人は何のために生まれたのでしょう?
	人は何のために生きているのでしょう?
	あなたが人である以上、この答えを問い続けなければなりません。
	人は自分自身を探さなければならないのです。
	自分自身が何のために生まれ、何のために生きているのか?ということを知らずに生きるのは苦痛です。
	何をしているのか分からずに生きることは苦痛であるのです。
	あなたは幸福ですか?
	幸福だと答えた人は、自分が何のために生まれ、何のために生きるのか?という問いを前にしても、同じ考えでいられるでしょうか?
	多くの人は、最も重要な問いに対する答えに蓋(ふた)をして生きています。
	そのため、人生から現実逃避しているのが現状です。
	問題を見ないようにして幸せだと思い込むのは簡単です。
	自分を偽り、嘘によって幸せを捏造(ねつぞう)すれば良いだけなのです。
	嘘を吐くのは簡単なのです。
	しかし、嘘によって得られる幸せは、同じように嘘であることには変わりないのです。
	人生の意味を理解することなく、他の何かに対して人生の幸福を頼ったとしても、それによって真の幸福を得ることはできないのです。
	財産や人間関係に幸福の答えを探したところで、そのようなものがあなたに人生の幸福を導くことはありません。
	物質によっては、一時の快楽を得られるだけであり、それによって何のために生まれ、何のために生きているのか?という問いに対する答えを得ることはできないのです。
	この答えに到達する以外の方法によって、人生の幸福が得られるということはないのです。
	人生の幸福を実現するためには、何のために生まれ、何のために生きているのか?という問いの答えに向かわなければならないのです。
	人生を深く考える必要があります。
	財産や人間関係などの表面的な価値に捉われてはなりません。
	あなたは財産や人間関係を増やすために生まれて来たのですか?
	そのために生きているのでしょうか?
	財産や人間関係を生涯に渡り、増やし続けることは可能でしょうか?
	それ等を増やした先には何があるというのでしょうか?
	それ等は一瞬で失われる可能性があります。
	いつまでも所有することは不可能であるのです。
	人が生まれ、生きる理由が、本当に財産や人間関係を増やすことなのでしょうか?
	あなたは本当にそうだと思いますか?
	財産と人間関係を増やすことによって、あなたは本当に幸せなのでしょうか?
	それが失われた時にも幸せなのでしょうか?
	あなたには忘れていることがあるのです。
	あなたが生まれた理由は何ですか?
	あなたが生きている理由は何ですか?
	あなたはこれ等を知らない訳ではありません。
	あなたはこれ等を忘れてしまったのです。
	思い出せば良いのです。
	それは、心の奥深くに仕舞い込まれています。
	そこに自我(我欲)という蓋がしてあるのです。
	あなたが何のために生まれ、何のために生きるのか?という答えを知るためには、自我という心の蓋を取り払わなければならないのです。
	自我によって隠されているのであれば、人生の意味を理解することはできないのです。
	あなたは、財産や人間関係などの人生における表面的な価値に集中してはなりません。
	それ等は地位や名誉や容姿程度のものです。
	そのようなものを基準に考えれば、本当の価値を理解することができません。
	地位や名誉や容姿を失ったとしても、あなたは幸福である自信がありますか?
	多くの人はそうは思いません。
	そのため、老人になれば様々なことに対して絶望するようになるのです。
	すべてを失った時にも幸福であることが真です。
	すべてを失って不幸であるのならば、それは真ではないのです。
	あなたが頼りにしているものを失う可能性は常にあるのです。
	あなたは頼りにしているものを手放すことができますか?
	人生の意味を理解していない人は縛られます。
	何のために生まれ、何のために生きているのでしょう?
	すべてを失ったとしても”失われない”ものが真です。
	そのことを理解しましょう。
	真を探さなければなりません。
	あなたは何のために生まれ、何のために生きているのでしょうか?
	
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