人生の目的は学ぶことにあります。
	それは、成長を実現するためです。
	あなたは成長するために学んでいるのです。
	成長する目的は、理解するためです。
	あなたは自分自身を理解し、人生を理解するために生まれたのです。
	そのために、様々な環境で、様々な立場によって、様々な事柄を学んでいるのです。
	あなたは自分自身を理解し、人生を理解することができれば満足することができます。
	しかしながら、多くの人はそのことを知らず、肉体の欲求を満たすことによって得られる不完全な感情を満足と誤解しているのです。
	残念ながら、肉体の欲求を満たすことでは、あなたが満足することはありません。
	それは、肉体というのは道具に過ぎないからです。
	肉体の欲求を満たすことは、道具の整備を行うのと同じことなのです。
	道具の整備を行うことでは、目的を果たすことはできません。
	あなたには、その道具を使って果たすべき目的があるのです。
	美しく飾っておくだけであれば、道具に価値はありません。
	多くの人は、道具を美しく保つことに専念します。
	道具は美しいことに越したことはありません。
	しかしながら、道具を美しく保つことが目的となってはならないのです。
	あなたは道具を活用し、目的を果たさなければなりません。
	肉体の欲求を満たし続けることによっては、人生に対して満足を得ることはできません。
	肉体という道具を使っている存在は、道具によって得られる成果を喜ぶからです。
	筆(ふで)を使う者は、文字や形、そこから導き出される世界観を喜びます。
	鋏(はさみ)を使う者は、切断することによって導き出される可能性を喜ぶのです。
	どのような道具であろうとも、それを飾っておくことには価値がありません。
	あなたは肉体の欲求を満たすだけの生き方を手放しましょう。
	道具を整備することは基本的なことであり、当然のことです。
	基本的なことを目的としてはならないのです。
	重要なのは応用することによって得られる変化によって得られる新たな価値なのです。
	知識を蓄えるだけでは、何の価値もありません。
	あなたは蓄えた知識によって、新たな経験をし、そこから知性を生み出さなければならないのです。
	知識を蓄えることは基本的なことであり、当然のことです。
	知識を蓄えることで満足してはなりません。
	肉体の欲求(知識欲も含めて)を満たしたところで、そこから自分自身と人生を学ばなければ価値はありません。
	そのため、あなたは目的意識を手放してはならないのです。
	あなたは何のために生きているのですか?
	この問いを見失っては、五里霧中(ごりむちゅう)に陥(おちい)ることになるのです。
	人生の目的を見失わなければ、”小さなこと”に拘(こだわ)ることもなくなるでしょう。
	多くの人は人生の目的を見失っています。
	そのため、肉体の欲求や自らの立場などの”小さなこと”に拘ることになるのです。
	肉体の欲求や、自らの立場など、人生を考察すれば”小さなこと”なのです。
	あなたは、どのような立場を得ても良いのです。
	富むことになっても、貧することになっても良いのです。
	健康でも、不健康でも良いのです。
	集団に属していても、孤独に従っていても良いのです。
	ポジティブでも、ネガティブでも良いのです。
	生きても、死んでも良いのです。
	大切なのは学ぶことです。
	状況とは、”器”に過ぎません。
	あなたが必要としているのは、”器”の中の食物であるはずです。
	中身を得なければ、学ぶことはできないのです。
	”器”に見惚(みほ)れて食物を腐らせてはなりません。
	腐った食物では、腹を痛めるのです。
	それでは、肉体の整備も意味を成さないのです。
	喜びのために肉体の欲求を満たすことに勤(いそ)しむ者は、却(かえ)って苦しむことになるでしょう。
	どのような状況、立場を得ようとも学びましょう。
	そうすれば、却って喜びを得るでしょう。
	
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