すべての人が、役割を担って生まれます。
	すべての人が役割を果たすために生まれるのです。
	この世界において、役割を持たない者はいません。
	それは、すべての人のすべての人生に意味があり、価値があるということなのです。
	しかしながら、多くの人は自らの担う役割を忘れます。
	それは、思い出すことに価値があるからです。
	人は役割を見失います。
	しかし、それを人生の様々な経験を通じて拾い集めることができるのです。
	一つ一つの役割の欠片(かけら)を拾い集め、それを組み合わせる作業によって、役割に対する志を身に付けるようになるのです。
	すべての人は未熟です。
	そして、この世界においては、自主性が尊(とうと)ばれるのです。
	人は未熟さによって完成したものを受け入れることや発展させることができません。
	人が自主的に何かを受け入れ、発展させるためには、小さな欠片から始める方法が最善なのです。
	一から始めたことであれば、愛着が生じます。
	人は、完成されたものよりも、自主的に作り上げている未完成のものに価値を見出すのです。
	それは、自主性こそが役割を知っているからです。
	自主性が、あなたに自らの担う役割を伝えているのです。
	簡単に言えば、”やりたいこと”や”好きなこと”が役割の欠片なのです。
	あなたは、やりたいことや好きなことを通じて、自らの担う役割を思い出すのです。
	ただし、やりたいことや好きなことに携わることは簡単な道のりではありません。
	それは、そこに愛着が生じるからです。
	愛着が生じるほど、苦悩も増えるのです。
	愛着のある人や物が傷付くことや失うことは苦悩なのです。
	そして、愛着のある人や物と向き合うことも苦悩に繋がるのです。
	やりたいことや好きなことを行う道のりにおいては、苦悩を避けることはできません。
	やりたいことや好きなことを避けるのであれば、苦悩を避けることができるでしょう。
	そこには愛着が生じない分、無関心でいられるからです。
	多くの人は苦悩を嫌います。
	そのため、やりたいことや好きなことを避けます。
	多くの人はその自主性において、やりたくもないことや、好きでもないことを通じて人生を体験します。
	やりたくもないことや、好きでもないことからは役割の欠片を集めることはできません。
	そのため、人生は可能性を狭め、乏しさを導くのです。
	そこには不満や退屈が導かれ、それも苦悩として現れるでしょう。
	しかしながら、乏しさの中に導かれる苦悩は不毛です。
	やりたいことや好きなことを通じて導かれる苦悩は、多くの実りを与えるのです。
	それは、人生という大地(道)が肥えているからです。
	やりたいことや好きなことを通じて導かれるのは豊かさなのです。
	それは、役割へと向かっているからです。
	人が豊かな人生を生きるためには、役割を果たす必要があるのです。
	自分でなければならないのです。
	自分らしく生きることができない者には、決して豊かさは導かれません。
	衣食住が富んでいようとも、心がそれを崩すのです。
	心はそれを納得しないのです。
	あなたは役割を果たさなければなりません。
	誰も避けることはできません。
	どのような人物にも、その人に相応しい役割と、自分らしい人生が存在するのです。
	あなたはやりたいことや好きなことを行わなければなりません。
	努力とは、やりたいことや好きなことをするために行われるものなのです。
	我慢や辛抱を努力とは言いません。
	多くの人は、努力の意味を履き違えているのです。
	自分の役割を実現させるための行為こそが努力であるのです。
	我慢して、辛抱して、やりたくもないことや好きでもないことをしたところで、努力をしている訳ではないのです。
	あなたは努力しなければなりません。
	自分の役割、自分らしい人生を実現するのです。
	やりたいことや好きなことの無い人はいません。
	勝手に諦めているだけなのです。
	それを隠す必要はありません。
	役割の欠片を集めましょう。
	
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