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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2015年1月31日土曜日

レベル

人生は自分自身を基準として存在します。
人生は自分自身のレベルよって、存在の仕方に違いが生じるのです。
精神レベル、思考レベル、行動レベル・・・
すべてにはレベルが存在し、それがすべてのものに反映されるのです。
子どもが触れる世界と、大人の触れる世界では大きな違いが存在します。
子どもであっては、触れることのできない世界が存在しているのです。
あなたは、自身が過去に触れること、知ることすら無かった世界に触れている現実を知っているでしょう。
あなたが現在所有している世界は、過去のあなたには実現することのできなかった世界であるのです。
現在のあなたであるが故に、世界は今の状態を得ているということです。
そして、世界は常に変化を欲し、それがとどまることはありません。
世界が変化を否定しているのであれば、それは、自分自身のレベルが滞っているということが原因としてあるのです。
世界は常に変化し続けています。
しかし、それを認識するのは自分自身の力であるのです。
あなたは誰かや何かのせいにすることはできません。
言い訳がまかり通るほど、この世界は甘くはありません。
あなたが言い訳に酔い痴れている瞬間にも、他人の世界は確実に発展していくのです。
これは他人との競争ではありませんが、自分自身との闘いであるのです。
昨日の自分自身に劣っているようではならないのです。
人は常に成長を続け、世界を拡大し、より鮮明に、より忠実にしていかなければならないのです。
あなたには知らないことが多いでしょう。
それは、自分自身のレベルがそのレベルの世界に触れていないということなのです。
見ることができないのは、レベルが足りないからです。
触れることができないのは、レベルが足りないからです。
知ることができないのは、レベルが足りないからです。
辿り着くことができないのは、レベルが足りないからです。
手に入れることができないのは、レベルが足りないからです。
受け入れることができないのは、レベルが足りないからです。
扱うことができないのは、レベルが足りないからです。
その世界を生きることができないのは、レベルが足りないからなのです。
あなたは、世界を拡大しましょう。
常に自分自身を反省し、その成長を目指すのです。
人生において大切なことは、理解と成長であるのです。
理解することによって成長が実現します。
あなたは目の前の「当たり前」に対して、理解を追求するように努めましょう。
小さなことを懸命に学ぶのです。
多くの人は「当たり前」に対して、それを当たり前だと考えています。
それは、目の前の現象を当たり前とするレベルを所有しているということであるのです。
当たり前という考え方は、余りにも粗雑(そざつ)であるのです。
当たり前という考え方は、概要(がいよう)を捉えているに過ぎないからです。
それは、時計の文字盤と針は知っているけれど、その内部構造の存在を知らないということに等しいのです。
時計が時刻を示すためには、様々な精密な部品が必要であり、それ等が正確に機能するための仕組みが必要です。
時計が時刻を示すのは、決して当たり前のことではないのです。
小さな部品の一つ一つが確実に重要な役割を果たしているのです。
表面的な認識から、核心的な認識に移行するためには、自分自身のレベルがそこに達する必要があるのです。
精神レベル、思考レベル、行動レベル・・・
自分自身のレベルというものが、興味の対象を決めるのです。
時計の見た目を満足する人がいれば、その構造や歴史を含めて満足する人もいます。
子どもは「質」を理解しません。
時計の形をしているのであれば何でも良いのです。
紙で作った時計であっても、時刻を正確に示さなくても、内部構造が存在しなくても、歴史が無くても構わないのです。
ただ、時計の形をしたものが腕に飾ってあれば満足なのです。
この純粋さは、もちろん大切なものです。
しかし、人は無知であってはならないのです。
有知でありながら、純粋でなければならないのです。
あなたは純粋なまま、世界を拡大し、世界を詳細に捉えましょう。
自分自身のレベルが大切です。
常に自分自身の成長を目指しましょう。
世界の実相は、あなたの思っているようなものではありません。
多くのことを知りましょう。

2015年1月30日金曜日

自分の人生

自分に与えられた仕事が何であるのかを、あなたは常に模索(もさく)し続けなければなりません。
人はただ生活するために生まれたのではありません。
欲望のままに生きるために存在しているのではないのです。
そのような人生ならば、空しさ以外には受け取ることができないということを理解しましょう。
ただ生活し、欲望を貪り、小さなプライドと共に年老いて死んでいく。
このような人生を求めているのですか?
何等かの仕事をし、その役職によって他人から必要とされることはあっても、その役職を解かれた瞬間から誰も相手にしてくれないような人生を求めているのですか?
あなたは何のために生きているのか?ということを考え続けなければならないのです。
そして、本当に心を満たす生き方と出会い、それを貫く必要があるのです。
自分に嘘を吐き、他人や世間を欺(あざむ)いたとしても、あなたの心は満たされないのです。
自分が何をするべきであるのか?ということを、心の観点から考察する必要があるのです。
人の本質は心です。
脳や心臓などの物質が人生を築くことはありません。
心によって、脳や心臓を扱うことによって、人生を具体的な方法によって築き上げるのです。
心がなければ、人生を築くことなどできないのです。
死体が人生を築きますか?
あなたにはそれが不可能であるということを理解することができるでしょう。
脳や心臓があなたではないのです。
あなたは心であるのです。
心とは意識です。
思考も感情も意識であるのです。
それ等は心によって作り出される現象です。
心とは魂なのです。
魂という核が存在するからこそ、その現象である心が生じるのです。
魂とは愛と光です。
これは、自然法則であり、宇宙法則です。
それは、この世界のすべてを構築しているものであるのです。
それこそが、あなたの正体であるのです。
あなたは、全体の中の一つの存在です。
しかし、全体なのです。
あなたは自然であり、宇宙そのものなのです。
小さな人間として生きていますが、それに捉われてはなりません。
人間としてのみ生きるのであれば、その生き方、世界観は限定的なものとなってしまいます。
小さな世界観によって生きようとすれば、真実に辿り着くことはできないのです。
あなたは魂として、何のために生まれたのですか?
魂として、何のために生きているのでしょう?
魂として、できることは何ですか?
あなたは人間ではありますが、その本質である魂は全体と一つの存在であるのです。
小さな世界に拘(こだわ)ってはなりません。
自分に与えられた仕事が何であるのか?ということを探し続けなければならないのです。
現在の自分の生き方が、本当に正しいと思いますか?
人は必ず死にます。
すべての人が死ぬのです。
死という概念を取り入れても、その道が正しいと思いますか?
あなたの生き方が正しいかどうか?ということは分かりませんが、あなたは常に自分自身の生き方に疑問を持たなければなりません。
周囲の人と比べて安心していてはなりません。
他人の意見によって納得していてはならないのです。
あなたの心、魂の情熱がどうなっているのか?ということが重要であるのです。
あなたは燃えるように生きていますか?
命をかけて、この人生を懸命に歩んでいるでしょうか?
何の目標も目的も無く、無気力に生きていてはならないのです。
何にも興味を抱かず、無知なまま死を迎えてはなりません。
愚かな者が辿り着く場所は、苦しみであるということを理解する必要があるのです。
自分に与えられた仕事に対して懸命に生きた者がどのような結果を得ようとも、そこには魂の情熱を満たしたことによる満足感が存在しているということを知りましょう。
自分の人生を生きた者が不幸になることは有り得ません。
あなたは自分の人生探し、それを生きましょう。

2015年1月29日木曜日

受容力

多くの人は、自分自身の状態について理解していません。
多くの人は、自分自身のことを知らないのです。
それは、主観に頼る人生観に問題があります。
多くの人は、自らの価値観の中に人生を築くのです。
それが「普通」であり、「常識」であるからです。
そのために、視点と視野が限定されるのです。
その人の世界観はそれ以上の広がりを見せることはないのです。
世界観が発展することがなければ、それ以上の情報を得ることはできません。
自分自身の受容力が限界に達するために、それ以上のことを受け入れることができず、理解することもできないのです。
受容力に乏しい者は、新たな情報(知識、方法、判断基準)を学び、それを実行することができません。
新たな展開がないのであれば、それ以上の可能性を得ることは不可能です。
即ち、それ以上の成長を実現することができないということなのです。
多くの人は成長に対して貧しいのです。
多くの人は成長が不足しています。
そのために、不満や不安、欲望や(利己的な)利益、財産や物質、不足や苦悩の中に生きるのです。
多くの人は豊かさや幸福とは離れた場所で人生を営んでいるのです。
現実逃避をして豊かさと幸福を手に入れても何の意味もありません。
不足や問題などのすべての状況を認めながらも、豊かさと幸福を手に入れる必要があるということなのです。
そのために、主観から離れ、自らを成長させる必要があるのです。
主観に頼っているのであれば、人は成長することができません。
主観に頼っているのであれば、人は人の話を聞くことができないからです。
多くの人は自らを美化しているために正当化します。
その習慣が根強いために、自分が正しいなどと信じています。
そこにはどのような根拠があるのでしょう?
あなたが正しい根拠など、どこを探しても存在しないのです。
あなたが未熟である根拠はどこにでも存在しているのです。
あなたは間違えてはなりません。
すべての状況に意味があり、重要な学びであるということを理解しなければならないのです。
理解することができないことであろうとも、それを受け入れなければなりません。
受け入れることがなければ、決して理解には到達しないのです。
難解であろうとも、受け入れて噛み砕くことによってようやく理解する可能性を得るのです。
新説を受け入れるのには、それなりの時間と労力が必要です。
それは、主観的な習慣が根強いからです。
簡単ではありませんが、それは必ず解消します。
受け入れ難いことに対しても、人は心を開かなければならないのです。
新たな情報を得なければ、世界は広がりを見せないのです。
あなたは人生の目的を覚えていますか?
人生の目的は成長を実現することです。
細々したことは多々有れど、根本には成長という目的が存在しているのです。
このことを見失っている人が多いのです。
多くの人がこれを知らずに生きているのです。
そのために、(人格的、魂としての)成長に乏しいのです。
あなたは成長することによって、苦しみを無くしていかなければなりません。
無知とは、苦しみの原因なのです。
あなたは無知ではならないのです。
不満、不安、心配、恐怖、不幸、問題、苦しみ、争い・・・
これ等の原因は、そのすべてが無知によって導かれるのです。
知恵はそれ等を喜びに変えることができるのです。
主観に頼る愚かな者が知恵を得ることはありません。
それは、主観に反する情報を受け入れることができないからです。
あなたは、受容力を育まなければなりません。
受容力は主観を離れることで身に付きます。
謙虚でありましょう。
自分が未熟であり、学ぶことが山程存在しているということを理解しましょう。

2015年1月28日水曜日

無限の可能性

小さな世界に生きてはなりません。
この世界は、あなたが考えている程小さな世界ではないのです。
あなたは余りにも狭い視野によって、余りにも小さな世界に生きています。
あなたは無限の可能性に気が付かなければならないのです。
あなたの認識によって計れる程、この世界は小さくもなければ、単純でもないのです。
あなたが思っているよりも、この世界は遥かに大きく、遥かに複雑なものであるということを知りましょう。
そのため、あなたの知識は一瞬で役に立たなくなります。
あなたの信じている常識も同じです。
次の瞬間には新たな発見によって世界は覆るのです。
あなたはそれを当たり前とする必要があるのです。
あなたの中で、世界というものは狭く浅いものであるかも知れません。
あなたが退屈や不満などの詰まらない感情に弄(もてあそ)ばれているのであれば、あなたは何も知らない人ということになります。
世界は、あなたの想像を凌駕(りょうが)します。
あなたの認識は、この世界のすべてを捉えることはできません。
あなたがどれだけ努めても、世界の実相を捉えることはできないのです。
一生をそれに費やしても追い付かないのです。
全世界の人間が同じ作業を行っても、結果は同じです。
何億年と歴史を重ねても、何も理解していないということを理解しましょう。
あなたが高高(たかだか)百年生きたところで、理解しようもないのです。
詰まらない感情に弄ばれている場合ではありません。
あなたは少しでも大きな世界を捉えなければならないのです。
視点を高く、視野を広げ、少しでも広い世界に生きなければならないのです。
唯物思想を信じ込む者がいます。
唯物論者は物質のレベルで思考(世界)の広がりが終わります。
この世界は物質の総量よりも、意識の総量の方が多いのは明確なのです。
あなたの思考や感情などの意識は、どれ程の働きと広がりを見せるでしょうか?
あなたは常に考え、常に思っているのです。
寝ている時でさえ、それ等を働かせています。
意識がその生産を休むことはありません。
しかし、あなたが物質を生み出すことはどうでしょう?
あなたの思考や感情は何等かの意図を以て物質を生産します。
思考や感情の数と、そこから生み出される物質の数はどちらが多いでしょうか?
あなたは一つの物質を生み出すために、どれ程の計画を立てるでしょう?
あなたは本当に物質のみが世界を形成していると思いますか?
唯物論的に、思考や感情さえも物質的な働きであると思うのですか?
あなたに唯物思想を信じさせるのは誰ですか?
その人物はどのような人生を生きていますか?
その人物は他人からどのような評価を得ていますか?
あなたはその人物をどう評価しますか?
小さな世界に生きることは簡単です。
しかし、小さな世界に生きることは危険です。
それは、可能性が途絶えてしまうからです。
人が夢を持つのは、そこに喜びが存在しているからです。
しかし、夢とは実現する約束のない幻です。
しかし、それを目指すことによってのみ、人は人生を喜ぶのです。
それは、大きな世界を目指すことこそが、人にとっての正しい道であるからです。
夢を持たない人が喜ぶでしょうか?
夢を持たない人の人生に憧れを抱けますか?
小さな世界に生きる者を、あなたは詰まらない人間だと位置付けるでしょう。
度量の小さな人間に対しては、嫌悪感さえ覚えてしまうかも知れません。
人の認識と世界の大きさ(度量)は比例しています。
高い視点と広い視野によって大きな世界に生きる者は、その度量が育まれます。
そのような者が退屈や不満などの詰まらない感情によって弄ばれることなど無いのです。
認識の許す範囲をすべてだと考えてはなりません。
より大きな世界に生きるように努めましょう。
それでもすべてを理解することは不可能です。
無限の可能性を遊びましょう。

