人は、自然に逆らって生存することはできません。
人は、自然の一部であり、自然を超える存在ではないのです。
しかしながら、多くの人は自分が自然を超越すると思い込んでいます。
その傲慢(ごうまん)さは、自然を歪める行為へと向かうのです。
多くの人が不自然を自然としています。
それは、その傲慢さによって、不自然を自然と位置付ける認識を得るからです。
傲慢を抱える者は、自然を知ることはできません。
傲慢を抱える者は、その傲慢さ故(ゆえ)に自然を知ることができないのです。
傲慢は物事を歪めます。
傲慢はすべてを不自然なものにするのです。
そのため、多くの人は不自然を自然と思い込んでいるのです。
例えば、人の作る田畑は自然ではありません。
そして、そこで栽培される作物も自然ではないのです。
それ等は傲慢による作為が生み出した不自然なのです。
虫も食わない作物が自然なのでしょうか?
自然界に存在する命に対して、命は解放されているのです。
命は、他の命のために存在しています。
しかしながら、人の作る田畑にはその働きがないのです。
その不自然さに気が付く者は少ないのです。
それは、多くの人が傲慢に陥っているからです。
多くの人は、傲慢による作為によって自然を不自然へと歪めるのです。
あなたは、目の前の事実を受け入れることができますか?
目の前に導かれる事実は自然です。
しかしながら、多くの人はその自然を受け入れることができません。
傲慢が理想を持ち込み、自然を否定し、新たな状況を導こうとするのです。
傲慢は事実を理想に書き換えようとするのです。
理想とは不自然です。
しかし、多くの人はそのことに気が付きません。
理想が最善と思い込み、事実を否定するのです。
事実が自然です。
あなたはそのことを理解しなければならないのです。
壊れゆくものは壊せば良いのです。
しかしながら、多くの人は壊れゆくものを壊しません。
生じ得るものは生じさせれば良いのです。
しかしながら、多くの人は生じ得るものを生じさせません。
それは、そこに傲慢が存在しているからです。
壊れゆくものを壊さず、生じ得るものを生じさせないことによって矛盾が導かれるのです。
矛盾が苦悩を導くことを知っている人は少ないのでしょうか?
矛盾とは、不自然のことなのです。
その不自然さが問題の原因であり、苦悩の種であるということに気が付く必要があるのです。
自然に逆らうことによって、人は自らの可能性を途絶えさせてしまうでしょう。
自然の一部であるあなたは、自然を離れて生存することはできないのです。
傲慢に陥る多くの人が考える自然を超越したものは不自然です。
自然とは調和の中に存在しています。
自然を超越するためには、自然と争わなければなりません。
争いからは問題と苦悩が生み出されるのです。
すべてが因果の仕組みによって導かれるということを理解しましょう。
多くの人は事実を否定し、理想を実現しようと企(たくら)みます。
しかしながら、理想を実現しようと企んだ先に待っているのは事実です。
それは、より不自然になった事実なのです。
どこかのタイミングで、不自然さに気が付き、それを受け入れる勇気を持たなければなりません。
傲慢に陥っている者にとって、自らの非を認めることは簡単なことではありません。
しかしながら、それ以外に自然を得る方法はないのです。
不自然を手放し、自然と共に生きましょう。
自らの不自然さに気が付くのです。
あなたは何のために生まれたのですか?
あなたは誰ですか?
この問いを考える時、あなたは自らの不自然さに気が付くでしょう。
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