あなたは、人生において自分自身を学んでいます。
すべての経験は、自分自身を知るための学びです。
すべての状況は、あなたに自分自身を教えます。
あなたは常に自分自身と向き合い、それを学ぶようになっているのです。
残念ながら、自分自身から逃れることはできません。
人生は、自分自身と向き合うための場所であり、時間であるからです。
あなたは人生を通じて、自分自身を体験しなければならないのです。
しかしながら、すべての人が人生を通じて体験する自分自身を嫌います。
人生を通じて自分自身を体験する程、あなたはそれを嫌うことになるのです。
すべての人が自分自身を嫌います。
それは、体験している自分自身という存在が既に歪んでいるということに気が付いているからです。
しかしながら、それは明確な自覚をもたらす訳ではありません。
心の深い場所で違和感に気が付いているのです。
すべての人が、自分自身という存在の不自然さに気が付いているのです。
しかしながら、それを明確な自覚として認識することができないために、嫌うという幼稚な手段を選択することになるのです。
大切なのは、理解を深めることです。
嫌うという行為は、理解とは対極の手段なのです。
嫌えば、理解を深めることはできないのです。
多くの人は、自分自身の違和感を嫌いますが、あなたはそれを嫌ってはなりません。
あなたは自分自身の違和感や不自然さを学ばなければならないのです。
人は他者や状況や環境など、多くのものに不満を抱きます。
それは、それ等を通じて教えられる自分自身の違和感や不自然さを嫌っているためです。
知るということは、すべての存在に備わっている陰陽とその仕組みを理解するということです。
自分自身という存在にも、陰陽が備わっているのです。
あなたの所有する自分自身という存在には、不自然と自然が備わっています。
しかしながら、自然よりも不自然が勝っているのが普通です。
そのため、人生を通じて体験する事柄は不自然なものが勝っているのです。
それは、問題として導かれます。
問題は苦悩を生み出すのです。
人生における苦悩とは、自分自身の抱える不自然さであるということを覚えておきましょう。
しかしながら、多くの人はそのことを知りません。
人は自分自身を体験しているだけであるのに、他者や状況や環境を体験していると思い込んでいるのです。
何かしらの問題が生じた時、多くの人は、それを自分以外の責任と考えます。
例えば、その問題を生じさせたのは、他者や会社や国など、自分以外の存在だと考えるのです。
そして、他者や会社や国などに変わることを求めるのです。
多くの人は、自分を変えようとは考えません。
多くの人は、自分以外を変えることによって、問題の解決を企(たくら)んでいるのです。
しかしながら、そのような方法は根本的に間違っています。
目測を誤れば、足場は崩れ、転落してしまうでしょう。
大切なのは、問題の本質が何であるのか?ということを見極めることです。
多くの人は、本質を探しません。
多くの人は、感情に従って、表面的な情報を鵜呑(うの)みにするのです。
残念ながら、本質は熟慮しなければ見出すことができません。
短期間で見極められる程、すべての本質は浅はかなものではないのです。
問題を自分以外の責任と考えている者には、決して見極めることはできません。
あなたがこの人生において変えられることがあるとすれば、それは自分自身だけです。
自分以外の何かに変わることを欲するのは傲慢(ごうまん)であるのです。
あなたは自分自身を顧(かえり)みて、自分自身を変えなければならないのです。
自分自身という個人を育てることが大切なのです。
人生において重要なのは、個人の働きであるということを覚えておきましょう。
これはあなたの人生です。
個人の質によって、人生の質が決まるのです。
人生の原因は自分自身です。
それ以外の原因は存在しません。
人生はあなたの認識によって築かれるのです。
そのため、すべての体験が自分自身であるのです。
誰かや何かを変えようと努めてはなりません。
そのような不自然であり、不健全なことに尽力してはなりません。
自分自身を改めることが自然であり、健全であるということを覚えておきましょう。
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