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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2015年3月3日火曜日

心のコントロール

人は心を大切にしなければなりません。
あなたはいつも自身の心を見つめていなければならないのです。
心から目を離せば、それは制御の効かない車のように暴走してしまうのです。
車を正しく目的地に導くためには、自分が車を操作しているということを忘れないことです。
操作していることを忘れてしまうのであれば、車は簡単に道を逸れてしまうのです。
タイヤ一つが溝(みぞ)に落ち込んだだけで、車は自由を失います。
目的地に対する意識を失えば、違う道を彷徨(さまよ)うことになるのです。
タイヤが溝に落ち込んでも、違う道を彷徨っても、車は目的地には辿り着くことができないのです。
あなたの人生において、あなたの心が車に値します。
あなたという魂を、心が運ぶのです。
心が整えられていなかったり、歪んだり、閉ざされているのであれば、故障した車がそうであるように道のりは危険なものとなるのです。
整備不良の車ほど危険なものはないのです。
目的地に辿り着くことができるかどうか?ということは、車の仕上がりに関わります。
故障を抱えたままであっては、途中で動かなくなったり、道を逸れて事故を起こすこともあるのです。
車はあなたを目的地へと運ぶ重要な存在です。
それを蔑(ないがし)ろにすることはできません。
人生については、心の在り方が重要です。
心が正しく存在することが、人生の質を決めるのです。
心の乱れている者の人生は乱れます。
心の閉ざされている者の人生は閉ざされます。
心の歪んでいる者の人生は歪みます。
心の立ち止まっている者の人生は立ち止まるのです。
車が道を進むように、心が人生を進むのです。
心は人生を現します。
心を見れば、人生が分かるのです。
あなたは、自分自身の心のままに人生が展開しているということを理解しましょう。
人生は偶然や奇跡によって導かれるのではありません。
因果の仕組みによって、当然の結果が導かれるのです。
整備を怠った車が故障するのは当然のことです。
これが偶然や奇跡的に起こるでしょうか?
人生に対して偶然や奇跡を信じる人がいますが、その考えによって人が自身の心の現実から意識を離しているということを理解する必要があるのです。
そのような人は自らの心の状態を理解しません。
そのために、短絡的であり、感情的であり、物事の原因を他人や他の何かに押し付けるのです。
自分の感情(心)をコントロールすることすらできない者が、どうやって人生の目的地に辿り着くというのでしょう?
運転技術がなければ、決して車を目的地に届けることはできないのです。
心を整えるためには、心を見つめることです。
ただ、それだけです。
難しい知識や技術、多くの資金や時間を必要とはしません。
あなたは自分の心を見つめ、それがどのような状態にあるのかを、客観的に理解するのです。
正当化はいけません。
タイヤがパンクしているのに、自己正当化によって「パンクしてはいない」などと自分に都合の良いように思い込んではならないのです。
あなたは自身の心を大切にしていると言えますか?
心を「愛」によって整えているでしょうか?
多くの人は唯物を中心として世界を理解します。
そのために、心に対して用いる力は限られます。
多くの人は心が大切であるとは思っていないのです。
理解しやすい物質に頼るのです。
しかし、物質に頼り、心を忘れた結果として得るものは苦悩であるのです。
心(自分)を大切にしているために、他人を大切に思うことができるのです。
心の無い世界には冷酷と争いが蔓延(はびこ)ります。
暴走した車は、歩行者を轢(ひ)き殺すのです。
この現実から目を背けてはなりません。
コントロールを失った心は、他人の精神の尊厳を殺します。
それが幸福なのでしょうか?
あなたは心を大切にしなければなりません。
野蛮な世界を生きてはなりません。
あなたはいつも自分自身の心を見つめていなければならないのです。
心がコントロールを失わないように注意しましょう。

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