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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2013年8月31日土曜日

辛抱強く待つ

この世界におけるすべての事象は、原因から導き出される結果です。
それがどのようなことであっても、それを導き出した原因というものが存在しているのです。
あなたはこの世界におけるすべての事象には、それを導き出した原因が存在しているということを覚えておかなければならないでしょう。
物事が原因によって導き出されるということを知ることによって、受け取る結果をコントロールすることを覚えましょう。
あなたが良いことをすれば、良いことが導かれます。
あなたが悪いことをすれば、悪いことが導かれるのです。
あなたは自らが行ったことに等しい状況を受け取らなければならないということを覚えておかなければならないのです。
すべての原因はあなたが自ら生み出します。
あなたから生み出された原因に従って、人生はその結果を導き出しているのです。
あなたが良い結果を受け取るためには、良いことを行わなければなりません。
あなたは自らが受け取りたいと思う結果を自らが行いましょう。
誰かや何かに対しては、自らの受け取りたいと思うことをするのです。
誰かに優しくすれば、誰かがあなたに優しくしてくれるでしょう。
何かに貢献すれば、何かがあなたに貢献してくれるでしょう。
お金が欲しければ、誰かや何かのためにお金を使うことです。
良いことをすれば、良いことに巡り合います。
誰かに冷たくすれば、誰かはあなたに冷たく接するでしょう。
何かの邪魔をすれば、何かがあなたの邪魔をするでしょう。
自分のためだけにお金を使えば、お金が返ってくることはないでしょう。
悪いことをすれば、悪いことに巡り合います。
この当然の理(ことわり)を理解して物事を判断しなければなりません。
悪いことをしているのに、良いことに巡り合うことはありません。
悪いことをしていても一時的には良いことに巡り合うこともありますが、最終的には悪いことに巡り合い、その苦しみを受けなければならないのです。
この世界においては、自分のしたことからは逃れられないということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたが良い結果に巡り合うためには、良いことをしなければなりませんが、良いことをしたとしても悪いことに巡り合うことがあります。
良いことをしたからと言って、すぐさま必ずしも良いことに巡り合うということはありません。
悪いことをした人が良いことに巡り合うことがあるように、良いことをしても悪いことに巡り合うということはあるのです。
しかしながら、良いことをして悪いことに巡り合うということは一時的なものに過ぎません。
これまでの悪いことの膿(う)みが残っていることもあるのです。
ただし、良いことによって膿みを吐き出し終えれば、次に受け取ることができるのは良いことであるのです。
あなたはそのことを決して忘れてはなりません。
良いことをしても悪いことに巡り合うからといって不満を持ってはなりません。
そのことで良いことを諦めてはなりません。
良いことをしたのであるなら、必ず良い結果に巡り合うことができます。
あなたが良いことをしたのであるなら、良い結果に巡り合うまで良いことを続けましょう。
良い結果に巡り合う時まで待っていましょう。
結果というものは、あなたの理想通りにもたらされるということはありません。
しかしながら、自分の行いは必ず結果として導かれます。
あなたの思うような結果を受け取ることができなかったとしても、それで諦めてはなりません。
結果が出るまでは分からないものです。
あと少しで結果が導かれるかも知れないのです。
良いことをしているのであれば、焦ることなく待ちましょう。
辛抱強く待つことを覚えましょう。
土に蒔いた種が芽を出さないと焦り、その土を掘り返してしまえば、せっかく発芽するために準備を整えていた種を痛めてしまうことになります。
種を蒔き、水をやっているのならば、焦ることなく待ちましょう。
どのような結果も必ず原因から導き出されます。
原因と結果が矛盾しているということはありません。
そのことを忘れてはなりません。
あなたは如何なる状況下にあっても、良いことを心掛けましょう。
良いことをしているのであれば、あなたが不幸に巡り合うことはないのです。
あなたが不幸を感じているのであれば、思い付く良いことを行いましょう。
そして、良いことを続けましょう。
そうすれば、あなたは不幸ではなく、幸福を抱えているということに気が付くでしょう。
理を無視する者は豊かさを得られません。
人生をどのようなものにするのかは自分次第です。
豊かな人生を生きたいと思うのであれば、良いことを行いましょう。

2013年8月30日金曜日

努力の種

あなたは機会を引き寄せなければなりません。
その機会に巡り合うことがなければ、それを掴むことはできません。
機会を逃してしまえば、状況が展開することはできません。
機会を掴み、それを有効活用する者だけが状況に発展を見ることができるのです。
あなたは機会に巡り合うように努めておかなければなりません。
機会というものが向こうから勝手にやって来るなどと考えてはなりません。
普段から準備をしていない者には、その機会が近付くこともないのです。
普段から励んでいない者には、その機会が遠くに見えていたとしても、それが機会であるということに気が付きません。
普段から機会を得ようと努めている者でなければ、それを引き寄せることも、それに向かって歩んで行くことも、それを掴むこともできないのです。
あなたの頭や心の中に認識として存在しないものを、この世界に見付けることはできません。
あなたが見ているものは、あなたの頭や心の中に認識として存在しているものだけなのです。
人は自らの頭や心の中に存在していないものを見ることはできません。
それが目の前に存在していたとしても、それに対する認識が存在していないのであればそれに価値を見出すことはなく、それを見ることもないのです。
親の愛情のように、昔からそこに存在しているのに、子どもの頃には気が付かなくても、成長して気が付くものもたくさんあるでしょう。
視野によって捉えることのできる世界というものはとても小さく、狭いものであるということを理解しなければなりません。
目では見えないものがこの世界にはたくさん存在しているのです。
機会に気が付くかどうかは、その人の認識の中にその機会が存在しているかどうかです。
機会に対しての認識が備わっているのであれば、その人はその機会に気が付くことができるでしょう。
あなたは機会に対する認識を所有しておかなければなりません。
それも、普段からそのチャンスに対して気を張っていなければなりません。
あなたが努めている人であるのならば、必ず機会は巡ってきます。
努めている者はその報いを受けるからです。
ただし、人生をどうするかを決めるのはあなた次第です。
努力はあなたを機会の目の前まで案内してくれますが、その機会を活用するのかはあなたが決めることなのです。
チャンスを生かすか、それを逃すのかは自分次第であるということを決して忘れてはならないでしょう。
あなたが普段から努めているという自信があるのならば、その機会に対して積極的な態度でありましょう。
機会を活用しなければ、人生が展開することはないのです。
当たり前の繰り返しを生きたところで、その場の豊かさをすべて食尽してしまって飢えるのが落ちです。
状況を変える機会、状況を発展させる機会に巡り合ったのであれば、勇気を以てそれを掴み取りましょう。
機会を活用することができるかどうかはやってみなければ分からないことです。
失敗することは決して悪いことではありません。
機会に巡り合うことができたとしても、それを活用するのは決して簡単なことではないからです。
大抵の機会は活用することができずに終わります。
活用することのできる機会の方が圧倒的に少ないということを覚えておきましょう。
圧倒的な失敗の上に小さな成功が乗っています。
機会を活用するためには、それだけ多くの機会を失敗として潰さなければならないのです。
如何に多くの機会に巡り合うことができるか?ということが重要なのです。
あなたが機会に巡り合うためには、それに見合う努力を積み重ねなければなりません。
努力の数だけ機会に巡り合うということを忘れてはなりません。
努力がすべて実を結ぶことはありませんが、種が多ければそれだけ芽が出て実りに繋がる可能性が上がるのです。
成功という実りを収穫する人は、努力の種を蒔いた人です。
多くの成功を得る人は、多くの努力の種を蒔いた人なのです。
人は努めることをしないで、成功を得ることはできません。
あなたは考え得る努力をしましょう。
怠けてはなりません。
あなたは機会を引き寄せなければならないのです。
機会に巡り合い、それを掴まなければならないのです。
あなたは自分にできる努力をしていますか?
機会を得ようと努めていますか?
機会を掴むことなく、人生が成功することはありません。
あなたは自らの人生を、自らの考える成功へと導かなければならないのです。
あなたにはその責任があります。
機会を逃してはなりません。
機会を掴むことを考えて努めましょう。

2013年8月29日木曜日

幸福の形をした「何か」

あなたは目の前に立ちはだかる邪魔な壁を打ち砕かなければなりません。
あなたは抱えている問題を解決しなければなりません。
あなたは自らを苦しめる苦悩に打ち勝たなければなりません。
あなたは自らを縛り付ける過去の苦しみを振りほどかなければなりません。
人生の幸福というものは、苦しみを乗り越えた先に存在しています。
苦しみに道を阻まれているのであれば、人生の幸福を得ることなどできはしないのです。
人が人生に幸福を得るためには、人生を先へと進めなければならないのです。
人生を先へと進めるということは、人格の成長であるということを覚えておかなければならないということを覚えておきましょう。
あなたがどのような場所でどのような人と共にいたとしても、人格が成長することなく人生が先へと進むということはありません。
人生が進むということは、周りの環境が変わるということではありません。
何か新しいものを所有することでもないのです。
目には見えませんが、自らの人格が成長して初めて、本当の意味で人生というものが動くということを覚えておかなければならないでしょう。
周囲の環境が変わることは、周囲の環境に関する事柄です。
周囲の環境が変わっただけであるのならば、それはあなたには直接的には関係のないことなのです。
あなたの人生が変わるためには、その主体となるあなた自身が変わるということが必要であるのです。
あなたは人格の成長を重要視しなければなりません。
どこで、誰と、何をしているのか?ということは大切なことではありますが、それを重視し過ぎて自らの人格の成長を忘れてはならないのです。
どこで、誰と、何をしていようとも、そこで自らの人格が成長することが最も優れています。
一般的に優位だとされている場所や相手や方法によって、自らの人格が成長することがないのであればやっていることに価値はないのです。
自らが優れることがなければ、人生が優れることはありません。
自らが満たされることがなければ、人生が満たされることはないのです。
どこで、誰と、何をしていようとも、そこで自らが豊かでなければ、人生が豊かなものであるということはないのです。
あなたの人生において最も重要なのは、「自分自身の事柄」であるということを覚えておかなければならないでしょう。
あなた自身が人生を築く原因なのです。
あなたは決してそのことを忘れてはなりません。
人生が思い通りに進むことはありません。
人生はあなたに苦悩を投げ掛けます。
あなたは事あるごとに苦しみに会います。
人生が苦しみから抜け出すことはありません。
あなたがどこへ、誰の元へ、どのような方法へ逃れようとも、苦しみから逃れることはできないのです。
人生はあなたに人格の成長を促(うなが)しています。
あなたが果たすべきは人格の成長です。
人格が成長するためには、自らの苦しみを乗り越えて人生を進める必要があるのです。
人生が進む度に、人格が成長するのです。
そして、人格が成長する度に、人生が進むのです。
この二つの働きは連動し、幸福へと向けて動き続けています。
あなたは苦しみに立ち向かわなければなりません。
それがどのような壁であっても、どのような問題であっても、どのような苦しみであっても、どのような恐怖であったとしてもです。
人生の苦悩を乗り越えることなく、人生が豊かになることなど有り得ないのです。
苦しみを見ない振りをすることはできます。
しかしながら、それでは幸福は得られないのです。
片付かない苦悩はその力を増して、更なる苦しみを導くからです。
苦しみはそれができる限り小さい時に対処しなければなりません。
逃げて後回しにするほどに、その苦しみには歯が立たなくなってしまうからです。
苦しみの壁に立ち向かい、それを乗り越えることは決して簡単なことではありません。
しかしながら、あなたはそれをしなければなりません。
苦しみを取り除くことなく、幸福を得ることはできません。
傷口が膿んで疼(うず)いているのに、幸福であると考える人はいません。
傷口が完治し、その痛みと心配が消えることが幸福であるのです。
苦悩はあなたから幸福を奪い去る傷口であるということを理解しましょう。
あなたは苦悩を解決しなければなりません。
自らの苦悩と対峙して、それを打ち倒さなければなりません。
苦悩に勝利しましょう。
苦悩に飲み込まれてはなりません。
あなたが勝たなければ幸福は得られません。
逃げることによって幸福の形をした「何か」を得ることはできます。
しかしながら、幸福の形をした「何か」によって自らの弱さを慰めたところで、それは空しいだけであるということを理解しましょう。
思い込みでは人生の幸福は手に入りません。
事実がなければなりません。
あなたは実際に苦悩を乗り越え、実際に人格の成長を成しましょう。

2013年8月28日水曜日

少しでも良くなる可能性

あなたは自らの人生を自らの力によって導きましょう。
あなたは判断しなければなりません。
自らの方針は自ら決めなければならないのです。
あなたは自らの人生の責任者であるということを覚えておかなければなりません。
あなたの人生はあなたの力によって築かれているのです。
あなたは自分自身の人生が自分自身によって築かれているということを決して忘れてはならないのです。
あなたは自ら判断しましょう。
その時に、物事が少しでも良くなる可能性があるのであれば、その道を選ばなければなりません。
物事が少しでも良くなる可能性があるのであれば、それは良くなるのです。
しかしながら、少しであっても良くなる可能性がないのであれば、物事がそれよりも良くなるということはないのです。
あなたはそれが危険であろうとも、それが苦しみであろうとも、それが恐怖の対象であろうとも、その道に少しでも物事が良くなる可能性を見るのであるならば、その道を進まなければならないでしょう。
この世界において、物事が必ず成功するという保証はありません。
物事は成功しますが、それよりも圧倒的に多くの失敗を得なければならないのです。
初めから歩けた人はいません。
初めから流暢(りゅうちょう)に話すことのできる人は存在しないのです。
誰もが赤子の時より繰り返し努めてきたから、その成果として歩くこともできますし、話すこともできるのです。
人が歩こうとするのは、それが命によって良いということを理解しているからです。
人が話そうとするのは、それが自らの人生を少しでも良くなるという可能性を知っているからです。
赤子がそれが良いという認識を持つことはありません。
しかしながら、それが良いと言うことは親が知っているのです。
親は子どもに良いと思うことをします。
少しでも良くなる可能性を与えるのです。
あなたは自分自身に対してもそのようにしなければなりません。
自らにとって少しでも良くなる可能性があるものであるのならば、それが嫌いなことであっても、恐れていることであっても、その道を進まなければなりません。
初めから良くなるという保証はどこにもないのです。
そこには良くなる可能性があるだけです。
それはとても不安定な土台ですが、それでも、良くなる可能性がある土台の上に物事を積み上げなければならないのです。
人生がどうなるかなんて、人には分からないものです。
あなたが良くなるという道を選んで進んだところで、その先で失敗に会うかもしれません。
初めから保証されている成功など存在しません。
初めから良くなることが分かっていることなどないのです。
人生とは手探りであるということを覚えておかなければならないでしょう。
やってみなければ分かりません。
やってみても分からないこともあるでしょう。
それでも人は可能性を目指して進まなければならないのです。
可能性の先には豊かさが存在しています。
その位置から少しの可能性も見えないのに可能性を掴み、更には豊かさを得ることなどできないのです。
その先に金脈を予兆させる情報があるからこそ、人は危険を犯して穴を掘るのです。
その先に金鉱が存在していないと分かっているのであれば、わざわざ危険を犯してまで穴を掘ることはないでしょう。
人生に確証はありません。
可能性が見えていても、そこに辿り着けないということは多々あるのです。
あと少し深く掘れば、あと少し横にずれていたら、金脈を掘り当てるということもあるのです。
しかしながら、可能性を求めて進む者の努力は決して無駄にはなりません。
金脈のすぐ側まで掘り進むことができているのであれば、時と状況が整った時にはその金脈に辿り着くことができるからです。
近くまで穴を掘っていない者には、時と状況が整うことがあっても、金脈に辿り着くことなどできるはずもないのです。
あなたはこの違いを重く受け止めましょう。
準備をしている者は事が起きた時には直ぐに旅立つことができます。
準備をしていない者は事が起きたとしてもどこにも旅立つことができないのです。
あなたは日頃の努めを怠ってはなりません。
少しでも可能性のある道を進むことをしない愚かな者には、その先の可能性はないのです。
あなたは自ら判断しなければなりません。
そこに少しでも良くなる可能性を感じるのであれば、その道を進みましょう。
大きなことはできません。
小さなことの積み重ねが大きくなるのです。
そのことを忘れてはなりません。
努力しても成功するかは分かりませんが、成功するためには努力しなければならないということを覚えておきましょう。

