どのような人物も答えを探しています。
	どのような人物も、答えが欲しいのです。
	どのような人物も問います。
	どのような人物も疑問を抱くのです。
	人生には問題が生じます。
	その度に答えを必要とするのです。
	問題に対する答えを得なければ、人は苦悩を得ることになります。
	そのため、人は答えを欲するのです。
	多くの人は、できる限り簡単に答えを得ようと考えます。
	それは、人間が怠慢(たいまん)であるからです。
	人間は苦労することを嫌います。
	人間は、楽を求めるようにできているのです。
	人間の本性に従う者は、残念ながら納得する答えを得ることはできません。
	それは、常に簡単な方法を求め、苦労を回避するために、難解な方法による回答を得ることができないからです。
	本質とは単純なものではありますが、簡単なものではありません。
	本質を得るためには、難解な方法が必要であるのです。
	知識と経験の少ない者には、本質を理解することはできません。
	何かの本質を理解するためには、知識と経験を十分に蓄えた賢者でなければならないのです。
	答えは単純なものです。
	しかし、そこに辿り着くためには、困難が存在しているということを理解しましょう。
	すべての人物が答えを求めています。
	しかしながら、納得することができる答えとは、本質的なものなのです。
	あなたが納得するためには、本質に向かう必要があるのです。
	本質に向かうためには、簡単な方法によって得られる答えで満足してはいけないのです。
	簡単な方法によって得られるのは、本質からは遠い答えなのです。
	残念ながら、それは余り役には立ちません。
	本質から遠い答えというものは、見当違いの答えなのです。
	本質に近付く程に、難解な方法が求められます。
	知識と経験によって知性が育まれるのはそのためです。
	人は知識と経験を重ねます。
	それは、誰もが避けることのできない理(ことわり)です。
	その理由は、知性を育み、難解な方法に答えを導き出すためなのです。
	それは、本質に近付くためには必要不可欠なことなのです。
	知性の高まりによって、人は本質に近付くことができるのです。
	納得する答えを必要としているのであれば、知性を磨くことが重要なのです。
	無知な者が納得する答えを得ることはできません。
	何も知らず、幻想の中で利己的な満足感に浸ることはできますが、それもいつかは覚めるのです。
	幻想から目覚めた時に待っているのは、後悔という新たな問題なのです。
	そこでは、新たな答えが必要となるのです。
	あなたは知識と経験を集めなければなりません。
	見聞を広める必要があるのです。
	善悪を無視して情報を集めなければなりません。
	それは、善悪を決めているのが自分自身の解釈に過ぎないからです。
	解釈とは偏見です。
	すべての人物の解釈は、例外なく偏見なのです。
	そのため、情報、知識、経験に善悪を用いてはなりません。
	悪と思えることからも学ぶべきことはあるのです。
	悪と思えることからしか学べないこともあるのです。
	様々な情報の果てに答えが見えるのです。
	偏見によって見出す答えは、本質からは遠いものなのです。
	悪と思えることから学ぶことは簡単なことではありません。
	敵を慰め、悪事を許し、それ等を受け入れることは難解なことです。
	しかしながら、そういう方法を用いなければ見えない答えが存在しているのです。
	人は、難解な方法を用いて、単純な答えを得るのです。
	本質(答え)はとても単純なものです。
	しかし、それを得るのは簡単ではないということを覚えておきましょう。
	
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