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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2017年4月7日金曜日

目覚め

多くの人は、問題に対して嫌悪を抱きます。
多くの人は、問題を回避するために尽力するのです。
それは、問題を嫌悪することによって、問題が苦しみの原因であると考えているからです。
残念ながら、苦しみの原因は問題ではありません。
あなたが問題を抱えて苦しむことなど有り得ないのです。
問題を抱えて苦しいと思い込むことはあるでしょう。
しかし、問題を抱えたからといって、苦しむということはないのです。
苦しみの原因が問題であるのならば、問題によって得られる喜びは存在しないのでしょうか?
残念ながら、問題が導く感情は、苦しみよりも喜びの方が多いのです。
問題を抱えて苦しむ人は、認識が浅いと言わざるを得ません。
問題というものを深く観察し、熟考していないことによって、感情論を振りかざしているに過ぎないのです。
残念ながら、感情を信用することはできません。
なぜなら、同じ対象に対しても、感情は対極の反応を示すからです。
例えば、死に対して嫌悪を抱く人がいます。
大半の人は、死に対して嫌悪を抱くでしょう。
それは、死が悪いことだという証明になるのでしょうか?
死の本質は苦しみなのでしょうか?
一部の人は、死に対して嫌悪を抱くことはありません。
自ら命を断つ人もいるのです。
死を美徳と捕らえている人もいるでしょう。
死を喜ぶ人もいるのです。
それでも、死の本質は苦しみと言えるでしょうか?
感情論を用いれば、視点は主観に捕らわれてしまいます。
あなた(個人)の主観が、対象の本質を捕らえることなどないのです。
死は、ある人には苦しみであり、ある人には喜びであるという視点を得なければ、その本質を得ることはできないのです。
多くの人は主観によって問題を苦しみと結び付けます。
そのため、問題を回避することに尽力しているのです。
問題は、ある人には苦しみであり、ある人には喜びであるのです。
物事には、必ず二面性が存在するのです。
この世界には、陰陽の仕組みが存在しているのです。
多くの人が認識しているのは、問題の一面に過ぎません。
一面を認識するだけでは、その本質を理解することなど不可能なのです。
あなたは、問題がどうして生じると思いますか?
そして、問題は何のために生じると思いますか?
問題が生じるには理由があるはずです。
この世界には、理由の無い事柄は存在しないのです。
あなたには、理解することのできない理由も存在しますが、それも感情論に過ぎません。
無知なあなたには、大抵の理由を理解することができません。
しかしながら、問題を体験し、無知を克服したあなたには、その理由を理解することもできるのです。
その時、問題は喜びとなるのです。
結局のところ、人は主観によって世界を歪めているに過ぎません。
勝手に苦しんでいるということなのです。
問題が苦しみを生み出しているのではありません。
苦しみを生み出しているのは、自分自身であるということを理解する必要があるのです。
問題を苦しみとしないためには、学ぶ以外に方法はありません。
多くの人は無知を良しとします。
視界が歪んでいることが気にならないのです。
歪んで見えている”それ”を幸福と呼んでいるのです。
多くの人は、幻想を生きているのです。
深く観察し、熟考しましょう。
そうすれば、視界の歪みに気が付くはずです。
視界の歪みに気が付けば、幸福を幸福だとは思えなくなります。
そして、苦しみを苦しみとも思えなくなるのです。
幻想から目覚めれば、本質である現実と向き合うことができるでしょう。
学ばなければなりません。
知性を磨くのです。
感情論を振りかざして自己の正当化を図っている場合ではないのです。
様々なものに抱いている幻想から目覚めましょう。

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