2015年1月27日火曜日

尊い人

あなたには尊敬することのできる人がいますか?
あなたの周囲に、尊敬に値する人物は何人いるでしょう?
あなたが尊敬することのできる人は多くはないはずです。
あなたの周囲に限定するのであれば、その人数はより少なくなってしまうでしょう。
中には、尊敬する人物が思い付かない人までいるでしょう。
しかし、それは仕方のないことなのです。
他人から尊敬を得るためには、その人の道しるべとなる必要があります。
しかし、多くの人は自分が何者であるのも知らず、人生が何のために存在しているのかすら考えたことがない人たちばかりなのです。
夢を持たずに生きて、無気力に、無神経に、「無神論」に、無反応に、無知に生きているのです。
その割に、自己を正当化し、傲慢な態度によって、自己を顕示(けんじ)することに熱心であるのです。
物欲、性欲、食欲、睡眠欲、金銭欲・・・
このような低俗な思想によって目的も無く生き長らえている状態であるのです。
このような人たちを尊敬することの方が難しいのです。
そのために、尊敬する人物というものは限定されます。
尊敬する人物は、尊敬に値しない人物に比べて少数であるはずなのです。
自らを律し、目的のために生きる人でなければ、誰も尊敬することなどできないのです。
勤勉であり、勤労であり、愛情深く、正義感に溢れ、柔軟な人物でなければ、尊敬には値しないのです。
そのような人がどれほどいるでしょう?
あなたの周囲にはそのような人物は少数であるはずです。
全体を見渡しても、そのような人物は比率として少ないのです。
大半の人は尊敬を得ることができません。
それは、その人たちが先述したような生き方をしているからです。
あなたは自分がどのような生き方をしているかを知っていますか?
どのように思われているのかを知っていますか?
あなたの自分に対する評価など、何の価値もないのです。
あなたは、他人からの評価によって初めて価値を得るということを理解しましょう。
あなたが自分のことをどう思っているかなど、何の意味も無いということです。
あなたは、他人から尊敬される人にならなければなりません。
すべての人が、何等かの形で他人に尊敬される必要があるのです。
そして、あなたは尊敬することのできる人を探さなければなりません。
尊敬し合うことが重要であるのです。
ただし、(現状においては)尊敬に値しない人たちを蔑(ないがし)ろにしろと言ってるのではありません。
そのような人たちにも配慮は必要です。
好き嫌いのレベルの話ではないということを理解しましょう。
あなたは他人から様々な意見を受けるでしょう。
あなたは、その言葉がどのような人物からのものであるのか?ということに注意しましょう。
あなたの尊敬する人物からの言葉であるのならば、そこには何等かの意図があると考えて間違いありません。
しかし、尊敬に値しない人物からの言葉であるのならば、それは個人的な感情、もしくは、怠慢や悪意などの破滅的な意図を以て発せられた言葉である可能性が高いということを理解しなければならないのです。
人の夢を批判する人がいます。
あなたの生き方に口を出す人がいます。
あなたはその人の言葉の根拠がどこにあるのかを思慮(しりょ)しなければならないのです。
多くの人は夢を潰されます。
多くの人は生き方を歪められるのです。
あなたは愚者によって洗脳され、夢と自己を失うのです。
これはあなたの人生なのです。
他人に騙されてはなりません。
教育(他人の意見)や常識を鵜呑みにしてはなりません。
あなたは自分で判断する必要があるのです。
知恵とは、自己判断能力なのです。
あなたはこの財産が奪われないように、必死で守らなければならないのです。
尊敬に値しない人たちは、あなたの財産(自己、知恵、夢、幸福、人生)を奪うために、恐怖を言葉に込めるでしょう。
あなたは親であろうが、友人であろうが、世間でいう権威者であろうが、その言葉を鵜呑みにしてはなりません。
立場など、何の価値もないのです。
大切なのは、あなたがその人を尊敬することができるかどうか?ということだけなのです。
あなたは尊敬に値することができるのは誰なのか?を考えましょう。
そして、自分が他人からの尊敬に値する人物であるのか?ということも考えていましょう。
人生にはしなければならないことがたくさんあります。
怠けて暮らさないように注意しましょう。

2015年1月26日月曜日

温故知新

世界は常に古いものから新しいものへと変わっていきます。
古く未熟なものは淘汰(とうた)され、新しくより良いものへと移行するのです。
この世界の目的は成長です。
すべての存在が、すべてのレベルで成長を続けています。
建設的な働きも、破滅的な働きも、そのすべてが成長のためなのです。
この世界の一切の働きの中で、成長に関係のないものは存在しないのです。
すべてが成長のためにこそ動いているということを理解しなければなりません。
すべてが成長するために滅び、成長するために生まれるのです。
それ以外の理由はありません。
あなたは何かが滅びようとも、それを悲しむ必要はないのです。
そして、何かが生まれようとも、それを苦に思うことはないのです。
古いものが淘汰され、新しいものが遺るのは自然なことなのです。
古いもの、未熟なものは滅びなければなりません。
古いもの、未熟なものがいつまでも存在しているのであれば、それ以上の成長が実現することはありません。
そのために、古いもの、未熟なものは淘汰されなければならないのです。
あなたは執着心を持ってはなりません。
あなたは成長するために何かを失います。
そして、成長するために何かが滅びるのです。
それが苦しみであったとしても、成長のために必要なことであるのです。
その事実を忘れてしまうと、執着心によって成長が妨げられてしまうのです。
古いものは大切に思えるかも知れません。
しかし、大切なのは古さを保つことではありません。
古いものを生かして、より良い新しいものを生み出すことが重要であるのです。
ただ古いという理由によっては、価値など存在しないのです。
伝統や習慣や常識という類いのものであっても、あなたはそれを正しく精査しなければなりません。
根拠もなく、古いという理由によって継続してはならないのです。
情報は常に未熟です。
事実は常に核心に近付きます。
新しいものがすべて正しいとは言えませんが、古いものを生かした新しい情報は、より本質を捉えているということが言えるでしょう。
あなたは古い情報を信じ続けてはなりません。
古い情報を信じ続けているのであれば、あなたは判断を間違えるでしょう。
判断を間違えるのであれば、苦しみという結果を受けることになるのです。
あなたは幸福を得たいと考えるでしょう?
豊かに生きたいと思っているはずです。
あなたが幸福で豊かな人生を望んでいるのならば、古いままではならないのです。
より良い生き方を実現する必要があります。
あなたは常に情報を求めていなければなりません。
より本質に近い情報を求めるのです。
幸福になりたい、豊かに生きたいと思っても、その方法が分からないのであれば、どれだけ時間を費やしても実現することはないのです。
古く未熟な方法を以て、愚かな生き方をしている人が幸福や豊かさを手に入れることなどできないのです。
あなたは一昔前の常識でさえ、既に信じてはいないでしょう。
事実は常に塗り替えられるからです。
しかし、一昔前、あなたはその常識を心の底から信じていました。
今、あなたが信じてるものは、後にどのようになっているでしょう?
過去の情報が役に立たなくなった今、同じことが繰り返されるとは思いませんか?
例えば、五年前のあなたの考え方や生き方と同じことを、今でも同じように行えますか?
もしもあなたが賢人であるなら、昨日と同じことを繰り返したくはないとさえ思うでしょう。
気付きは人それぞれですが、過去を繰り返すことは愚かなことなのです。
人は古いものを生かした、より良い新たなものを手にしなければならないのです。
何の根拠も無く、古いものを守ってはなりません。
古く未熟なものは淘汰されます。
現在のあなたの考え方や生き方は、将来必ず無用となります。
何事に対しても執着してはなりません。
新たな情報に対して敏感でありましょう。
新たな生き方を手にしましょう。

2015年1月25日日曜日

前進

いつまでも同じ場所にとどまっていてはなりません。
あなたは一歩を踏み出し、前進するのです。
一所にとどまっていられるほど、人生は暇な場所ではないのです。
あなたは使命を以て生まれました。
あなたは使命を果たすために生きているのです。
いつまでも同じ場所にとどまっているのであれば、使命を果たすことなどできるはずがないのです。
あなたは前進し、使命を果たすという結果にまで辿り着かなければならないのです。
あなたは常に前進する必要があるということを覚えておきましょう。
「どうでも良いこと」「詰まらないこと」「低俗なこと」「間違い」に立ち止まっていてはならないのです。
常に新たな方法や生き方を見付け出し、人生に変化を引き込むのです。
人生は因果の仕組みによって動いています。
因果の仕組み以外の力によっては動きようがありません。
すべての結果には、それに相応しい原因が存在するのです。
あなたが喜んでいるのであれば、それに相応しい原因を所有しているのです。
あなたが苦しんでいるのであれば、それに相応しい原因を所有しているということになります。
これは、否定しようの無い事実なのです。
あなたの原因とは、行動です。
行動は思考によって導かれます。
思考は感情によって生まれ、感情は魂から溢れるのです。
人生がどのような状況にあり、あなたがどのような状態であろうとも、それはあなたに原因(責任)があるということを理解する必要があるのです。
これを理解することができない者は、更に間違えることとなり、更なる苦しみを受けることになるでしょう。
あなたは、すべての原因が自分自身にあるということを理解しましょう。
すべての原因が自分自身にあるということを理解したなら、あなたは行動を起こさなければなりません。
同じ場所にとどまるという行為が、同じ苦しみを受ける結果となることは明らかであるからです。
自らの意思によって前進すれば、それだけで状況は大きく変わります。
車道の真ん中に立ち尽くしているのであれば、いつかは自動車に引かれてしまうでしょう。
そこから数歩進み、歩道にまで達すれば、自動車に引かれることはないのです。
現状が苦しいと嘆(なげ)くのであれば、あなたは自らの意思によって前進する必要があるのです。
誰かや何かに責任を押し付け、不満や不安を吐いている場合ではないのです。
あなたは常に自己の反省に目覚めるのです。
誰かや何かを批判しても、あなたの人生が好転することなど有り得ません。
寧(むし)ろ、その破滅的な思考が仇(あだ)となり、更なる苦しみを導く結果になるのです。
誰かや何かを批判することはやめることです。
あなたは、自分が同じ場所(同じ思考、同じ感情、同じ行為)にとどまることのないように努めるのです。
前進するためにはどのような手段も用いましょう。
即(すなわ)ち、許したり、認めたり、反省したりするのです。
これまでの方法とは明らかに違う方法を用いなければ、前進することはできないのです。
同じ過ちを繰り返すような愚かなことをしてはなりません。
それは、学習していないということであるからです。
何も学んでなければ、その時間の価値は無いのです。
無駄な人生を生きてはならないのです。
先述したように、あなたには使命というものがあるのです。
これを実現するために生きているのです。
あなたには、自分に架せられた使命というものが分かりますか?
あなたは何のために生きているのですか?
それを知らずに生きることが空しいとは思いませんか?
何のために生きているのかも分からずに死んでいくのですか?
そのような人生で良いのですか?
あなたは深く考えなければなりません。
いつまでも変化の無い人生を生きてはなりません。
不満や不安を吐きながら、何の行動も示さないような情けない人間であってはなりません。
いつまでも同じ場所にとどまっていてはなりません。
あなたは自分の力で、人生を変えるのです。
何が正解であるかなど、知る必要はないのです。
苦しみを受けるのであれば、違う方法を用いることです。
これだけで、正解を理解することができるからです。
どの方向でも構いません。
とにかく、前に進みましょう。

2015年1月24日土曜日

道具と主人

あなたは金の力に注意しなければなりません。
金の仕組みに取り込まれてはならないのです。
それは、あなたの人生を破壊してしまいます。
金が中心となった人生は、あなたの人生ではなく、金の人生であるからです。
あなたは騙されてはなりません。
これはあなたの人生であるのです。
金のために働き、金のために争い、金のために人を騙し、金のために絶望し、金のために死んではならないのです。
金のための人生などではないのです。
そのように低い次元の話をしてはならないのです。
金は便利なものかも知れませんが、そこには真の価値がないということを知りましょう。
金に左右されるような詰まらない一生を生きてはならないのです。
しかし、多くの人は金に価値を置きます。
そのために、嘘が生まれ、争いを起こし、苦しみを受けるのです。
その結果として夢が失われます。
あなたには夢がありますか?
金を中心とした価値観が主流になっている愚かな者には、人生の答えを理解しようがありません。
あなたは人生が何のためにあるのか?
自分が何のために生きているのか?を知っていますか?
あなたは金のために生きているのですか?
金のために死ぬのですか?
小さな思考の中に生きてはなりません。
あなたの周囲の人たちは、幼いあなたに金を中心とした人生観を教えました。
そのせいで、あなたは金を追いかけることを続け、疲弊(ひへい)し、真理から離れて苦しんでいるのです。
あなたの人生観は、あなた自身の人生観でしょうか?
金にこそ価値があると言って、あなたを詰まらない世界に引き摺り込んだのは誰ですか?
金が人生を築くのではないのです。
あなたはこの重要な責務を放棄してはならないのです。
洗脳を解かなければなりません。
あなたは自分自身の人生を生きるのです。
金が正義であると訴えるのはどのような人物ですか?
あなたはそれを冷静に見極めなければなりません。
あなたに金に対する欲求を必要以上に持たせようとするのは?
あなたに金を必要以上に手放すように求めるのは誰ですか?
金は大切なものではありますが、それは単なる道具に過ぎません。
道具が主人を上回ることなどあってはならないのです。
道具に殺されてはならないのです。
道具を扱う技量を身に付けましょう。
それがどのようなものであるのかを知るのです。
どのような歴史と意図を持っているのかを調べるのです。
常に本質を見極めるように努めましょう。
何も知らない愚者であってはなりません。
人生の目的が分からない、夢が持てないからといって、金に逃げてはなりません。
金が目的であるはずがないのです。
あなたの本質は魂です。
魂とは崇高な意識であるのです。
崇高な意識が物質である金に縛られてはなりません。
あなたは思考や感情を使って物を扱います。
これは、意識が物質を道具として使うことを現しています。
物に支配される意識ほど、無能なものはないのです。
道具に道具とされる主人ほど情けないものはないのです。
金の力に注意しましょう。
その力に飲み込まれないように努めるのです。
人は弱い心を持ちます。
金に対する欲に対して簡単に溺れてしまうのです。
そして、魂を売り渡すのです。
真の価値を金によって手放してはなりません。
人生というものを深く考えましょう。

