人は純粋な心を以て生きていかなければなりません。
心を汚し、歪めて生きてはなりません。
心が汚れて歪むということは、喜ぶことができないということなのです。
純粋な心は、何事に対しても喜ぶことができます。
純粋な子どもは、どのようなことにでも喜ぶことができるのです。
親が子どもに嘘を教えようとも、純粋な子どもはそれを信じて喜びます。
嘘を信じて喜ぶことができるのは、純粋な心の持ち主だけであるのです。
これは、無知であるということとは違います。
これは、知識量の話ではないのです。
ここで話しているのは、心が純粋であるのか?そうではないのか?ということなのです。
純粋な心で生きるということは、目の前の状況に対して疑いを持たず、それを信じて喜ぶということです。
確かに、人は騙されないために疑う必要がありますが、それは対人の話であって、人生が導く目の前の状況を疑う必要はないのです。
この違いを理解しなければなりません。
あなたは他人を疑う必要がありますが、人生を疑ってはならないのです。
人生は、常にあなたの成長を求めています。
すべての状況は、あなたの成長のために導かれる最善です。
そのため、最悪もなければ、不幸もなく、苦しみさえないということを覚えておかなければならないのです。
あなたは純粋に、目の前の状況を信じ、それを喜ぶことができますか?
それがどのような状況であろうとも、それを受け入れ、感謝することができるでしょうか?
純粋な心の持ち主でなければこれを実行することはできないのです。
親のことを疑わないのは、その子どもが純粋な心を持っているからです。
純粋な心を失えば、子どもは親を疑うようになります。
これと同じように、人生に疑いを持つ者は、人生に対する純粋さを失ったということなのです。
人生には様々なことが起こります。
それは問題であったり、悲劇であったり、苦しみであったりします。
それを信じる必要があるということなのです。
あなたは、そんなことはできないと言うかも知れません。
しかし、目の前の状況を否定しているのであれば、人は大切なものを見失い、人生を棒に振ることになるのです。
人生は人の親です。
人生は「神」の作った真理に従って働きます。
それがどのような状況であろうとも、それは真理であり、因果の仕組みによって導かれた当然の結果であるのです。
あなたがどのように思おうとも、目の前に導かれた状況が何の意図も脈絡(みゃくらく)もなく存在するはずがないのです。
あなたは勘違いしてはなりません。
この世は真理(因果の仕組み)によって完全に動いているのです。
そのために、あなたは人生を、そして、目の前の状況を信じなければならないのです。
目の前の状況がどのようなものであろうとも、それを受け入れ、そこから学ぶことが重要であるのです。
純粋に信じることができない者が学ぶことはありません。
問題や悲劇や苦しみだと感じ、それを否定し続けるのです。
そのような者が状況の意味を学び取り、成長することなど有り得ないのです。
人生の失敗とは、心の純粋さの消失であるということを覚えておきましょう。
人が豊かに生きるためには、心の純粋さが大切なのです。
これを綺麗事だと片付けてはなりません。
地位や名誉や財産が何になると言うのですか?
あなたが死ねば、それ等のすべてを失います。
生まれ変わる頃には、すべてを忘れています。
あなたは自分の名前すら覚えていないのです。
それが、本当に人生の目的であると思うのですか?
地位や名誉や財産は、「生きるため」には確かに大切です。
しかし、心の純粋さに比べるなら、それ等は「魂にとって」価値がないということを知らなければならないでしょう。
人生の意味は、純粋な心でなければ読み取ることはできません。
地位や名誉や財産をどれだけ築いたとしても、人生の意味が分からなければ、何の価値があるというのでしょう?
あなたは意味の分からない人生に価値があると思いますか?
人生の意味が分からなければ、その中にある地位や名誉や財産の意味も分からないのですよ?
それは空しいことだと理解しましょう。
人は純粋な心を以て生きていかなければなりません。
人生を、目の前の状況を信じることを諦めてはなりません。
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