人生を豊かなものにするためには、人生に対する理解が必要です。
理解を深めることによって、人生は豊かなものとなるのです。
理解が浅ければ、それを豊かなものにすることは不可能であるということを覚えておきましょう。
どのような事柄に関しても無知な状態においては、そこから豊かさを得ることはできないのです。
無知を放置してはなりません。
それは苦悩を導き、乏しさの原因となるからです。
人は、理解を深めることに励(はげ)まなければならないのです。
理解を深めることが先決です。
あなたはそれに集中しましょう。
何をするにも、理解を深めましょう。
無知は豊かさを否定します。
無知に頼っているのであれば、人生には苦しみ以外の状態を望むことはできないのです。
無知は罪です。
それは、怠慢(たいまん)によって引き起こされます。
何年、何十年と生きているのに、無知を放置してはならないのです。
人生が何であるのか?ということを考えたことがありますか?
目の前の状況の意味を考察したことがあるでしょうか?
無知のままに放置すれば、そこから得られるはずの利益を得ることはできないのです。
考えることがなければ、理解は深まりません。
そのため、あなたは考え続けなければなりません。
しかし、ただ考えるということであっては不足します。
目的は理解を深めることなのです。
要点から逸れた意味の無い理論を永遠と組み立てていくことにおいては、理解を深めることはできません。
理解を深めるために考える必要があるのです。
そのためには、要点を得た考えによって理論を煮詰める必要があります。
要点を得るためには、視点の位置が重要です。
視点の位置が的外れなものであるのならば、要点を得ることはできないのです。
照準が定まっていないのに矢を放っても、それが目標物に命中することはないのです。
何本の矢を放っても結果は同じです。
大切なのは、目標物に対して照準が定まっていることなのです。
理解を深めるためには、思考という矢が理解を深めようとする対象に対して、正しく向けられている必要があります。
それは客観視によって実現します。
対象に対して客観することがなければ、思考は正しく導かれません。
そのため、理解が深まることはないのです。
人々は身内の軋轢(あつれき)に苦しみます。
他人との関係においては、身内ほどの軋轢が生じることは稀(まれ)です。
それは、他人に対してはある程度の客観視が無意識の内にでも実現されているからです。
他人事とは、客観視から生じるのです。
他人事に関しては、人はある程度の冷静な判断が下せます。
しかし、自分事に関しては冷静さを失います。
それは、客観性を失っているからなのです。
人は他人のことは良く知っていますが、自分自身のことに関しては無知です。
それは、自分自身に対しては客観性を持たないからです。
あなたは意識的に客観性を持たなければなりません。
自分自身のことを理解するためには、自分自身から離れる必要があります。
人生のことを理解するためには、人生から離れなければならないのです。
目の前の状況を理解するためには、それを客観視する必要がありますが、そのためには、苦悩や至福から離れなければなりません。
客観性とは、完全な客観性のことです。
あなたは、損得から離れましょう。
損得勘定こそが、人を客観性から遠ざけるのです。
主観的に生きるのであれば、理解を深めることはできません。
そのため、自分がどの視点からものを見ているのか?ということにいつも注意しておきましょう。
客観性によって理解を深めることが重要です。
あなたは、すべてのことから離れましょう。
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