2015年1月23日金曜日

自然と共に

あなたは自然と共に生きなければなりません。
人は自然と共にあるのが自然です。
あなたは自然に生まれてきました。
あなたは自然に呼吸をし、自然に食べました。
あなたは自然に笑い、自然に怒り、自然に泣きました。
あなたは自然に掴み、自然に歩きました。
あなたは自然と共に生きなければなりません。
「自然」というものを蔑(ないがし)ろにしてはなりません。
人は、自然という世界から抜け出してはなりません。
不自然な生き方は、不自然の結果として苦しみを導くのです。
人生は幸福であって自然なのです。
様々なことはありますが、それでも幸福であるのが自然です。
正しく生きれば、どのような状況を受けようとも幸福を得ることができるのです。
しかし、大抵の人が自然を理解してはいません。
不自然な生き方をするのです。
不自然に考え、不自然に思い、不自然に行い、不自然な結果を得ることになるのです。
それこそが苦しみの原因であるということを理解する必要があるのです。
自然に生きるということは、目の前に起こる状況を受け入れるということです。
すべては自然に導かれる結果であるのです。
それは、因果の仕組みによって決定されます。
それが、自然の摂理であるということなのです。
多くの人は受け入れることができません。
自分にとって有利なことや簡単なことは受け入れますが、不利なことや難しいことは否定します。
因果の仕組みによって導かれる結果こそが自然であるにも関わらず、それを否定するのであれば、不自然な結果を自ら作り出すということなのです。
不自然な結果は、自然の結果へと戻ろうとします。
その変化によって苦しむことになるのです。
毒を飲めば、その(人体にとって)不自然な成分によって苦しみを受けます。
人生の結果を否定するということは、毒を飲むことに等しいのです。
問題が生じれば、その問題を受け入れ、その原因である自らを反省し、問題の根本的解決を目指さなければならないのです。
しかし、これを実践している人は少ないのです。
多くの人は自らを正当化し、現実逃避をするのです。
そのために、愚かに抵抗するのです。
状況を変えたいと考えることは正しいことです。
しかし、受け入れるという前提を無視することは間違えなのです。
受けれた後で変えることが正しいのです。
受け入れなければ何も変わりません。
人生は学びによって築かれるのが自然です。
そのために、学びによって人生は展開するのです。
しかし、多くの人はそのことを知りません。
その結果として、無駄な抵抗を続けるのです。
学ばなければ何も変わることはないのです。
学んで成長することによって、初めて前に進むことができるのです。
あなたはこの仕組みを知らなければなりません。
人は自然と共に生きなければならないのです。
結果を書き換えようと努めても無駄です。
学ぶことがなければ、同じ結果を何度も受け取るだけなのです。
その時には回避することができたと思うでしょう。
しかしながら、人生(因果の仕組み)はそんなに甘いものではありません。
そこから逃れることは決してできないのです。
受け入れましょう。
自然と共に生きるのです。
そして、自然と共に死ぬのです。
それで良いのです。
あなたはいつか、この言葉の意味と重要性を理解するでしょう。

2015年1月22日木曜日

天を掴む

樹木は天を目指します。
樹木は天を求めて成長するのです。
樹木は光を求めています。
それは、光こそが宝であると知っているからです。
人間は樹木と同じです。
同じ自然界に生きる仲間です。
同じ世界に生きているために、同じ目的を持っているのです。
あなたは人間です。
あなたは天を目指さなければなりません。
あなたは天を求めて成長しなければなりません。
あなたは光を求めなければならないのです。
樹木にとっての光とは陽の光です。
人間にとっての光とは希望です。
人は希望を抱えて生きていかなければなりません。
樹木にとっての天とは空です。
人間にとっての天とは幸福です。
樹木が天を掴むように、人は幸福を掴まなければなりません。
樹木は歪みながらも天を目指します。
真っ直ぐに伸びる樹木はありません。
すべての樹木が歪んでいるのです。
人は苦しみながらも幸福を目指さなければなりません。
苦しみの存在しない人生などありません。
すべての人生が苦しみを所有しているのです。
誰もが苦しみによって道を塞がれるのです。
そして、心が歪むのです。
不安や怒り、恐怖心によって、人は心を汚します。
そして、世界を斜(なな)めに見るようになるのです。
素直に生きることができる人はいません。
誰もが何等かの問題を抱え、苦しみに捕えられるのです。
心に傷を負わない人はいません。
誰もが傷付き、苦しむのです。
それが人生というものです。
あなたは樹木のように、歪みながらも成長し続けなければなりません。
問題はいつも存在し、苦しみに心は震えます。
しかし、それは成長を果たすために必要なことなのです。
歪みながらも成長した大樹には歴史を見ることができます。
その壮大な姿には、誰もが魅入(みい)るのです。
ただ、大きなだけの真っ直ぐな樹木に対して、誰かが注目することはありません。
あなたは様々な経験を受けます。
その度に苦しむことになるでしょう。
しかし、それがあなたの歴史となるのです。
苦しいことから逃れようとする者がいますが、そこに価値はないということを理解しましょう。
傷が付き、枝が折れ、皮が剥がれ、虚(うろ)が空いているからこそ、その姿は雄弁であることができるのです。
苦しみを無用なものだと考えてはなりません。
歪むことも大切であるということを理解しましょう。
人生には様々なことがありますが、それでもあなたは幸福に向かって進み続けるのです。
希望を見失ってはなりません。
夢を持って生きなければなりません。
人生を無駄に生きてはなりません。
あなたは人生が希望の光で満ちている素晴らしい場所(時間)であるということを知りましょう。
苦しい思いをして、歪んで、それでも進むことが重要なのです。
何も知らずに歳を取る人間ほど面倒なものはありません。
未熟な人間、愚かな人間に成ってはなりません。
苦しみを糧(かて)に成長し、人生の幸福を実現しましょう。

2015年1月21日水曜日

洗脳

あなたはこの洗脳を解かなければなりません。
あなたは既に洗脳されています。
そして、本当に大切にしなければならないことを見失っているのです。
あなたはすべての事柄に対して感謝することができていますか?
怒りや恐怖の中に生きてはいませんか?
夢を持って、それを実現するために生きていますか?
周囲の目が気にしてはいませんか?
この程度のことができていないのであれば、あなたは既に洗脳されているのです。
しかしながら、大抵の人がこの事実に気が付きません。
苦しみに捕えられていながら、自分が自由であると思い込んでいるのです。
あなたはそのことに気が付かなければなりません。
間違った思想によって生きるのであれば、間違った人生を受け取ることになるのです。
間違っているのであれば、人生が苦しみによって満たされるのは必至であるのです。
人生の苦しみ、すべての問題は、自分自身の思想が間違っているということに起源しているのです。
あなたは常に自らを省みなければなりません。
常に大きな視点を求め、日々を生きていなければならないのです。
毎日を生きていれば、視点が大きくなるのが自然です。
人は、生きるほどに知に目覚め、知恵が増し、より良い生き方を選択するようになるのです。
生き方というものは、変化してこそ自然であるのです。
しかしながら、洗脳によって自然の姿を知ることのない愚かな者は、自らの生き方を変える術を知りません。
また、洗脳によって自らが正しいと思い込んでいるために、新たな生き方を模索(もさく)することもしないのです。
愚かな者は現状維持に安心します。
そして、知を途絶えさせるのです。
人生の目的は成長です。
それは、すべての分野、すべての場面に見られる傾向であるのです。
すべてが成長のために存在しているのです。
そのために、昨日よりも今日の方が、今日よりも明日の方が優れた生き方をしているのが当たり前なのです。
あなたは昨日と今日で何か変わりましたか?
一年前と現在ではどうですか?
五年前とではどうですか?
洗脳によって、愚かな者は一括りにされています。
愚かな者は、他者と同じという状態に安心を覚えるのです。
残念ながら、一番売れているものが最も価値のあるものではありません。
一番売れているものよりも価値のあるものがいくらでも存在するのです。
しかし、愚かな者にはこのことが分かりません。
他者と同じであれば安心だとする思想に根差しているために、本当の価値を理解することができないのです。
すべての事柄に対して感謝することができる人がどれだけいますか?
怒りや恐怖の中には生きていない人はどれだけですか?
夢を持って、それを実現するために生きている人はどうですか?
周囲の目を(良識的に)気にすることなく行動することができる人はどのくらいいるでしょうか?
これ等を行っている人と、行っていない人の比率はどうなりますか?
大抵の人が、これ等を行ってはいないでしょう。
すべてに感謝し、怒りと恐怖に屈することなく、夢に向かって一生懸命に、自らの目的のために邁進する人が苦しむでしょうか?
そのような人が詰まらない人生を生きると思いますか?
感謝することも知らず、怒りと恐怖の中に争い、夢も目標も無く怠惰であり、周囲の目に怯えながら生きている人が、豊かで幸福な人生を生きることができると思うのですか?
あなたの思想はどちらを手本としているでしょう?
あなたの生き方はどちらですか?
本当の価値を見極めましょう。
自分が何をしなければならないのか?を探すのです。
ただし、簡単には見付かりません。
一生をかけて、命をかけてでもやりたいことを探すのです。
人生の本当の目的を前にした時には、自分の命の価値さえ霞(かす)むということを覚えておきましょう。
他者が求めるものなどに価値はありません。
大多数の愚かな者への慰めである常識に騙されてはなりません。
「普通」を信用してはなりません。
この洗脳を解き、真実に目覚めなければなりません。
あなたは自分が既に洗脳されているということを前提にしておきましょう。

2015年1月20日火曜日

我が世界

世界は、個人的な認識の中に存在しています。
あなたの世界とは、あなたの認識であるのです。
あなたの世界と、他人の世界を一緒くたに考えてはなりません。
人は、それぞれに独自の世界を持っているのです。
人は、それぞれに独自の世界を生きているのです。
それが自然であるということを覚えておかなければなりません。
あなたは、他人と同じ世界に生きることはできません。
人は、他人との関わりの中で、自らの認識の強化を計ります。
それは、自らの生きる世界を強化するためです。
世界の強化とは、豊かさを実現するということなのです。
人は、他人との関わりの中に自らを成長させ、人生という名の我が世界を豊かなものとするのです。
あなたはこれを知らなければなりません。
他人とあなたは同じように見えても、違う世界に生きているのです。
そのために、人が理解し合うことはありません。
他人があなたの言う通りに動くということも有り得ません。
世界が違うのに、同じ世界を生きることなど不可能であるのです。
人はそれぞれに個性を持って生まれます。
それは、千差万別であるのです。
一つとして同じものはないのです。
それぞれが独立しているものであるということを理解しなければならないのです。
人はそれぞれの道を行くのです。
あなたと他人の生きる道は違うものです。
そのために、違う場所に辿り着きます。
あなたがどのように働き掛けようとも、相手が自ら行わなければ何も変わり様が無いのです。
あなたには他人を変えることができません。
人を変えるのは自分自身の力であるのです。
愚かな者は、いつまでも愚かなままです。
他人によってそれが改善されることは有り得ません。
あなたが誰かに助けを求めようとも、それだけでは何も変わりはしないということです。
誰かはあなたを思って手を差し伸べるでしょうが、あなたがそれに従って自ら努力することがなければ、決して助かることはないのです。
あなたの世界を築くのは他人ではありません。
また、他人の世界を築くのもあなたではないのです。
そのことを覚えておかなければなりません。
間違った方法は苦しみを導くのです。
他人を変えることができるなどと、高慢な考えを持ってはなりません。
他人によって変えられる、変えてもらえるなどという妄想に浸ってはならないのです。
誰独りとして、あなたの世界に足を踏み入れることのできる他人は存在しないのです。
誰であろうとも、自分の世界から抜け出すことはできないのです。
あなたは常に自分を磨き、鍛えなければなりません。
他人が助けを求めてきたなら、それに全力で応えなければなりません。
しかし、他人を変える必要はありません。
あなたにできることは、他人の自主性を刺激するだけです。
結果は自分自身で決めることなのです。
人は同じように見えて、全く違う世界を生きています。
あなたは他人との関係に苦悩する必要はありません。
目には見えませんが、他人との境界は確実に存在しているのです。
他人を助けることは大切ですが、他人の真似をする必要はありません。
独自の世界を追求していけば良いのです。
ただし、他人から学ぶべきことがあります。
それを参考にしなければなりません。
そして、他人から参考にされるような人物になるように努めましょう。
他人と同化する必要はありません。
認識が偏(かたよ)り、歪むことのないように注意しましょう。
人が我が世界を生きているということを忘れてはなりません。

