自らの幸せを願うことは悪いことではありません。
自らが幸福になろうとするのは罪ではないのです。
あなたは幸せになるように努め、それを実現させなければなりません。
あなたにとって最愛なものの幸せを願うことは悪いことではありません。
あなたが大切に思うものの幸福を願い、それに努めることは素晴らしいことなのです。
あなたは自らが大切に思うものの幸福を願い、それを手助けしなければなりません。
しかしながら、それだけでは足りません。
それだけでは本当の幸せを手にすることは出来ません。
自らと自らが大切に思うものだけが幸福を得るだけでは、あなたの心は完全には満たされることはなく、得られる幸福も仮初めのものなのです。
自分だけが幸せになれば良いというような考えでは、自らの心を完全に満たすことは出来ないのです。
満たされることのない心を偽り、自らが幸福であると思い込ませることは出来ます。
しかしながら、それを幸せだとは呼べません。
あなた自身や自らが大切に思うものだけが幸福になることが幸せと呼べるのでしょうか?
自分以外の存在が苦しんでいるのに、それを幸せだと呼べるのでしょうか?
目の前にある状況が満たされているなら、それを幸せだと感じることが出来るでしょう。
しかしながら、それはあなたの目の前にある小さな世界です。
残念なことに、世界はより広大です。
存在するものの数だけ世界が存在しているのです。
あなたは全体的な視野を身に付けなければなりません。
「すべてはひとつ」に繋がっています。
どのような世界もそのすべてがひとつに繋がっているのです。
あなたは自らの目の前の小さな世界だけを見て、自分は幸福であると思い込むことは出来るかも知れません。
しかしながら、いくらあなたが自らの目の前の小さな世界を満たしていたとしても、それ以外の世界が満たされていなければ、あなたが完全に満たされることはないのです。
大抵の人物は、自らが幸福であるという思い込みを信じようとしています。
しかしながら、残念なことにこの世界においては完全なる幸福を得ることは出来ません。
隣で誰かが苦しんでいるなら、あなたはそれが気になるはずです。
誰かが苦しんでいるのを知り目に、あなたは幸せである、満たされていると言い切ることが出来るでしょうか?
思いやりや愛情に欠けた状態が、本当に幸せなのでしょうか?
あなたは今一度、「幸せ」について考えてみなければならないでしょう。
自らの幸福に対する価値観が歪んでいないかを確認しなければなりません。
人生には様々な問題が存在し、それには様々な人物も関わってきます。
その中で、人を嫌うことがあるでしょう。
憎むこともあるかも知れません。
それが悪いという訳ではありませんが、争いに執着し、敵を作っているならあなたの心が満たされることはないでしょう。
あなたの目の前の世界が満たされていたとしても、その先にある世界が満たされていなければ幸福に満たされることは出来ないのです。
何かしらの問題を抱え、誰かを嫌うこともあるでしょう。
しかしながら、争いを持ち込んでしまえば問題は更に悪化し、解決は難しくなってしまいます。
どのような相手とも互いに協力してその問題を解決しようと努めなければならないのです。
あなたはすべてとひとつに繋がっています。
その繋がりをできる限り満たそうと努めなければなりません。
あなたの心やすべての世界が完全に満たされることはありませんが、少しでもそれらを満たそうとしなければ、あなたは幸福を感じることは出来ないのです。
自らや自らが大切に思うものの幸せを願うことは素晴らしいことです。
しかしながら、それだけでは足りません。
あなたが敵だと思うものの幸せを願うことが、あなたにより多くの幸せを導くでしょう。
難しいことではありますが、価値のあることです。
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