2013年8月27日火曜日

分かれ道

この世界は勝敗によって道が分かれています。
この世界は優劣によって隔てられます。
物事が自らの道を見出し、その居場所を得ないということはありません。
すべては、自らの実力と結果によって道を見出し、居場所に至るのです。
この世界は勝負の世界です。
すべての存在がその優劣を決めるために競い合っています。
その競争が至る所で行われているのです。
すべての存在が結果を得る仕組みの中に存在しています。
結果を得ない存在は存在しません。
すべての存在はそれ以外のすべての存在と競争し、自らの結果を得るのです。
あなたは常に勝負の世界に生きているということを理解しましょう。
勝負の世界に生きているということを忘れてはなりません。
どのような存在も勝負を避けることはできないのです。
どのような存在も競争しなければならないのです。
すべての存在は自然の中に生きています。
自然の摂理に逆らうことはできません。
どのようなことも自然の中で行われるのです。
自然の摂理が許すことであるならば、あなたはそれを許されているのです。
自然の摂理がそれを望むのであれば、あなたがそれを望んでいなくてもそれを行わなければならないのです。
あなたは自然の中に生きています。
自然の摂理に逆らうことも、それから抜け出すことも、それを拒絶することもできないということを覚えておきましょう。
自然の摂理に従わなければなりません。
あなたは生態系の中に生きています。
その環境を生き抜くためには、その環境に順応し、その競争に勝利しなければならないのです。
競争に負けてしまうと、その環境に順応することはできません。
環境に順応することができないから負けるのです。
あなたは勝利を掴み取るために闘わなければなりません。
強くならなければならないのです。
あなたは勝利を目指しましょう。
自らが勝利しなければならない相手(対象)が何だか分かりますか?
その対象を見誤ってはなりません。
あなたは自らの競争相手を見極め、その勝負に勝らなければならないのです。
この世界から競争がなくなるなどと考えてはなりません。
自然を見なければなりません。
そこには命を掛けた闘いが繰り広げられているのです。
命の競争(勝負)が止むことはありません。
命は常に闘い続けているのです。
あなたはその勝負から逃げ出してはなりません。
勝利を収めることは簡単なことではありません。
勝利を収めるためには闘わなければならないからです。
闘わない者に勝利を得ることはできません。
勝利は闘う者が掴むことのできる権利なのです。
あなたは勇気を持って闘わなければなりません。
勝利を掴むことがなければ、競争に勝ることはないのです。
勝利を掴む者だけが豊かさを得るということを覚えておかなければなりません。
あなたには何等かの問題や壁が立ちはだかるでしょう。
それらに勝利することなく、自由を得ることなどできないということを覚えておかなければならないのです。
人生は常に競争です。
あなたは常に何かと勝負し続けなければなりません。
その勝負から逃げてはなりません。
勝負しない時点において、あなたは敗北の道を進まなければならないということを覚えておかなければならないでしょう。
勝負の結果は闘ってみなければ分かるものではありません。
闘ってみるなら、勝利することのできる可能性は少なからずあるのです。
しかしながら、闘わなければ勝利する可能性はありません。
勝負を挑んで敗北することは無駄ではありません。
勝負して負けることは次の勝利に繋がるからです。
しかし、勝負することなく敗北を得ることは次の勝利に繋がることはないのです。
あなたは闘うことから逃げてはなりません。
勝利を得るか、敗北を得るのかは分かりませんが、次の勝利を確実に掴むために勝負しましょう。
負けても良いですが、逃げてはなりません。
逃げた先にも勝負が待っているということを理解しておきましょう。

2013年8月26日月曜日

安心の中

あなたは努めなければなりません。
怠慢ではなりません。
その責任を果たすことができるように努めなければならないのです。
あなたは自らに与えられた責任を果たさなければなりません。
その責任に対して恥ずかしくないように努めなければならないのです。
どのようなことであっても、あなたは自らが携わることに対しての責任を持たなければなりません。
そして、それを果たすことができるように努めなければなりません。
責任を果たすことなく、あなたに喜びや楽しみはないでしょう。
あなたが人生に喜びや楽しみを見出したいと考えているのであれば、自らに任せられた責任を果たし、自らの中に新たな自己と状況に対して新たな変化を導きましょう。
変化のない世界に生きたとしても、喜びと楽しみは得られません。
初めは喜びと楽しみを見出すこともできるかも知れませんが、変化が滞っているのであれば、その状況や環境に対して必ず退屈を覚えてしまうのです。
人は新鮮な刺激を得ることがなければ、人生に喜びや楽しみを得ることができないのです。
あなたは退屈というものが苦しみを導くということを覚えておきましょう。
変化のない人生には希望はありません。
何を得ようとも、新鮮な刺激のない世界には苦しみが存在するのです。
あなたが苦しみを避けるためには、退屈に追い付かれてはならないのです。
人生を喜び、楽しむためには、変化を追い続けることによって退屈を遠ざけなければならないのです。
あなたが自ら変化を求めて進まない限りは、人生には喜びも楽しみもないということを覚えておかなければならないでしょう。
変化を求めて進むことは決して簡単なことではありません。
それは、人の心というものが安らぎを求めているからです。
人の心というものは安住を求めているのです。
あなたは心配事や不安などの煩(わずら)いを得ようとは思っていないはずです。
できる限りそれらの苦しみから逃れようともがいていることでしょう。
逃げることはもがくことです。
あなたは逃げるということが苦しいということを覚えておかなければならないでしょう。
苦しみから逃れることで、人は煩いから遠ざかることができます。
煩いから遠ざかることができれば、安住を得ることができるので安心します。
しかしながら、そこで得られるのは安心だけではありません。
そこで得られるのは安心という衣をまとった停滞であるということを覚えておきましょう。
安心は人の足を止めるものです。
安心して一息吐いた時には、あなたは腰を下ろして休むでしょう。
安心は人に停滞を導いてしまうのです。
人生に安心することは素晴らしいことですが、それも過ぎると停滞になってしまい、退屈という苦しみに追い付かれてしまうということを覚えておかなければならないでしょう。
変化を求めて進み続け、一時も休むなというのではありません。
立ち止まっても、休んでも、その安心を謳歌(おうか)しても良いのです。
しかしながら、いつまでも立ち止まっていてはなりません。
退屈に追い付かれないように歩みましょう。
あなたは刺激を求めているはずです。
新たな刺激を求めるためには、今の安心の中から抜け出さなければなりません。
それは決して簡単なことではありませんが、勇気を以てそれを行わなければ何も変わることはないのです。
人生には変化を求めましょう。
同じ場所に止まっていても、あなたはそこで喜びや楽しみを食尽してしまうだけです。
あなたは努めなければなりません。
あなたは人生を幸福に生きるという責任を果たさなければならないのです。
幸福に生きるために努めなければなりません。
その責任に対して怠慢ではなりません。
あなたは自らの人生をその名に対して恥ずかしくないように生きなければなりません。
あなたは喜びや楽しみに向かって突き進みましょう。
あなたは幸福を得なければなりません。
人生に変化を引き込むほど、状況は発展します。
自己を変化させるほど、成長し、洗練されます。
変化というものに不安を覚える必要はありません。
変化というものは常に良い方向性を以てあなたを導いているということを覚えておきましょう。
変化するほど良くなります。
怠慢に止まってはなりません。
安心してはなりません。
次の成長に向けて歩みましょう。

2013年8月25日日曜日

苦手意識

人は経験によって成長を得ることができます。
経験することがなければ成長を得ることはできないのです。
あなたが成長を求めているのであれば、成長しなければならないということを覚えておかなければならないでしょう。
人生が退屈なのは、成長から逃げているからです。
人生が苦しいのは、成長を拒絶しているからです。
人が成長するためには、経験を積む必要があります。
しかしながら、その経験の中には嫌な事もあるのです。
嫌な事も経験の内です。
人が成長するためには、嫌な事に対してもそこから得られる経験を必要としているのです。
人は経験しなければ成長することができません。
実体験の中から自分自身で得るものでなければ、成長することはできないということを覚えておきましょう。
本を読んだり、人の話を聞くことによって知識を得ることができます。
しかしながら、知識を所有するだけでは成長を得ることはできないのです。
成長というものは、自らの力でそれを成せるということだからです。
どのように詳しい知識を所有していたとしても、その知識に従って結果を残すことができないのであれば、それを実力であるとは言えないのです。
成長は実力によって計ることができます。
その人が何を知っているのかが実力なのではなく、その人が何を行うことができるのかということが実力であるのです。
人はたくさんの知識を得ることも大切ですが、それが役に立たなければ意味がありません。
少ない知識しか所有していなくても、その知識によって何等かの結果を残すことができるのであるならば、その方が価値があるのです。
あなたは自らが何を行うことができるのか?
どのような結果を残すことができるのか?
ということを大切にしていましょう。
どれだけ偉そうなことを言っても、何もできないのであるならば愚かな者です。
偉そうなことを言うことがなくても、結果を残すのであれば賢い者であるのです。
あなたは成長しなければなりません。
結果を残すことのできる人にならなければならないのです。
あなたは経験を疎かにしてはなりません。
目の前に経験が転がっているのであれば、それが嫌な事であったにしてもそれをやってみましょう。
嫌な事を克服することができることが成長であるのです。
成長することによって、人は嫌な事が少なくなります。
嫌な事が少なくなるということはどれだけ幸いなことでしょう。
人は成長するに従って嫌な事が少なくなります。
成長するほどに煩(わずら)いが消え失せるのです。
嫌な事を経験すると、そこで恥を掻きます。
嫌な事を経験すると、そこで失敗します。
嫌な事を経験すると、そこで苦しみます。
しかしながら、それらも経験であるのです。
嫌な経験もその人が成長するためには必要なことであるということを覚えておかなければならないのです。
嫌な事をして恥を掻き、失敗をし、苦しむことが悪いことではありません。
経験する機会に恵まれていながら、それを手に取ることなく逃げることが悪いことであるということを覚えておきましょう。
経験はあなたを豊かさに導いてくれる大切な宝物です。
その宝物を放り投げてはなりません。
あなたは嫌な事を経験して一時は苦しみます。
しかしながら、その苦しい経験こそがあなたを成長に対して導いてくれるのです。
あなたは経験によって成長が得られるということを理解しなければなりません。
それを忘れてはなりません。
人生を退屈なもの、苦しいものにしたくないと考えるのであれば、できる限りの経験によって成長を果たしましょう。
変化がないということはつまらないことです。
変化を得るためには、恐怖(嫌な事)に立ち向かい、安心安全の中から抜け出さなければならないのです。
人は誰にも嫌な事があるものです。
その苦手意識を克服するように努めましょう。
無理をする必要はありませんが、いつかはそれと向き合わなければなりません。
どのような経験も決して無駄にはなりません。
恐怖が道を塞ぐでしょうが、それに負けてはなりません。

2013年8月24日土曜日

気迫

あなたはその心に気迫を込めなければなりません。
あなたのその心には気迫がみなぎっていなければならないのです。
気迫のこもった心というものは、力強いということを知りましょう。
あなたは力強い心を所有しなければなりません。
あなたが人生を豊かなものにするためには、成さねばならないことがあります。
責任を果たすことなく、希望を実現させることなく、人生が豊かなものになることはないのです。
あなたは自らの人生を豊かなものにするために、自ら成さねばならないことを成さなければならないのです。
あなたの成すことは、その心によって決まります。
心が気迫にみなぎって力強くあるのならば、様々な問題を解決し、道なき道を進み、それを実現することができるでしょう。
困難に会って諦めてしまうような軟弱な心であっては、どのようなことも成すに至らないのです。
大切なのは、それを成すという気迫なのです。
どのような困難に会っても、それを乗り越えて目的を果たすという気迫のない者には、目的を果たすことはできないでしょう。
弱い心には熱意もありません。
熱意がなければやる気もないでしょう。
やる気がないのに、どうやってそれを実現しようというのでしょうか?
あなたの目的が何でも実現するほど、この世界は簡単なものではないのです。
幾つもの困難に出会い、それを乗り越える者だけが目的を果たすのです。
気迫の足りない者にそれを成すことはできません。
この世界が勝負の世界であるということを決して忘れてはなりません。
打ち勝たなければ得られません。
それがどのような困難であったにしても、それに打ち負けるのであるならば、手傷を負って立ち去らなければならないのです。
あなたはこの世界の勝負を甘く見てはなりません。
軽んじている者は何も得ることができません。
信念に従って生きる者でなければ、豊かさを得ることができないということを理解しましょう。
弱者が勝ち得る勝利など存在しないのです。
あなたは闘わなければならないのです。
あなたはその霊魂(心)に気迫を蓄えましょう。
気迫で負けている時点において、勝利は得られません。
この世界では熱意が勝る者が勝つということを覚えておきましょう。
必ずしも力の強い者が勝つというものではないのです。
気迫が溢れ、熱意に燃える者が勝つということを忘れてはならないでしょう。
あなたは弱い者を笑ってはなりません。
人を笑うような者には気迫が足りません。
何かを軽んじているのであれば、敗北を以て豊かさを失うでしょう。
あなたがどのような立場にあろうとも、決して気を抜いてはならないのです。
どのような相手であろうとも、手を抜いてはなりません。
どのようなことにも丁寧に向き合わなければなりません。
常に気迫と熱意を以て闘わなければ、足元を掬(すく)われるということを覚えておきましょう。
霊魂が気迫でみなぎっているのであれば、心に隙が生じることはありません。
あなたは詰まらないことが原因で負けないように、気迫をみなぎらせておきましょう。
何をするにしても決して油断してはなりません。
なめてかかってはなりません。
小さな生き物の毒にも、あなたは敗北するからです。
どのようなことにも心を込めましょう。
自らの行うことに気迫を込めるのです。
あなたの行いにも霊魂が宿ります。
あなたの行いには、あなたの心がこもるのです。
すべてはあなたの行ったことです。
勝利するのも、敗北するのも、あなた次第であるということを忘れてはなりません。
人生は決して甘いものではありません。
勝負の世界はいつも勝敗を欲しています。
あなたは勝つか負けるか、そのどちらかを必ず受け取らなければならないのです。
あなたは勝つ為に、その心に気迫を込めなければなりません。
気合いを入れて事に当たりましょう。
どのようなことに対しても決して気を抜いてはなりません。

