもできません。
人は何(いず)れ、現実と向き合わなければならないということなのです。
どのみち向き合わなければならないのであるから、早いうちに向き合う方が良いでしょう。
何事も、向き合うのは早い方が良いのです。
それは、後にするほどに状況は悪化するからです。
早い段階で気が付き、そこから学ぶことができれば、その学びは終わりです。
しかし、いつまでも学ぶことがないのであれば、より分かり易い状態を以て気付かせ、学ばさなければならないのです。
一度言って聞かなければ、次第に声を荒げる人と同じなのです。
話しても分からない者には、体験させて理解させる必要があるのです。
そのため、思考や感情や価値観の段階では自分の間違いに気が付くことはありませんが、それが状況に対して問題として現れ、それに苦しみを覚えた時になって漸(ようや)く、それが間違っていたと気が付くのです。
この世界に存在するものすべてが現実です。
あなたは現実を見つめなければなりません。
あなたの認識の内にはなくても、存在しているものがあります。
あなたが信じていなくても、現実は存在するのです。
細菌の存在に気が付くことがなくても、それによって導かれる病には気が付きます。
しかし、細菌によって病を得たのではありません。
細菌を以て病に苦しむ原因は、それよりも深い部分に存在しているのです。
あなたの思考や感情は目には映りません。
しかし、その存在を否定することはできません。
なぜなら、日常的に使い続けているそれ等を否定することは不自然だからです。
思考や感情を否定する人は存在しないのです。
しかし、思考や感情は目には映りません。
しかし、それが現実です。
あなたにはこの事実を否定することができますか?
思考や感情はどこにあるのでしょう?
肉体のどこかにあるのですか?
脳の中ですか?
心臓の中ですか?
どこを切り開いても、あなたには発見することができないでしょう。
ならば、これは現実ではないのですか?
では、思考や感情とは何なのでしょうか?
あなたの信じている現実とはどのようなものですか?
偏見によって歪められ、小さな世界を現実だとは思い込んでいませんか?
信じられることも信じられないことも、良いことも悪いことも現実なのです。
残念ながら、それを否定することはできません。
奇跡とか、偶然だとか、神秘的な価値観を植え付ける者に注意しなければなりません。
すべてが現実であり、自分の認識であっては説明が付かないだけなのです。
現実であっても、理解することができないものを奇跡だとか、偶然だとか、神秘的に呼んでいるのです。
あなたは現実を見つめ、その奇跡や偶然がどのような原因によって導かれたのかを追求しなければなりません。
説明が付けば、目の前の状況に苦しむこともないのです。
現実から目を背けるのは、理由を知らないからです。
人生にはすべて理由があるということを覚えておきましょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