小さな世界に生きてはなりません。
	この世界は、あなたが考えている程小さな世界ではないのです。
	あなたは余りにも狭い視野によって、余りにも小さな世界に生きています。
	あなたは無限の可能性に気が付かなければならないのです。
	あなたの認識によって計れる程、この世界は小さくもなければ、単純でもないのです。
	あなたが思っているよりも、この世界は遥かに大きく、遥かに複雑なものであるということを知りましょう。
	そのため、あなたの知識は一瞬で役に立たなくなります。
	あなたの信じている常識も同じです。
	次の瞬間には新たな発見によって世界は覆るのです。
	あなたはそれを当たり前とする必要があるのです。
	あなたの中で、世界というものは狭く浅いものであるかも知れません。
	あなたが退屈や不満などの詰まらない感情に弄(もてあそ)ばれているのであれば、あなたは何も知らない人ということになります。
	世界は、あなたの想像を凌駕(りょうが)します。
	あなたの認識は、この世界のすべてを捉えることはできません。
	あなたがどれだけ努めても、世界の実相を捉えることはできないのです。
	一生をそれに費やしても追い付かないのです。
	全世界の人間が同じ作業を行っても、結果は同じです。
	何億年と歴史を重ねても、何も理解していないということを理解しましょう。
	あなたが高高(たかだか)百年生きたところで、理解しようもないのです。
	詰まらない感情に弄ばれている場合ではありません。
	あなたは少しでも大きな世界を捉えなければならないのです。
	視点を高く、視野を広げ、少しでも広い世界に生きなければならないのです。
	唯物思想を信じ込む者がいます。
	唯物論者は物質のレベルで思考(世界)の広がりが終わります。
	この世界は物質の総量よりも、意識の総量の方が多いのは明確なのです。
	あなたの思考や感情などの意識は、どれ程の働きと広がりを見せるでしょうか?
	あなたは常に考え、常に思っているのです。
	寝ている時でさえ、それ等を働かせています。
	意識がその生産を休むことはありません。
	しかし、あなたが物質を生み出すことはどうでしょう?
	あなたの思考や感情は何等かの意図を以て物質を生産します。
	思考や感情の数と、そこから生み出される物質の数はどちらが多いでしょうか?
	あなたは一つの物質を生み出すために、どれ程の計画を立てるでしょう?
	あなたは本当に物質のみが世界を形成していると思いますか?
	唯物論的に、思考や感情さえも物質的な働きであると思うのですか?
	あなたに唯物思想を信じさせるのは誰ですか?
	その人物はどのような人生を生きていますか?
	その人物は他人からどのような評価を得ていますか?
	あなたはその人物をどう評価しますか?
	小さな世界に生きることは簡単です。
	しかし、小さな世界に生きることは危険です。
	それは、可能性が途絶えてしまうからです。
	人が夢を持つのは、そこに喜びが存在しているからです。
	しかし、夢とは実現する約束のない幻です。
	しかし、それを目指すことによってのみ、人は人生を喜ぶのです。
	それは、大きな世界を目指すことこそが、人にとっての正しい道であるからです。
	夢を持たない人が喜ぶでしょうか?
	夢を持たない人の人生に憧れを抱けますか?
	小さな世界に生きる者を、あなたは詰まらない人間だと位置付けるでしょう。
	度量の小さな人間に対しては、嫌悪感さえ覚えてしまうかも知れません。
	人の認識と世界の大きさ(度量)は比例しています。
	高い視点と広い視野によって大きな世界に生きる者は、その度量が育まれます。
	そのような者が退屈や不満などの詰まらない感情によって弄ばれることなど無いのです。
	認識の許す範囲をすべてだと考えてはなりません。
	より大きな世界に生きるように努めましょう。
	それでもすべてを理解することは不可能です。
	無限の可能性を遊びましょう。
	
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