2013年8月23日金曜日

自我に目覚める

人生は開拓していくものであるということを覚えておかなければならないでしょう。
人生に決められた道などというものは存在しません。
自らの意思によって道を切り開き、必要な目的地へと辿り着かなければならないのです。
あなたの人生は決められていません。
自らの意思によって開拓するべきものであるということを理解しましょう。
人生を開拓する気持ちもないのに、状況に対して不満を持ってはなりません。
自らの意思によって道を切り開かない者が、理想の道を歩むことができるなどと考えてはならないのです。
どのような道を進むのも、自分自身の責任であるということを覚えておかなければならないでしょう。
道を切り開き、快適な道を進むのも、雑木の覆い茂る道を進むのも、その人の事柄なのです。
どのような道を進みたいのかは、あなたが決めれば良いことです。
人生はあなたの意思によって決められています。
道を切り開くのも、そのまま進むのも、あなたが決めれば良いことなのです。
あなたが目的地に辿り着き、そこに存在している豊かさを持ち帰りたいと考えているのであれば、道を開拓しておきましょう。
道を開拓していなければ、目的地に辿り着くことが難しいことは元より、目的地に辿り着くことができたとしても、そこにある豊かさを持ち帰ることはできないのです。
あなたが道を開拓していれば、あなた以外の誰かもその豊かさの恩恵を受けることができるでしょう。
あなたの開拓した道によって、多くの人に貢献することができるのであれば、あなたは多くの人から賞賛(しょうさん)され、感謝されることでしょう。
あなたは欲望のままに人生を生きてはなりません。
目的を果たすことだけを考えて、その先のことを見失っていてはならないのです。
目的地に辿り着くことができたとしても、帰り道が分からないのであればどうしようもありません。
行きのことだけではならないのです。
帰りのことも考えておきましょう。
人生を開拓するということは、自らの意思によって多くの人に貢献するということです。
あなたは多くの人に自らの得た豊かさを持ち帰らなければならないのです。
自分だけが得をしようとする者は、却(かえ)って損をすることになります。
あなたは自分だけが得をしようなどと考えてはならないでしょう。
できる限り多くの人にその豊かさを分け与えましょう。
そのために、できる限り大きな道を切り開いておきましょう。
どのような人であっても、その道を通り、豊かさに辿り着けるように計らいましょう。
あなたは道を教えなければなりません。
どのようにすれば豊かさへと辿り着くことができるのかを、他人に伝えなければなりません。
豊かになる方法を教える人は人々に大切にされます。
あなたは自らの努力によって切り開いた道を人に伝えましょう。
豊かさを独り占めしようとしてはなりません。
富というものは、共有することで膨れるのです。
あなたは自我に目覚めましょう。
人は自我に目覚めなければなりません。
自分自身という存在を理解し、自分自身の人生を切り開きましょう。
自我に目覚めていない者は、人生の目的地を理解することはありません。
自己の欲求に従って生きる人こそが、人生の目的地を理解するのです。
あなたには意思が存在しています。
あなたは他人に自らの意思を伝えなければなりません。
自我に目覚めることなく、意思の薄弱な人物には、他人に意思を伝えることはできないのです。
何となく生きてはなりません。
人生を暇つぶし程度に考えてはなりません。
道を切り開くことがなければ目的地へ辿り着くことはできません。
目的地へと辿り着くことができないのであれば、人は豊かさを手に入れ、その心を満たすことはできないのです。
人生を開拓するためには、自我に目覚めなければなりません。
自己の目的を持って生きましょう。
常に人生を開拓するように努めましょう。
道を開拓するのは簡単なことではありません。
そこには様々な問題や危険や恐怖が道を塞ぐからです。
自我に目覚め、目的意識を所有していない者にはその道を進むことはできません。
あなたを救うのは自己の自我であるということを覚えておきましょう。
人生は開拓するものです。
困難と闘わなければなりません。
道を切り開き、多くの人にその豊かさを分け与えることを志しましょう。

2013年8月22日木曜日

闘わなければならない状況

人生は闘いです。
命が闘うことを放棄して命を得ることはできません。
人には恐怖の対象が存在しています。
その恐怖の存在に対峙することこそが闘うということです。
命は闘うことなく命を勝ち取ることはできません。
人は恐怖と闘うことなく、豊かな人生を得ることはできないのです。
人は恐怖の対象と対峙し、闘わなければなりません。
恐怖から逃れることはできますが、逃げることで得ることのできる幸福はないのです。
幸福とは、恐怖の対象が存在しない状態のことであるということを覚えておかなければならないでしょう。
恐怖することがないのであれば、人は幸福を得ることができるでしょう。
恐怖することが目の前に存在するのであれば、人が幸福を得ることはないのです。
あなたは自らが抱える恐怖の対象に対して逃げてばかりではなりません。
人には闘わなければならない状況というものがあるのです。
逃げてばかりでいると可能性は狭まります。
闘うことをしなければ可能性は勝ち得ないのです。
あなたは恐怖の対象と闘いましょう。
それが恐いからと言って逃げてはなりません。
逃げることによって可能性がなくなってしまえば、強制的にそれと向き合わなければならなくなるのです。
どのようにもがいても、何かから逃げ続けることはできないのです。
人が必ず死に追い付かれるように、人は自らの恐怖の対象に追い付かれるということを覚えておきましょう。
恐怖の対象に追い付かれてからそれを対処しようとしても、遅過ぎるということを覚えておきましょう。
恐怖の対象に追い付かれる前に対応策を講じておかなければならないのです。
逃げる程に恐怖の対象が有利になります。
逃げる程にあなたの可能性は狭まり、恐怖の対象の可能性は広がるのです。
あなたはできるだけ逃げずに立ち向かうことに努めなければなりません。
逃げることが悪いと言うのではありません。
逃げることが最善であると考えるのであれば、その時にはそれが最善であるでしょう。
しかしながら、闘うことが嫌だからという理由によって逃げているのであれば、その先の闘いは更に苦しいということを覚えておきましょう。
この世界においては、すべての存在が豊かさを増します。
生物が成長するように、ありとあらゆるものが豊かさを増すのです。
あなたが恐怖の対象から逃れるのであれば、恐怖の対象は豊かさを増して成長します。
それに比例するように、あなたの臆病な気持ちも豊かさを増して膨らみます。
あなたが逃げる度に恐怖の対象との力関係は不利になってしまうのです。
人生を豊かなものにするためには、恐怖の対象からできる限り逃げないことです。
立ち向かうことは簡単なことではありませんが、それをしないのであるならば、それより先の人生は更に難しいものになってしまうのです。
あなたは逃げてはなりません。
あなたは闘わなければなりません。
逃げては得られません。
闘わなければ得られません。
命が命であるのは、命を得るために闘ったからです。
闘わない命はすぐに違う命に取り込まれ、その命を失います。
あなたはそのことを忘れてはなりません。
強くなければ得られないものが多過ぎるのです。
力の無い者は虐(しいた)げられます。
虐げられないためには強くなければならないのです。
強くなるためには、恐怖の対象に立ち向かい、それを克服する必要があるのです。
人は人生において、どうしても闘わなければならない状況というものがあります。
その時に闘うことができない者は大切なものを失うということを覚えておきましょう。
いざという時に闘えない者は虐げられるということを決して忘れてはなりません。
この世界は力の関係によって平等です。
虐げられたくないのであれば、力を付ける以外に方法はないのです。
あなたは大切なものを守ることができる人でありましょう。
自己の成長が求められます。
あなたは力を付けることに努めましょう。
人生は闘いなのです。
闘いを放棄してはなりません。
幸福を勝ち取りましょう。

2013年8月21日水曜日

悪いことをしない人

人生の幸福を得るためには、幸福に辿り着かなければなりません。
あなた自身が幸福という場所に辿り着くことなく、人生が幸福を得ることはないのです。
人生というものは、自分自身で築くものであるということを覚えておきましょう。
人生が自分の行いによって築かれているということを理解しなければ、あなたの人生が幸福を得ることはできないのです。
あなたは自ら歩き、幸福に辿り着かなければなりません。
ただ生きているだけでは、時間が経過しただけのことです。
時間が経過しただけでは人生が展開することはありません。
時間が経過することと、あなたが人生を進み、それが発展するということとは違うものであるということを覚えておきましょう。
ただ歳を取っただけでは幸福を得ることはできません。
多くの不幸な老人がいることを理解しましょう。
ただ生活するだけでは幸福は得られないのです。
歳を取ると共に、人生を展開しなければならないということを覚えておきましょう。
人生が展開するためには、人生の道のりを進まなければなりません。
人生の道のりを進むことによって人生は展開します。
あなたが人生の道のりを進むためには、行動する必要があります。
行動こそが人生の展開に繋がるということを覚えておきましょう。
良いことをすれば、あなたは幸福に向かってその歩みを進めます。
悪いことをすれば、あなたは不幸に向かってその歩みを進めるのです。
あなたの行動があなたの行く先を決めているということを覚えておきましょう。
多くの人は悪いことをしなければ幸福になると考えています。
または、そのように教育されています。
そして、多くの人は悪いことをしないのです。
悪いことをしないということは、不幸に向かうことがないために良いことではあります。
ただし、悪いことをしない代わりに良いこともしないという人が多いのです。
悪いことをしなければ幸福になれると考えているために、悪いことをしないということを目的としているため、良いことをするということにまで気が回らないのです。
そのため、多くの人は悪いことをしない代わりに、良いこともしないのです。
良いことをしなければ、幸福に向かって歩みを進めることはできません。
良いことも悪いこともしないのであれば、その場に立ち尽くしているようなものであるのです。
歩むことがなければ、人生が展開することはありません。
人生の展開があなたのところに近付いて来るということはありません。
あなたが自ら歩まない限りは、人生が展開することはないのです。
あなたは良いことをしなければ人生が幸福になることはないということを覚えておきましょう。
悪いことをしないからといって幸福は手に入りません。
悪いことをしたとしても、それ以上の良いことを行う人であれば、幸福に辿り着くこともできるのです。
歩まない者は近付くことができません。
この世界は働かない者に幸福を与えることはないのです。
あなたは注意しなければなりません。
悪いことを避けようとするあまり、良いことをすることを忘れてはなりません。
良いこととは貢献するということです。
何かに対して貢献することは決して簡単なことではありません。
しかしながら、その難しいことをしなければ幸福を手にすることはできないのです。
良いことを行うのは難しいということを覚えておきましょう。
幸福を得ることは決して簡単なことではありません。
良いことをし続けなければそれを得ることはできないのです。
あなたは自らが貢献することができることがないかを考えていましょう。
自分に貢献できることがないかを探していましょう。
人生は自分自身の力によって築いていかなければなりません。
あなたの行いこそがあなたの行き先を決めます。
あなたは良いことをして、幸福に辿り着きましょう。
悪いことをして不幸に辿り着いてはなりません。
悪いことをしてしまったとしても、それよりも良いことを多く行って、結果的には幸福へと辿り着きましょう。
何もしないのは論外です。
良いこともしない、悪いこともしない、そのような人生に楽しみはありません。
あなたはどちらにしても歩み続けましょう。
人生に立ち止まっていてはなりません。
歩き続けていましょう。
人生の意味を見誤ってはなりません。

2013年8月20日火曜日

美しい心

人の本質はその心にあります。
人は心を大切にしなければなりません。
その心が清く美しくあるように努めなければなりません。
人の人生は心によって導かれます。
その心が美しいものであるのならば、人生が美しいものであるのは当然のことなのです。
人はその心に従って判断します。
どのような状況を得ようとも、それはその人が選んだものであるのです。
あなたは自らの心によって自らの人生を選択しているということを理解しなければならないでしょう。
心が美しいものであるのならば、人が汚れた行いを選択することはありません。
汚れた行いを選択しないのであれば、汚れた場所に辿り着くこともないのです。
その心が汚れている人は、その心の汚れに従って汚く行います。
悪事を成す人が辿り着くのは汚れた場所(苦しみ)であるということを覚えておきましょう。
罪を犯していない人を人生が裁くことはできません。
裁きに会う人は悪事を行うことによって罪を得ているのです。
あなたは自らの行いを省みなければなりません。
心が汚れているのであれば、辿り着くのは苦しみであるのです。
心が汚れ、汚らわしい行いの者が幸福や豊かさを得ることはできないのです。
一時の幸福に思えるものや、豊かさだと思えるものに恵まれることはありますが、それは奪われ、それよりも大きな代償を支払わなければならなくなるのです。
その代償があなたの支払うことのできるものであれば良いですが、あなたが支払うことができないものは、あなたの関係者から取り立てるようになるということを覚えておきましょう。
あなたは心を美しく保つように努めなければなりません。
しかしながら、心を美しく保つということは、この世界の汚れを知らないということではないということを理解しなければならないでしょう。
汚れを知った上で美しさを保たなければ意味がないのです。
汚れを知らずに美しさを知ることなどできません。
死を理解することなく、生を理解することができるでしょうか?
失うことを知らずに、受け取ることを理解することができますか?
この世界に存在しているあらゆる現象を知り、その上で心を美しく保つという選択をすることこそが求められるのです。
汚れを知ることなく、美しさを語ることはできません。
自身によって経験したこともないのに、分かった気でいるような愚か者に成ってはなりません。
机上の空論を振りかざすほど惨めなことはないということを覚えておきましょう。
あなたはこの世界の汚れに触れなければなりません。
様々なことを経験しなければならないのです。
それらを経験したのならば、それらの汚れを振り払い、その心を清く美しく磨き上げなければならないのです。
多くの人は汚れに従い、汚れを行います。
汚れた心で行うのであれば、得るものも汚れているということを理解しましょう。
不正によって得られるものは甘い蜜のようなものです。
正しく得られるものは味気無い質素な食事のようなものです。
多くの人は甘い蜜を欲しがります。
その結果、大きく肥え、病気になって苦しむのです。
味気の無い質素な食事を摂る人が健康を害することが少ないように、あなたは正しい方法によって何かを得ましょう。
不正によって得られるものは労力の割に大きなものです。
しかしながら、その代償が後からやってくるということを覚えておかなければならないのです。
悪事を働いていなければ、罪を責められることはありません。
悪事を働いていれば、言い逃れはできません。
あなたは後ろめたいことがないように生きていましょう。
代償を背負わないのであれば、その人生は楽しいということを覚えておきましょう。
自らの行いは、必要な時期に必要な形によって必ず現れます。
あなたは自らのしたことを拒絶することはできないのです。
人の本質がその心であるということを覚えておきましょう。
人は心に従って行い、心によって人生を導きます。
すべてはあなたの心が行ったことです。
あなたが自分自身で決めたことです。
その責任から逃れることはできません。
この世界の代償を踏み倒すことはできません。
甘い世界ではないということを覚えておきましょう。
あなたが苦しまないためには、心を清く美しく保つ必要があるということを覚えておきましょう。

