あなたは自分自身の人生の生き方を確立しなければなりません。
	あなたは、自分自身の人生を生きなければならないのです。
	それは、自分自身の人生を生きることがなければ、人生の目的を果たすことができないからです。
	自分自身の人生の目的が何であるのかを知らず、混乱と苦悩の中に生きるのであれば、後悔を得ることになるのです。
	それでは、先へと進むことはできないのです。
	同じことを繰り返しているのであれば、この世界の目的であり、人生の目的でもある成長を実現することにはならないのです。
	成長を実現することができなければ、それを達するまで果てしなく同じことを繰り返さなければならないのです。
	そのため、逃げることはできません。
	自分自身の人生の目的が何であるのかを知らず、混乱と苦悩の中にいつまでも生きるのであれば、懸命に逃げたとしても同じ場所に戻ってくることになるのです。
	学びは”死”を以て終わりではないのです。
	死という状態は肉体との決別に過ぎず、それによってすべてが消え去る訳ではありません。
	人は、肉体が無くても存在することができるのです。
	それは、人の本質が霊であり、魂であるからなのです。
	肉体はそれを支える友であるに過ぎず、そこに執着したり、それを傷付けることによって人生の苦しみが消失するということはないのです。
	例え、死を受けたとしても、人は再び生まれます。
	そこでは前回の人生での学びが引き続き導かれ、それによって成長を実現するまで何度でも繰り返されるのです。
	死が解決策となることはありません。
	苦しみを解決したいのであれば、学びを受け入れることによって成長を実現する以外に方法はないということなのです。
	成長によってのみ、その学びは終了し、苦しみは消失するのです。
	そのため、人が目的として覚えていなければならないのは、成長であるということなのです。
	人は”何か”を成長しなければなりません。
	成長から遠ざかってはならないのです。
	人生を成長のための場所であると考え、時間や労力の使い方を決めるのです。
	目的意識が定まらなければ、目的を果たすことはできないのです。
	多くの人は人生に対する目的を見失っています。
	生活することや、目の前の状況に対する目的を持つことに懸命になるあまり、人生の意味を履き違えるのです。
	周囲の人がそうしているという理由によって、それが正しいとは言えません。
	周囲の人がそうしているという理由によって、それを行うのでは、目的を果たすことは難しいのです。
	しかし、周囲の人がそうしていないという理由によって、それが正しいとも言えません。
	周囲の人がそうしていないという理由によって、それを行うのでは、目的を果たすことは難しいのです。
	周囲の人の人生と、あなたの人生は全くの別物です。
	それぞれの人生を一緒くたにして考えてはならないのです。
	あなたには、あなただけの人生があるのです。
	周囲の人の生き方は参考にはなれど、あなたにとって”正しいもの”にはならないのです。
	そのため、誰かと自分自身の人生を比べることによっては、正しい答えが導かれるということはありません。
	誰かを羨(うらや)むことや、嫌うことをしても、あなたの人生には何の価値もないのです。
	大切なのは、自分自身が成長するということです。
	他人をどれだけ助けたいと願おうとも、自分自身のことすら救うことができない者に、どうやって他人の面倒を見ることができるのでしょうか?
	泳ぐこともままならない者が、溺れている者を救うことなどできないのです。
	泳ぐことができなければ、互いに水に飲まれるということを理解しなければなりません。
	他人がどうあろうとも、あなたには関係ありません。
	あなたは自分自身の人生の生き方を確立しなければならないのです。
	人生の目的である成長を実現することができなければ、何をやっても、何を所有したとしても虚しいだけであるということに気が付きましょう。
	これは、あなたの学びであるのです。
	これは、あなたの未熟さであるのです。
	これは、あなたの弱さであるのです。
	周囲の人と同じではなりませんし、違っていてもなりません。
	周囲の人との比較が重要なのではありません。
	あなたは、自分自身が成長することのできる方法を探し続けましょう。
	成長することのできる道を探し続けるのです。
	他人から好かれる方法や、他人よりも優れている方法・・・
	このようなものには本当の価値はないのです。
	本当の価値は自分自身の中に存在しています。
	人生の意味を考えましょう。
	
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