世界は広いのです。
	この広大な世界においては、可能性は無限に存在しています。
	あなたは無限の可能性の中に生きているということを理解しましょう。
	どのような理由があろうとも、自らの可能性に限界を設けてはなりません。
	あなたの考える限界とは、あなたの小さな価値観の中だけの可能性を現しているのです。
	それは決して、この世界の限界ではないのです。
	自分自身とこの世界を一緒くたに考えてはなりません。
	あなたとこの世界は全く違うものです。
	あなたという個人は、全体であるこの世界の一部に過ぎないのです。
	どうして、あなたの考える限界が世界の限界であると言えるのでしょうか?
	あなたの認識が限界に至ることは有り得ません。
	世界は、あなたの認識が及ぶほど小さなものではないのです。
	限界を作るのはあなたの勝手であるのです。
	知ったつもりではなりません。
	世界には限界がないのです。
	あなたが一生を掛けても、世界を知ることはできません。
	世界を知ることもできない者には、その限界を理解することはできないのです。
	あなたの考えている限界とは、あなたの勝手な決め付けであるということを覚えていなければならないのです。
	多くの人は世界を知りません。
	多くの人は自分自身の価値観の中だけに生きているのです。
	すべての人は未熟です。
	未熟な者の価値観とは、小さな世界観であるのです。
	そのため、多くの人は小さな世界を生きているのです。
	多くの人が人生の意味を知りません。
	自分が何のために生きているのかを知らないのです。
	そこで仕方なく、目の前の目的や、価値観の中に生じる夢に対して命を費やしているのです。
	多くの人が業(ごう)の清算をしているだけです。
	多くの人の人生は、自らの抱える無知と過ちを解消するためにあるのです。
	しかし、人生というものは業を清算するために存在する訳ではありません。
	人はそこで神聖(しんせい)を生み出さなければならないのです。
	人は成長するために生きています。
	業を清算する過程においてそれは少しずつ実現します。
	しかし、それを目的にしている者が多いのです。
	多くの人は気楽を得るために生きています。
	苦しみから逃れることを目的としているのです。
	多くの人の考える幸福とは、苦しみが無く気楽であることです。
	これを求めているのです。
	しかし、苦しみが無く気楽であることが人生の目的なのでしょうか?
	それは、マイナスがゼロに戻るだけであり、そこに価値を見出すのは難しいのです。
	マイナスをゼロに”戻した”のであれば、今度はそれをプラスしていかなければならないのです。
	より良くなることが重要であるのです。
	人の本質は魂です。
	すべてはこれを育むための様々な経験であるのです。
	魂を育むためには、神聖という富を積む必要があります。
	そのためには、限界を定めてはなりません。
	個人的な価値観は神聖を妨害します。
	世界(無限)と共に歩むことによって、神聖は得られるのです。
	世界には限界がありません。
	自分勝手に限界を設けなければ、神聖は高まるのです。
	世界は広いのです。
	自分勝手に限界を決めてはなりません。
	様々な可能性を考慮して、状況を受け入れましょう。
	感謝して受け入れることができるならば、神聖は高まるでしょう。
	それは、”愛”と呼ばれる力です。
	世界と共に生きましょう。
	
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