2013年8月19日月曜日

大胆な行動

あなたが大きな成果を求めているのであれば、できるだけ大胆に行動しなさい。
あなたが受け取るものは、あなたの行動の結果であるということを知らなければなりません。
あなたが受け取る結果は、あなたの行動の大きさに比例しています。
あなたの行動が大胆で積極的なものであるのならば、あなたは大きな結果を得ることができるでしょう。
あなたの行動が小胆(しょうたん)で消極的なものであるのならば、あなたの受け取る結果は小さなものになるでしょう。
あなたは自らの行動こそが、受け取るものを決めるということを覚えておきましょう。
どのように素晴らしい思想を所有していたとしても、その思想に基づいて行動することがないのであるならば、素晴らしい結果を得ることはできないのです。
大したことのない思想を所有していたとしても、その思想に基づいて行動することができるのであるならば、良い結果を得ることができるでしょう。
結果を得ることと、結果を得ないことには雲泥の差が存在しています。
あなたは行動によって結果を得なければなりません。
人生を豊かなものにするためには、より大きな結果を得る必要があるのです。
小さな結果では理想には辿り着けません。
目的地に辿り着くためには、できる限り大きな歩幅で歩かなければならないのです。
一時間で一キロの道のりを行く子どもよりも、一時間で三キロの道のりを行く大人の方が得るものは多いのです。
あなたはできる限り大きな歩幅によって人生を歩きましょう。
あなたの行動が人生を先へと進めます。
あなたはできる限り大胆に行動しなければならないでしょう。
小さな声で呼びかけていてもそれが聴衆の耳に届くことはありません。
あなたの思いが人々の中に届くことがなければ、あなたの思い描く夢が実現するということもないでしょう。
できる限りの大きな声で呼びかけることがなければ、あなたの声が聴衆の耳に届くことはありません。
あなたはできる限り大きな声で呼びかけましょう。
大胆に行動することは決して簡単なことではありません。
それは、自分のやっていることに自身がなければならないからです。
聴衆は多くのことに懐疑(かいぎ)的です。
その声が耳に届いたとしても、その思いが心に響くことは容易なことではないのです。
小さな声では徐々にその声に耳を傾ける人も少なくなってしまうのです。
あなたは自分の実現したい夢に対して自信を持ちましょう。
自信がないのであれば、自信が身に付くようにその夢に対して更なる追求をしましょう。
自らのやっていることを知るほどに、人に説明することができるようになります。
説明が上手であるのならば、人はあなたの話を聞きたいと思うでしょう。
あなたがそれを誰よりも良く知っているのであれば、誰よりも上手く伝えることができるでしょう。
そこでは理解が深まるのです。
あなたは自分自身に対して自信を持ちましょう。
自信を育みましょう。
信念を持って生きる人の情熱は多くの人に伝わり、多くの人を動かします。
それはあなたの夢が実現するための条件であるということを覚えておきましょう。
どのような夢も独りの力によっては実現することはありません。
夢というものは、人々が支え合って初めて実現するものなのです。
あなたが自らの夢の実現を磐石(ばんじゃく)なものにしたいのであれば、より多くの人の賛同を得ましょう。
多くの協力者に支えられる夢は、あなたに大きな成果を導くことでしょう。
夢が実現すれば豊かさを得ることができます。
あなたは自らの夢を実現しなければなりません。
実現する夢を大きなものにするならば、それに比例して豊かさも大きなものになるでしょう。
大きな構想が大きな結果を生み出します。
小さな構想によっては、小さな結果が導かれるのです。
それは当たり前のことですが、多くの人がそのことを忘れています。
多きの人は小さな夢や思考や行動の中に生きているのです。
無理をする必要はありません。
心が求めないものに対して行動する必要もないのです。
ただし、自らの心が求めるものに対しては、それをできる限り追求しなければならないのです。
小さく、消極的に、小胆に行動してはなりません。
自分がやりたいことに対しては大きく、積極的に、大胆に行動しましょう。
人生は他人との競争です。
その行動が大胆な者が人々を引きつけるのです。
できる限り大胆に行動することを心掛けましょう。

2013年8月18日日曜日

それぞれの違い

あなたはそれぞれに違いが存在するということを知らなければなりません。
それぞれの違いを認め、違いを理解し、違いを許さなければならないのです。
違いを楽しむことができないのであれば、あなたは苦しんでしまうでしょう。
それは、この世界から違いが失われることがないからです。
世界に違いが存在しているのは理(ことわり)です。
世界はひとつの目的を求めて互いに支え合っていますが、目的が同じというだけであってそれぞれには違いが存在するのです。
違う姿や方向性を所有するものたちによって、ひとつの目的が支えられているのがこの世界の姿であるということを覚えておきましょう。
あなたが何かの目的を所有していて、それを達成したいと考えます。
独りでは何もできないことを知っているあなたは、その目的を達成するために尽力してくれる同士を探し求めるでしょう。
あなたと同じ目的を達成したいと考える人があなたの元に集まり、あなたは仲間を得ることができるでしょう。
しかしながら、そこに集まった人たちが同じ考え方、同じ価値観、同じ方法を持っている訳ではありません。
それぞれが独自の人格と時間と環境と教育と経験を所有しているため、同じであるはずがないのです。
誰一人として、同じ人間はいません。
どのように同じに見える存在であっても、決して同じではないのです。
それぞれには必ず違いが存在しているのです。
あなたはその違いを認めなければなりません。
どのような人も、どのような存在も一緒くたに考えてはなりません。
それぞれは違うものなのです。
違うことが素晴らしいのです。
違うものを同じものに作り替えることは良いことだとは言えません。
それぞれの違いを認め、それを適した場所に組み込めば、複雑で多様な動きを生み出すことができるのです。
その複雑で多様な動きが物事に新たな可能性をもたらすということを覚えておかなければならないでしょう。
同じ部品によって一つの機械を作るとします。
同じ部品なので、その動きはとても単純なものです。
同じ部品であるが故に、その機械は単純な動き以外を得ることはないでしょう。
部品に違いが存在するのであれば、その機械は複雑な動きを得ることができます。
部品が違う形をしているが故に、その機械は複雑な動きを得ることができるのです。
違いを認めない人には可能性が狭まります。
違いを認めない社会が発展することはありません。
違いを認めない文化が向上することはないのです。
あなたはそれぞれが違いというものを所有して存在しているということを知らなければならないでしょう。
違いを認めなければなりません。
自分と違うものを排除していくのであれば、そこに変化は存在しないでしょう。
変化とは、違いから導かれるものであるからです。
同じことを繰り返している人の人生には変化がありません。
その考えや価値観や生活に変化が存在しないのであるのであれば、現状を維持するのが関の山でしょう。
違いを認め、変化を引き込むことがなければ、何が失敗であり、何が成功であるのかも分からないのです。
あなたは違いを排除してはなりません。
違いを活用しなければなりません。
違いを認めることができなければ人は互いに争います。
違いを認めて互いに有益な道を模索しなければならないのです。
他人が共に住む時に、相手の価値観を認めることができないのであれば、その生活は苦しいでしょう。
互いに不満を持ち、罵(ののし)り合い、嫌い合うのです。
それは正しい方法ではないでしょう。
大切なのはそこに豊かさを導くということだからです。
何かが終結することや、分裂することが悪いということではありません。
物事が終結し、分裂するのであれば、互いに利益を得るような状態でなければならないのです。
あなたは互いが利益を得る方法を探しましょう。
互いが利益を得るためには、そこに存在している違いを理解しなければなりません。
この世界に同じものは存在しません。
そこには必ず違いが存在しているのです。
家族であっても、仲間であっても、そこには違いが存在しているということを忘れてはなりません。
目的が共通していれば、それ以外のことが違っていても構わないのです。
違う目的に対して、それ以外のことが同じようなものであってはなりません。
大切なのは目的が共通しているということであるということを理解しましょう。
違いが可能性を広げます。
その人が自分とは違うからといって、拒絶してはなりません。
そこに存在している違いは、あなたに変化を導いてくれるでしょう。

2013年8月17日土曜日

何に従うべきか?

あなたが豊かな人生を生きることを望んでいるのであれば、豊かさを目指し、豊かさを分かち合い、それを与えてくれる存在に従わなければなりません。
豊かさを導く存在に従うことなく、豊かさを得ることはできないということを理解しましょう。
乏しさを目指す存在に従えば、乏しさが増すでしょう。
あなたが豊かさを求めているのであれば、豊かさを目指す存在に従わなければならないことを覚えておきましょう。
人は自らの目指す所へと辿り着きます。
人は求めるものに従って進むのです。
あなたが求めるものを自らの生き方やその人やその場所やその時間が与えてくれるでしょうか?
あなたは自らの求めるものを与えてくれる存在に従わなければならないのです。
何に従うべきなのか?
何に従わないべきなのか?
何を恐れるべきなのか?
何を恐れないべきなのか?
この判断を見誤ってはなりません。
目的に対して矛盾している判断であっては、それを達成することはできないということを覚えておかなければならないのです。
あなたの判断があなたの自己を形成し、あなたの自己が人生を築きます。
あなたが何を受け取り、何を失うのかは、あなた次第なのです。
あなたは自らがすべてを決めているということを理解しなければならないでしょう。
あなたは自らの求めるものに従って判断しなければなりません。
誰もあなたの代わりにあなたの人生を築いてはくれません。
ましてや、あなたのために豊かさを運ぼうなどと考える人はいません。
それは、皆、自己の幸福のために生きているからです。
人がどのように愛や奉仕を語ろうとも、その行為の本質が自分自身を満たすためであるということを忘れてはならないのです。
人は自分自身のために生きているのです。
あなたは人生が自己判断であり、自己責任の世界であるということを覚えておきましょう。
いつまでも子どものように守られるなどと甘い考えを引き摺っていてはなりません。
残念ながら、あなたは守られません。
あなたは自分自身を自分自身で守らなければならないのです。
自分自身を守るためには、そのように判断しなければなりません。
あなたは豊かさを守るのです。
何に従い、何に従わず、何を恐れて、何を恐れないのか?
そのことを考え続けていなければなりません。
多くの人は恐怖に従って危険を恐れます。
恐怖に従って危険を恐れるのは、人の性でしょう。
人は恐怖や危険を恐れているのです。
しかしながら、恐怖や危険を恐れるあまり、それらの言成りになっているのであれば、あなたは豊かさから遠ざかり、乏しさを得ることになるでしょう。
人が豊かさを得るためには、成長を成さなければなりません。
自身の成長や携わる状況の発展こそが人生に豊かさを導くのです。
物事が向上することがなければ、人生に豊かさは存在しないということを覚えておきましょう。
あなたは成長や向上や発展を求め、それを実現させなければならないのです。
その道を外れては、人生の豊かさは得られません。
あなたは恐怖や危険を恐れてはなりません。
恐怖に打ち勝ち、危険を乗り越えていかなければ、それ以上の向上発展は望めないのです。
あなたは自らの人生から、叶えたい夢、正しい心、恐怖に立ち向かう勇気、目的を達する信念、問題を解決し、状況を発展させる行動・・・などの建設的な働きが失われることを恐れなければならないのです。
あなたは成長、向上、発展の道から外れることを恐れなければなりません。
あなたは自らの人生から豊かさが失われることを恐れましょう。
多くの人は豊かさが失われることを恐れてはいますが、その生き方には矛盾が存在しています。
幸福を欲していながら、幸福になるための生き方はしていないのです。
そのような人が求めているのは、幸福ではなくて不幸であるということを覚えておきましょう。
人が本当に求めているものは、その生き方(行動)によって知ることができます。
人生は結果がすべてです。
あなたが語るのはその口(言葉)ではなく、行動であるということを覚えておきましょう。
その人が何を行っているのか?ということが欲求に対する答えであるのです。
あなたは恐怖に従って行ってはなりません。
勇気に従って行うのです。
恐怖に従えば乏しさ(不幸)を得ます。
勇気に従えば豊かさ(幸福)を得ます。
どのようにするのかはあなた次第です。
あなたは自己によって自分自身を救いましょう。
何に従うべきであるのか?を考えましょう。

2013年8月16日金曜日

自分のやり方

人が豊かな人生を得るためには、自らの役割を果たさなければなりません。
抱えている仕事(責任)を果たすことがなければ、人が豊かさを得ることなどできないのです。
人が豊かな人生を欲しているのであれば、自らの役割(責任)を果たさなければなりません。
責任とは貢献のことです。
責任を果たすということは、貢献するということであるということを覚えておきましょう。
責任を果たすことなく、仕事があなたに報酬を支払うことはありません。
あなたが何かに対して貢献することがなければ、豊かさを得ることはできないのです。
あなたは自らの抱える責任を理解し、それを貢献することによって果たさなければならないということを知らなければならないでしょう。
責任を果たすことなく報酬は支払われません。
あなたはそれが正しい条件の下で導かれた報酬でなければ、受け取るものは豊かさでは有り得ないということを理解しなければなりません。
条件を達していないのに報酬を無理矢理に奪い取るような行為をするものには罪が増します。
条件に満たないものを強奪する者には罪の報いが導かれます。
その罪の報いが苦しみであるということを覚えておかなければならないのです。
その罪の報いが忘れ去られることはありません。
その罪の報いが消えることはないのです。
あなたがそれを忘れていたとしても、あなたがそれが消えたと思い込んだとしても、その罪の報いは確実にあなたに及ぶのです。
人は自らの行いの報いを必ず受けます。
あなたがどのような方法を用いても無駄です。
報いから逃れる術は存在しないのです。
それがこの世界の理(ことわり)であるということを忘れてはなりません。
貢献しない者が得ることのできる豊かさなど存在しません。
豊かさを得る者は必ず貢献しているということを覚えておきましょう。
あなたは何かに対して貢献しなければならない訳ですが、あなたはどのようにすれば貢献することができるでしょう?
あなたが貢献するために大切にしなければならないのは、「自己」というものです。
自己を無視して何かに貢献することは難しいということを理解しましょう。
人は個性を所有しています。
それは人がそれぞれに特有の自己を所有しているということを示しています。
すべての物事には理由と必要性があります。
人が独自の自己を所有しているのは、その自己だけが所有する理由や必要性があるからなのです。
一つとして同じ自己は存在しません。
元々同じではないのだから、それをわざわざ同じものにする必要はありません。
違うものであるのだから、違うものとして活用する方法を探すことが重要なのです。
人は自己が最も活用される状況や方法を探しましょう。
あなたがその目的を果たすために最善な自己を整えるのです。
あなたの自己が最もその目的を果たし易い状態はどのようなものですか?
あなたはそれを追求しましょう。
あなたは自己を追求しなければなりません。
自己を貫く信念を持たなければなりません。
あなたが人と同じことをするにしても、そこには自己のやり方というものが存在しています。
その自己のやり方を貫き通さなければなりません。
自己が最も心地好いやり方が、自己が最も活用される方法なのです。
自らが果たさなければならない責任や目的を忘れることがないのであれば、どのような方法を用いても良いのです。
重要なことだけを厳守し、その他のことには極力自由を与えましょう。
方法にこだわって目的を果たせないのは愚の骨頂(こっちょう)です。
方法にこだわることがなくても、その目的を果たすことができるのであれば、あなたは必要な報酬を得ることができるでしょう。
あなたは自己をこだわらなければなりません。
自分のやり方を貫き通しましょう。
そのやり方が他人と違っていても良いのです。
大切なのは貢献するということであり、その目的を果たすということなのです。
人が豊かな人生を得るためには、自らの抱える役割を果たさなければなりません。
責任を果たすためには自己を貫き通すという信念が必要です。
自己を貫き通すことができないような軟弱な人が、この厳しい世界において目的を果たすことなどできないのです。
あなたは焦りによって自己をねじ曲げてはなりません。
あなたは独自の自己を所有しているということを覚えておきましょう。
自己をねじ曲げるのであれば個性(力)が育たないことを知りましょう。
二番煎じではなりません。
あなたが所有するものが他人と同じものであるならば、あなたに頼む必要などないのです。
あなたでなければならないということが重要なのです。
あなたは自己によって責任を果たしましょう。
信念を歪めてはなりません。
芯を持って生きましょう。