2015年1月19日月曜日

画策の嵐

あなたは常に自らを省みなければなりません。
あなたは毎日反省し、自分を見つめ直す作業をしなければならないのです。
あなたは自らの意思によって、自らの方向性を確認する必要があるということを覚えておきましょう。
それも、毎日行わなければなりません。
一日とて、それを怠る訳にはいかないのです。
人は意味のある一日を繰り返しているのです。
一日という時間を使えば、その方向性は大きく変わるのです。
一日という時間の中で、方向性が真逆を向くということも有り得るということを覚えておきましょう。
今日が良くても、明日が良いという保証はないのです。
今日と明日は同じものではないのです。
あなたは代わり映えのない毎日を過ごしていると考えるかも知れませんが、日々は明確に違うものであるのです。
退屈な日常を生きているのであれば、あなたにはその違いが理解できないだけです。
あなたには同じに見えたとしても、それ等は全く違うものであるのです。
全く違うものを、同じとして扱ってはならないのです。
全く違うものを同じとして見るのであれば、それより先はないということを覚悟しましょう。
あなたは常に新たな一日を生きているのです。
そのために、何事に関しても、毎日新たに始めなければならないのです。
昨日やっていたことも、今日から新たに始めるのです。
今日は昨日の延長ではないのです。
それは全く新しいものであるために、あなたは気持ちを切り替える必要があるのです。
そのため、あなたは毎日自らを省みる必要があります。
方向性の確認が大切なのです。
人生というものは、何の目標も見当たらない海原に似ています。
海の上では僅(わず)かな情報を頼りに目的地を目指す必要があります。
僅かな変化に対しても敏感でなければならないのです。
そうでなければ、舳先(へさき)は簡単に目的地とは違う場所を指すことになるのです。
毎日が同じものだと高を括(くく)り、自らを省みる時間を蔑(ないがし)ろにしてはならないのです。
人は既に騙されているのです。
人の世には悪意が渦巻いています。
人は未熟であり、弱い心を持つ存在です。
そのために、どのような手段を用いても自らの利益を守ろうと考えるのです。
海原であっては風向きや海流がめまぐるしく変わるように、あなたを取り巻く環境は常に変化し続けているのです。
善意であっても、悪意であっても、人の世には画策の嵐が吹き荒れています。
人は何等かの利益のために様々に画策を企(たくら)むのです。
そして、自らを省みない者はその画策の嵐に飲まれて沈みます。
画策の嵐に飲まれることによって、辿り着く先が大きく変わるのです。
あなたは嵐の夜にでも、目的地への方向を見失ってはならないのです。
風が吹こうが雨が降ろうが、あなたは方向性を失わず、目的地を目指し続けなければならないのです。
嵐の中であろうとも、目的地を探し続けなければなりません。
忙しい毎日を生きていようとも、自らを省みることを忘れてはならないのです。
愚かな者は、ただ流されるようにして毎日を過ごします。
愚かな者は、様々な理由を以て自らを反省することをしません。
もしくは、自らを省みる行為の価値を理解してはいないのです。
そのために、それを行わないのです。
あなたは毎日、毎時、自らを省みましょう。
自らを省みることを忘れてはなりません。
あなたの信じているものは、本当に正しいものなのでしょうか?
あなたの考えていること、思っていること、行っていることはどうですか?
本当に正しいことなのですか?
これは、自らを省みることがない者には理解することができません。
自分を俯瞰(ふかん)する者でなければ理解することのできないことがあるのです。
あなたは自分が騙されているなどとは考えないでしょう?
しかし、あなたは既に騙されています。
あなたの信じていることが、すべて嘘であるかも知れません。
あなたは常に自らを省みて、信じるものが本当に正しいのかを俯瞰することによって確かめましょう。
離れて見る時には、その本質が垣間見えるものです。
自らを省みることのない者には、これを見付けることができないでしょう。
あなたは画策の嵐に飲まれてはなりません。
自らを省みることによって、これを乗り越えましょう。

2015年1月18日日曜日

悪意の海

人間の作り出すものには、疑問を持たなければなりません。
人間は自らの価値観に従った利益を追求する生き物です。
利益のためであれば、倫理は崩壊します。
人は、利益のために簡単に嘘を吐くことができるのです。
人の作り出すものには、必ず何等かの意向が存在しているのです。
その意向を読み取らなければ、それがどのような目的によって導かれたものなのかも分からないのです。
本質は常に潜在しています。
表面的な見た目を観察したところで、本質を見極めることはできません。
詐欺師は正装と笑顔で、まとも(のよう)なことを話します。
しかし、それ等はあなたを騙そうとするカモフラージュであるのです。
本質は、あなたを騙そうとしているのです。
詐欺師は詐欺師であるのです。
詐欺師は、詐欺師としての利益のために必要な方法を導くのです。
疑問を持たなければ、詐欺師の用意した方法を「上手い話」だと考え、その意向に従うのです。
その結果は、騙されるということなのです。
疑問を持たないということは、自ら考えることを放棄するということです。
考えることを放棄するのであれば、無知を得るということなのです。
そうして搾取され、やがて苦しみが表面化し、ようやく自らが騙されていたことに気が付いた時に文句を吐いても、その時には既に遅いのです。
騙す方が悪いという人がいるかも知れませんが、騙される方が悪いのです。
騙す方は知恵を絞って騙したのです。
知恵を絞った方が、何も考えない者よりも優れているからです。
詐欺師が悪いと考えてはなりません。
それが詐欺師であると見極めることができなかった自分の愚かさが悪いのだと考えなければならないのです。
人は未熟な存在です。
どのような人にも欠落があります。
すべての人が弱い心を抱え、恐怖に怯えて生きているのです。
そのために、人は自らの利益を求めます。
そして、利益を求めるが余り、人を騙すのです。
あなたは人を信用してはなりません。
現状においてあなたの信頼する人であっても、常に疑問を持たなければならないのです。
この世界が常に流転しているように、人の価値観も変化を続けます。
昨日と今日では価値観は全く違う可能性があるということを覚えておきましょう。
そのために、あなたは人間を信用してはならないのです。
常に疑問を持ち、それを審査しなければならないのです。
新たな知識に出会い、知恵が増すのであれば、見える世界が変わります。
新たな世界を手に入れたなら、古い世界が如何に歪んでいるのかを知ることになるでしょう。
歪んだ世界の中では、すべてが歪んでいます。
歪んだものを正しいと思う心は、既に歪んでいるのです。
常識という人間によって作り出された歪んだ世界では、そのすべてが歪んでいるのです。
それを、簡単に信用してはならないのです。
信用するのであれば、信用するための根拠がなければなりません。
確たる根拠もないままに、ただ親族であるから、ただ長く付き合っているから、有名人であるから、などの詰まらない理由によって信用してはならないのです。
信用とは、そんなに易(やす)いものではないのです。
あなたは自分自身の人生という名の船の船長です。
あなたは、荒れ狂う大海原を進み、見事目的地へと辿り着かなければなりません。
しかし、簡単には辿り着くことができません。
あなたは常識に躓(つまず)き、嘘に騙され、信用していた仲間に裏切られ、苦しみに打ちのめされるでしょう。
無知な者、愚かな者には、目的地へは決して辿り着くことができません。
人生とは、真実を見極める者でなければ決して辿り着くことのできない航海であるのです。
何も考えずに幸福が得られるなどと、甘い幻想に浸(ひた)っていてはなりません。
奇跡など存在しないのです。
どれだけ待っても奇跡は起きません。
騙されてはなりません。
この世界には、因果の仕組みが存在しているのです。
奇跡という考えは、これを否定してるのです。
常に疑問を持ち、その真相を独自に調べるのです。
この世には嘘と偽善が溢れています。
あなたはそれ等に騙されないように進まなければならないのです。
あなたの常識が根底から覆ります。
疑問という最高の友と共に、荒れ狂う悪意の海を渡りましょう。

2015年1月17日土曜日

「神様」

人が大切にしなければならないものの中には、信仰心というものがあります。
あなたは信仰心を育まなければなりません。
信仰心こそが、あなたを悪意の罠から遠ざけ、幸福と豊かさに導く力であるということを知りましょう。
すべてのものは「神様」によって創造されました。
この世界に存在している一切の存在が、「神様」による創造物であるのです。
良いも悪いも関係ありません。
存在する一切が、「神様」の創造物であり、所有物であるということを理解しなければなりません。
「神様」とは、すべてに勝る存在です。
「神様」とは、果てしなく大きく、果てしなく小さな存在です。
それはあなたの認識では捉えることはできません。
あなたの認識の及ばないすべてのものを「神様」は創造したのです。
あなたの知っている、教わった神は「神様」ではありません。
残念ながら、人間には理解することができません。
あなたの知っている神という存在は、人間が何等かの意図を以て生み出した偶像であるのです。
それは、善意かも知れませんし、悪意かも知れません。
しかし、それは人間が創造した紛(まが)い物ものです。
それは偶像としての神ではあれ、世界の創造主である「神様」ではないのです。
あなたは間違った信仰心を育んではなりません。
間違ったものを信仰するのであれば、あなたは間違った考えと行いによって、間違った結果を受け取ることになります。
間違った結果とは、真理に反することによって得る苦しみであるのです。
間違うと苦しみを受け取るのです。
そのために、人は間違わないように努める必要があるのです。
何が正しくて、何が間違っているのか?を見極める必要があるのです。
あなたの知っている神は、善と悪を教えます。
あなたに敵を示すでしょう。
しかし、この世界には善と悪の区切りはありませんし、あなたの敵と成るものは存在しないのです。
すべてが一つであり、すべてが大切な学びであるということを理解しましょう。
この世界に不幸はありません。
この世界に不運はないのです。
すべてが因果の仕組みによって導かれる、当然の結果であり、それは、あなたが成長するためには必要不可欠なものであるのです。
すべてが「神様」からの贈り物であるということを知りましょう。
何一つとして無駄なものはないのです。
すべてには大切な意味があり、それを学ぶことによって成長する必要があるのです。
病気や事故や敵などの不幸だと思い込んでいるものに遭遇した時に、多くの人は恐怖に怯(おび)えます。
そして、それを否定し、どうにかして逃げようとしたり、撃退しようとして争うのです。
しかし、因果の仕組みによって導かれた状況が、あなたにとって不利であるはずがないのです。
本来ならば、あなたの助けになるものであるにも関わらず、それを否定し、更には争って消耗することに価値を見出してはならないのです。
そのような愚行を選択してはならないのです。
あなたがどのように思おうとも、周囲の人がどのような意見を投げ掛けようとも、あなたの受け取るすべての状況が「神様」からの大切な贈り物です。
病気であろうが苦しみであろうが、それを以て学びなさいという意図が存在するのです。
多くの人は、他人が何等かの意図を以て生み出した神や常識や価値観を信じているために、意図的に争うように仕向けられているのです。
本来ならば、思いやりを以て喜ぶはずなのです。
「神様」は、あなたの幸せと成長を目指しています。
あなたが多くに感謝の気持ちを持ち、その心が大きく育つことを見守っているのです。
あなたが怒りや恐怖によって争いを生み出し、その中で不幸になることなど望んではいないのです。
苦しみや敵をあなたに教えたのは誰ですか?
あなたの信仰や価値観を、表面的な見方にとどめるのは誰ですか?
偽物を信じて争ってはなりません。
人が生み出すものには、何等かの意図が含まれるのです。
それは自己の利益のためであったり、支配のためであったりするのです。
人は、立場的に人の上に立ちたいと考えます。
そのために、神を装うのです。
あなたは「神様」を信仰しなければなりません。
すべてが大切な贈り物であることを理解しましょう。
どのような状況を受け取ったとしても、不満や恐怖に支配されてはなりません。
信仰心を以て、思いやりと喜びの中に生きるのです。
そのような生き方こそが、あなたを悪意の罠から遠ざけ、幸福と豊かさを導くということを覚えておきましょう。

