すべての必要が満たされます。
この世界は必要によって満たされているのです。
それは、必要によって満たされることが必要であるからです。
どのような状況も、すべてが必要として存在しています。
必要であるために、その存在が実現することを許されているのです。
あなたはそのことを理解しなければなりません。
すべてが必要であるという”真理”を理解しなければ、無知の代償として苦悩を受けることになるでしょう。
世界は成長のために存在しています。
世界は成長のため”だけ”に存在しているのです。
それ以外の目的を以て存在を許されるものはありません。
あなたがどのように考えようとも、すべてが必要であるという真実を覆すことはできないのです。
あなたには、何が正しくて、何が正しくないのか?という判断ができますか?
すべてが正しいということを理解している人物がどれほど生きているでしょうか?
人生に対して苦悩を抱えている人は、世界を正しく見ることができてはいません。
正しく見ることができていないがために、苦悩という状態を受け取るのです。
すべてが成長のためだけに存在しているという真理を理解する人が、苦悩を得ることは有り得ないのです。
それは、その理解を使って、すべての状況を成長へと変換することができるためです。
すべての状況を成長へと変換することができる人が、どうして苦悩を得るのでしょう?
そのような矛盾は起こり得ないのです。
すべてが正しく、すべてが必要です。
未熟であり、無知な者には理解することができません。
そして、善悪を分けて争うのです。
しかし、それは仕方のないことです。
その未熟さと無知を解決するために、この世界で学んでいるのです。
あなたが成長、そして、人生の幸福を求めているのであれば、学びを取り除くことをやめなければなりません。
多くの人は学びを取り除こうと努めます。
苦しいこと、嫌なこと、不利なことなど、自分自身がネガティブに受け取る印象に対して、それを否定したり、そこから逃亡を計るのです。
どうにかして、その苦しみを受け取らないように努めるのです。
しかし、それでは目的である成長を実現することはできません。
目的である成長が実現されなければ、同じ学び(状況)を再度受け取らなければならないのです。
人生の目的が成長にあるため、この学びから逃れる術は無いのです。
人は目の前の状況を受け入れなければなりません。
何を得て、何を失おうとも、それが必要であるのです。
この世界の判断を歪めてはならないのです。
謙虚に生きることです。
柔軟に受け取ることです。
楽しく在ることです。
苦しいからといって、その学びを取り除いてはなりません。
すべては必要であるのです。
そのことを理解し、すべてを受け入れてみましょう。
すると、心の中には平穏が生じることに気が付くはずです。
その平穏の中に生きれば、目の前の状況がどのようなものであろうとも、それが幸福であるということに気付くことができるでしょう。
目の前の幸福を、未熟さと無知によって苦しみに変換してはならないのです。
すべてが必要です。
そこには感謝して然(しか)るべきなのです。
一つ一つの状況に感謝する必要があります。
例え、それがどのような学びであろうとも、学びはすべて大切なものに違いがないのです。
大切なものを蔑(ないがし)ろにしてはならないのです。
あなたが受け取るものは、そのすべてが最善です。
しかし、多くの人はそのことを信じることができません。
それは、この世界に”真理”が働いているということを知らないからです。
すべては目的を以て進んでいます。
どのようなレベルの事象であっても、それは明確な目的のために遂行されるのです。
あなたの受け取る状況がどのようなものであれ、あなたの成長のために遂行されている大切な学びであることを理解しましょう。
世界を受け入れましょう。
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