人生を豊かなものとするためには、大きな視野を実現する必要があります。
	大きな視野を実現することができなければ、豊かな人生を得ることはできません。
	それは、大きな視野でなければ、この世界のことを理解することが難しいからです。
	大きな視野でなければ、人は人生の意味を理解することができません。
	それは、目の前の状況に集中するあまり、それに捉われてしまうためです。
	部分的に対象を捉えるのであれば、全体とその繋がりを理解することができません。
	全体とその繋がりを理解することができなければ、その対象の持つ意味を正しく理解ことはできないのです。
	小さな視野によって世界を捉えるのであれば、人生が何のためにあるのか?ということを理解することはできないでしょう。
	誰かが苦悩しているからといって、それだけではそれがその人の害になるのか?ということを判断することはできません。
	その人が苦悩している経緯を知らなければ、判断を誤ることになるのです。
	ただ、部分的に見て哀(あわ)れむのであれば、その意味を正しく理解することはできず、本当はその人にとっての利益であることにも気が付かないのです。
	利益を手放す必要はありません。
	しかし、多くの人は小さな視野によって判断するために、成長にとっての利益を安易に手放してしまうのです。
	誰かがあなたに厳しい言葉を投げ掛ける時に、それを厳しい言葉だけに限定して解釈すれば、それは自分にとっての苦しみとなります。
	それを大きな視野によって解釈し、その厳しい言葉によって自分の愚かさを正してくれているのだという理解を得ることができれば、それは喜びとなるのです。
	視野の状態によって解釈は大きく変わります。
	解釈が変われば、そこに導き出される感情や状況にも大きな変化が訪れるのです。
	大きな視野によって判断するのであれば、それは利益となるのです。
	しかし、小さな視野によって判断するのであれば、それは損失となるのです。
	対象の本質を理解することがなければ、苦しみを得ることになります。
	それは、対象を歪めて見ているためです。
	この世界に存在するものはすべて成長のための材料です。
	すべては成長のために存在しているのです。
	そのため、それがどのようなものであろうとも、成長の役に立ちます。
	この世界には、成長に関係のないものは存在しません。
	成長の材料を歪めて見るのだから、成長を妨げる状態を得るということになるのです。
	成長を妨げる状態によって対象を得るのであれば、成長は妨げられます。
	成長が妨げられることによって得られる感情は苦しみであるのです。
	人が豊かな人生を求めているのであれば、苦しみを生み出さない工夫が必要であるのです。
	物事を歪めて見るのであれば、どのような人物であろうとも、必ず苦悩を得ることになります。
	人生の苦しみとは”誤解”によって生じるということを理解する必要があるのです。
	なぜなら、この世界には苦しみというものが存在しないからです。
	苦しみというものは、人の認識の中にのみ存在する概念であるということなのです。
	そのため、人によって苦しみの対象が違うのです。
	もしも、この世界に苦しみというものが形を以て存在しているというのであれば、誰もがその存在に対して苦しみます。
	しかし、そのようなことは現実には有り得ません。
	それを苦しむ人がいる一方で、それを喜ぶ人がいます。
	すべての人が苦しむ対象というものは、この世界には存在しないということです。
	そのため、苦しみというのは概念に過ぎないのです。
	考え方が変われば、苦しみは消え去ります。
	十代の頃の苦しみは、二十代の頃には苦しみではありません。
	二十代の頃の苦しみは、三十代の頃には苦しみではないのです。
	このことを以てしても、苦しみというものが概念に過ぎず、自分自身で作り出しているということを理解することができるでしょう。
	人生に苦悩しないためには、視野の拡張が求められます。
	対象の全体像と経緯を理解すれば、それに苦しむ必要はありません。
	南の空を見て、嵐がやって来ているということを知れば、万全を期することができるのです。
	嵐が到達してから、それが嵐であると気が付いたのであれば、そこには苦悩が導かれるでしょう。
	そして、何の準備もなく嵐の中に耐える時には、いずれ嵐は遠ざかり、その後には晴天が広がっているということを想像することすら難しいのです。
	嵐が来ることを事前に理解し、万全の準備をしている者には、嵐が過ぎ去った後の世界に対しての考えが、既に生まれつつあるのです。
	心に余裕がなければ、人は苦しみに溺れるということを覚えておきましょう。
	大きな視野によって世界を捉えるのであれば、目の前の状況に苦しむこともないのです。
	人生は感動と喜びによって満ち溢れているというのに、それに気が付かないのです。
	足元の泥(どろ)を見ては、周囲に広がる花畑には気が付かないのです。
	とにかく、大きな視野を持つように努めなければなりません。
	小さく見てはなりません。
	部分的に解釈してはなりません。
	大きく見ることを覚えましょう。
	
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