すべての人は幸福を求めています。
	すべての人が、形は違えど、それぞれに求める幸福を持つのです。
	誰もが自らの求める幸福を実現したいと願っているのです。
	そして、その幸福を実現するために、自分なりに行動しているでしょう。
	様々な考え方が存在します。
	それは、人それぞれに許された自由です。
	人は、自らの信じる考え方に従い、自らの求める幸福を実現しようと努めているのです。
	しかし、すべての方法が幸福へと向かうということではありません。
	幸福に対して不適切な方法もあるということを理解しなければなりません。
	目的地に辿り着くためには徒歩を有する以外に方法はないにもかかわらず、いつまでも車に乗っていたとしても目的地に辿り着くことはできないのです。
	幸福を実現するためには、それに相応しい方法を選択する必要があるということを理解しましょう。
	幸福とは何でしょうか?
	幸福とは、心境の状態です。
	喜びを感じる状態の心を幸福というのです。
	他人や状況や財産が幸福であるということはありません。
	なぜなら、あなたがその人物、状況、財産を好ましく思っていたとしても、それに嫌悪する人がいるのも事実だからです。
	しかし、喜びを感じる心の状態は誰にとっても幸福です。
	このことから、幸福というものが心の状態であるということを理解することができるでしょう。
	あなたが幸福を求めるのであれば、他人や状況や財産という外的な刺激に対してその役割を求めるというのは誤った方法です。
	他人という外的な刺激に幸福を求めたとしても、他人との関係はいつかは終わります。
	出会いがあれば別れがあるのです。
	一生、あなたとの関係を続けることのできる人はいません。
	相手が先に死を迎えるか、あなたが先に死を迎えるからです。
	他人(人間関係)に幸福を求めたとしても、他人があなたを幸福にすることなどできないのです。
	親兄弟であろうと、誰であろうと同じことです。
	状況に求めたとしても、それ等がいつまでもあなたの所有物であるということはありません。
	状況は刻々と変化を続けているからです。
	財産に求めたとしても、財産との関係はいつかは終わります。
	財産は簡単に手元を離れます。
	詐欺師があなたの財産を狙っています。
	その結果、自らの欲望によって財産を失います。
	そして、あなたが死を迎えれば、一切の財産を失うことになるのです。
	財産に幸福を求めるのは適当ではないのです。
	他人や状況や財産に対して幸福を求めたとしても、あなたを本当の意味での幸福に導くことはできません。
	幸福とは心の状態であるために、心に対して集中する必要があるのです。
	他人や状況や財産によって得られる幸福とは、一時的なものに過ぎないんのです。
	それは、必ず失うものであるのです。
	他人があなたを裏切ることで、他人と夢見た幸福は脆(もろ)くも崩れ去ります。
	時代遅れになった状況によって、あなたは苦悩を受けます。
	財産を失うことによって、財産によって支えられていた幸福は塵(ちり)となるのです。
	これ等が本当の幸福であると思いますか?
	誤った方法であっては、本物の幸福を手にすることはできないのです。
	他人があなたを裏切る(裏切られたと思う)ことは当たり前のことです。
	考え方がそれぞれに違うのであるから、別れが来るのは至極自然のことなのです。
	他人との関係が永遠に続くという幻想を抱くことの方に問題があるのです。
	状況が変化するのも当たり前であり、財産を失うのも当たり前です。
	状況も財産も、元元あなたの所有物ではないのです。
	どうして、状況や財産を永遠に所有することができるのでしょう?
	他人との別れの際にも、状況の終わりや財産の損失に出会っても、心が喜びを感じる状態であるのならば、あなたはどのような感想を得るでしょう?
	それ等の”災難”(と思っていること)に出会っても、心が喜びを感じているのであれば、幸福を得られるのです。
	簡単な理論です。
	幸福の正体を見極めましょう。
	幸福の本質が自らの心の状態にあるということを理解する必要があるのです。
	他人や状況や財産に幸福を求めているのであるなら、あなたは一生をかけても本当の幸福に出会うことはありません。
	誰かと一緒にいるから幸福なのではありません。
	その状況を前にしているから幸福なのでもありません。
	財産を所有しているから幸福なのでもないのです。
	深く考える必要があるでしょう。
	
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