すべての存在は、成長を目指します。
すべての存在が成長という理(ことわり)に導かれているのです。
この世界において、成長を否定することのできる存在はいません。
すべての存在が例外なく、成長を目指さなければならないのです。
しかしながら、成長には様々な段階が存在しています。
多くの人は、成長の一部を切り取って、それを成長と呼んでいるのです。
多くの人は、拡大することを成長と考えてます。
物事が豊かに膨張(ぼうちょう)し、多くを蓄えることを成長と呼ぶのです。
多くの人にとって、成長とは増大することであるのです。
物事が増大することは成長です。
それは成長に間違いありません。
しかしながら、それは成長の一部に過ぎません。
どのようなものも、増大し続けることはできません。
それは、物事には定められた限界というものがあるからです。
あなたは筋力の限界を超えて荷物を抱えることはできません。
多くの荷物を抱えようとしても、それを支える筋力には限界が存在しているのです。
限界はそれぞれに異なりますが、必ずそれは存在しているのです。
そのため、どのようなものも増大し続けることはできないのです。
成長の始めは拡大です。
しかしながら、限界を超えて拡大することはできません。
それは、無駄であるからです。
そのため、次に方針を変える必要があるのです。
次の成長は洗練です。
限界にまで拡大した後は、縮小を始めます。
それは、成長の形です。
縮小することが成長なのです。
拡大することが成長であると信じている間は、限界を超えてしまいます。
それでは、成長することはできません。
拡大するということは、余計も抱えているということです。
余計を抱えているために拡大するのです。
本来ならば、本質を抱えていれば良いのです。
本質とは、最も単純なものです。
拡大する程に、それは本質を離れます。
しかしながら、本質を得るためには拡大する必要があるのです。
それは、比較しなければならないからです。
様々なものを比較することによって、本質に近付くことができるのです。
始めに拡大するのは、比較対象を得るためです。
多くのものを比較することによって、人は本質の在り処(か)に気が付くことができます。
そして、本質の在り処に気が付くことによって、余計を理解することができるのです。
余計を理解すれば、それを削ぎ落とすことができます。
余計を削ぎ落とすことによって、本質を残すことができるのです。
拡大することがなければ、洗練することはできません。
多くの中から選ぶことに価値があるのです。
拡大することもなく、本質を理解することはできません。
そのため、すべての成長は始めに拡大します。
そして、拡大した状態から縮小し、洗練されるのです。
成長の目的は、本質を見極めることにあります。
本質とは理のことです。
人はこの世界の理を理解する必要があるのです。
それは、自分の人生の目的を見極めるためでもあるのです。
理を理解することによって、自分を理解することができます。
自分を理解することができれば、人生の目的を理解することもできるのです。
人生の目的を理解することができれば、他者と張り合う必要はないでしょう。
理を理解すれば、他者と張り合う必要がなくなるのです。
成長を拡大と考えている者は、他者と争うことになるでしょう。
他者と争い、打ち勝つことになど価値はありません。
なぜなら、他者など、あなたの人生に関係ないからです。
人生を争いの大地にしてはなりません。
成長の目的を見失ってはなりません。
洗練することこそが成長です。
拡大のみを目指すことをやめましょう。
洗練することを目指すのです。
余計なものを多く抱えているよりも、重要なものを少し抱えている方が有益であることに気が付きましょう。
人生には、そんなに荷物は必要ないのです。
荷物を選別し、洗練されたものを運びましょう。
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