この世界の本質は自然です。
すべては自然なのです。
すべては自然から生じ、自然に死するのです。
あなたはこの世界の本質が自然であるということを覚えておきましょう。
自然とは、矛盾しない姿です。
矛盾を離れたものが自然なのです。
この世界の本質には矛盾は存在しません。
そのため、矛盾を抱えているものは、本質ではないのです。
あなたが認識するものは、そのすべてが矛盾を抱えています。
それは、あなた自身が矛盾を抱えているからです。
矛盾を抱えているあなたの目に映るものは、矛盾であるのです。
本質ではないものを不自然と言います。
あなたは既に不自然な状態にあり、あなたの認識する世界も不自然なものなのです。
残念ながら、自然を生きる人はいません。
すべての人が不自然を生きているのです。
不自然を自然へと導くことが、この世界とあなたの人生の目的であるのです。
人は、自らの抱える不自然を自然へと近付けていく必要があるのです。
不自然を自然へと導くためには、矛盾を取り除かなければなりません。
矛盾とは、誤解によって生じます。
誤解を抱えていれば、自ずと矛盾を抱えることになるのです。
すべての人が誤解を抱えています。
そのため、すべての人が矛盾を抱えているのです。
不自然を生きるのが普通なのです。
あなたが自然を生きるためには、因果の仕組みを理解しなければなりません。
因果の仕組みを理解することがなければ、不自然を手放すことができないのです。
因果の仕組みとは、自らの所有する原因によって、それに相応しい結果を受け取るというものです。
人が矛盾を抱え、不自然を生きることになったのは、自らの抱える原因による結果であるのです。
人は、自らの抱える不自然な原因によって、不自然な結果を得るのです。
人は多くの誤解を所有しています。
所有する誤解が、それに相応しい結果を導きます。
誤解を所有している以上、不自然を離れることはできないのです。
誤解を手放すためには、学ぶ以外に方法はありません。
大切なのは、自らの抱える誤解に気が付くことなのです。
あなたが自らの抱える誤解に気が付くためには、因果の仕組みを観察する必要があるのです。
それは、目の前に導かれる状況を観察するということです。
因果の仕組みは、不自然を自然に戻すための作業なのです。
そのため、あなたの所有する誤解が導く状況は、その誤解を示唆(しさ)し、それを改めさせるものになるのです。
目の前に導かれる状況は、あなたを自然へと導く重要な教えであるのです。
それを学ぶことによって、人は不自然である誤解を手放し、本質である自然へと近付くことができるのです。
しかしながら、多くの人は目の前に導かれる教えを学ぼうとはしません。
多くの人は、その重要な学びを否定するのです。
学ばなければ、学ぶことができません。
学ぶことがなければ、誤解を手放すことはできないのです。
誤解を手放すことができなければ、不自然を生きることになるでしょう。
不自然は苦悩を導きます。
それは避けられないことです。
この世界の本質は自然であり、あなたの本質も自然です。
そのため、不自然を生きるということは、偽りを生きることになり、苦悩するということなのです。
あなたが苦悩を抱えているのであれば、それは不自然を生きているということなのです。
不自然は問題として現れるのです。
すべての問題は苦悩となり、あなたは絶望を覚えるでしょう。
人は、不自然の中に生きることはできません。
人は、不自然の中に幸福を感じることはできません。
人は、不自然の中に豊かさを得ることはできないのです。
すべては自然に還(かえ)るということを覚えておきましょう。
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