人の本質は魂というものです。
これは目には見えず、認識することが難しいけれども、この世界に存在する高度な物体であるのです。
人はこれを意識と呼んだり、心や思考と呼びます。
人は魂という光であるということを覚えておきましょう。
魂は様々な時代と場所を流転します。
そこで自らの目的である成長を果たすのです。
魂は成長のために経験を重ねているのです。
成長するためには正しい経験を経る必要があります。
しかし、正しさを理解するためには、この世の中に間違った方法を用意する必要があるのです。
偽りを理解することがなければ、人が正しさを理解することはできません。
陰陽の違いによって、適切を理解することができるのです。
物事には、適切という正しさと不適切という間違いが存在しています。
適切を用いなければ、それは苦しみという結果を導くのです。
適切によって、幸福という状態が実現するのです。
幸福という状態が正しいということを理解しなければなりません。
どのような状況にあっても、幸福でないのであれば間違っているのです。
適材適所という言葉があります。
これは、個々の能力に相応しい役割をこなすという意味を示します。
能力に対して適切ではない役割を担っても、それを十分にこなすことはできず、結果として幸福を得ることもできません。
人は、自らの能力に相応しい仕事をする必要があるのです。
これは仕事のことだけではありません。
すべての事柄に対して、適材適所、適切を考える必要があるのです。
人の本質は魂ですが、肉体の協力なくして幸福を得ることはできません。
そのため、人は魂のことを主体として考えつつも、肉体を大切にする努めを怠ってはならないのです。
肉体との協力によって、魂の成長が実現するのです。
肉体は自然界からの恵みです。
それは、土と水とで成り立ちます。
肉体は滅びれば土と水に還(かえ)るのです。
そのため、肉体は自然の一部であるということを理解しなければなりません。
しかし、多くの人は魂の存在を(実感として)知りません。
そして、肉体が器であり、自然の一部であるということも知らないでいます。
そのため、自分自身というものが分からず、魂と肉体に対して適切な方法を用いることができず、魂と肉体を汚し、その結果として苦しみを受け取っているのです。
そして、人生に対して不満を抱き、絶望して悲しむのです。
問題は無知によって引き起こされます。
人が自分自身のことを知っているのであれば、人生に苦しみは有り得ないのです。
人が自分自身のことを知らないがために、正しい方法(適切)を用いることができずに問題を抱え込むのです。
人の本質は魂という物質です。
人の肉体は魂の器であり、自然の一部です。
人は自然に生まれ、自然に生き、自然に死ぬことが大切であるのです。
魂に対して、肉体に対しての適切を考えなければなりません。
その考えが間違っているのであれば、魂の汚れ(感情の乱れ)と肉体の汚れ(病気)という結果によって苦しむのです。
正しければ豊かさを得ることができます。
間違っているのであれば、乏しさを得ることになるのです。
この世界には無意味なものは存在しません。
無駄なものはありませんし、悪いものもありません。
ただ、適切ではないだけです。
適切ではないために、破滅を招くのです。
あなたは勘違いしてはなりません。
何かが悪いのではありません。
自分自身の選択が間違っているだけなのです。
破産するのも、病に苦しむのも、人間関係がもつれるのも、人生に絶望するのも、すべては自分自身の過ちであるのです。
適切を理解しているのであれば、人生は豊かに機能するのです。
あなたは様々なことを理解しなければなりません。
それがどのような用途に当てはまるのかを知るのです。
知識と知恵がなければなりません。
人生は一生勉強であるということを覚えていなければなりません。
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