人の世には正しい情報は存在しません。
	
	人の世に存在するすべての情報は誤解を含んでいるのです。
	情報は常に未完成であり、それが完成することはありません。
	それは、すべての人間が未熟であり、すべての解釈が未熟であり、すべての知識が未熟であるために、未熟な情報しか認識することができないからです。
	人生は認識によって築かれます。
	あなたが認識することのできる情報は、あなたの力量に左右されるということを覚えておきましょう。
	人の世には正しい情報は存在しませんが、その精度を高めることはできます。
	人は、正しくない情報の中から、誤解の少なくない情報を選択することができるのです。
	あなたにとっての最善は、誤解を薄めることにあります。
	最善は、正しい情報を手に入れることにはないのです。
	あなたは誤解を薄めるように努めるのです。
	しかしながら、多くの人が正しい情報を手に入れることを最善だと考えています。
	そのため、手に入れることができないものを求め続けることになるのです。
	手に入れることができないものを求め続けたところで、幻想に触れるだけです。
	人の世において、正しい情報とは幻想であり、それを手に入れることはできません。
	幻想とは思い込みであり、思い込みは誤解であるのです。
	正しい情報を手に入れることを最善だと考えていれば、人の世において正しいとされている情報を信じることになるのです。
	正しいとされている情報でさえ、多くの誤解を含んでいます。
	それは、それを正しいとしているのが未熟な人間であるからです。
	そのため、正しいとされている情報でさえ信じることはできないのです。
	あなたは、正しいとされている情報を安易に信じてはなりません。
	それが正しいとされている情報であったとしても、それを鵜呑みにせず、常に疑いを離れることなく、誤解を薄め続けるのです。
	どのような理由であれ、現状の情報の形に固執(こしつ)してはならないのです。
	現状の情報の形を正しいと信じて疑わなければ、それ以上の情報を手に入れることはできないのです。
	人が未熟である限り、すべての情報は常に未完成であるのです。
	人が誤解を薄めることができれば、情報の形も自ずと変化するのです。
	人生を体験することによって、人は必ず成長します。
	それは同時に、情報は必ず変化し覆(くつがえ)ることを意味しているのです。
	情報を覆すのはあなたの力量です。
	それは、あなたの力量に相応しい情報が手に入るからです。
	覆ってしまった情報は価値を失います。
	価値を失った情報に頼ることは、価値の乏しい人生を生きるということなのです。
	価値の乏しい人生とは、多くの誤解を含んでいる人生のことであり、豊かさを実感することができない人生のことなのです。
	正しいとされている情報を信じることは、価値の乏しい人生を欲することなのです。
	多くの人は豊かな人生を望んでいます。
	しかしながら、正しいとされている情報を信じているのです。
	そして、そこに矛盾が生じていることには気が付きません。
	矛盾が導くのは苦悩です。
	正しいとされている情報を信じる人は、苦悩を避けることはできないのです。
	残念ながら、既成概念(きせいがいねん)や常識には価値がありません。
	それは、既にあるからです。
	あなたは正しいとされている情報を疑うことによって誤解を薄め、正しいとされている情報をより価値のある形へと変化させなければならないのです。
	正しいかどうかには価値がありません。
	新たな形にこそ価値があるのです。
	それは、新たな形には可能性があるからです。
	あなたは、可能性こそが価値であることを知りましょう。
	可能性を無視して、豊かさを手に入れることはできません。
	正しいとされている情報には可能性がありません。
	それは、正しいからです。
	正しいとは、固着した状態のことなのです。
	正しいものを変えることはできません。
	そのため、あなたは何かを正しいと決め付けてはならないのです。
	変化の中にこそ可能性が存在します。
	正しい情報には可能性がありません。
	そこに価値はないのです。
	そのことを覚えておきましょう。
	
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