この世界には、生と死とが混在しています。
物事は常に生と死とによって計られ、決められます。
物事は生と死によって分けられ、それぞれに向かうのです。
生に向かうものもあれば、死に向かうものもあります。
どちらに向かうにしても、物事が生死の判断を免れることはないのです。
すべての物事は常に判断され、最善に向かって進みます。
物事が生に向かうのも、死に向かうのも、それが最善であるということを理解しなければなりません。
人生による物事の判断(導き出された状況や結果)が間違っていることはありません。
それがどのようなものであろうとも、あなたが得る状況や結果が正しいのです。
人生は物事の最善を見ています。
その判断が過ちを犯すことはありません。
それは、すべての判断が原因によってもたらされるからなのです。
原因とはこの世界の行いです。
自己の行い、他人の行い、他の生物の行い、自然の行い、などの行いによって生じるのが原因であり、そこから導き出されるのが状況である結果なのです。
行いとは、行ったことと行わなかったこととがあります。
それを行うにしても、行わないにしても、それが結果を導く原因であるということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたの行いが生と死を導きます。
あなたに関する物事が形成されることと破滅することは、あなたに原因が存在しているのです。
あなたは自らに関することの形成と破滅を司っているということを忘れてはならないのです。
この世界は生と死の働きによって支えられています。
このどちらかの働きをなくすことはできません。
生じることと滅することの働きとその特性を知ることがなければ、人生に必要を存続させることはできないでしょう。
生と死を知ることがなければ、大切なものを得ることも、それを守ることもできないということを覚えておきましょう。
物事は常に形成と破滅によって支えられています。
物事が永遠に形成されることもなければ、永遠に破滅することもありません。
物事は必要を形成し、必要を破滅させることによって最善に向かうのです。
どちらかの働きを食い止めてしまうことは、物事が最善に向かうことを食い止めていることであるということを理解しなければならないのです。
物事においては、形成と破滅を逃れることはできません。
あなたが成長を成す度に、その価値観は無駄を捨て去って洗練されます。
もしも、あなたの精神が洗練される時に幼稚なことを気に掛けているのであれば、その精神は成長を成すことができないでしょう。
大人になるということは、幼稚さを捨て去るということです。
未熟な自己(価値観、習慣)を捨てることなく、洗練された自己を得ることはできないのです。
生じることだけを気に掛け、滅することを悪と見なして拒絶するのであれば、人は最善を得ることができないのです。
樹木が新芽にいつまでも捉われているのであれば、それ以上には枝葉を伸ばすことができないということを理解しましょう。
樹木が枝葉を伸ばして多くの花と実りを得ようというのであれば、幼い葉は落とさなければならないのです。
あなたは幼稚な価値観と習慣を捨てましょう。
物事があなたから去ろうとすることを食い止めてはなりません。
物事が滅することは決して悪いことではないのです。
あなたは何かを失い、何かを失敗し、何かに苦しむことでしょう。
しかしながら、それらは物事が最善へと向かうためであるということを理解することができるのであるならば、あなたが心を損なうことはないのです。
物事が生じることだけが良いことであると考えてはなりません。
破滅的な働きが生じれば、物事は破滅に向かうのです。
あなたは物事の生と死のバランスに注意しなければなりません。
物事が生じることと滅することは当たり前のことです。
あなたが何を得ようとも、何を失おうとも、それに対して心を損ねてはなりません。
物事が形成されることも良い。
物事が破滅することも良いのです。
どちらが良いとか、悪いということではないのです。
生と死がバランス良く存在している場所にこそ最善が存在し、豊かさと幸福が存在しているということを覚えておきましょう。
あなたは常に最善の中に存在しています。
そのことを知って、物事の成り行きに対して抵抗して暴れてはなりません。
物事は静かに動かさなければなりません。
冷静に考え、冷静に行動しなければ、最善を導くことはできないでしょう。
物事は必ず生じ、必ず滅します。
そのことを理解して、人生を楽しみましょう。
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