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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2015年4月10日金曜日

条件

この世界に実現するものは、それが実現するために必要な条件を満たしたものだけです。
条件を満たすことなく実現するものはありません。
それがどのようなものであったとしても、条件が満たされるために実現するのです。
条件を満たすのはあなたの意思選択です。
この世界には因果の仕組みが存在しますが、現れるものはすべてが結果であり、その結果を導くのが意思選択という原因であるのです。
何を得ようとも、それは自分自身に原因があるということを理解する必要があるのです。
その条件を自分自身で満たしたということを理解することがなければ、人生に対して苦悩を覚えるのは避けられません。
なぜなら、その現象がどのようにして実現したのか?ということを理解することができないからです。
その理由が分からなければ、混乱を引き起こします。
混乱によって目測を誤れば、広い道であろうとも崖に落ち込むことになるのです。
広い道を歩むのであれば、わざわざ崖に落ち込む必要はありません。
しかし、崖に落ち込むに相応しい条件を整えれば、それは簡単に実現することになるのです。
崖に落ち込みたくなければ、崖には近付かないことです。
谷底を覗き込むような真似をしなければ、あなたが崖に落ち込む可能性は少ないのです。
あなたの原因(意思選択)に反して、あなたが崖に吸い込まれるということはありません。
”何かの力(外的要因)”によって崖に吸い込まれるようなことがあるとするのであれば、”何かの力”を生じさせる条件を過去に満たしていたということになるのです。
それが、理解できないような事象であったとしても、実現することのすべてには条件が存在しているのです。
条件が存在しているために、実現するのです。
そのため、それはあなたにとっては理解することができないだけであって、この世界には存在する事象であるということを理解しましょう。
赤外線、紫外線、エックス線、電波などの不可視の存在を否定することはできません。
それは、今日に生きる者であれば、日常的に使用しているものであるからです。
携帯電話で通話をしておきながら、それを信じないというのはおかしな話なのです。
電波は不可視の状態です。
しかし、電波を発生させる装置と、それを送受信する機械という条件が整えば、不可視であろうとも実現するのです。
人生には信じられないようなことが起こります。
しかし、それは奇跡的に実現したのではありません。
奇跡などという曖昧(あいまい)なものは存在しないのです。
すべてが因果の仕組みによって、確実に導かれているのです。
その理由や過程を理解することができないだけであって、その理由や過程を否定することはできないのです。
人は目の前の事象を受け入れなければなりません。
あなたの認識が届かないだけであって、そこには必要な条件が存在しているのです。
それを自分自身で満たしておきながら、知らないというのは間違っているのです。
すべては自分自身の意思選択によって引き起こした当然の結果です。
そのことを覚えておかなければならないのです。
苦しみに会った時には、誰かや何かに頼ります。
それが実現する条件を整えたのが自分自身であるということを知らないのです。
そのため、目の前の苦しみに対してショックを受け、どうにかしてそこから抜け出そうと暴れるのです。
しかし、その苦しみが自らの引き起こした当然の結果であるということを知っているのであれば、心を乱すこともありません。
当然の結果であるということを理解しているのだから、覚悟を以て対応することができるのです。
逃げようと考えている者には、適切な対応はできません。
そのため、受け入れることのない者には問題の解決は実現せず、より大きな苦しみが導かれるのです。
問題を引き起こしておきながら、その責任を取らずに逃げるのであれば、許されることはないでしょう。
より大きな罪の報いを求められるに違いないのです。
あなたの財産を奪って逃げた相手に対して、あなたはどのように対応するでしょう?
それを自分自身の原因による当然の結果であると受け入れることができますか?
自らの考え方や生き方によって満たされた条件が実現したものであると信じることができますか?
それがどのような状況であれ、受け入れることができない者には苦しみが導かれます。
それは、必要な状況を否定するという新たな条件が満たされるためです。
必要を否定するのであるから、苦しむのは当たり前なのです。
人が肉体を維持するためには呼吸を繰り返す必要があります。
しかし、その必要を否定するのであれば、呼吸の停止と共に肉体的な苦しみを得ることになるのです。
必要を否定してはなりません。
実現するものがどのようなものであろうとも、それが現実であるということを忘れてはなりません。
可視の状態であろうと、不可視の状態であろうとも、人生の条件は常に満たされようとしているということを理解する必要があるのです。

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