思い通りに進むことなどありません。
	すべてが必要によって満たされますが、それがあなたの思い通りに進むことなどないということを理解しましょう。
	思い通りに進むことは、決して喜ぶべきことではありません。
	それは、あなたが未熟であるという事実が既に存在しているからです。
	因果の仕組みによって導かれる状況は、あなたの未熟さを反映した当然の結果です。
	そのために、思い通りの展開などが導かれるはずもなく、必要のみが満たされるのです。
	理想などという不要の幻想に固執してはなりません。
	あなたの思い通りに進むことなど、あなたにとっての利益には結び付かないのです。
	あなたが本当の利益を求めているのであれば、目の前の状況を素直に受け入れましょう。
	それがどのような状況であろうとも、それを否定していてはならないのです。
	目の前の状況を否定するということは、必要を否定するということです。
	それは、あなたが利益を損なうということに繋がるのです。
	しかし、思い通りに進むことを利益だと考えている愚かな者には、そのことが分かりません。
	そのために、必要に対して不満を持ち出し、必要を退(しりぞ)け、不要を得ることになるのです。
	不要を得ることによって導かれるのは問題です。
	問題によって生み出されるのは苦悩です。
	人が問題を抱えて苦悩しているのは、自らが必要を拒絶しているからに他なりません。
	必要を拒絶しているために、必要が満たされないのです。
	苦悩を得ず、幸福を得るためには、必要を満たさなければなりません。
	思い通りに進ませるのであれば、それは未熟な結果である苦悩を導くことになるために、それによっては幸福を得るということはできないのです。
	あなたは、人生を思い通りに進ませる必要などないということに気が付きましょう。
	人生を思い通りに進ませようとするのは、自我による働きです。
	自我の持つ我欲によって、人は思い通りに人生を進ませようと考えているのです。
	我欲に根差した生き方によって幸福を得る人はいません。
	なぜなら、この世界が求めているのは自我による”わがまま”などではなく、非我(ひが)による貢献であるからです。
	利己的な生き方よりも、利他的な生き方の方が優れています。
	幼い子どもは自分勝手に生きるものです。
	それは、視野が狭く、自分自身のことにしか考えが及ばないからです。
	成熟した大人は相手を尊重します。
	それは、視野が広く、自分以外のことにも考えが及ぶからです。
	非我による貢献を行うことのできる者は、成長を実現した者であるのです。
	成熟した自己を身に付けている者でなければ、非我による貢献は行えないのです。
	幼い自己を所有する者は視野が狭く、自分勝手に考えることしかできません。
	それは、人生を思い通りに進ませることが重要であるという、浅はかな考えに至るのです。
	子どもは大人の忠告に耳を貸しません。
	それは、苦悩を経験するためには良いことではありますが、賢いとは言えません。
	大人の忠告を真摯に受け止め、その可能性を考慮しつつ、次の選択を考えなければならないのです。
	それは、自我を妥協するということです。
	人は、自我を妥協しなければなりません。
	しかし、これは志を妥協しろというのではありません。
	非我によって貢献することに関しては、妥協は許されません。
	我欲による”わがまま”を強行してはならないということなのです。
	我欲は妥協しなければなりません。
	思い通りに進ませることには、愚かではあるものの、ある種の快楽がもたらされます。
	まるで、自分がこの世界の支配者になったかのような錯覚を覚えるのです。
	しかし、それは虚しい自尊心を満たすだけの行為に他ならず、自分が愚かな存在であるということを認めることに他ならないのです。
	自分自身の肉体すらまともに動かすことができないのに、自分が偉いなどという陳腐(ちんぷ)な考えを信じていてはなりません。
	あなたには、爪が伸びることすら食い止めることはできないのです。
	白血球が体内で働かなければ、あなたは今まで生きてなどいないのです。
	あなたには、自分の身体に対する免疫(めんえき)のことなど考えてはいないでしょう。
	あなたが免疫について考えていないのであれば、簡単に病気に苦しむことになるのです。
	あなたの思い通りに運営していれば、肉体は一日と健康を保つことはできないのです。
	肉体が健康を保っているのは、あなたの思い通りには進めていないからなのです。
	思い通りに進ませることはあなたの利益にはなりません。
	あなたは、自分自身が未熟であるという重要な事実を忘れてはならないのです。
	思い通りに進まないからといって、人生を拒絶してはなりません。
	思い通りに進まない時には、思い通りに進まないことが重要であるのです。
	あなたの思い通りに進めば、人生が一日と続かないことを”神”は知っているのです。
	
0 件のコメント:
コメントを投稿