多くの知識に出会うことによって、思考は拡大します。
	多くの感情に出会うことによって、心は拡張します。
	多くの生き方に出会うことによって、人生は向上します。
	多くの人に出会うことによって、人格が成長するのです。
	人は成長するために生まれてきました。
	人生は成長のためにあるのです。
	人は成長しなければなりません。
	成長することがなければ、すべてが虚しいということは否定することのできない事実なのです。
	成長することによって得られる喜びによって、人は幸福を感じることができます。
	何を得ようとも、成長という本質的な目的を達成することがなければ、幸福を感じることはできないのです。
	幸福を得るためには、成長する以外に方法はないということを覚えておきましょう。
	人が成長させなければならないものは”魂”です。
	求められるのは、魂の成長なのです。
	魂というものは具体的な形として認識することはできませんが、それは形を変えた表現としてあなたを形成しています。
	あなたの心は魂の表現です。
	心という意識は、具体的な形として体内に存在することはありません。
	すべての臓器を調べても、あなたにはそれを発見することはできません。
	それは、現在におけるあなたの”成長段階”では、認識することができないからです。
	魂という高度な存在を認識するためには、それなりの”成長段階”を必要とするのです。
	心からは感情が派生します。
	感情も、元を正せば魂であるのです。
	思考も派生します。
	思考も、魂の表現の一部として認めることができるでしょう。
	それに、生き方と人格が付属しています。
	人間のすべての精神的な働きは、肉体によっては実現しません。
	屍体(したい)によって精神的な働きが実現するでしょうか?
	肉体が思考や感情などの精神的な活動をしているのは、魂という本質が体内に存在しているからであるのです。
	死とは、魂と肉体が離れ離れとなり、肉体の精神的な活動が終わることを言うのです。
	あなたは自分自身の本質が何であると思いますか?
	多くの人は歪んだ教育によって、肉体こそが自分自身であると考えます。
	そして、その本質が脳であると信じるのです。
	しかし、人が自由に操れるのは、肉体の内の一部の筋肉だけであるのです。
	肉体における主要な臓器の働きは、何一つとして任されていないのです。
	それなのに、あなたは肉体が自分自身であると、肉体が人間の本質であると信じますか?
	歳を経れば、肉体は朽ち果てます。
	老化現象に対抗することはできません。
	すべての人の肉体が衰え、言うことを聞かなくなるのです。
	そのように有限的なものが本質であるでしょうか?
	精神的な活動が衰えることはありません。
	ネガティブな状態であっても、”呆(ぼ)けた”としても、精神的な活動が衰えることはないのです。
	肉体が滅びても、肉体が滅びた後も、精神的な活動は続くのです。
	人は肉体との関係は手放さなければなりませんが、精神的な活動との関係を手放すことはできません。
	それは、人の本質が魂であるからなのです。
	あなたは魂を成長させるために生きています。
	魂の表現である思考、感情、心を大切に育みましょう。
	小さな認識の中に生きていてはなりません。
	世界に対して大きく興味を抱き、より多くの知識や感情や生き方に触れましょう。
	成長するためには、精神的な活動を活発にして、それがより拡大していく必要があるのです。
	無知を放置しているのであれば、精神的な活動は幼稚なままであるのです。
	無知によって導かれる結論は、取るに足らないものに過ぎないからです。
	子どもの浅はかな提案を大人が本気で受け入れるでしょうか?
	あなたは、子どもの提案が熟慮を欠いた提案だと理解した上で受け流すでしょう。
	精神的な活動の薄弱(無知)な人間は、どれだけ年齢を重ねようとも子どものようなものです。
	しかし、年齢を重ねているために”無駄に”自尊心が高く、自分が優れていると思い込んでいます。
	その誤解が、魂の成長(精神的な活動の向上)を阻んでいるのです。
	しかし、そのことには気が付きません。
	小さなプライドによって、人は小さな世界に引きこもります。
	そして、多くの知識や感情や生き方に触れる機会を失います。
	いつまでも同じことを繰り返し、口からは不満を吐き、悲観に暮れるのです。
	それが幸福であると思う人はいないのです。
	自分自身の人生の目的が何であるのか?ということを忘れてはなりません。
	精神的な活動を通して魂を育みましょう。
	すべての活動が魂に通じているということを忘れてはならないのです。
	
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