あなたは何のために人生を経験しているのでしょうか?
考えたことがありますか?
理由も無く、生存を続けると思いますか?
生存競争の果てに子孫や財産を残すことが目的だと考えている人は多いでしょう。
自己の欲求を満たすためでしょうか?
すべての人は老いさらばえます。
老人には、若人(わこうど)の欲求は重荷となります。
老人は、欲求を手放すのです。
あなたは老いさらばえ、やがて死に飲み込まれるのです。
子孫とは別れなければなりません。
財産は捨て置かなければなりません。
欲求も子孫も財産も、そのすべてを失うのです。
失うもののために人生を経験しているのでしょうか?
そうではありません。
あなたは、失わないもののために人生を経験しているということを理解しなければなりません。
あなたが唯一失わないもの、それは学びです。
生涯を通じて、あなたが学びを失うことはないのです。
あなたは学ぶために人生を経験しているのです。
あなたは欲求も子孫も財産をも失いますが、それでも学びは残るのです。
あなたは常に学んでいるのです。
あなたは常に学んでいるということを覚えておきましょう。
何を学んでいるのでしょうか?
それは、自分という存在についてです。
自分とは、自分の役割のことなのです。
あなたは何のために人生を経験しているのでしょうか?
それは、自分という役割を知るためなのです。
経験する必要があるということは、知らないということです。
知らないがために、学ばなければなりません。
自分を学ぶために、目の前の状況が存在しているのです。
あなたの目の前に導かれる状況は、自分を知るための最善の学びなのです。
あなたの人生の目的は、学ぶためだと知りましょう。
多くの人は、学んでいるということを知りません。
そのために、目の前の状況を否定し、逃避し、見失うのです。
その立場でしか学べないのに拒絶するのです。
学ばずに拒絶するために学べないのです。
学ばなければ学ぶ必要が生じるのが自然です。
それは、学ぶために経験しているからです。
そのことを知らずにいる人が多過ぎるのです。
多くの人は、気に入らない状況に対して、軽々しく文句を吐きます。
多くの人は、自分の立場を弁(わきま)えずに、厚かましく文句を吐くのです。
残念ながら、目の前に導かれる状況は、あなたに相応しいのです。
あなただから、その状況が導かれるのです。
多くの人は自己を正当化し、美化しているものです。
そのため、目測を誤るのです。
自分の立場が分かっていないのです。
あなたの目の前に導かれている状況は、あなたに相応しく、あなたが学ぶためには最善のものなのです。
しかしながら、多くの人はそのことを理解することができず、理想としての別の状況を欲するのです。
その太々しい態度が、苦悩を導いているということに気が付かなければなりません。
傲慢(ごうまん)が人を苦しめるのです。
あなたは謙虚に学ばなければなりません。
相応しい状況から学ばずに、何から学ぶというのでしょうか?
文句を吐き、理想を追い求めたとしても、あなたが本当に必要としているものを手にすることはできません。
自己の欲求や子孫や財産に逃げても構いません。
しかしながら、それ等を失う日がやってきます。
人は後悔するように仕立てられていますが、後悔を軽減することはできるのです。
文句を吐かずに学んでみましょう。
過去や未来に惑わされず、”今”を生きるのです。
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