2015年1月16日金曜日

正しい利益

すべての人は利益を求めています。
どのような人物も、自らの利益のために動きます。
すべての行動の原因は、利益にあるということを理解しましょう。
人は利益のために行動するのです。
利益というものの形は、人によって様々です。
何を利益とするのかは、その人の価値観によって決まります。
そのため、それぞれの正義が生まれます。
その正義に従って、人は行うのです。
あなたは、自分がどのような正義を掲げているのかを客観的に捉えましょう。
自分がどのような形の利益を求め、どのような形の正義を掲げているのかを知っていなければ、その生き方がどのような方向性を持ち、どのような結果を導くのか?ということを理解することはできないのです。
大切なのは「正しく生きる」ことです。
人が人として、魂が魂として、どのような生き方が正しいのか?を知る必要があるのです。
正しく生きることがなければ、必ず苦しみを受けることになります。
何が正しいのかは、真理によって理解することができます。
人が心の底から良い気分になれることこそが、真理によって証明される正しさであるのです。
あなたは、どうすれば良い気分によって生きることができるのか?ということを考えなければなりません。
また、考え付いたとしても、それが間違っている可能性があります。
そのために、追求し続ける必要があるのです。
あなたは、自分自身の考える利益が、本当に利益に繋がるのか?ということを考える必要があります。
正しい方向性でなければ、本当の利益であるとは言えません。
甘いものを食べるのが幸せだと考える人は、甘いものを食べ続けるでしょう。
その結果、病気によって苦しむことになるのです。
その時には正しいことだと思っていても、真理に照らし合わせてみた時には、それが正しいとは限らないのです。
あなたの求めている利益は、真理に沿った正しい利益ですか?
あなたは独りでは生きていくことができません。
人は他人との関係性の中に人生を築きます。
他人との関係は切っても切れない重要なものなのです。
しかし、あなたと同じように、他人も自分の利益のために動きます。
すべての人が自己の利益のために働くのです。
あなたはそれを見極めなければなりません。
人はそれぞれに求めている利益が違うのです。
そのため、何に価値の比重を置いているのか?ということが違うのです。
それは、方向性の違いであり、生き方の違いであるのです。
この世界は因果の仕組みによって動きます。
すべての結果には、それに相応しい原因が存在するのです。
そのため、生き方の違いが、人生の違いとして現れるのです。
違う目的(利益)を持った者が同じ方向に進めば、争いが生じるでしょう。
また、人は自らの利益のために他人を利用します。
人は利益のために騙し、利益のために搾取し、利益のために騙され、利益のために搾取されるのです。
あなたは自分を含め、目の前の人がどのような利益を求めているのか?ということを知らなければならないのです。
騙された後に、結果が違うと文句を言うのは間違っています。
知らなかったでは済まされません。
互いの求めている利益の形を未確認であり、理解していない自分の落ち度であるのです。
すべての人が、自らの求める利益のために動いていることを忘れてはなりません。
それぞれには、それぞれの正義があるのです。
それを理解していなければ、苦しむことになるのです。
あなたはどのような価値を求めていますか?
目の前の相手が求めている価値はどのようなものなのでしょう?
騙す者が悪い訳ではないのです。
騙す者は、自分の利益の追求に励(はげ)んだだけなのです。
ポジティブなものであっても、ネガティブなものであっても、結局は騙しているのです。
ポジティブな方向に騙すのか?ネガティブな方向に騙すのか?ただそれだけです。
人を恨むことは間違っています。
あなたは真実を見極めなければなりません。
無知なのが罪なのです。
真実を見極める努力もしないで、ただ不満を訴えるような愚か者になってはなりません。
すべての人が、自分の利益のために動いているということを忘れてはなりません。

2015年1月15日木曜日

考える力

重要なのは思考力です。
人は、自ら考える力を育まなければなりません。
多くの人は記憶力が重要だと思っています。
世間で言う頭の良さとは、記憶力のことであり、地頭の良さではないということを覚えておきましょう。
地頭が良いというのは、知恵が豊かであるということです。
人は知恵を育まなければならないのです。
どれだけ多くの知識を記憶したところで、残念ながらそこには価値がありません。
無駄にはなりませんが、価値を生み出すという観点においては、それは力不足であるということを覚えておきましょう。
価値を生み出すことができなければ、そこには乏しさが導かれます。
価値を生み出すことによって乏しさの代わりに豊かさが導かれるのです。
価値を生み出すことをしないのであれば、豊かさが導かれることがないということを理解しましょう。
あなたは知識を体系化するための能力を育む必要があるのです。
記憶力の強化を追求する必要はありません。
記憶力は大切ですが、それはソフトに過ぎません。
大切なのは思考力というハードであるのです。
記憶力(知識)に乏しくても、少ない材料を元にして知恵は生じます。
材料は多い方が良いですが、如何に多くの材料を所有していたとしても、それを体系化して使える状態にすることができないのであれば、宝の持ち腐れであり、苦しみの原因ともなるのです。
少ない食材を使って美味しい料理を作ることができるのは、知恵があるからに他成りません。
多くの食材を使っても、一品の料理も仕上げることのできない人がいます。
豊富な食材が、愚かな料理人によって無駄に廃棄されているということを知りましょう。
どのように多くの食材を集めたところで、それを美味しい料理として仕上げることができないのであれば価値がないということを理解することができたでしょう。
これと同じように、人は知識を知恵として発展させ、何等かの価値を生み出すことによって豊かさや幸福を得ることができるのです。
人生の目的は幸福を得ることです。
人は(自分自身にとって)幸福な人生を生きなければなりません。
そのためには、思考力が必要であるのです。
どれだけ知識を知恵に変換することができるのか?ということが重要なのです。
しかし、多くの人はこのことに気が付きません。
教えられたことを覚えておくことによって褒められてきたために、そうすることが正しいと思い込んでいるのです。
そのために、多くの人が創造性に欠けるということを覚えておきましょう。
あなたは人が創造性に欠けるということを危惧(きぐ)しなければなりません。
創造性の欠落こそ思考力の損失であり、豊かで幸福な人生の消失であるからです。
生み出すことが大切なのであって、覚えることが大切なのではないのです。
あなたはこの誤解を解かなければなりません。
どれだけ多くのことを覚えていたとしても、それだけでは価値がないのです。
ただ、多くのことを覚えているだけを自慢する者がいますが、その膨大な知識が間違ったものであったのならどうですか?
常識は必ず形を変えます。
定説は必ず覆るのです。
暗記した内容が悪意による嘘であったとしたら、それでも多くを覚えることに価値があると思いますか?
人は何を根拠に記憶力を信仰しているのでしょうか?
与えれた情報や知識を鵜呑みにし、それを暗記していることを自慢としてはならないのです。
テストの点が高いことを誇りに思う者がいますが、それは誰にとっての真実を題材にしたテストですか?
他人の意向に沿ったテストの点数が高いことを自慢するのであれば、奴隷が自分が如何に従順な奴隷であるのかを自慢しているに過ぎないのです。
そこに価値があると思いますか?
記憶力が良いことが頭が良いと思いますか?
それが本当に重要でしょうか?
多くの人は、多くの時間と労力と資金を使って記憶力の強化を計ります。
その結果、何の思考力も創造性もない詰まらない人間が生まれるのです。
思考力の無い人間が大切なものを守れるはずがありません。
無力な者には、大切なものを守れないのです。
記憶力の強化は大切です。
しかし、思考力の強化の方がそれよりも重要であるということを忘れてはならないのです。
冷蔵庫を食材で一杯にしても、料理の仕方が分からなければ何も始まらないのです。
あなたは知識を求めなければなりません。
しかし、それだけで賢くなったと錯覚してはなりません。
多くの人は情報を得ただけで満足して安心します。
しかし、そこには何の根拠もないのです。
あなたは考える力(創造性)を育まなければなりません。

2015年1月14日水曜日

愚者の業

あなたは人の迷惑を考えることのできる人にならなければなりません。
人生の目的は何ですか?
人生の目的は魂の成長なのです。
魂の成長を実現するためには、幸福な気分が必要不可欠であるのです。
人は幸福な気分によって生きていなければならないのです。
そして、他人を幸福な気分にする必要もあるということを覚えておかなければならないのです。
余りにも、自己中心的な考えの者が多いのです。
自分自身のことしか考えることができず、その価値観や視野が余りにも狭いのです。
そのような愚かな者は、いつも不機嫌です。
これは、自分自身のことしか考えることができない小さな度量のために、不安や不満などの破滅的な感情に対する抵抗力というものを持ち合わせていないのです。
愚かな者は簡単に破滅的な感情に屈することによって支配されるのです。
不機嫌な態度は、周囲の者に対して悪性です。
不機嫌な態度は、周囲の者の幸福な気分を害するからです。
人は、不機嫌という自分自身の感情をコントロールすることができないだけで、他人に多大なる迷惑をかけているという現状を知らなければならないのです。
否定的な態度も悪性です。
否定的な態度を取る愚か者がいます。
否定的な態度は、否定的な考え方によって導かれます。
物事の短所だと勝手に思っているところしか認識することができないために、否定的な解釈になるのです。
そして、それを他人に押し付けるために、他人の幸福な気分を害するのです。
怠慢な態度も悪性です。
怠慢な者がいます。
様々な言い訳を持ち出し、自分が如何に不利な立場にあるかを訴えます。
そして、被害者を演じることに酔い痴(し)れて、他人に依存し、頼り切るのです。
怠慢な者は、他人の財産を奪います。
それは、他人の幸福な気分を害するのです。
不機嫌であり、否定的であり、怠慢な者は、総じて夢を持ちません。
そのような愚かな者が語り演じるのは、悲劇なのです。
口を吐いて出る言葉は誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)であり、如何に自分が被害者であるのかを正当化する言い訳。
そして、上手く作り上げた嘘であるのです。
その嘘によって、他人を自分の仲間にしようと企みます。
愚かな者は、自分が孤独になるのが恐いのです。
そのために、自分の信じる愚かな理論を他人に強要するのです。
そうして仲間を増やし、一時の愚かな安心感に自分を騙すのです。
しかし、そのような選択が幸福という結果を導くことは決してありません。
この世界には因果の仕組みが存在し、愚かな行為は愚かな結果にしか導かれないのです。
自分自身を騙し、他人を騙し、迷惑をかけているのであれば、苦しみという結果以外には受け取り様がないのです。
しかし、愚かな者がこれに気が付くことはありません。
残念ながら、自らを正当化しているために不機嫌であり、否定的であり、怠慢であるのです。
自らを正当化しているために、自分は優れているなどという何の根拠も無い自信やプライドによって、危うく精神を繋いでいるような状態なのです。
愚かな者は認めません。
愚かな者は学びません。
愚かな者は知ろうとしません。
愚かな者は変えようとはしません。
愚かな者はいつまで経っても始めません。
愚かな者は下らない自らの価値観の中に引きこもるでしょう。
あなたは愚か者にならないように気を付けておきましょう。
今すぐにでも、不機嫌な態度、否定的な態度、怠慢な態度をやめるのです。
陽気であり、肯定的であり、勤勉であり続けるのです。
夢を持って生きるのです。
幸福な気分を損なってはならないのです。
自分のものであっても、他人のものであってもです。
あなたがどのような道を歩んでいるのかは関係の無いことです。
その道において、どのように生きるのか?ということが大切なのです。
あなたは人の迷惑というものに対して思慮深くありましょう。
あなたの卑屈な態度によって、他人を害してはなりません。
愚かに生きてはなりません。
自分を省みましょう。

2015年1月13日火曜日

本物の人生

人は魂の成長のためにこの人生を経験しています。
人の目的は魂の成長です。
魂の成長のために、様々な手段があるのです。
すべての経験は成長のためです。
それが、人によって違うのは、魂の成長段階がそれぞれに違うことに起源しています。
魂の成長段階に相応しい経験を経ることによって、その強化を計っているのです。
そのために、あなたの目の前の状況は、あなたにとっては相応しいものだと言うことができるのです。
多くの人はそれを否定します。
目の前の状況を否定し、他のものを求めるのです。
現実逃避するのは、成長のプロセスが簡単ではないからです。
自分自身に関係することほど、難しいものであるのです。
そのために、人はそれを否定するのです。
あなたは、自らが魂の成長という最大の目的のために生きているのだと知りましょう。
自らの魂の成長のために、様々な手段があるのだと知るのです。
あなたの目の前の状況がどのようなものであったとしても、それがあなたの手段であるだけなのです。
それによって学び、得ることができるものがあるために、それを経験しているに過ぎないのです。
すべてが必要な学びであることを理解しなければならないのです。
それができなければ、あなたが何かを得ることなど有り得ないのです。
しかし、多くの人は愚かに欲します。
自分自身に必要な学びを否定しているにも関わらず、他のものを愚かに欲しているのです。
あなたは他人に何を期待しているのですか?
他人に対して何かを要求する前に、目の前の状況を受け入れる方が先であるということを理解する必要があるのです。
あなたは、現実逃避を楽しむような愚かな者になってはなりません。
人生の目的を忘れてはならないのです。
表面的なテクニック(金儲けの手段)や、欲望に根差した快楽を得るために生きているのではないのです。
その経験によって、魂を成長させるために生きているということを忘れてはならないのです。
言い方を変えれば、人格を、心を、考え方を成長させているということなのです。
あなたは表面的なものに騙されてはなりません。
多くの人は軽薄な人生を生きることになります。
それは、目的を理解していないためです。
どのようなことに関しても、その目的を理解していなければ、結果は軽薄なものになるのです。
人生は選択と行動の結果です。
目的を理解して選択し、行動するのであれば、結果は重厚(じゅうこう)なものとなるのです。
軽薄な結果は金鍍金(きんめっき)のようなものです。
見た目は綺麗なものではありますが、残念ながら価値はありません。
表面的なテクニックや、欲望に根差した快楽をどれだけ求めたとしても、そこには価値がないのです。
あなたがどのように丁寧に金鍍金を施したとしても、それは必ず見抜かれるのです。
大切なのは、本物の金塊を生み出すということなのです。
純度の高い金塊にこそ価値があるのです。
価値のある人生とは、目の前にどのような状況が存在していようとも、それを否定することをやめ、懸命に学ぶことによって実現します。
すべては必要な学びであるのです。
それを受け入れることをやめるのであれば、それ以上の進歩発展はないということなのです。
あなたは自分自身が何のために生きてるのかを知っていますか?
あなたは金持ちになるためや、欲望を満たすために生きているのではありません。
それよりも、もっと崇高であり、高尚な目的のために生きているのです。
金鍍金に騙されてはならないのです。
金持ちになることや、欲望を満たすことは簡単です。
それは、誰にでもできることなのです。
しかし、あなたはそうは思わないでしょう。
しかし「本物の人生」を手に入れることに比べれば、それ等は容易なことであるということを理解しなければなりません。
人は何のために生まれて来たのですか?
ただ金持ちになり、欲望を満たしただけでは魂を満たすことなどできないのです。
それが本当の目的ではないことを理解しましょう。
あなたは騙されてはなりません。
人生の本当の価値がどこにあるのか?を見極めなければなりません。

