あなたは誰ですか?
あなたは何者なのでしょう?
多くの人は自分自身という存在に対して、深い関心を持ちません。
そのために、自分自身というものが何であるのか?ということを知りません。
自分自身に対して深い関心がないために、自分自身に対して無知が生じるのです。
この人生を生きているのは誰ですか?
誰が人生を築いているのですか?
あなたには答えることができますか?
あなたは、自分が誰であり、何者であるのか?ということを深く追求しましょう。
多くの人は自分自身を肉体であると考えています。
例えば、自分自身の顔の作りを見て、それが自分自身であると考えるのです。
しかし、誰にも自分自身の顔の作りを見ることはできません。
鏡などに反射した像によって、自分自身の顔の作りを認識することはできます。
しかし、それは、自分自身で確認した訳ではありません。
反射した像が本当に自分自身の姿なのでしょうか?
鏡を通して見る自分と、写真を通して見る自分とは違う印象を受けるでしょう。
これは、自分の耳を通じて聞く声と、録音機材を通して聞く声に違いがあるのと同じです。
自分自身だと思っているものを、直接的に確認することは誰にもできないことなのです。
鏡が本当にあなたを映していると思いますか?
写真が写しているのがあなたなのでしょうか?
この違いを埋めることができなければ、顔の作り一つにしても、どちらが自分自身の本当の姿であるのかを理解することはできないのです。
誰にとっても、自分自身を認識することはできません。
自分自身というものは客観的に観察することができないということなのです。
観察することができるということは、それは自分自身から離れているということを知りましょう。
自分自身ではないために、観察することができるのです。
あなたは肉体ですか?
肉体はあなたの意思の外で動いています。
自律神経を自在に操作することはできません。
それに、肉体を観察することはできます。
そのため、肉体は自分自身ではありません。
思考はどうでしょうか?
自分が何を考えているのか?
思考の傾向がどのようなものであるのか?
あなたにはこれを観察することができます。
そのため、思考は自分自身ではありません。
心はどうでしょうか?
心も思考と同様に感情によって観察することができます。
そのため、心も自分自身ではないと言えるでしょう。
肉体と思考、そして心より先を観察することはできません。
人の本質は、肉体と思考と心が取り除かれても残るものであるということが言えるでしょう。
多くの人はそれ以外には何も無いと言うかも知れません。
それでは、霊の存在や生まれ変わりの記憶の証明にはならないのです。
霊を目撃する人や、生まれ変わりの記憶を持つ者がいます。
彼等は総じて”頭がおかしい”のでしょうか?
その考えは現実的ではありません。
それは、人には認識することができない所有物があるということを証明しているのです。
魂というものを認識することができる者はいません。
しかし、魂というものを信じることができる者はいます。
自分の顔の作りを確認することはできませんが、それが存在していることは誰であっても信じることができるのです。
しかし、魂を観察することはできません。
なぜなら、それが人の本質であるからです。
誰にも本当の自分という存在を観察することはできないのです。
肉体や思考や心を観察することができるのは、それ等が魂の結果(表現)であるからです。
自分が何者であるのか?ということに、深い関心を持ちましょう。
そうすれば、この世界は生き易い場所となるでしょう。
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