あなたは知性を求めて進まなければなりません。
すべての状況の中に知性を求め、理解を深めなければならないのです。
知性を高めることは、理解を深めることです。
理解を深めることによって、人は人生というものの目的を理解するようになるのです。
知性の高まりがなければ、理解の深まりもありません。
知性の乏しい者には、残念ながら人生の目的や意味を理解することはできないのです。
知性を求める者は、自ずと現象について研究し始めます。
状況という名の現象を理解することは、この世界を理解することに等しいのです。
それは、この世界の実相を理解するということです。
人は、この世界の中に人生を築いています。
世界が存在することがなければ、人生を築くことはできません。
この世界は、人生を収めた箱のようなものなのです。
広義の意味で、この世界のことが分からなければ、人生についても分からないでしょう。
比較するものがなければ、何の理解も生じないのです。
この世界というものを理解することによって、人は人生というものを理解することに近付きます。
道を追求している人が「悟る」ということの理由がここにあるのです。
それは、道を追求することによって、この世界に対する理解を間接的にも深めているからなのです。
道を追求すること、知性を求めることのない者には、このような現象は起こりません。
世界を正しく、詳細に見ることができないために、人生との比較が実現しないのです。
そのために、人生の目的や意味を理解することには至らないのです。
そのような者は誰かや何かを頼るようになります。
そして、それが依存を生むのです。
知性を求めて進むということは、方法を理解することです。
方法を理解しているのであれば、自力によってある程度のことを処理することができるようになります。
しかし、方法を知らなければ、何一つとして自力による解決は望めないのです。
この世界は因果の仕組みによって動いています。
誰かや何かを頼ることが悪いと言っているのではありません。
しかし、度を超してはならないというのです。
できないことを頼るのは仕方がありませんが、それは自力を育てるための学びにするべきであり、次からは頼らないように努めなければならないのです。
知性を求めない者は、自力を育むことができません。
誰かや何かが知っていて、助けてくれるから安心だと考え高を括(くく)るのです。
しかし、その誰かや何かはあなたの元を去る時が来るのです。
すべては流転するのです。
いつまでもあなたのために力を尽くすことはないのです。
その時には、あなたは自力を試されるのです。
あなたはいつの日か、人生の目的と意味を問われます。
その時に、答えを知らなければ苦しむことになるのです。
問題が生じた時に、それを解決する方法を知っているのであれば、問題に対して苦悩することはありません。
あなたが苦悩しないのであれば、持てるエネルギーを使って、誰かを助けることもできるのです。
問題に苦悩しているのであれば、それに精一杯であり、誰かを助けるようなエネルギーは残ってはいないのです。
誰かを助けるという原因を所有するのであれば、因果の仕組みによって状況は好転します。
しかし、誰かを助けることもなく、迷惑を掛けているのであれば、状況は悪化してしまうのです。
知性を高めた者は、他者よりも多くの方法を知ることができます。
知性によって、人は苦しみに立ち止まることがなくなるのです。
苦しみが無くなるということはありませんが、苦しみながらも可能性を追って進み続けることができるのです。
子どもは取るに足らないことに落ち込みます。
それは、子どもが知性に乏しい状態にあるからです。
しかし、大人であろうとも、取るに足らないことで落ち込む人がいるのです。
それは、良い方法を知らないからに他なりません。
その大人は見た目は大人であっても、知性に乏しいと言えるでしょう。
問題の解決策を探すということは、知性を求めるということなのです。
あなたは知性を諦めてはなりません。
大きな話になると、多くの人が怖じ気付いて目を背けます。
そして、小さな話に捉われてしまうのです。
人生について深く考えなければなりません。
それは知性を求めることによって実現します。
物質やお金などの取るに足らないことに関して苦悩してはなりません。
純粋に知性を求めるのです。
それが、人生を豊かに生きるためには必要なことなのです。
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