2015年1月12日月曜日

原点

あなたは真実に目覚めなければなりません。
偽りの信仰を投げ捨て、真理に目覚めるのです。
あなたは自分自身でも気が付かずに、既に騙されています。
不安や心配、怒りや恐怖に苛(さいな)まれる時点において、正しい道を進んではいないのです。
あなたには信じているものがあるでしょう。
そんなことは分かっています。
しかし、それによって愛情深くなったり、優しくなったり、力強くなったり、粘り強くなったりしていなければ、そのは間違っているということなのです。
多くの人は自らの信仰する対象を信じ込み過ぎています。
そのために視野が狭まり、歪むのです。
人は常に疑いを以て精査する必要があります。
真実を追求する努めを諦めるのであれば、必ず間違えるのです。
如何にそれを信仰していたとしても、間違っているものには違いないのです。
大切なのは信仰の強さではないのです。
正しい信仰が必要なのです。
あなたは宗教、常識、文明、文化、科学、医学、教育、政治、経済、周囲の大人、無神論・・・
様々なものを信仰しているはずです。
しかし、それがどこから生まれ、どのような目的を以てどこを目指して進んでいるのか?ということを知っていなければならないのです。
どのようなものも、その根源には本質が存在します。
根源を辿れば、そのものの正体を知ることができるのです。
大河の正体は湧き水です。
小さな湧き水がいくつも合流することによって大きな流れを作るのです。
大河を辿れば、その本質である湧き水に辿り着くことができるのです。
あなたは大河を見て、湧き水を見失ってはなりません。
すべてのものは、本質(正体)を隠しています。
それがあなたを騙しているのであれば、尚更のことです。
あなたを騙しているものは、自らの正体を知られないために、あなたに嘘である「真理のようなもの」を示します。
それは一見すると真理であり、善行のように思うかも知れませんが、嘘によって築かれた茶番であるのです。
あなたが信仰しているものは、本当にあなたを幸せにすることができるでしょうか?
あなたの信仰は間違っているかも知れません。
多くの人は間違った方法を用いて、不幸な結果を得るのです。
しかし、不幸な結果を得たとしても、強過ぎる信仰心があるために気が付きません。
自らが不幸になっているにもかかわらず、信仰心があなたを歪め、騙すのです。
間違ったことを続けているのであれば、苦しみを受け続けることになるのは当然の結果であるのです。
あなたが強過ぎる信仰心を持っているのであれば、それを捨てなければなりません。
常にすべてを一つと見るのです。
すべての事柄が繋がって、一つの世界を築いているのです。
この世には繋がりを持たないものは存在しません。
すべてが大切な役割を持つのです。
一つのことを信仰し、それ以外のことを否定するというやり方は間違っているのです。
あなたは原点である根源を求めましょう。
できる限りの情報を集め、知恵を絞るのです。
歴史を追い求め、事実を知るのです。
それがどこから生まれ、どのような目的を以てどこを目指しているのか?ということを知らなければ、判断を間違えるのです。
多くの人は信じているものの原点を知らないために、その本質を理解することができずに苦しむのです。
人生最大の過ちは無知です。
あなたは無知を放置してはなりません。
必要な情報を集め、知恵を付けることによって幸福を手に入れなければならないのです。
無知な者が幸福を手にすることはありません。
幸福を手にするためには、明らかな知恵が必要であるのです。
信仰とは、本来崇高なものであるということを理解しましょう。
信仰によって不幸を得ることなど有り得ないのです。
本当の信仰は、人を幸福にするということを覚えておきましょう。
根源を辿り、真実に目覚めましょう。

2015年1月11日日曜日

隠された釣り針

あなたは知ろうとしなければなりません。
知の探求こそが、あなたを苦しみから解放します。
無知であることは不幸です。
それは、すべての問題が無知から生じるからです。
人は無知によって問題を抱え、無知によって苦しみ、無知によって絶望するということを覚えておきましょう。
何を選ぶのか?
どのような結果を得るのか?
これを決めるのはあなたの選択であるのです。
誰かや何かによってあなたの受け取る状況が変わるということはないのです。
あなたの人生は、どのような理由があろうとも、あなた自身が決めているということを理解しておきましょう。
あなたはそれを選ばないこともでき(た)るのです。
しかし、あなたはそのような選択肢は無かったと言うでしょう。
他に道が無かったと、自分自身を正当化するのです。
なぜ、選択肢が無かったのですか?
なぜ、道が無かったのでしょう?
違う結果を得ている人がどれだけいますか?
あなたの周囲には、少なくとも百人の人がいます。
その人たちが、同じ結果を受け取るでしょうか?
同じ環境の中に生きていたとしても、違う結果を受けるはずです。
あなたは、同じように育った兄弟姉妹と同じ結果を受けていますか?
同じように教育を受けたはずです。
しかし、結果は違うはずです。
なぜですか?
これに答えられますか?
あなたは知ろうとしなければなりません。
本来なら、知らなければなりません。
しかし、多くの人は知ろうとすらしない現状があるのです。
この世界には多くの人が生きています。
しかし、その目的を知る人はいません。
すべての人間は弱い心を所有しています。
そして、その中の大半の人間が弱い心に支配されます。
その結果として、利己心が生まれ、悪意が生まれ、悪行が生まれるのです。
世界には、利己心によって導かれた悪意の結果が存在しています。
人は釣り糸を垂らします。
海の中ではたくさんの魚が生活を営んでいます。
そこに、美味しそうな餌が、釣り針を隠して下りてくるのです。
魚はそれが人間の仕掛けた罠であることを知りません。
欲望によって突き動かされた魚は、目の前の釣り針を隠し持った餌を飲み込みます。
その瞬間に、釣り糸は巻き取られ、魚は故郷と命、そして、すべてを失うのです。
人は魚を騙します。
そして、そこに利を得るのです。
あなたが魚でない保証がどこにあるのでしょうか?
その餌からは釣り糸が伸びて、その中には釣り針が隠されており、それが人間による罠であると知っている魚は、大切なものを失うことはありません。
海の中で、幸福に生きることができるでしょう。
しかし、そのような実体を知らない愚かな魚はすべてを失うのです。
常に危険が存在しています。
常に悪意の罠が仕掛けられます。
あなたはそのことを知ろうとしなければなりません。
何も知らずに生きてはなりません。
知に対して何の努力もせずに、愚かに生きてはならないのです。
あなたは、自分自身の信じているものの本質を知っていますか?
当たり前に行っていることが、どのような理由と目的によって存在しているのか?それを知っていますか?
常識、教育、政治、経済、社会、宗教、医療、情報、飲食、価値観、家族、友人、習慣・・・
あなたには信じているものがあります。
そして、行っていることがあるのです。
それ等は、本当に正しい方法によって行われているのでしょうか?
あなたは知を探求し、真実を知らなければなりません。
無知であれば、真理に反した行為の結果として、すべてを失うということを覚えておきましょう。

2015年1月10日土曜日

生みの苦しみ

人は、新境地を開拓していかなければなりません。
人は、一所にとどまっていてはなりません。
常に新たな世界を求めて進む必要があるのです。
一所にとどまっているのであれば進歩は無く、それ以上の功績を実現することができないのです。
人生は停滞を嫌い、流転します。
人生は常に発展を求めているのです。
あなたはそれに応える必要があるということを覚えておかなければならないのです。
昨日までの自分自身ではなりません。
昨日よりも劣ってはなりません。
人は常に昨日の自分自身を凌駕(りょうが)し続けなければならないのです。
成長は人間の約束です。
人は成長するために生まれたのです。
人生の目的は魂の成長にあるのです。
人は常に成長という名の約束を果たす必要があるのです。
成長するためには、進み続けなければなりません。
同じことを繰り返す作業に成長は無く、そこには人生の意義を見出すことはできないのです。
常に新たなレベルに達し、より大きな自由を得るのです。
あなたは自らの成長を実感していますか?
昨日の自分よりも、今日の自分の方が輝いているでしょうか?
昨日よりも今日の方が自由ですか?
昨日よりも今日の方が喜びが大きく、豊かでしょうか?
人生の目的を考える必要があります。
人生において、その目的である成長を果たすのかどうか?ということは、あなた次第であるのです。
どうするのかはあなたの自由なのです。
成長するのも、停滞するのも、退化するのも、あなた次第であるということを覚えておきましょう。
情勢がどのようなものであろうとも、それはあなたの原因とはなりません。
あなたの受け取る結果の原因は、あなた自身に存在するということを理解しなければならないのです。
あなたの用いる言い訳や不満、心配や絶望が原因であることを理解しなければならないのです。
人生は総合的に解釈する必要があります。
一部を限定的に捉え、全体を見失ってはならないのです。
あなたは古い価値観、古い習慣、古い自分と決別しなければなりません。
常に新たな価値観を求め、それを支える新たな習慣を築き、新たな自分を手に入れる必要があります。
それが成長というものなのです。
古いものには愛着があります。
古いものを手放すことは簡単ではありません。
多くの人がこれに苦しみます。
しかし、古いものは手放さなければならないのです。
そうでなければ、新たなものは手に入らず、停滞か退化を受け取る結果となるからです。
古いものを手放す時、人は苦しみを受けます。
「生みの苦しみ」というものが存在するのです。
何かを生み出す時には、それなりのリスクと苦痛が伴うものなのです。
成長するためであったとしても、そこには何等かの代償が必要であるということを理解しなければならないのです。
何も失うことなく、何かを手にすることは不可能です。
新たに手に入れるためには、古さを手放す必要があるのです。
古いものを手放す勇気がない者には、新たなものを手にすることは不可能です。
現在の価値観、習慣、自分を諦めることができない者には、その先はないのです。
それができない者は遅れ、衰退を免れません。
それでは、苦しみを受けるのです。
怠慢な者が幸福を得ることはできないのです。
懸命に、柔軟に生きる者でなければ、決して手にすることができないものが幸福という宝なのです。
変化に対応することができない者には手にすることができません。
あなたは新境地を開拓し続けていますか?
昨日の自分が知らないことやできないことを、今日の自分は知っていて、行うことができているでしょうか?
人生を軽んじてはなりません。
努力が不要な道など存在しません。
古い自分を捨て、新たな自分を手にする勇気を持ちましょう。

2015年1月9日金曜日

童心

あなたは童心を忘れてはなりません。
童心とは、自由な心です。
それは、自由な発想と創造性に満ち溢れた心なのです。
人にとって最も大切なものは、童心から生じる創造性であるということを覚えておかなければなりません。
多くの人が嘘に騙され、童心を手放しています。
お金は多い方が良い。
名は高い方が良い。
有利な方が良い。
苦しまない方が良い。
病気にはならない方が良い。
嫌な目には会わない方が良い。
人からは白い目で見られない方が良い。
皆と同じようにした方が良い。
人生は安定している方が良い。
これ等は嘘です。
あなたは騙されてはなりません。
童心はこのように表面的で詰まらないことには捕われません。
童心は、その純粋さ故に本質を捉え、本当の価値を追って進むのです。
あなたは好きに生きれば良いのです。
人生は自由です。
何の制約もありません。
あなたは不自由を教わりました。
これまで、あなたに関わって来た大人たちによって、不自由という名の嘘を教わったのです。
嘘によって汚れた心は、童心を失ったのです。
童心を失った人間は、自由を失います。
様々な既成概念に捕われ、それを基準にした人生構想以外には創造することもできないのです。
創造すらしていないのです。
誰かが作り、既に存在しているものの中から選ぶ以外に力が無いのです。
誰かが作った仕事をし、誰かが作った物を買い揃え、誰かが作った人生観によって、誰かが作った人生を生きるのです。
これは「奴隷」です。
あなたは気が付いていないかも知れません。
大抵の人は気が付きません。
それは、幼い頃からそのように教育されたからです。
あなたに関わって来た大人の大半は、あなたを奴隷にするために教育したのです。
しかし、その大人が悪い訳ではありません。
あなたにそう教育した大人でさえも、既に奴隷であったのです。
奴隷は、良い奴隷になる方法を教えるのです。
奴隷が奴隷に対して、自由になる方法を教えることはありません。
自らが自由では無いために、自由になる方法を知らないのです。
そのために、教えることができないのです。
あなたを自由にし、本物の人生を生きさせることができるのは童心だけです。
童心こそが、あなたを奴隷制度から解放するのです。
あなたは好きなところへ行き、好きなことをすれば良いのです。
どのように生きようと、あなたの自由なのです。
一億の人間がいるのであれば、一億通りの生き方があって然(しか)る可(べ)きなのです。
一億通りの考えがあり、一億通りの夢があるのです。
それが何種類かにまとまるのは異常であるということを理解しなければならないのです。
誰かのように生きていきたいと言う人がいます。
誰かのように成りたい、誰かのことが羨(うらや)ましい・・・
これは間違いです。
あなたは「あなた」です。
あなたには、自分だけの考えと生き方があるのです。
それは、あなたの人生であるのです。
あなたは自由なのですよ?
童心は、自由な発想と創造性によって何かを生み出します。
それが最も価値のあるものなのです。
心から溢れるもので人生を飾りましょう。
童心を手放してはなりません。