2013年8月15日木曜日

美しい理由

あなたはそこに理由が存在しているということを忘れてはなりません。
そこに理由が存在しているということを知らないのであれば、それを知らなければなりません。
この世界のすべての事象には、それぞれに必要な理由というものが存在しています。
理由も無しに存在する状況など存在しないということを理解しなければならないのです。
すべての物事が導かれるのには理由が存在しているのです。
あなたはそこに理由が存在しているということを忘れてはなりません。
あなたが楽しむのには理由が存在します。
あなたが苦しむのには理由が存在します。
あなたが勝つのには理由が存在しています。
あなたが負けることには理由が存在しているのです。
理由の無い楽しみは存在しません。
理由の無い苦しみは存在しません。
理由の無い勝敗も存在しないのです。
あなたはその理由によって楽しみ、その理由によって苦しみます。
理由によって勝ち、理由によって負けるのです。
あなたはすべての事象には、その原因となる理由が存在しているということを忘れてはならないのです。
この世界に現れて、あなたが受け取るすべての事象は結果です。
それはその原因となる理由が既に実現した姿です。
結果には必ず原因が存在しているように、その事象にも理由が存在しているのです。
あなたが結果を良いものにするためには、その原因となる理由に辿り着かなければなりません。
理由に辿り着くことなく、結果をコントロールすることはできません。
理由をコントロールすることこそが、結果をコントロールすることであるということを知らなければならないでしょう。
勝負する前から勝敗は決まっています。
それは、原因が勝敗の決する以前の段階に存在しているからです。
どのような原因(理由)を所有しているのかによって、勝敗が決まるのです。
あなたが勝ちたいと思うのであれば、そのような理由を所有している必要があります。
物質的な条件と意識的な条件がその理由であるでしょう。
あなたの精神と行いこそがあなたの原因となり、理由となるのです。
あなたは、あなたという自己そのものがその理由であるということを覚えておかなければなりません。
自己の端正(たんせい)こそが重要であるということを覚えておきましょう。
美しい心と美しい生き方とがあなたの勝つ理由となります。
汚れた心と怠惰で卑劣(ひれつ)な生き方とがあなたの負ける理由となります。
あなたはこの理(ことわり)をその心に刻んでおきましょう。
良い原因を所有する人が悪い結果を得ることはありません。
悪い原因を所有する人が良い結果を得ることはありません。
この世界が常に正しく動いているということを忘れてはなりません。
正しさ(貢献)から遠ざかる程に苦しむということを覚えておきましょう。
あなたが勝ちたいと思い、豊かさや幸福を掴み取りたいと望むのであれば、美しい心と美しい生き方によって理由を築きましょう。
この世界は人が管理している訳ではありません。
人がどのように思い上がり、高ぶったところで世界を決定することはできません。
人がどのような手段を用いても、その罪を免れることはないのです。
人は人であり、この世界の小さな小さな一員であるということを覚えておきましょう。
人が人生を裁くのではありません。
人生が人を裁くのです。
自らの理由から逃れることのできる人は存在しません。
人は自らの理由に従って進みます。
あなたが負けるのは、そのような理由を自分自身が準備したからです。
あなたが苦しむのも同じ原理なのです。
あなたはどのような結果を求めていますか?
そこには理由が必要であるということを忘れてはなりません。
あなたは必要な理由を準備しておきましょう。
勉強すれば知恵が育ち、練習すれば技術が上達するのは当たり前のことです。
そんな当たり前のことによって、この世界は建設されています。
特別な情報や方法が必要な訳ではありません。
すべては当たり前の中で動いています。
あなたは美しい人生を手に入れるために、美しい理由を所有しましょう。

2013年8月14日水曜日

心の豊かさ

心の豊かさを損なう者は、人生の豊かさを損なう者です。
心が豊かにあれば、その人生は豊かなものであるでしょう。
あなたが人生を豊かなものにしたいと考えているのであれば、その心の豊かさを考えなければなりません。
心の豊かさを実現することなく、人生の豊かさは有り得ないということを覚えておかなければならないでしょう。
状況がどのようなものであろうとも、そこで心が損なわれるのであれば豊かさを得ることはできません。
どのような状況下にあっても、そこで心が豊かさを得るのであれば、あなたは豊かさを得ることができるでしょう。
大切なのは自己(心)がどのようにあるのか?ということです。
人生は自己の状態に左右されるということを覚えておきましょう。
人生が幸福であるのも、不幸であるのも、すべては自己の状態であるのです。
その心が豊かさを失うことがなければ、人は人生を豊かに生きることができます。
それはとても単純な理論です。
人生の豊かさや幸福を得るのに、特別な方法など必要ではありません。
限られた一部の人だけが幸福を手にすることができるという訳ではありません。
すべての人が幸福を得ることができるのです。
条件はただ一つです。
その心の豊かさを実現させることです。
この理(ことわり)を守ることができるのであるなら、どのような状況にあっても人が幸福を失うことはないのです。
心の豊かさを失ってしまうと、人生の幸福も失ってしまいます。
人生はあなたの心の中で作り出されているということを理解しなければならないでしょう。
あなたは何よりもその心の豊かさを欲しましょう。
心の豊かさよりも価値のあるものは存在しません。
世界で一番価値のある宝石を所有していたとしても、それを所有していることによって心の豊かさが損なわれるのであれば、それを持つ価値はないということを理解しましょう。
あなたは何を得るよりも、心の豊かさを得ることを願いましょう。
ただし、怠惰によっては心の豊かさは得られないということを知りましょう。
多くの人は危険に会わないことによって心の安心を得ることができます。
しかしながら、心の安心を得ることと、心の豊かさを得ることとは異なります。
心が安心を得たからといって、豊かさを得ることができるとは限らないのです。
安心の中にいれば危険に遭遇することはないでしょう。
しかしながら、そのような場所にいるのであれば、経験不足に陥り、心が成長することはありません。
この世界においての豊かさとは、物事が成長することであるのです。
物事が向上し、発展することが豊かさであるということを理解しましょう。
危険を避けることは必ずしも豊かさへは繋がらないということを理解しておきましょう。
この世界には生じる働きと滅する働きとが存在しています。
その両方の働きを理解して物事を選択することがなければ、人が成長を得ることはできないのです。
人は成長するために何かを掴み取らなければなりませんし、何かを手放さなければならないのです。
何かに固執(こしゅう)することでは、人は豊かさを得ることはできないということを知らなければならないでしょう。
大切なのは心の豊かさを保つことです。
物事が生じる働きと滅する働きを理解して、その豊かさを保ちましょう。
あなたはその心が豊かさを保つために必要なものを掴み取りましょう。
そして、その心が豊かさを保つために必要なものを手放しましょう。
あなたは心の豊かさを損なうものを遠ざけなければなりません。
それがどのような事柄であろうとも、心の豊かさの弊害になるものであるのならば、それを遠ざけなければなりません。
大切なのは目的を成すことです。
その目的地に辿り着くための最善を考えましょう。
歩き疲れて倒れてもいけませんし、休んで日が暮れてもなりません。
疲れたならバスに乗っても良いのです。
とにかく、その目的を果たすことが重要なのです。
人生においては、決められた方法などは存在しません。
あなたはあなたの好きな方法によってその目的を果たしましょう。
あなたの心に合った方法によって、心の豊かさを保つのです。
人が歩いているからといって、歩く必要はありません。
人が休んでいるからといって、休む必要も無いのです。
目的を果たすことだけを考えていましょう。
あなたは自らの心の豊かさを守らなければなりません。
心の豊かさ以上に価値のあるものはこの世界には存在しないということを忘れてはならないでしょう。

2013年8月13日火曜日

人として生きるために

あなたは自らの欲求に対して、それがどのような結果をもたらすものであるのかを確認しましょう。
何の確認もせずに欲求に従うことは避けなければなりません。
何の考えも無しに欲求に従うことは、自らの豊かさを損なう行為であるということを理解しなければならないのです。
あなたの心の中に沸き起こる欲求が、あなたに対して豊かさを導くものであるのかは、その欲求を審査しなければ分かりません。
すべての欲求があなたに豊かさを導くことなどないということを理解しなければなりません。
この世界が生じることと滅することによって保たれているように、あなたの欲求にも建設的なものと破滅的なものとが存在しているのです。
建設的な欲求に従うのであれば、人は豊かさを得ることができるでしょう。
破滅的な欲求に従うのであれば、人は苦しみを得ることになるのです。
何を得るのかは、人が決めることです。
自分自身の欲求に従うことによって人は結果を得るのです。
あなたはどの欲求に従うべきなのかを考えなければならないのです。
人は未熟であり、完璧な存在ではありません。
その欲求があなたに良い結果を導くと決められている訳ではありません。
人は幸福を求めていますが、その判断は決して完璧ではないのです。
人は愚かであり、誤るものだと知って、自らの判断に注意しましょう。
自らの中に沸き起こるどの欲求に従うかによって、受け取る結果は違うのです。
あなたが幸福を求めているのであれば、それを実現させることができる欲求に従って行わなければならないのです。
幸福を滅ぼすような欲求に従っているのであれば、幸福を得ることはできません。
あなたは自らの欲求が、後の自身に対してどのような結果を導くのかを考えましょう。
結果というものは、その時になってみなければ分からないものです。
しかしながら、分からないから推測しなければならないのです。
あなたはこれまでの人生経験の中で、どのようなことを行えばどのような事が起るのか?ということをある程度想像することができるはずです。
経験則があなたを裏切ることはありません。
自らが経験して得た教訓には従いましょう。
経験則を欲求に対して当てはめることによって、あなたは自らの欲求を判断しましょう。
その欲求があなたに対してどのような状況をもたらすのかを想像することは難しくても、それによって自身の心境がどのようなものになるのかを想像することはできるでしょう。
あなたが楽しく無いことは、あなたに幸福をもたらしたりはしません。
あなたの心境が苦しむのであれば、状況も苦しいものでるのです。
あなたは心が楽しむことを推測して行いましょう。
あなたがその欲求に従って行った時に心地好くなければ、その欲求に従ったことで幸福を得ることはできないでしょう。
あなたは自らの欲求を審査しなければなりません。
時間を無駄に過ごしてはなりません。
力を無駄に使ってはなりません。
あなたは幸福を求めています。
だからあなたは幸福を掴み取らなければなりません。
心が満たされることが幸福です。
その行為による時間が過ぎて空しさを覚えるのであれば、その行為によっては本当の意味での幸福は得られないのです。
その行為が終わった後も、充足感に満たされているのであれば、その行為によって本当の意味での幸福を得ることができるでしょう。
あなたは後悔するような欲求に従ってはなりません。
あなたは自らの欲求に対する欲求をコントロールしなければならないのです。
自己を制することができない者には、人生の豊かさをコントロールすることもできないでしょう。
自己を整え、コントロールする者だけが、次に得る状況をコントロールすることができます。
次に得る状況を豊かなものとするのであれば、人生は豊かなものとなるのです。
あなたは自分自身の選択が重要であるということを理解しましょう。
あなたが自分自身によって人生を決めるのです。
あなたがどのような欲求に従うのか?によって人生が決まるということを忘れてはならないのです。
あなたは決して審査無しで、次々に沸き起こる欲求に対して従ってはなりません。
自己の感情を思い付くままに表現する人は、その精神が子どものように未熟であると公表するようなものです。
思い付いたことをすべて行動しているのであれば、計画性の無い愚かな人だと公表しているようなものです。
そのような人が他人の信頼を得ることは難しく、他人からの信頼を得ないことによって苦しみます。
あなたは自らの欲求を審査することによって、自らの生き方をコントロールしましょう。
人が欲求に従って節操を失ってはなりません。
人は人の守るべきことがあります。
人が人として在るのは、その決まりを守っているからなのです。
あなたは人として生きていかなければなりません。
人として貢献しなければなりません。
人としてこの世を去らなければならないのです。
あなたは自らの欲求がどのような結果をもたらすのかを考えましょう。

2013年8月12日月曜日

役割に見合う人

人はその役割に見合う人に成らなければなりません。
その役割に対して見合う人物でなければ、豊かさを得ることができないということを覚えておきましょう。
すべての人が何等かの役割を得ます。
役割を持たない人はいません。
どのような人も与えられた役割があり、そこには必要な責任が存在しているのです。
役割に対する責任を果たすことこそが、豊かさを得るためには必要な条件です。
役割に対する責任を果たすことができない者には豊かさが導かれません。
仕事で成果を上げる者には報酬が支払われますが、仕事で損失を出す者には代償が求められるのです。
役割を果たさない者が豊かさを得ることはありません。
あなたが豊かさを得ようとするなら、その役割を果たすことを心掛けましょう。
あなたは常に自らの役割を意識していなければなりません。
あなたが追求するべき成果というものが何であるのか?ということを考え続けていなければならないのです。
自らの役割が抱えている成果というものが何であるのかを知ることがなければ、人がその責任を果たすことはできないのです。
あなたがどのような立場にあり、どのような役割を担っていようとも、そこで上げるべき成果を理解していなければなりません。
あなたは何の為に力を使うべきなのでしょう?
何の為に時間や体力を使うのでしょう?
何の為に生きているのでしょう?
自らの役割が成果を上げることができるような力の使い方でなければならないでしょう。
あなたがどのようなことに対して力を使うのかによって、成果がどのようなものになるのかが決まります。
成果を上げようと努めるのであれば、その人は成果を得ることに近付きます。
成果のことを気にしていなければ、その人は成果を得ることからは遠ざかるでしょう。
人が何に対して力を使うのか?ということは重要なことなのです。
あなたが豊かさを得ようと考えるのであれば、どのように生きるべきなのか?ということを常に考えていましょう。
どのように生きるべきなのか?という考えが抜け落ちてしまうと、人は成果を上げることに努めません。
成果というものは何も考えずに得られるものではありません。
ただ、与えられた目の前のことをこなすだけの人には成長が望めず、必要な成果を上げることはできないのです。
その役割に対して見合う自己を形成しようと努める人こそが、必要な成果を上げるということを覚えておきましょう。
多くの人は自らの役割(責任)から逃れようとしています。
自分自身の本当に成さねばならないことを理解していないために、遊び戯(たわむ)れるのです。
命が成長するという責任を果たすことがなければ、生態系は滅びてしまうでしょう。
人がその人格の成長を放棄してしまえば、文明は滅びてしまいます。
その役割に見合う自己ではないのに、その役割を背負うのは滑稽(こっけい)です。
それは子どもが大人の服を着ているようなものです。
貧相な樹木が、上等な鉢に収まっているようなものです。
大人用の服を着こなすには、成熟した肉体と顔つきと所作が必要です。
どれかが欠けているのであれば、服に着られてしまうでしょう。
歳を重ねた樹木には、上等な鉢が似合います。
若木であったり、枝振りの整っていない樹木であるのならば、上等な鉢には不釣り合いであるのです。
貧相な樹木は、上等な鉢の価値を下げてしまうでしょう。
未熟な自己であっては、その服を安く見せてしまうのです。
例え、安い服を身にまとっていたとしても、自己が整えられ、上質なものであるのならば、その服は実際よりも大きな価値を得ることができるでしょう。
枝振りの良い古い樹を粗悪な鉢に合わせるのであれば、粗悪な鉢はそれよりも上等なものに見えるでしょう。
あなたが自己を高めるなら、何をしても価値が増すということを覚えておかなければなりません。
自己が未熟な者がどのように高級な服を身にまとうよりも、自己が成熟した者が安い服を身にまとう方が上品であるでしょう。
あなたは自己の成長に努めなければなりません。
どのような時も自己の成長を放棄してはなりません。
その生き方が自己の成長に対して向けられていなければならないのです。
あなたはその役割に見合う人に成らなければなりません。
あなたがその役割に見合う人であるのならば、そこで豊かさを得ることができるでしょう。
しかしながら、その役割に見合うことがなければ、その役割を失い、更には代償までも要求されるでしょう。
役割に見合う人は豊かさを得ます。
役割に見合わない人はそれを失うのです。
どちらが良いのかはあなたが決めることができます。
責任を果たすのも、それを果たさないのも、自分自身が決めることだからです。
あなたは自らの役割が何であるのか?ということを考えましょう。
そして、そこで求められている成果が何であるのか?ということを知りましょう。
役割に見合う人に成りましょう。


