すべての存在は因果の仕組みから逃れることができません。
	
	すべての存在が因果の中に存在しているのです。
	因果とは原因と結果です。
	すべての結果には、それに相応しい原因が存在しています。
	原因がなければ結果はありません。
	それがどのような結果であっても、元を辿れば必ず原因が存在しているのです。
	意味も無く何かが生じるということはありません。
	すべてが意味のあるものなのです。
	問題や壁に出会(でくわ)し、そこで苦しみを得ようとも、それには大切な意味があります。
	それがどのような苦しみであろうとも、そこには理由があるのです。
	その理由を生み出したのは自分自身です。
	人間関係に苦しもうが、経済的に苦しもうが、病気に苦しもうが、何であろうとも、そこには必要な原因が存在しているのです。
	自分自身にとって関係のないものは存在しません。
	すべてが自分自身にとって意味のあるものなのです。
	身に覚えのない状況であろうとも、原因は自分自身に存在します。
	あなたがそれを、自分自身の生み出した原因から得た結果であると認識することができていないだけです。
	あなたがそれを、自分自身の生み出した原因から得た結果であると忘れているだけです。
	しかしながら、すべての原因は自分自身にあるのです。
	あなたが知らないとか、覚えていないとか、そのような事情は関係ないのです。
	法律を知らなくても、法を犯せば罰せられるのです。
	後になって知らないとか、覚えていないと主張したところで、許されるということはないのです。
	例え知らなくても、自らの犯した罪に対する償いをしなければならないのです。
	人が苦しむのは、苦しみに相応しい原因を選択したことにあります。
	苦しみを受けるに相応しい選択をしたために、苦しみという結果を得るのです。
	あなたが苦しみを受けるに相応しい原因を所有していないのであれば、苦しみという結果を得ることはないのです。
	人生が間違えるということはありません。
	あなたがどのような方法によって否定したとしても、人生には通じないのです。
	人生は公平に裁きます。
	そこに私情というものはないのです。
	あなたが苦しむのは、自分自身に原因があるということを覚えておきましょう。
	自分自身に原因があるにも関わらず、他人や状況や環境などを逆恨みしてはならないのです。
	そのような安易な考えは、原因を見失ってしまう切っ掛けとなってしまうのです。
	自分自身の反省をなおざりにし、それ以外の何かに対して責任を転嫁しているのであれば、正しい解釈を得ることができないのです。
	正しく理解することがなければ、原因を改善することができないのです。
	更に間違った原因を生み出すのであれば、更に苦しい結果が導かれるのです。
	因果の仕組みを理解しているのであれば、結果を予測することが可能です。
	結果を予測して原因を選択することができるのです。
	喜びを欲しているのであれば、喜びを得るためにはどうするべきかを考えるようになります。
	そのためには、思いやりを以て貢献する必要があるという見解に至るでしょう。
	思いやりを以て貢献する人を、誰が蔑(ないがし)ろにするでしょうか?
	あなたが思いやりを以て貢献するのであれば、周囲の人からは大切に扱われるでしょう。
	そして、状況は良いものとなるのです。
	愛が溢れるのであれば幸福です。
	どのような苦しみも、愛によって乗り越えることができるのです。
	愛という結果を得るためには、愛という原因を生み出す必要があります。
	自分自身の行いが、様々な形によって返ってくるのがこの世界です。
	身に覚えがなくても、原因は自分自身にあるということを忘れてはなりません。
	あなたは自分自身の行動がどのような結果を導くのかを予測してみましょう。
	善く善く考えてみましょう。
	深く、多様に考えなければなりません。
	善く考えて、それでもかまわないのであれば、その行動を続けましょう。
	もしも、善く善く考えてみて、その行動が苦しみを導くように思うのであれば、すぐにでもその行動を改めなければなりません。
	原因は自分自身にあるために、自分自身を変えることがなければならないのです。
	他人や状況や環境を変えても何の意味もありません。
	残念ですが、自分自身にこそ原因があるのです。
	人は因果の仕組みから逃れることはできません。
	これは当たり前のことですが、多くの人は知らずに生きているのです。
	当たり前のことであるにもかかわらず、それを知らずに生きているから苦悩しているのです。
	一時も休むことなく、因果の仕組みが働いていることを忘れてはなりません。
	
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