あなたは自分が如何に愚かな存在であるのかを理解する必要があります。
あなたは、謙虚にいなければなりません。
自我によって我欲を通してはならないのです。
しかし、多くの人は自分が愚かな存在であるということを知りません。
また、それを指摘されても憤慨(ふんがい)し、寄せ付けないのです。
多くの人は自分が正しいと思い込みます。
そのために、自分の信じる正義を正当化するために努めます。
その結果として、不満と争いを生じるのです。
不満と争いによってもたらされる結果は苦しみでしかありません。
不満と争いという破滅的な方法によっては、苦悩が導かれるのは当然の結果であるのです。
自分が愚かな存在であると理解することのない人は、愚かであるが故に苦悩するようになるのです。
それは、正しい道ではありません。
人が正しく生きれば、豊かさと幸福に辿り着くのです。
それが実現しないというのであれば、愚かな者が愚かな行為によって愚かに生きているということが言えるのです。
あなたが求めているのは何ですか?
乏しさと不幸を求めているのですか?
それとも、豊かさと幸福ですか?
あなたが豊かさと幸福を求めているのであれば、自我による我欲を捨てなければなりません。
自分中心の考えを捨て、謙虚に生きるのです。
自分自身が、それ以外のすべての存在と一つであるということを受け入れ、謙虚に生きるのです。
自分が無知であり、未熟であるということを受け入れ、謙虚に生きるのです。
太陽が照らさなければ、人は何もできません。
光が奪われるだけで、あなたは歩むこともできないのです。
あなたは自分自身が発光し、道を照らし出すことができるでしょうか?
現在のあなたの力によっては、それは不可能でしょう。
あなたは愚かであるが故に、太陽に頼る必要があるのです。
愚かであるが故に助けてもらわなければならないのです。
光を奪われるだけで何もできない自分が、本当に偉いのでしょうか?
自分の力では暗闇を照らすこともできないのに、どうして偉いのでしょうか?
あなたは勘違いしてはなりません。
あなたの考える正義など的外れであるのです。
それは、無知であり、未熟であるために仕方のないことなのです。
「わたし」があなたを愚かだと言うのは、あなたを傷付けるためではないのです。
ただ、現状を正確に捉えて欲しいのです。
多くの人は自我によって我欲に溺れます。
そのために、光を失います。
自分が偉いと思えば、人は太陽を蔑(ないがし)ろにするのです。
太陽はすべての人に光を届けますが、その力の恩恵に預かっているのは、それを感謝している者だけです。
謙虚でない者には、その力の恩恵に預かることはできないのです。
光を受けていながら、その光によって照らし出される本当の姿(本質的な部分)には気が付くことがないのです。
太陽はすべてのものを輝かせますが、それを認識するのは人の力です。
太陽の光によって照らし出されるものであっても、人の認識が及ばなければ「見る」ことはできないのです。
人はそれを見えてはいても、認識することができないのです。
世界はあなたの認識によって築かれます。
人生はあなたが作るのです。
しかし、自分独りで作るのではありません。
自分以外の多くの存在からの援助がなければ成り立ちはしないのです。
謙虚さのない者は、援助を受ける資格を持ちません。
援助を受けるに相応しい者は、謙虚さを忘れない者であるのです。
人は無知であり未熟です。
そのために、学ばなければならないのです。
自分が正しいと思い込み、自我によって我欲に溺れる者がそれ以上学びを得ることはないのです。
他者からの光がなければ、あなたは何かを見ることも、触れることも、掴むことも、退くこともできないのです。
謙虚さを忘れないように注意しましょう。
自分の愚かさに気が付かなければなりません。
感謝して生きましょう。
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