2013年8月11日日曜日

人生との取り引き

人は人生において様々なものを得ます。
そして、様々なものを失います。
得ることと失うことを繰り返しながら進むのが人生というものです。
人生は得るばかりのものではありません。
また、失うばかりのものでもありません。
何かを得れば何かを失い、何かを失えば何かを得るのです。
あなたは常に取引の中にいるということを覚えておかなければならないでしょう。
何かを得られないということはありません。
何かが失われないということもありません。
人生は常に変化の中に存在し、そこでは常に人生との取引が行われているのです。
あなたは必ず何かを得ます。
そして、必ず何かを失います。
その事実を回避することはできません。
取引を回避することはできませんが、それをある程度それを調節することはできます。
誠実に支払いを済ます者が強制的に財産を没収されることがないように、あなたがその責任を果たすのであれば、何かが強制的に与えられ、強制的に奪われることもないのです。
あなたは自らの責任を果たし、その取引を優位に進めなければならないのです。
必要なものを得て、必要なものを残し、必要なものを手放し、必要なものを失うのです。
あなたは必要を満たさなければなりません。
必要を満たすことができるのは、その責任を果たす人だけです。
誠実な支払いをすることができない人には、財産を守る権利など存在しないのです。
あなたは注意しておかなければなりません。
誠実な支払いを心掛けましょう。
どのようなことにおいても、その責任を果たさなければなりません。
人生が目に見えるもの(お金や物品など)や目には見えないもの(状況に対する原因(思考、感情、行い)や相手に対する思い)の取引によって成り立っているということを理解しなければなりません。
あなたは目に見えるものと目には見えないものの支払いをしなければならないのです。
その生き方と心を正し、自らの責任を果たしましょう。
良い事を成す人は何かに対して貢献します。
貢献する人は何かに対する責任を果たします。
それは、目に見える支払いや目には見えない支払いを誠実に済ませる人です。
あなたは常に何かに対して貢献していなければなりません。
その様な人は人生の取引を優位に進めることができるでしょう。
人生との取引を優位に進める人こそ、幸福を手にすることができるのです。
人生との取引を劣位(れつい)に進める人には、苦しみが増します。
あなたが人生を豊かなものにするためには、人生との取引において勝らなければならないのです。
人生は物事の向上を求めています。
人生は物事を向上へと向かわす人を好みます。
あなたが物事に対して貢献するということは、それを向上させる仕事をするということです。
人生の要求に対して働いた者に報酬が支払われるのは当然のことなのです。
人生は向上を求めています。
あなたはその要求を実現する人でありましょう。
取引相手である人生と争うことは、その取引が劣位の内に行われるということを理解しなければならないのです。
あなたは相手(人生)が求める取引材料を所有しておかなければなりません。
相手が欲するものを所有していることこそが、取引を優位に進める方法です。
それ以外の方法によって取引が優位に進むことはないでしょう。
あなたは人生との取引において、様々なものを得て、様々なものを失います。
それは避けられないことですが、それを良いものにするために何かに対して貢献することを心掛けましょう。
自らにかせられた責任を果たすことと、何かに対して貢献することによって誠実な支払い続けましょう。
良いことをすれば良いことがあり、悪いことをすれば悪いことがあります。
上質な取引材料を所有していれば優位に取引は進み、粗悪な取引材料を所有していれば劣位に取引は進むのです。
人生との取引材料は、あなたが自分自身によって用意することができます。
人生をどのようなものにするかは、自分次第であるということを覚えておかなければなりません。
あなたがそれを得たいのであれば、それを得るための責任を果たしましょう。
あなたがそれを失いたくないのであれば、それを失わないための責任を果たすのです。
何を得るのも、何を失うのも、すべてはあなた次第です。
人生との取引が常に行われているということを理解しましょう。
あなたの一挙手一投足が、人生との取引材料であるということを忘れてはなりません。
あなたは常に評価されています。
上質な取引材料を所有することができるように努めましょう。

2013年8月10日土曜日

人を見る

あなたは人を判断しなければなりません。
人を判断することによって、的確に自己を動かさなければならないのです。
人にはそれぞれに独自の価値観というものがあります。
人は価値観によって物事を決めているため、その価値観によって協力し、または互いに争います。
人が協力するためには、価値観を揃えなければならないのです。
価値観がある程度揃っていなければ、人が協力することは難しいのです。
協力とは、個々が一つの目的を果たすために一致団結することです。
一つの目的を成す為には、団結する必要がありますが、価値観が違うのであればその団結は難しいのです。
あなたは選択の世に生きています。
人の価値観を変えるよりも、近い性質の価値観の人と共にいることの方が重要なのです。
協力によって大きな力を導くことで人を変えることはできるでしょうが、初めから相容れない価値観を正すよりも、近い価値観によって協力して事を成すことの方が先決なのです。
生物の進化のように、身体を変化させるよりは移動することが先決なのです。
人を無理に変える必要はありません。
どちらにしても、人を無理に変えることはできません。
人はそれぞれの心を楽しみます。
それがどのような楽しみであったにしても、その人の価値観が選んだ楽しみを他人が奪ったり、変えることはできないのです。
人が人の楽しみを取り上げたとしても、その人はまた同じように楽しむのです。
人を変えることはできません。
人は自らの価値観に従って事を選択するのです。
あなたは自らの価値観に近い価値観を所有する人を探して協力しましょう。
あなたは人を選ばなければならないのです。
すべての人が相容れるということはありません。
争わないにしても、その主義主張が相反するのは当たり前のことなのです。
すべてが一つの主義主張によって動くということは物事の偏りを意味し、偏りを所有した文化は滅びるということを理解しなければならないでしょう。
様々な職種が存在しているから、社会が成り立っているのです。
すべてが同じ職種であるのならば、社会は成り立たないでしょう。
違う職種がそれぞれに発展して行くから、社会が成り立ち、その文化は栄えるのです。
あなたは無理に誰かと仲良くする必要はありません。
すべての人が仲良くすることに越したことはないですが、残念ながらそれは不可能なことなのです。
世界はバランスを保ちます。
バランスを保つためには、右方向だけに伸びてはなりません。
左方向にも向かって伸びていかなければならないのです。
右の方向性を持つものと、左の方向性を持つものの性質は相容れるものではありません。
しかしながら、その二つの性質が発展することによってバランスは保たれ、物事は向上していくのです。
あなたは人を判断しなければなりません。
良く人を観察しましょう。
あなたの求める価値観の実現に不向きな価値観を持つ人が側にいるかも知れません。
相容れない価値観の人を側においていれば、物事が発展することは難しいでしょう。
違う目的地を目指す船頭が二人もいては、船はどこにも辿り着くことはできないのです。
従わないのであれば、その人を船に乗せることを諦めましょう。
彼には彼に合った行き先の船が存在しています。
従わないのであれば、あなたは潔(いさぎよ)く去りましょう。
あなたにはあなたに合った船が存在しています。
輪を乱す者は輪を乱さないコミュニティに属さなければなりません。
目的は向上発展であり、貢献であるということを覚えておきましょう。
どのような方向性を持つ船であっても、目的地へと到着し、その目的を果たさなければなりません。
内乱によって沈むような船ではならないのです。
暴力によって反乱を起こさなければならないのであれば、潔くその船を去りましょう。
反乱を起こさなくても快(こころよ)く働くことのできる船に乗り込むのです。
あなたは人の価値観を見なければなりません。
その人がどのような方向性を持っているのかは、その価値観によって示されています。
人は価値観により、自分の行き先を公表しているのです。
あなたはその船がどこに向かうのかを確認しましょう。
その行き先が自分自身の求めるものと違うのであれば、その船には乗り込んではなりません。
価値観は人の行き先を示しています。
それが公表されているにも関わらず、その船に乗り込んで不満を抱いてはなりません。
見えなかった、書かれてはいなかった、などという言い訳は通用しません。
あなたが自分自身でその船に乗り込んだのです。
あなたが自分の意思によってその人と共にいるのです。
責任は自分自身で取りましょう。
あなたはしっかりとその人を見なければなりません。

2013年8月9日金曜日

良いもの

人は自らに良いものを選択して行います。
人が行うものは、自らにとって良いと思ったことです。
それが良いと思っているから選択肢として存在し、それを実行するのです。
それが自らにとって悪いと思うものであるのならば、人がそれを選択肢として持つことはあっても、実行することはないのです。
あなたが実行したこと、実行していることは、あなたが良いと思ったことであるということを覚えておきましょう。
人生はあなたの行為を評価します。
他人があなたの言動を評価するのと同じです。
あなたが内心にどのような思いを持っていようとも、あなたの行為から評価する以外に方法はないのです。
あなたが内心にどのような思いを持っていようとも、あなたの行為こそが人生を築くということを覚えておきましょう。
あなたが行ったことは、あなたが良いと思ったことであり、良いと認めたことです。
その事実から逃れることはできません。
あなたが自ら良いと思って選択したものに対して不満を持つのは間違っています。
それがどのような理由による選択であったにしても、それはあなたが良いと思って選択したものであるのです。
悪いと思っているものであるのならば選択しなければ良いのですが、あなたはそれを良いと思って選択したのです。
あなたの行為は、あなたの公認であるということを覚えておきましょう。
自らの行いには責任が伴うのです。
自らが良いと思って選んだものが、選んだ後に間違いだったと気付くことは良くあることです。
間違いであったと気付いて、それを正すことは良いことです。
しかしながら、それが間違いであったと気付いたとしても、そこに不満を持つのは間違っているのです。
あなたが自分自身で良いと思って選んだものを、不満という破滅的な感情と方法によって痛めつけてはなりません。
そのような感情や方法によっては、その問題が解決することはないからです。
問題の解決とは、物事の状態が良くなるということです。
その問題があなたに対して利益をもたらす良い状態になって初めて、問題が解決したということを知りましょう。
それがあなたに対して利益をもたらさない状態であるのならば、問題は解決していないということを覚えておかなければならないのです。
問題を攻撃し、それを遠ざけることによって目の前から退けることは可能です。
嫌なものに蓋(ふた)をして、それを見ないようにすることはできますが、それが問題の解決であるといえるでしょうか?
見た目が綺麗な車であっても、そのエンジンが動かないのであればそれは価値を揺るがす大きな問題であるでしょう。
大切なのは物事の本質を改めることでしょう。
物事の本質を改めることなく、その問題が解決するということはありません。
あなたが自らの選択を間違いだと思い、それに不満を持つという方法では、その問題の本質が解決するということには至らないのです。
あなたが自らの選択に対して不満を持つことなく、それに対して喜びを得ることができた時に問題は解決するのです。
あなたが豊かな人生を求めているのであれば、自らが良いと思って選んだことに対して不満を持ってはならないでしょう。
あなたはそれを自分自身で選択し、実行したということを忘れてはならないのです。
人生は都合の良いものではありません。
何を選択するにしても、そこには責任が伴うのです。
食べたものが思っていたのと違う味わいであったからといって、それを返品することはできないのです。
食べたものの代金が返ってくることもないのです。
あなたがそれを良いと思って、自らの責任によって選択し、それを食べたのです。
ならば、その過失は自分自身に存在しているのです。
あなたが人生に経験することは、あなたが自分自身で良いと思って選択したことなのです。
それに不満を持ってはなりません。
問題が解決するように、その本質に対して働きかけなければならないのです。
あなたは自分自身を改めなければならないということを覚えておきましょう。
すべてはあなたが良いと思って選択したことです。
どのような言い逃れも通用しません。
あなたにはそれ以外を選ぶこともできたのです。
あなたは責任を果たす人になりましょう。
自らの責任から逃れようとしてはなりません。
責任から逃れようとすれば、その苦しみは更に大きなものとなり、網にかかった魚のようにあなたの肉に責任が強く食い込むでしょう。
逃れようとしてもがくほど、その苦しみは絡み付いて締め付けます。
あなたは問題から逃れようとしてはなりません。
問題は解決するのです。
そこから何等かの利益を得なければなりません。
苦しいからと言って逃れようとしてはなりません。
苦しい時にはその事実を受け入れなければなりません。
事実を受け入れなければ、その苦しみはいつまでもあなたから離れないでしょう。
あなたが良いものを選択したように、問題の中にあっても良いものを選択しなければならないということを覚えておきましょう。

2013年8月8日木曜日

快楽

人は目の前の快楽に溺れて、成さねばならないその目的を忘れてはなりません。
何よりも重要なことは、自らの目的を遂行することであるということを覚えておきましょう。
どのような人にも必要な目的があります。
その目的というのは、あなたが自らの命や自己や生活や立場や財産や豊かさや成長などの、大切なものを守るための責任を果たすということです。
あなたが人生の目的を果たすことがなければ、どのようなことがあっても人生が豊かなものになるということはないのです。
あなたにはやらなければならないことがあります。
果たさなければならない責任が存在しているのです。
あなたはどのような状況にあっても、その目的を果たすことが最優先であるということを覚えておきましょう。
自己の目的が最重要事項であるということを忘れてしまえば、人は人生に苦しまなければならないということを覚えておきましょう。
あなたは自己の目的を知らなければなりません。
自己の目的が存在しないのであれば、人生の豊かさも存在しないということを理解しなければなりません。
人生が勝手に豊かなものになるなどと考えてはなりません。
残念ながら、豊かさに対して導くことがないのであれば、人生が豊かさへと辿り着くことはないのです。
あなたは人生をコントロールしなければならないのです。
人生をコントロールするためには、自己をコントロールしなければなりません。
船を導く船頭が嵐の海を渡って目的地に辿り着くように、自己をコントロールする人はこの厳酷(げんこく)な人生を渡って幸福へと辿り着くことができるのです。
あなたが成さなければならないのは、自己のコントロールであり、その目的の達成であるということを覚えておきましょう。
何も考えず、何の計画も無しに海原へと漕ぎ出したところで、目的地へと辿り着く前に遭難するのが落ちです。
目的地はどこにあるのか?
どのような航路によってそこへ向かうのか?
どのくらいの時間をかけて?
何人の船員で?
どのくらいの食料を持参して?
辿り着いたら何をするのか?
帰路はどうするのか?
最低でもこのくらいの計画がなければ無事に航海をすることはできないでしょう。
人生は航海のようなものです。
常に変化する状況に対応して目的地に辿り着かなければならないのです。
船に酒を積み込んだとします。
目的地に辿り着く見当が付いたのであれば、快楽に任せてそれを平らげれば良いでしょう。
しかしながら、目的地に辿り着くことができずに遭難したのであるならば、酒さえも貴重な飲料であるのです。
快楽は楽しいものです。
誰もが快楽の味を欲しています。
しかしながら、克己(こっき)によって快楽の誘惑に勝ることがなければ、必要な目的を果たすことも難しいのです。
酒を飲んで酔い潰れた航海士が、船舶を目的地に辿り着かせることができるでしょうか?
目的地に辿り着くまでに楽しそうな島を見付けて、そこで楽しむのであれば、無事に目的地に辿り着くことはできるでしょうか?
あなたは自らの目的を知らなければなりません。
自己を知ることによってその目的を理解しましょう。
自分自身が何をしたいのか?何を求めているのか?ということも知らずに、必要な成果を得ることはできないのです。
快楽に溺れる者は自己を見失います。
それは、快楽に従う者は責任を放棄するからです。
あなたは快楽に従い、それに溺れてはなりません。
目の前の小さな楽しみよりも、後の大きな喜びを取りましょう。
その時の快楽を選択する者には、目的の達成もないのであるから、人生の豊かさを得ることはできません。
快楽を欲して行う人は、後になって自らが取るに足らない小さな結果を集めていたことを知って絶望します。
しかしながら、快楽に溺れることがなく、苦しみの中にあっても自己の目的の為に努める人は、後になって自らの集めていたものが大きな豊かさであったと知って歓喜するのです。
あなたにとっての最高の目的は何ですか?
最高の理想は何ですか?
小さな快楽に気を取られてはなりません。
寄り道をしている人は、人生が終わりを迎えるまでに目的地に辿り着くことはできないでしょう。
快楽に溺れる人は、自己の人生の目的を忘れているでしょう。
目的地に存在している喜びこそが至上の幸福であるということを理解しましょう。
手前から奥に進むに従って大きな宝石が置かれているのに、手前の小さな宝石を一つひとつ拾い集めているのであれば、一番奥にある最も大きな宝石を持ち帰ることはできないのです。
快楽を味わってはならないと言うのではありません。
最も重要な目的を果たすことが大切であるということを忘れてはならないということです。
小さな快楽を捨てて、大きな快楽(目的の達成)を味わいましょう。