2015年1月8日木曜日

心の純粋さ

人は純粋な心を以て生きていかなければなりません。
心を汚し、歪めて生きてはなりません。
心が汚れて歪むということは、喜ぶことができないということなのです。
純粋な心は、何事に対しても喜ぶことができます。
純粋な子どもは、どのようなことにでも喜ぶことができるのです。
親が子どもに嘘を教えようとも、純粋な子どもはそれを信じて喜びます。
嘘を信じて喜ぶことができるのは、純粋な心の持ち主だけであるのです。
これは、無知であるということとは違います。
これは、知識量の話ではないのです。
ここで話しているのは、心が純粋であるのか?そうではないのか?ということなのです。
純粋な心で生きるということは、目の前の状況に対して疑いを持たず、それを信じて喜ぶということです。
確かに、人は騙されないために疑う必要がありますが、それは対人の話であって、人生が導く目の前の状況を疑う必要はないのです。
この違いを理解しなければなりません。
あなたは他人を疑う必要がありますが、人生を疑ってはならないのです。
人生は、常にあなたの成長を求めています。
すべての状況は、あなたの成長のために導かれる最善です。
そのため、最悪もなければ、不幸もなく、苦しみさえないということを覚えておかなければならないのです。
あなたは純粋に、目の前の状況を信じ、それを喜ぶことができますか?
それがどのような状況であろうとも、それを受け入れ、感謝することができるでしょうか?
純粋な心の持ち主でなければこれを実行することはできないのです。
親のことを疑わないのは、その子どもが純粋な心を持っているからです。
純粋な心を失えば、子どもは親を疑うようになります。
これと同じように、人生に疑いを持つ者は、人生に対する純粋さを失ったということなのです。
人生には様々なことが起こります。
それは問題であったり、悲劇であったり、苦しみであったりします。
それを信じる必要があるということなのです。
あなたは、そんなことはできないと言うかも知れません。
しかし、目の前の状況を否定しているのであれば、人は大切なものを見失い、人生を棒に振ることになるのです。
人生は人の親です。
人生は「神」の作った真理に従って働きます。
それがどのような状況であろうとも、それは真理であり、因果の仕組みによって導かれた当然の結果であるのです。
あなたがどのように思おうとも、目の前に導かれた状況が何の意図も脈絡(みゃくらく)もなく存在するはずがないのです。
あなたは勘違いしてはなりません。
この世は真理(因果の仕組み)によって完全に動いているのです。
そのために、あなたは人生を、そして、目の前の状況を信じなければならないのです。
目の前の状況がどのようなものであろうとも、それを受け入れ、そこから学ぶことが重要であるのです。
純粋に信じることができない者が学ぶことはありません。
問題や悲劇や苦しみだと感じ、それを否定し続けるのです。
そのような者が状況の意味を学び取り、成長することなど有り得ないのです。
人生の失敗とは、心の純粋さの消失であるということを覚えておきましょう。
人が豊かに生きるためには、心の純粋さが大切なのです。
これを綺麗事だと片付けてはなりません。
地位や名誉や財産が何になると言うのですか?
あなたが死ねば、それ等のすべてを失います。
生まれ変わる頃には、すべてを忘れています。
あなたは自分の名前すら覚えていないのです。
それが、本当に人生の目的であると思うのですか?
地位や名誉や財産は、「生きるため」には確かに大切です。
しかし、心の純粋さに比べるなら、それ等は「魂にとって」価値がないということを知らなければならないでしょう。
人生の意味は、純粋な心でなければ読み取ることはできません。
地位や名誉や財産をどれだけ築いたとしても、人生の意味が分からなければ、何の価値があるというのでしょう?
あなたは意味の分からない人生に価値があると思いますか?
人生の意味が分からなければ、その中にある地位や名誉や財産の意味も分からないのですよ?
それは空しいことだと理解しましょう。
人は純粋な心を以て生きていかなければなりません。
人生を、目の前の状況を信じることを諦めてはなりません。

2015年1月7日水曜日

大切なもののリスト

あなたは、大切にしなければならないものの順位を決めておきましょう。
あなたにとって、何が一番大切なものですか?
すべてを犠牲にしたとしても、守らなければならないものは何ですか?
あなたはこれを決めておく必要があります。
あなたはこの問いに答えることができるでしょうか?
あなたにとって、何が一番大切なものですか?
答えられないのであれば、自分自身に対して危機感を覚えた方が良いでしょう。
自分にとって最も大切にしなければならないものが分からないのであれば、どこへ辿り着けば良いのかも分からないからです。
自分が何をしているのかも分からないでしょう。
何を守れば良いのかも分からないのです。
そのような人生であるのならば、何が幸福であるのかすら、あなたには分からないのです。
価値観というものがあります。
それは、人生における人の優先順位です。
価値観とは、「大切なもののリスト」であるということを覚えておきましょう。
人は価値観を基準にして選択し、人生を築きます。
価値観が曖昧(あいまい)であるのならば、何を優先するべきなのかの判断が付きません。
それは、迷いや悩みを生み出し、決断力と行動力の損失を導く結果となるのです。
迷い、悩み、決断力と行動力を失った者がどのような人生を生きるでしょうか?
あなたはそれを想像しなければなりません。
人は、自らの価値観に従って生きなければなりません。
豊かな人生を生きたいと思うのであれば、価値観を明確にしておく必要があります。
優先順位が定まっているのであれば、あなたが迷い、悩み、決断力と行動力を失うことなどないからです。
迷いもなく、悩みもなく、決断力と行動力に溢れているのであれば、人生がどうなるか?を想像する必要があります。
あなたは自らが大切だと思うものを、その価値観の中に明確に順位を定めましょう。
現状において、あなたが大切だと思うもので良いのです。
最低、上位三位までは決めておかなければなりません。
それが変動しても構いません。
全く違うものに入れ替わっても構いません。
とにかく、判断基準を作るということが重要であるのです。
人生が展開しないのは、自らの魂(人格、心)の成長が滞っているという原因があります。
魂という原因によって、人生という結果が導かれます。
歳を取ることには、何の価値もありません。
歳を取ることによっては、人生は何の展開もなければ、完成もしないのです。
大切なのは、魂が成長するということなのです。
若くても魂が成長するのであれば、人生は展開するでしょう。
しかし、老いても魂が成長することがないのであれば、人生は展開することはないのです。
年齢など、何の価値もありません。
あなたは勘違いしてはなりません。
愚かな老人になってはなりません。
いつまでも迷い、悩み、苦しんでいる場合ではないのです。
人生の意味を考えなければなりません。
人間には、人間の使命があるのです。
あなたにはあなたの使命があるということを知らなければならないのです。
何も知らず、何も築かず、何も遺さないままに生きて、死んではならないのです。
あなたにとって最も大切なものは何ですか?
それを守ることができていますか?
価値観が定まっていない者は、何をやっても的外れです。
何を守り、何をすれば良いのかも分からないために、良い結果を導くことは不可能であるのです。
あなたは何のために生きて、何のために死にますか?
人生とは、そのような場所なのですよ?
命とは、そのように使わなければならないのです。
ただ暢気(のんき)に生きてはなりませんし、詰まらないことに捕われて生きてもなりません。
欲望(金や物や快楽)に飲まれて大切なものを見失ってはなりません。
大切なもののリストを明確に作りましょう。
価値観を定めるのです。

2015年1月6日火曜日

理由が知りたいのです。

人は、何のために生まれて来たのでしょう?
人は、何のために生きているのでしょう?
人は、何のために仕事をしているのでしょう?
人は、何のために生活を営んでいるのでしょう?
人は、何のために考えているのでしょう?
人は、何のために思いを巡らせているのでしょう?
人は、何のために人と繋がるのでしょう?
人は、何のために人を好きになるのでしょう?
人は、何のために何かを目指すのでしょう?
人は、何のために大切なものを守ろうとするのでしょう?
人は、何のために何かを築くのでしょう?
人は、何のために争うのでしょう?
人は、何のために苦しむのでしょう?
人は、何のために学ぶのでしょう?
人は、何のために手に入れるのでしょう?
人は、何のために失うのでしょう?
人は、何のために未来を思うのでしょう?
人は、何のためにそれを続けているのでしょう?
人は、何のために笑うのでしょう?
人は、何のために嘘を吐くのでしょう?
人は、何のために自尊心を持つのでしょう?
人は、何のために恐怖を覚えるのでしょう?
人は、何のために否定するのでしょう?
人は、何のために諦めるのでしょう?
人は、何のために奪うのでしょう?
人は、何のために悲しむのでしょう?
人は、何のために夢を追うのでしょう?
人は、何のために我慢するのでしょう?
人は、何のために蓄えるのでしょう?
人は、何のために協力するのでしょう?
人は、何のために飢えるのでしょう?
人は、何のために悪事を働くのでしょう?
人は、何のために愛するのでしょう?
人は、何のために信仰するのでしょう?
人は、何のために闘うのでしょう?
人は、何のために弱いのでしょう?
人は、何のために嫌うのでしょう?
人は、何のために装うのでしょう?
人は、何のために隠すのでしょう?
人は、何のために求めるのでしょう?
人は、何のために強がるのでしょう?
人は、何のために頼るのでしょう?
人は、何のために孤独なのでしょう?
人は、何のために病に犯されるのでしょう?
人は、何のために歩かなければならないのでしょう?
人は、何のために老いるのでしょう?
人は、何のために欲望に溺れるのでしょう?
人は、何のために自ら命を絶つのでしょう?
人は、何のために克己するのでしょう?
人は、何のために死ぬのでしょう?
人は、何のために生まれ変わるのでしょう?
人は、何のために立ち止まるのでしょう?
人は、何のために存在しているのでしょう?
人は、何ですか?
理由は何ですか?
すべてには理由が存在しています。
あなたはその理由を明確にしましょう。
善悪などは関係ありません。
理由(動機)が知りたいのです。
その理由によって得る答え(状況)がどのようなものであるのかを知りましょう。
そして、その答えが理想とは違っていたのであれば反省し、新たな理由を付けて行いましょう。
矛盾の無い世界を目指しましょう。

2015年1月5日月曜日

客観性の果て

あなたが実行しなければならないことは、客観性を保つことです。
人は客観性を失ってはならないのです。
それは、広域の視野と高度な視点を失うことであるからです。
広域の視野と高度な視点を失うということは、その価値観は主観に頼ることになり、結果として視野は狭まり、視点は低くなるのです。
狭域の視野と低度な視点によっては、真実を見極めることはできず、偽りを受け取ることになるのです。
物事の本質である真実を知るためには、広域の視野と高度な視点が必要不可欠であるのです。
小さな世界観によって生きている人物には、決して真実は理解することができないのです。
何も知らず、何も理解することなく、苦しみの果てに死を迎えることになるのです。
世界は広いのです。
大地は地平の先まで広がり、大海はそれをも凌(しの)ぎます。
宇宙には無数の星々が存在するのです。
人間にはこれを理解することはできません。
これほど世界は広いのです。
あなたが見回しても、地平の先でさえ見ることができないのです。
高い山の頂上からなら、多少は見えるようになるでしょう。
しかし、それでも決して果てを見ることはできません。
あなたは自らの視野と視点が、どれほどの範囲であるのかを考えなければなりません。
多くの人は「普通」を基準とします。
「普通」であることが正しいと思い込み、それを疑うことをしません。
「普通」から逸(そ)れることを恐れ、その領域を抜け出すことをしないのです。
そのため、小さな世界をいつまでも大切にし、小さな世界の中につまらない一生を終えるのです。
その時には、自分が何のために生きていたのかを知ることもできません。
人生が何であるのか?ということを理解するには、その世界(普通)は余りにも小さく、真実からはかけ離れているからです。
人は「普通」の世界では苦しむのです。
「普通」は人を縛る鎖であり、人を閉じ込める檻(おり)であるのです。
あなたは夢を持っていますか?
そのために何をしていますか?
夢も抱けない人生が楽しいと思いますか?
多くの人は夢すらも抱けないままに生きているのです。
なぜですか?
それは、視野が狭く、視点が低いからなのです。
「外の世界」を知らないために、可能性を知らないのです。
可能性を知らないために想像力が働かず、夢は生み出されないのです。
遠くを知る者は、そこへ辿り着きたいと思うでしょう。
しかし、遠くがあることすら知らない者は、そこへ辿り着きたいと思うことすら有り得ないのです。
小さな世界に捕われている者には、世界の実相を理解することはできません。
人生の意味を理解することも不可能です。
そして、つまらないことにしか興味を抱くことができず、金と物質と欲望と嘘と争いに塗(まみ)れた世界を生きるのです。
あなたの知っている世界(生き方)は、人が、その魂が生きるに相応しいものなのでしょうか?
それは誰かが悪意によって作り出した歪んだ世界ではありませんか?
それは誰かが無知によって作り出した偽りの世界ではないでしょうか?
あなたは常に客観性を重視しましょう。
小さな世界に捕われてはならないのです。
広域の視野と高度な視点を持ち、多くのことを知るのです。
そして、多くの可能性を手にすることに努めなければならないのです。
あなたの生きる地球の姿を知るためには、宇宙からそれを眺める必要があります。
あなたが本当に大切にしなければならないものを知るためには、客観性によって自らの中に構築された「普通」から離れる必要があるのです。
常識に捕われてはなりません。
「普通」に価値があるなどと考えてはなりません。
小さな世界に生きてはなりません。
夢を持って生きなければなりません。
つまらないことに時間と労力を注いではなりません。
人は何のために生まれ、何のために生き、何のために死ぬのでしょうか?
この答えは、客観性の果てにこそ存在しているのです。

