未知なものに対して、どうしてあなたの判断が正しいと言えるのでしょう?
	あなたはそれを知らないのです。
	知らないので未知なのです。
	知らないものをどうやって判断するというのですか?
	知らないのであれば、判断など付かないはずなのです。
	なのになぜ、それがどのようなものであるのかを決め付けるのですか?
	あなたは何者なのですか?
	この世界を判断することができるほどの叡智(えいち)に達しているとでも言うのでしょうか?
	残念ながら、あなたは未熟です。
	あなたは多くを不足し、大きく歪んでいます。
	これは仕方のないことです。
	未熟であるが故に、この世界で学んでいるのです。
	あなたが未熟でないのならば、この世界において学ぶ必要など、初めからないのです。
	学ぶ必要があるために、生きているということを理解しなければなりません。
	しかし、多くの人は自己を正当化します。
	そして、自分自身が優れているという虚像を信じ込み、真実から目を逸らすのです。
	未知なものに対して、人は恐怖を抱きます。
	しかし、それは知恵による行為ではありません。
	無知であるが故に恐れるのです。
	すべての問題が、無知によって生じるということを理解する必要があるのです。
	人が問題を解決するためには、無知を解消する必要があります。
	無知を解消することによって問題が消滅するのです。
	無知を解消するためにはどうすれば良いでしょう?
	それは、未知に対して興味を抱き、それを真摯(しんし)に学ぶことです。
	多くの人が未知に対して恐怖を抱きます。
	そのため、未知に対しては億劫(おっくう)になり、否定的な態度を取るのが”普通”です。
	そして、未知を未熟な判断によって勝手に決め付け、自らの可能性を途絶えさせるのです。
	未知には多くの可能性が存在しています。
	未知にこそ、無知を解決する力があるのです。
	そのため、多くの未知に向き合い、無知を知恵によって埋めていかなければならないのです。
	多くの人は未知を恐怖の対象と決め付けています。
	しかし、未知を克服することによってのみ、無知は解消されるのです。
	あなたは未知を恐れる必要はありません。
	この世界は何のために存在しているのですか?
	あなたは何のために人生を生きているのですか?
	あなたは成長するために存在しているのです。
	成長するためには、無知を埋め、知恵を実現する必要があるのです。
	未知にこそ可能性が存在しています。
	あなたはそのことを理解しなければなりません。
	知らないものを否定してはなりません。
	あなたは未熟であり、無知であるのです。
	あなたの知らないことなど、この世界には数え切れないほど存在しているのです。
	あなたの知っていることなど、数えるほどしかないのです。
	それも、表面的なことを知っているだけであり、本質的なことは何一つ知らないという事実を受け入れましょう。
	あなたは誰ですか?
	あなたは最も近しい”自分”のことすら、何一つ知らないのです。
	それなのに、どうして未知を決め付けることができるのでしょうか?
	なぜ、それを嘘であると疑うのでしょうか?
	本当か嘘かは、自分自身で体験しなければ決して判断することができないことであるのです。
	それを判断しているというのであれば、あなたこそが嘘であり、嘘吐きであるということを理解しなければならないのです。
	小さな視野によって、小さな世界に生きてはなりません。
	無知が蔓延(はびこ)る詰まらない世界に、何の意味があるというのでしょう?
	無知によって何千年生きたとしても、あなたは真実の喜びにすら到達することはできないでしょう。
	未知を否定するような詰まらない人間であってはなりません。
	無知を埋めるために、未知に向かいましょう。
	知恵によって、楽しい人生にしましょう。
	
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