2013年8月7日水曜日

傷口

人は自らの心を守らなければなりません。
その心が穏やかであり、朗(ほが)らかであり、清らかであるのならば、人生は豊かなものであるでしょう。
何を得ようとも、そこで心が充足していないのであれば、その人の人生は厚い雲に覆われたように暗く、先行きの見えないものになってしまうでしょう。
どのようなものを得ようとも、そこで心が充足しているのであれば、その人の人生は豊かさを以て輝くでしょう。
人は自らの心を守らなければなりません。
あなたは心を充足させるために生きなければならないのです。
人の選択が心を充足することから外れてしまえば、人が人生に喜びを感じることはできないでしょう。
人は様々な働きによって人生を築きます。
あなたは破滅的な思考を用いてはなりません。
あなたは破滅的な感情を用いてはなりません。
あなたは破滅的な言葉を用いてはなりません。
あなたは破滅的な行動を用いてはなりません。
あなたは破滅的な人生を生きてはならないのです。
あなたは自らの破滅的な働きに注意していましょう。
傷を負うことが無ければ、傷口が痛むことはありません。
傷口がなければ、そこから病原体が侵入することもありません。
傷口があれば、そこから侵入した病原体によって病気による苦しみを得ることになるでしょう。
傷口がなければ、それが化膿して腐ることもないのです。
傷口がなければ、海で鮫に襲われることもないのです。
血の滴る匂いを破滅は好みます。
あなたが自らの言動によって自己を傷付けるのであれば、滴る血の匂いを嗅ぎ付けて破滅が忍び寄るのです。
傷を負っていない者には、病原体もその健康を脅かすことは難しいのです。
自己を傷付けていない人の幸福を、苦しみも簡単に脅かすことはできないのです。
苦しみを得る人の自己は傷付いています。
それは自傷によってです。
自らの破滅的な言動が自己を傷付けているということを理解しましょう。
あなたは自傷に慣れてしまっているのかも知れません。
人は慣れる生き物です。
痛みも積み重なれば快楽に転ずるように、破滅的な言動も積み重なるのであれば、それを快楽や正しさとして認識することもあるのです。
習慣から外れることに恐怖する人がいるように、破滅的な言動から外れることが恐ろしくなるということがあるのです。
破滅的な言動を習慣としている人は、自らがその苦しみを導いておきながらそれに心を乱し、苦しんでいます。
本来ならば、人は人生の様々な可能性に挑戦し、向上や成長を受け取って喜びと成す必要があるにも関わらず、破滅的な習慣によって喜びを得ることに恐れを抱いているのです。
破滅的な言動はすべての可能性を奪い去ってしまいます。
病気があなたの可能性を奪い去ってしまうようにです。
あなたは破滅的な言動を所有してはなりません。
自ら自己を傷付けてはならないのです。
あなたは汚い考えや心、言葉や行動を所有してはなりません。
邪(よこしま)な生き方を所有してはなりません。
原因によって結果が導かれます。
破滅的な原因を所有する人には、破滅的な結果が導かれるのです。
どのような原因も必ず正しい結果として導かれます。
自らの原因が導く結果から逃れることのできる人は存在しません。
どのような人物がどのような方法を用いても、それを回避することはできないのです。
あなたはどのような状況にあっても、建設的な言動により自己を形成しなければなりません。
正しく生きる者でなければ、正しい結果を得ることはできません。
あなたが正しいと思っていること、豊かさだと思っているものが本当の正しさや豊かさであるという保証はありません。
その言動に対して良心が疑問を感じないのであるのならば、それで良いでしょう。
あなたの良心がそれを疑問に思うのであれば、あなたはその言動に対して注意する必要があるのでしょう。
自己に傷がなければ、人生が痛むことも苦しむこともないでしょう。
あなたは自己を傷付けないように生きましょう。
良いことをして、その結果である豊かさを得ましょう。
どのような状況にあっても、あなたは破滅的な言動を用いてはなりません。
苦しみをもたらす様々な問題を解決し、人生を豊かなものにしたいと考えているのであれば、自己を傷付けない方法を実現しましょう。
自傷こそが自己を傷付ける働きです。
あなたが破滅的な言動によって自己を傷付けることがなければ、人生で苦しみを得ることもないでしょう。
他人や状況があなたを傷付けることはありません。
それを自らがどのように変換(解釈)するのか?によって傷付くかどうかが決まるのです。
自己が建設的な働きに満ちているのであれば、他人や状況がどのような状態であろうとも、そこから必要な利益を調達し、人生を豊かに築くことでしょう。
自己を傷付けてはなりません。

2013年8月6日火曜日

生と死について

この世界には、生と死とが混在しています。
物事は常に生と死とによって計られ、決められます。
物事は生と死によって分けられ、それぞれに向かうのです。
生に向かうものもあれば、死に向かうものもあります。
どちらに向かうにしても、物事が生死の判断を免れることはないのです。
すべての物事は常に判断され、最善に向かって進みます。
物事が生に向かうのも、死に向かうのも、それが最善であるということを理解しなければなりません。
人生による物事の判断(導き出された状況や結果)が間違っていることはありません。
それがどのようなものであろうとも、あなたが得る状況や結果が正しいのです。
人生は物事の最善を見ています。
その判断が過ちを犯すことはありません。
それは、すべての判断が原因によってもたらされるからなのです。
原因とはこの世界の行いです。
自己の行い、他人の行い、他の生物の行い、自然の行い、などの行いによって生じるのが原因であり、そこから導き出されるのが状況である結果なのです。
行いとは、行ったことと行わなかったこととがあります。
それを行うにしても、行わないにしても、それが結果を導く原因であるということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたの行いが生と死を導きます。
あなたに関する物事が形成されることと破滅することは、あなたに原因が存在しているのです。
あなたは自らに関することの形成と破滅を司っているということを忘れてはならないのです。
この世界は生と死の働きによって支えられています。
このどちらかの働きをなくすことはできません。
生じることと滅することの働きとその特性を知ることがなければ、人生に必要を存続させることはできないでしょう。
生と死を知ることがなければ、大切なものを得ることも、それを守ることもできないということを覚えておきましょう。
物事は常に形成と破滅によって支えられています。
物事が永遠に形成されることもなければ、永遠に破滅することもありません。
物事は必要を形成し、必要を破滅させることによって最善に向かうのです。
どちらかの働きを食い止めてしまうことは、物事が最善に向かうことを食い止めていることであるということを理解しなければならないのです。
物事においては、形成と破滅を逃れることはできません。
あなたが成長を成す度に、その価値観は無駄を捨て去って洗練されます。
もしも、あなたの精神が洗練される時に幼稚なことを気に掛けているのであれば、その精神は成長を成すことができないでしょう。
大人になるということは、幼稚さを捨て去るということです。
未熟な自己(価値観、習慣)を捨てることなく、洗練された自己を得ることはできないのです。
生じることだけを気に掛け、滅することを悪と見なして拒絶するのであれば、人は最善を得ることができないのです。
樹木が新芽にいつまでも捉われているのであれば、それ以上には枝葉を伸ばすことができないということを理解しましょう。
樹木が枝葉を伸ばして多くの花と実りを得ようというのであれば、幼い葉は落とさなければならないのです。
あなたは幼稚な価値観と習慣を捨てましょう。
物事があなたから去ろうとすることを食い止めてはなりません。
物事が滅することは決して悪いことではないのです。
あなたは何かを失い、何かを失敗し、何かに苦しむことでしょう。
しかしながら、それらは物事が最善へと向かうためであるということを理解することができるのであるならば、あなたが心を損なうことはないのです。
物事が生じることだけが良いことであると考えてはなりません。
破滅的な働きが生じれば、物事は破滅に向かうのです。
あなたは物事の生と死のバランスに注意しなければなりません。
物事が生じることと滅することは当たり前のことです。
あなたが何を得ようとも、何を失おうとも、それに対して心を損ねてはなりません。
物事が形成されることも良い。
物事が破滅することも良いのです。
どちらが良いとか、悪いということではないのです。
生と死がバランス良く存在している場所にこそ最善が存在し、豊かさと幸福が存在しているということを覚えておきましょう。
あなたは常に最善の中に存在しています。
そのことを知って、物事の成り行きに対して抵抗して暴れてはなりません。
物事は静かに動かさなければなりません。
冷静に考え、冷静に行動しなければ、最善を導くことはできないでしょう。
物事は必ず生じ、必ず滅します。
そのことを理解して、人生を楽しみましょう。

2013年8月5日月曜日

機会を所有している者

あなたは自らの心が信じること、その心が求める理想を諦めてはなりません。
あなたは常に自らの心を信じ、その欲求に従順でなければならないのです。
心に従って事を成さない人には幸福はありません。
それは、心の実現こそが人生の豊かさであり、あなたの幸福であるからです。
人は自らの心を実現しなければなりません。
心を実現しない人は、そこに苦しみを見出すからです。
それを不満に思い、苦しいと感じるのは、その状況が心に反しているからです。
その状況が心に従って導かれたものであるのならば、あなたには不満など感じることはないでしょう。
その状況が心に従って導かれたものであるのならば、あなたは喜んでいることでしょう。
人は心が実現すれば喜び、心が実現しないのであれば苦しむのです。
あなたは何かしらの理想を持っています。
心の中には何等かの欲求が存在しているはずです。
あなたはその欲求に対して素直な人でなければなりません。
自らの心の欲求に対して歯向かうような人は、人生に喜びを得ることはできないでしょう。
自らの心を裏切り、傷付けているのであれば、人が人生に喜ぶことなどできはしないのです。
人は心に従って人生を築かなければなりません。
心を実現することができなければ後悔を受け取り、苦しみに会うでしょう。
あなたの心が求めている理想はどのようなものですか?
あなたはその理想に対して尽力しなければなりません。
自らの理想に対しては手を抜いてはならないのです。
どのような理由があるにしても、理想を諦めては幸福は得られないのです。
あなたは理想を実現しましょう。
多くの人は自分にはできないと考えています。
多くの人はその実現は不可能であると思っています。
多くの人は自分には相応しくないと悲観しています。
多くの人はその理想を実現する努力をしません。
多くの人は理想を実現する努力をすることがないにも関わらず、人生に不満を吐き捨てています。
多くの人は何もしていないのに諦めているのです。
あなたが自らの理想に対して成功することができるのか?ということは誰かが決めることではありません。
あなたが自分自身によって決めるのです。
それがどのような理想であろうとも、その実現が不可能であるとは決められていません。
方法は数多く存在しているのです。
その理想があなたに相応しいかどうか?ということは、そこに辿り着いた時に考えれば良いことでしょう。
そこに辿り着いてもいないのに、そのような立場でもない人物が思い煩うのはおかしな話です。
答えが出ていないのに、理想に対する努力を諦めることは間違っています。
あなたが諦めない限りは、可能性は存在しているのです。
あなたにとってはその理想がとてつもなく大きなものに見えるかも知れません。
しかしながら、誰にとっても理想という場所は遠く、辿り着くことが難しいものなのです。
簡単に辿り着くことができる理想というものは、本心からの理想ではないでしょう。
難しいことですが、あなたは本心からの理想を求めましょう。
あなたが一番得たいものでなければ幸福を得ることはできないのです。
金メダルを獲得することを目指して努力を重ねたオリンピック選手が、銀メダルに終わって幸福を得られるでしょうか?
それが幸福であると思い込むことによって自らを慰めることはできるでしょうが、心の中に本当の幸福は存在しないのです。
あなたは人生が一度きりのことであるということを知りましょう。
時間は常に過ぎ去り、機会は二度と巡っては来ません。
その機会を逃せば、二度とその機会に巡り合うことはないのです。
年老いてから、若かりし頃に思い描いた理想を実現させようと努めても、遂にそれが実現することはないでしょう。
人は自らの理想に対して諦めを選択してはなりませんが、機会を逃しているのであれば叶わないこともあるのです。
努力は機会を所有している者の努めであって、機会を失っている者のものではないのです。
だから、あなたは機会を逃さないように、今自分にできることを精一杯にこなさなければならないのです。
心が求める理想を後回しにしてはなりません。
機会を逃せば、どのように努めたところで実現することはありません。
既にその立場に無いのに、その立場であった時と同じことをしようとしても叶わないようにです。
あなたは自らの心が信じること、その心が求める理想を諦めてはなりません。
それが実現するかは分かりません。
どのように努めても、実現しないこともあります。
しかしながら、諦めなければ、自らの心を幸福へと着地させることはできるのです。
銀メダルに終わった選手が後にその名誉を喜ぶのは、精一杯に努めたからです。
理想に対して精一杯に努めなかった者には喜びが無いということを理解しましょう。
あなたは自らの心の実現に努めましょう。