2015年1月4日日曜日

適切

人の本質は魂というものです。
これは目には見えず、認識することが難しいけれども、この世界に存在する高度な物体であるのです。
人はこれを意識と呼んだり、心や思考と呼びます。
人は魂という光であるということを覚えておきましょう。
魂は様々な時代と場所を流転します。
そこで自らの目的である成長を果たすのです。
魂は成長のために経験を重ねているのです。
成長するためには正しい経験を経る必要があります。
しかし、正しさを理解するためには、この世の中に間違った方法を用意する必要があるのです。
偽りを理解することがなければ、人が正しさを理解することはできません。
陰陽の違いによって、適切を理解することができるのです。
物事には、適切という正しさと不適切という間違いが存在しています。
適切を用いなければ、それは苦しみという結果を導くのです。
適切によって、幸福という状態が実現するのです。
幸福という状態が正しいということを理解しなければなりません。
どのような状況にあっても、幸福でないのであれば間違っているのです。
適材適所という言葉があります。
これは、個々の能力に相応しい役割をこなすという意味を示します。
能力に対して適切ではない役割を担っても、それを十分にこなすことはできず、結果として幸福を得ることもできません。
人は、自らの能力に相応しい仕事をする必要があるのです。
これは仕事のことだけではありません。
すべての事柄に対して、適材適所、適切を考える必要があるのです。
人の本質は魂ですが、肉体の協力なくして幸福を得ることはできません。
そのため、人は魂のことを主体として考えつつも、肉体を大切にする努めを怠ってはならないのです。
肉体との協力によって、魂の成長が実現するのです。
肉体は自然界からの恵みです。
それは、土と水とで成り立ちます。
肉体は滅びれば土と水に還(かえ)るのです。
そのため、肉体は自然の一部であるということを理解しなければなりません。
しかし、多くの人は魂の存在を(実感として)知りません。
そして、肉体が器であり、自然の一部であるということも知らないでいます。
そのため、自分自身というものが分からず、魂と肉体に対して適切な方法を用いることができず、魂と肉体を汚し、その結果として苦しみを受け取っているのです。
そして、人生に対して不満を抱き、絶望して悲しむのです。
問題は無知によって引き起こされます。
人が自分自身のことを知っているのであれば、人生に苦しみは有り得ないのです。
人が自分自身のことを知らないがために、正しい方法(適切)を用いることができずに問題を抱え込むのです。
人の本質は魂という物質です。
人の肉体は魂の器であり、自然の一部です。
人は自然に生まれ、自然に生き、自然に死ぬことが大切であるのです。
魂に対して、肉体に対しての適切を考えなければなりません。
その考えが間違っているのであれば、魂の汚れ(感情の乱れ)と肉体の汚れ(病気)という結果によって苦しむのです。
正しければ豊かさを得ることができます。
間違っているのであれば、乏しさを得ることになるのです。
この世界には無意味なものは存在しません。
無駄なものはありませんし、悪いものもありません。
ただ、適切ではないだけです。
適切ではないために、破滅を招くのです。
あなたは勘違いしてはなりません。
何かが悪いのではありません。
自分自身の選択が間違っているだけなのです。
破産するのも、病に苦しむのも、人間関係がもつれるのも、人生に絶望するのも、すべては自分自身の過ちであるのです。
適切を理解しているのであれば、人生は豊かに機能するのです。
あなたは様々なことを理解しなければなりません。
それがどのような用途に当てはまるのかを知るのです。
知識と知恵がなければなりません。
人生は一生勉強であるということを覚えていなければなりません。

2015年1月3日土曜日

義理

あなたは義理深く生きなければなりません。
義理を蔑(ないがし)ろにしてはなりません。
人にとって、義理というものは守らなければならない大切なものなのです。
義理を無視する者には報いが訪れます。
義理とは正しい道筋です。
人の正しい生き方のことを言うのです。
義理を蔑ろにするのであれば、人は悪事を楽しむでしょう。
悪事を働くのであれば、因果の仕組みによって苦しみが導かれるのです。
あなたはそのことを理解しなければなりません。
人が正しく生きるためには、守らなければならないルールが存在するのです。
そのルールを守ることなく、人が幸福を得ることなどできないのです。
人が正しく生きるために義理という観念が生み出されました。
これは道徳であり、人情であるのです。
人は思いやり、優しさ、慈しみ、愛情、向上心、志・・・
これ等を大切にしなければならないのです。
人が思いやりから逸(はぐ)れないように、義理があるのです。
あなたは義理を大切にしなければなりません。
何が人にとって正しいのかを考え続けなければならないのです。
人としてあるまじき生き方や行為をするのであれば、苦しみは止まることを知らないのです。
あなたは常に利他的に考えていなければなりません。
利他的に考えることによって、義理というものを理解することができるでしょう。
自分勝手に生きている者には理解することができません。
思いやりや優しさ、慈しみや愛情、向上心や志などの感情は、他人を動機としなければ導かれないからなのです。
利己的に考えるのであれば、これ等の感情は導かれないのです。
利己的に考えるのであれば、人は怒りと恐怖に支配されるでしょう。
その結果として、不義理を働くようになるのです。
人が義理を果たすためには、利他的に考え、利他的に生きなければならないのです。
自分勝手に考え、自分勝手に生きてはならないのです。
あなたは想像しなければなりません。
自らの考えや行為がどのような結果を導くのかを、想像することによって理解を深めなければならないのです。
この世界は因果の仕組みによって成り立ちます。
因果の仕組みが働かない場所はありません。
あなたの考えや行為は、そのすべてが因果の仕組みの対象であり、それ等は完璧な経緯を以て結果へと導かれるのです。
そのため、自らがどのような選択をするのか?ということが重要であるのです。
あなたは想像しなければなりません。
想像力を働かせ、様々な可能性を検証しなければならないのです。
選択肢は無限に用意されています。
結果がどのような原因に導かれるのかをあなたが前以て理解することはできません。
前以て理解することができないために、想像する必要があるのです。
因果の仕組みは完璧です。
それは確実に働きます。
そのため、どのような原因を導くのかが重要であるのです。
義理を見失った者は、それに相応しい状況を受け取ることになります。
あなたは人として正しい生き方とはどのようなものであるのか?ということを考え続け、想像し続けなければならないのです。
他人を嫌うことが正しい生き方なのでしょうか?
他人と争うことが正しい生き方なのですか?
向上心も志もなく生きることが正しいのでしょうか?
あなたは考えなければなりません。
想像力に乏しい者は、自らを正す力にも乏しいということを理解しなければなりません。
その行為が、相手(対象)に対して思いやりのあるものであるのか?というところだけ、想像力を通して見ておきましょう。
細かいテクニックなどは必要ではありません。
相手(対象)のためになるのか?ということを単純に考えていれば良いのです。
あなたは義理深く生きましょう。
これは大切なことです。
決して忘れてはなりません。


2015年1月2日金曜日

思考の解放

人は思考を解放しなければなりません。
人の思考は捕われています。
それは、ある種の意図を持った情報によって教育され、捕われるのです。
人は思考によって選択します。
人生を形作るのは思考であると言っても過言ではないのです。
人にとって、思考は大切なものであるということを理解しましょう。
あなたは思考を正しく導かなければなりません。
正しい選択を行わなければ、正しい道を進むことはできず、正しい道を進むことができなければ、正しい場所に辿り着くことはないのです。
人生は因果の仕組みによって動きます。
すべての結果は、それに相応しい原因によって導かれるのです。
あなたの受け取る状況とは、あなたの思考が導いた結果であるのです。
そのために、思考の状態が重要であるのです。
どのように幸福を求めたとしても、思考が正しく導かれないのであれば、幸福を得ることはできないのです。
努力をすることは大切です。
しかし、努力は推進力に過ぎず、方向が間違っているのであれば、求めている場所へは決して辿り着くことはできないのです。
原因である思考が正しくなければ、結果は求めるものとは違うものになるのです。
多くの人はこの事実を知りません。
これは当たり前のことではありますが、人生という領域に当てはめて考えることができないのです。
自分の求めている目的地へと向かうバスに乗らなければ、どれだけ運転手を急かしたところで、辿り着く場所は違っているのです。
これと同じなのです。
あなたは、どのような事柄についても、それを「人生」という領域に当てはめて考えましょう。
そうすれば、自分がどのような思考の状態であるべきなのかを考慮することができるでしょう。
多くの人は自らの思考の状態に疑問を持ちません。
原因が思考にあるということを知らずに生きているのです。
そのために、人生が求めているものとは違うものとして形成されるのです。
多くの人は人生の理想と現実を別のものだと考えていますが、本当にそうなのでしょうか?
人生は理想的に進み、それが実現する場所であるのです。
あなたはいつの頃からか騙されて来たのです。
そして、いつしか間違った思考に捕われ、自分自身でもそう思うようになったのです。
あなたは思考を解放しなければなりません。
あなたの思考は何等かの意図によって歪められています。
あなたはその違和感に気が付かなければならないのです。
疑問を持たなければなりません。
あなたが苦しい原因はどこにあるのでしょうか?
争いが絶えないのはなぜですか?
あなたが夢を持たず、それを追わず、実現することがないのはなぜですか?
何のために生きているのですか?
自分自身とは何者なのでしょうか?
人生は喜びで満ちています。
それが歪んだのはなぜですか?
誰かの作り出した嘘に洗脳されてはなりません。
この世の真理と異なるものを信じてはなりません。
あなたは争うこともなく、幸福で豊かな人生を生きることができるのです。
あなたはこれを綺麗事や理想論だと思うかも知れません。
しかし、それは誰があなたに思わせたのですか?
あなたの本来の力、才能、勇気を奪っているのは誰(何)ですか?
何ものにの捕われてはなりません。
あなたは自由に生きるのです。
自らの思考が既に捕われているということを理解しましょう。
夢を持たずに生きているのであれば、既に捕われているのです。
あなたは信じることができないかも知れませんが、夢を持って生きることが自然であるのです。
人は、誰もが目的を持って生まれて来るために、その目的を夢だと思うのが自然であるのです。
夢を持たずに生きる人は、自らの人生の目的を忘れているのです。
あなたは騙されてはなりません。
自らに与えられた人生の目的のために生きていきましょう。
夢を持って生きるのです。
そこで失うものと得るものを大切にしましょう。


2015年1月1日木曜日

一つの和

この世界の一切の存在は、一つの和の中に存在を許され、それ等は完璧な仕組みの中で、それぞれの役割を果たしています。
この世界において、無駄なものはありません。
この世界においては、無意味なこともないのです。
すべてが何等かの意図を以て存在しているのです。
あなたはそのことを理解し、それを忘れてはならないのです。
人は自我によってこの仕組みを忘れています。
大抵の人は、自分以外の存在との繋がりを忘れてしまったのです。
そのために、自分勝手に生きることを始め、繋がりを利己的に利用しているのです。
世界の仕組みとは真理です。
この真理は、因果の仕組みを司ります。
人は、因果の仕組みの中に生きているのです。
そして、どのような理由があろうとも、因果の仕組みから逃れることはできないのです。
因果の仕組みとは、原因がそれに相応しい結果に結び付くという流れです。
すべての原因は、それに相応しい結果に結び付くのです。
原因が相応しくない結果へと導かれることはありません。
どのような原因も、等しく相応しい結果へと結び付くのです。
あなたはそのことを理解しなければなりません。
人はこの世界の住人です。
特別ではありません。
この世界の一員として、この世界の恵みを受けて生きているのです。
種族が違うなどということは関係の無いことです。
この世界は、どのような種族も平等に扱います。
すべての種族、すべての個体に対して、恵みを惜しむことはないのです。
あなたは自らを特別だと考えてはなりません。
この世界の住人であり、ただ一つの役割に過ぎず、ただ一人の一員に他ならないのです。
そのことを覚えておかなければならないのです。
自らを特別だと思い込む者は、傲慢(ごうまん)を身にまといます。
この思い上がりは人を盲目にし、自らが一つの和の中に存在しているという事実を見失わせます。
そして、自分勝手に生きることを始め、自分以外の存在に対して迷惑をかけるのです。
他者に対して危害を加えるのであれば、因果の仕組みによって、それに相応しい結果が導かれるのです。
人は幸福を求めていますが、因果の仕組みによって許されることがなければ、どような方法を用いたとしても、幸福は実現しないのです。
この世界には因果の仕組みはあれど、奇跡などという偶然は存在しないのです。
すべてが因果関係を結ぶのが理(ことわり)であるのです。
そのために、人が幸福を求めているのであれば、この世界に存在する和を理解し、その和を大切にして生きることを心掛けなければならないのです。
恐怖によって、人は自我の支配を受けます。
そして、欲求が高まり、強欲や争いを振りかざすようになるのです。
その結果として、人が幸福を受けることはありません。
この世界に祝福されなければならないのです。
ならば、世界に対して貢献し、喜ばれることを実行する必要があるのです。
あなたは考えなければなりません。
この世界は、何を喜びとしているのでしょう?
自己を中心とした小さく低い視野によって生きているのであれば、世界の求めていることには見当もつかないでしょう。
あなたは我欲を離れ、大きく高い視野を手に入れ、この世界全体を見渡さなければならないのです。
すべてが一つの和の中に存在しています。
すべてが大切なものであるのです。
陰も陽も一つのものとして大切にしなければなりません。
昼と夜が互いに世界を育むように、対極のものには重要な役割があるのです。
敵を作ってはなりません。
敵だと思い込んでいる存在にも、大切な役割があるのです。
そのことを忘れてはならないのです。
自分自身が役割を果たしてもいないのに、自分以外の存在に対して文句を言うのは間違っているのです。
この世界の一切の存在は、一つの和の中に存在を許され、それ等は完璧な仕組みの中で、それぞれの役割を果たしています。
あなたには理解することができないことであっても、それは必要であるために存在しているのです。
あなたの浅知恵では理解することのできないことが多いのです。
そのことを覚えておきましょう。
世界の一員として、謙虚に生きなければなりません。