「色」とは、世界を築くものです。
色彩こそが世界であるのです。
色の失われた世界においては、人は喜びを得ることはできません。
人は色彩を味わうことによって世界の喜びを得ているのです。
「色」とは喜びです。
それは、光と闇の間に存在しています。
強過ぎる光は色彩を奪います。
強過ぎる光は、全体を白に染めるのです。
強過ぎる闇も色彩を奪うのです。
強過ぎる闇は、全体を黒に染めます。
どちらであっても、世界の本当の姿を認識することはできません。
この世界の実相は、それぞれに現れる「色」によって認識することができるのです。
人生を豊かなものとして、幸福を得るためには、人は色彩を正しく認識する必要があります。
陽と陰を正しく理解することがなければ、正しい世界を理解することはできないのです。
人は、自らの正義に従って世界を創造します。
世界は、自らの正義に従ったものになるのです。
しかし、人の認識とは未熟なものであり、それほど頼りにならないものはありません。
正義を振りかざす人物は、正しく色を見ることができません。
自らの信じる光によって「色」を失い、自らの信じる闇によって「色」を失うからです。
色彩を失うことによって自分自身のことも、それ以外のことも、正しく認識することができないのです。
人が世界を正しく見るためには、自らの認識を正す必要があります。
正義という名の偏見によって、「色」を失ってはならないのです。
陽と陰が正しく現れることによって、色彩が生まれます。
陽だけでも不足していますし、陰だけでも不足するのです。
陽と陰の境目にこそ、色彩が現れるということを覚えておきましょう。
偏見に捉われている心は、陽と陰のバランスを崩しています。
その時点において、喜びは正しく導かれないのです。
人生の豊かさや幸福を実現するためには、正しく認識することが必要不可欠であるのです。
真理に反しているのであれば、どのような方法によっても豊かさや幸福を得ることはできないのです。
真理に従う時、人は正しく「色」に向き合うことができるのです。
正義という偏見によって、認識を歪めてはなりません。
敵を作り、争ってはなりません。
この世に無意味なこと、不要なものはありません。
物事を苦しいと決め付ける認識があるだけであり、すべてが大切であり、必要なものであるのです。
あなたは騙されてはなりません。
偽りを信じてはなりません。
存在するものは、そのすべてが世界によって存在を許されているのです。
この世界に存在を許されているものを否定するのは間違った方法であるのです。
それがどのように理不尽であり、あなたにとっては必要のないと思えるものであっても、それを否定するのは間違っているのです。
光を信じ、闇を害するのは愚かなことです。
光と闇が互いに交わり、一つの真実(世界)を作るのです。
どちらかが欠けているなら、世界は「色」を以て存在しないのです。
偏見によって歪んでいる人は、本当の喜びを以て人生を生きることはありません。
自らを正当化した、偽の喜びによって生きることはできますが、それが偽りであると気が付いた時には、苦悩するのです。
あなたは正しく「色」を捉えなければなりません。
あなたと他人の見ている世界は違います。
あなたが好きなものを、他人は嫌いであったりするのです。
違う世界を見ているからこそ、そこに違いが生じます。
正しく見るためには、自らが自らを正す必要があるのです。
他人の基準に合わせているだけで満足するのは間違っています。
他人も間違っている可能性があるにも関わらず、それを基準にしても正しいとは限らないのです。
常識に従っているだけで安心していてはなりません。
他人が正しく「色」を見ているのであれば、どうして争っているのでしょう?
正しく見ていないために真理を知らず、争うのです。
他人の血の色が、他の生命の血の色が、自分自身のものと同じであることを知るなら、争いを選択することはできないのです。
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