2013年8月4日日曜日

人として

物事の行き先は、すべてそのものが持つ本質によって決められます。
鳥は空を飛び、魚は海に潜ります。
それは鳥が空を求め、魚は海を求めているからです。
その欲求こそが本質を、そして姿を作るのです。
人が人であるのは、人で在りたいと願う欲求が存在しているからです。
すべての存在は欲求を従えています。
欲求を持たない存在はいません。
陽光であっても、風であっても、欲求を持っているから自らを成すのです。
人は様々な欲求を所有しています。
その欲求が人の本質を築きます。
欲求が心を形成し、形成された心は新たな欲求を欲します。
人の本質とはその欲求であり、それが形成する心であるということを覚えておきましょう。
人を決めるのはその心であるのです。
人は心によって判断し、心によって行うということを理解しましょう。
この理(ことわり)を理解することができなければ、人が幸福を得ることはできません。
どのような人も、心に従って生きます。
自らの心を無視して生きることのできる人は存在しません。
どのような人物も、心を主体として人生を築いているのです。
そのため、人は自らの心に反することはできません。
心に反して生きることは、その心を崩壊させることであり、それは苦しいことなのです。
心に従って生きることができなければ、人は苦しみを受けるということを覚えておきましょう。
どのような心に対しても、それに反することは苦しみを生み出します。
あなたは自らの心に従うことが重要であるということを覚えておきましょう。
人は心に反することはできません。
心に従わなければなりませんが、その心がどのような欲求を所有しているのか?ということは大切なことです。
人は自らの心が抱える欲求を実現していかなければなりませんが、その欲求が破滅的なものであるのならば、実現することはあなたに苦しみをもたらすでしょう。
その欲求が建設的なものであり、それが実現した時に喜びを得ることができるようなものでなければ、人が幸福を得ることはできないのです。
人は良いことを求め、良いことを実現しなければ喜びを得られないということを覚えておきましょう。
喜びを得られないのであれば、幸福も得られないということを理解しなければならないのです。
多くの人は自らの心こそが自分自身という存在(自己)と人生を決めているということを知りません。
すべての状況が心に従って実現していることを知らないために、目の前の重要ではないことを気にかけて苦悩して乱れ、最も大切な心を疎かにしているのです。
あなたが守るべきは自らの抱える心であるということを覚えておきましょう。
心を守らなければ、幸福を守ることはできないということを知りましょう。
あなたは何よりもその心を整えなければなりません。
心を整えたなら、それをコントロールして幸福を築かなければならないのです。
心が整い、それが幸福に対して向けられるようにコントロールされたのであれば、幸福は得られます。
心が乱れ、それが幸福以外の欲求に対して向けれるようにコントロールされるのであれば、人は苦しみを得るのです。
すべては心に従っているということを忘れてはなりません。
あなたがどこで、誰と、何をして、何を所有していようとも、その心が幸福に向かっていなければ幸福は得られないのです。
人生の理はとても単純なものですが、その単純なことでさえ知らない人が多いのです。
あなたは何よりも自らの心を守るように努めましょう。
この世界において、自らの心よりも価値のあるものは存在しないと理解しましょう。
その他のものは代用が効きます。
仕事も品物も友人も恋人も家族でさえも、残念ながら代用が効きます。
しかしながら、自らの心には代用が効かないのです。
あなたは何が重要であるのか?を知らなければなりません。
物事の本質を大切にすることができない者は、どのような豊かさも幸福も得ることはできないのです。
あなたが人として、人としての幸福を求めているのであれば、その欲求がそれを実現するように向けましょう。
心をコントロールすることができずに、破滅的な欲求に従っているのであれば、あなたは人生に苦しみを引き込むことになるでしょう。
あなたが人として成すべきことは何ですか?
鳥は空を飛び、魚は海に潜ります。
人はどのようにすれば良いでしょう?
あなたはそれを考えなければなりません。
人として生き、人として死にたいのであれば、人が人として求めるものを求め、人が人として成すべきことを成さなければなりません。
あなたは自らの心がすべてを決めているということを理解し、それが道を外さないように注意しておきましょう。
どのように苦しい状況にあっても、重要ではないことによって、最も重要な心を乱してはなりません。
あなたが最も大切にしなければならないことは、その心が幸福に向けられて正しく整っていることであるのです。
心を守りましょう。

2013年8月3日土曜日

報い

人生は常に、自分自身の行いによって築かれます。
人が所有する原因こそが結果を導き出します。
人がどこにいても、自らの所有する原因から導き出される結果から逃れることはできません。
あなたは自分自身の行いがもたらす報(むく)いは、どのような理由があろうとも必ず受け取らなければならないということを覚えておかなければならないのです。
あなたがどこへ逃げても、その報いが消え去ることはありません。
どのような方法を用いてそれを遠ざけようとしても無駄なことです。
その報いはすべての対策を乗り越えてやって来るのです。
人が死を免れないようにです。
あなたがその報いをどのように拒絶しようとも、それから逃れる術はないということを理解しなければならないのです。
あなたは自らの行いがもたらす報いを受けることになります。
それからは決して逃れられないということを理解しましょう。
あなたは自らの行いがどのような報いとなって現れるのか?ということを考えましょう。
良いことをすれば良いことがあり、悪いことをすれば悪いことがあるということは理解することができるでしょう。
林檎の種を蒔いたのに蜜柑(みかん)が収穫されることがないように、自らの行いという原因はそれに等しい実を結び、あなたはそれを収穫しなければならないのです。
収穫した果実は、もちろん残さずに食べなければなりません。
あなたは自らの行いによってもたらされるその報いを拒絶することなどできないとうことを覚えておかなければならないのです。
自らが行ったこと、というのは、自らが欲したものであるということを理解しなければなりません。
人生はあなたの意思を尊重し、それが実現するように全力で努めます。
人生はあなたに幸福を得て欲しいのです。
あなたが要求するものなら何でも与えます。
人生はあなたのことを常に助けようとしているのです。
そのため、あなたが自ら行うことは実現するのです。
あなたが良いことをすれば、良い報いが訪れます。
その時、人生は喜びます。
あなたが悪いことをすれば、悪い報いが訪れます。
その時も人生は喜んでいるのです。
人生は常にあなたが欲するものを与えることができた満足感の中に存在しています。
あなたがそれが欲するものと違っていると人生に対して文句を言ったところで、正しく仕事をしている人生に非はないのです。
人生はあなたの行いを見て、その欲求を判断しています。
そのため、あなたの行いが実現することが喜びなのです。
人が物事を判断するようには、人生は物事を判断することはありません。
それは、人生は物事を善悪によって分け隔ててはいないからです。
人生は常に正しく仕事をしているのです。
そのため、人生に対して不満を持ち、何かしらの文句を吐いたところで、それが有益に働くことは有り得ないのです。
責任を果たしている者には改善の余地がないということを覚えておかなければならないのです。
あなたが受け取るものが、自らにとって苦しいものであるならば、自分以外の存在に対して不満を持つことなく、先ずは自分自身の行いを省みましょう。
自分自身の原因がすべての結果を導いているのです。
人生に奇跡など存在しません。
良いにしても、悪いにしても、その報いが消え去ることはないのです。
それが喜びであっても、苦しみであっても、人は自らの行った結果を受け取らなければならないのです。
あなたはそのことを知って、自らの行いを考えましょう。
悪いことをしなければ、悪い報いを受けることはありません。
良いことをすれば、良い報いを受けることができます。
そのことを理解しましょう。
しかしながら、物事の報いは直ぐには訪れません。
種を蒔いても直ぐには果実が実らないように、どのような報いも時間を経てて実現するのです。
だから、悪いことをしても悪いことなどないと思って安心してはなりません。
良いことをしても良いことがないと絶望してはなりません。
自分が思っているタイミングで結果が得られるということはないのです。
ただし、確実にその報いは実現します。
それは、あなたが種を蒔いたことを忘れていても、その種は人生があなたのために世話をして育てているからです。
あなたの行いのすべては確実に人生が結果として受け取ることができるように準備しているのです。
あなたが悪いことをしているのであれば、覚悟を決めなければなりません。
あなたが良いことをしているのであれば、楽しみに待ちましょう。
良くも悪くもその報いを確実に受け取ります。
どのような場所にいても、どのような方法を用いても、それを拒絶することはできません。
あなたはどのような報いを受けるのかを自分自身で決めることができます。
人生は自由なのです。
自分自身で決めたことに不満を持つことは間違っています。
それがどのような状況(結果)であろうとも、それはあなたが自分自身で決めたことなのです。

2013年8月2日金曜日

名誉ある人生

人が人生を豊かなものにするためには、自分の人生を誇りに思えなければなりません。
自らが誇りに思うことができない人生を、どのように豊かなものであると認識することができるのでしょう。
名誉ある生き方によって、誇り高き人生が得られます。
あなたは自らの名が褒(ほ)められるような生き方をしなければならないのです。
自らの名を辱(はずかし)めてはなりません。
恥ずかしいと思うような生き方をして、人生とその名を辱めてはならないのです。
誇り高く生きなければなりません。
あなたが自らの生き方とその名を誇りに思うのであれば、人生は名誉あるものとして喜びを称(たた)えるでしょう。
そのような人生を乏しいと思う人はいません。
栄光に満ちた自己と人生を苦しみであると考える人はいないのです。
あなたが自己とその人生に対して誇りを有することができれば、その人生が豊かさを外れることはないでしょう。
あなたが豊かな人生を求めているのであれば、誇りというものを考えていなければなりません。
自らの生き方によって名誉や誇りが得られます。
あなたの選択と行動によって、その名が栄光に輝き、人々から賞賛されるかどうかが決まるのです。
誇り高い人生を得るためには、誇り高き生き方をしなければならないのです。
あなたはその名が常に評価の対象であるということを理解しましょう。
人々の間でその名が称えられることがなければ、豊かな人生というものは有り得ません。
それは、人から称えられるということは、それだけ大きな貢献をしたからに他ならないからです。
貢献することによって、人はその名の価値を高めます。
何かに対して貢献することがなければ、人々はその名を知ることもないのです。
名を知らないのに、どうやって評価するというのでしょう?
名を知っているから、評価することができるのです。
人々の間に名が知れ渡るためには、人々の間に対して名を投じなければなりません。
何かの行動を起こすことによって人の名は知られます。
その行動が人々に貢献するものであるのならば、人々はその名を褒め称えます。
人々に褒め称えられた名は誇りを以て栄光に輝くのです。
その行動が人々に貢献することなく、ただ貪(むさぼ)るだけであるのならば、人々はその名を非難します。
人々に非難を受けた名は地に落ちて苦しみに会うのです。
賞賛を受けるのも、非難を受けるのも、その人の選択と行動から導き出される生き方の結果であるということを理解しなければなりません。
何の理由もなく賞賛される人はいません。
何の理由もなく非難される人もいないのです。
あなたは人々から賞賛される人にならなければなりません。
その生き方に誇りを持ちましょう。
誇りを持てるような生き方をしなければなりません。
人々の間に対して貢献を投じなければなりません。
それは、あなたが思い付くことや、できることで良いのです。
しかしながら、その小さなこともしない人の名が賞賛されることはありません。
小さな貢献でも続けているのであれば、人々から褒め称えられるということを覚えておきましょう。
小さなことに対しても誠実であり、それを疎かにすることがなく努める人に対しては、いつの日か必ず人々からの賞賛が届きます。
あなたが行ったことが人々に賞賛されることがなかったとしても、それが人々に対して貢献するようなことであるのならば、いつかそれが表立って人々に気が付かれるのです。
小さなことがすぐに賞賛を受けるなどとは考えてはなりません。
人々から賞賛されないからといって正しいことを諦めてはなりません。
正しいことを諦める人の生き方がどうして誇り高きものであると言えるのでしょう?
どのような状況にあっても正しく生きているから誇り高いのです。
多くの人が悪事を働いている時にも貢献しているから名誉が得られるのです。
あなたは誇りや名誉というものを軽んじてはなりません。
人々の間にあっては信用というものが重要なのです。
名誉ほどの信用は存在しません。
あなたが名誉ある人であるのならば、人はあなたがどのような人物か分からなくても信用してくれるでしょう。
あなたが悪名のある人であるのならば、人はあなたがどのような人物か分からなくても非難するでしょう。
人として生きるのであれば、人からの評価というものは大切なものなのです。
どのようにすれば、人々に貢献することができるのかを考えましょう。
人々に賞賛される人に成らなければなりません。
あなたは自らの名を汚してはなりません。
誇り高く、名誉ある生き方をしなければなりません。
正しく生きることを忘れてはなりません。

2013年8月1日木曜日

心の豊かさ

心が豊かさを得ることこそが、人生においての最も価値のあることであるということを知りましょう。
心が豊かさを得ること以上に価値のあることはありません。
人が行うことのすべてがその心を豊かにするための働きであるということに気が付きましょう。
人の最終的な目的というものは、いつもその心を満たすことであり、その豊かさを得るためのものであるということを理解しなければならないのです。
あなたが何を志し、どこで、誰と共にいようとも、その心が満たされることがなければ、その目的を果たすことはできないのです。
あなたは人の目的が心の豊かさを得ることであるということを学びましょう。
あなたが何を志したとしても、そこで心が満たされ、心が豊かさを得ないのであれば、その目的からは外れてしまっているのです。
あなたは心を満たす方法を探しましょう。
人は誰しもが弱さを抱えています。
人の心には何かしらの恐怖が存在しているということを理解しましょう。
恐怖が人を弱さへと駆り立てます。
恐怖によって弱さへと駆り立てられた人は、そこで悪いことをします。
それは、自らを守るための行動であるかも知れませんが、恐怖から逃れるため、その苦しみを埋めるためには手段を選ばないのです。
物事を選択する時には、その選択が導く結果というものを考えていなければなりません。
結果を考えることなく選択しても、必要な結果は導かれます。
その結果があなたの選択に対して相違することはありません。
あなたは自らの選択によって行い、その行いが結果を導くのです。
恐怖に従って選択する人は、ネガティブな方法によって選択と行動を実行します。
そこに導き出される結果がネガティブなものであるということは推し量ることができるでしょう。
人の世には恐怖による弱さが蔓延(まんえん)しています。
それは世の中を汚いものにしているのです。
世界に不要なものは存在しません。
人が恐怖による弱さに従って悪いことをしたとしても、それが悪いということではないのです。
悪いことをすれば、悪い結果を得るだけです。
すべての結果には意味がありますが、悪い結果を受け取ることでその心が満たされることはありません。
もちろん、それによって心が豊かさを得ることもできないのです。
人は善いことを行わなければなりません。
夢や希望や思いやりに満ちた心によって物事を選択し、勇気や強さに従って行動するのであれば、心を満たすような結果を得ることができるのです。
自らに正しい原因が存在していないのであれば、正しい結果を得ることはできないのです。
大切なのは人の世にあって、恐怖や弱さや汚さに飲み込まれないことです。
恐怖や弱さや汚さに従って選択して行えば、人が得る結果は苦しみに他ならないのです。
どのような理由があるにしても、悪いことを行う者が得る結果は悪いものです。
そこにどのような理由があるにしても、人生がそれを聞き入れることはありません。
善いことをすれば善いことに会い、悪いことをすれば悪いことに会うのです。
原因が結果を導きます。
そのことを理解しなければならないのです。
当たり前のこと以外が起きることはありません。
すべてが自らの行ったことによって導き出される結果であるということを知りましょう。
そのことを知って、自らの選択と行いを決めなければならないのです。
心を満たし、豊かなものにすることがなければ、どのようなことも空しいということを知りましょう。
目的が果たされないのであれば、人が何をやっても苦しいのです。
あなたは心を満たし、それが豊かさを得るという目的が存在しているということを忘れてはなりません。
人の世の中に在って、心を汚してはなりません。
他人や多くの人がそうしているからという理由は、言い訳にもならないのです。
あなたはそれが本当に自らの心を満たし、それを豊かなものにするのかを考えましょう。
目的を見失った行動では必要な成果を上げることはできないのです。
目的を見失っていなければ、すべての行動が心を満たし、それを豊かなものにするためのものになるでしょう。
何のためにそれをしているのか?
何のために生きているのか?
ということを見失ってはなりません。
人は心の豊かさを得なければなりません。
心の豊かさ以上の幸福は存在しないのです。
心が豊かさを得ることこそが、人生においての最も価値のあることであるということを知りましょう。
あなたは苦しみの中にあって苦しんではなりません。
汚れの中にあって汚れてはなりません。
心を美しく保ちましょう。
心が豊かさを得ることは幸福なことなのです。